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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
不死鳥の心臓
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第5章  酒場にて(1)

「まだ街中だろうな」


 オージアスがぼそりと呟く。


「ああ」


 と、ラオが同意して、ライサたちの行動は決まった。その後、街へ戻る用意が始まる。川を見つけ、ラオが薬草から調合したという薬を、ライサの髪に塗った。赤毛だった髪が、川で髪を洗い流したときには、茶色になっている。


「わぁ、すごい」


 ライサは自分の髪の毛を引っ張って、目の前にかざして見た。若干ムラがあったけれども一瞬では、赤毛だとは気づかれないに違いない。


「ライサ、大丈夫か?」


 オージアスの声が向こうから響いてきた。さすがに洗い流すときには、上半身を多少露出しなければならなかったので、オージアスとラオは少し離れたところにいる。


「大丈夫!」


 叫び返して、慌てて髪をぎゅっと絞ってから服装を直す。ついでにポケットの中からオージアスのハンカチを出して、それで髪の毛を拭った。ちょっと考えてから、ハンカチを水に浸して軽くもみ洗いをする。そして、ぎゅっと絞って広げた。


 この場所に戻ってくるかどうかも分からないので、干しておくこともできない。しばらくハンカチを見つめた後で、そのまま濡れた髪の毛をまとめて濡れたハンカチで包んだ。こうしておけば、髪の毛が乾くときに一緒にハンカチも乾くだろう。


「お待たせ」


 二人が待つ場所に行くと、すでに馬の用意がされていた。結局ラオも宿に寄って馬を二頭連れていたために、五頭ともそこにいる。


「馬、どうする?」


 オージアスがラオに尋ねた。


「連れていこう。街の外に置いておけばいい」


 ラオの言葉にオージアスは頷いた。







 午後の陽で明るい街の入り口で、馬を五頭とも木に結びつけた。ライサとしては、盗まれるのではないかと心配だったが、ラオとオージアスはまったく気にしていないそぶりだ。そのまま街に入っていく途中でオージアスが呟いた。


「ユーリーが居るって言ったら、一箇所しか思いつかない」


「どこだ」


「酒場」


 ラオがふっと口角を持ち上げた。


「あたりだな」


 オージアスが首を振る。迷いのない足取りのラオと、それにほぼ並んで歩いていくオージアス。そしてその後ろにライサが続いた。そのままほんのしばらく歩いて、街の出入り口に程近い場所にあった酒場の前に来る。ラオは躊躇無くその木戸を開いた。


「てめぇ、このやろう!」


 開いた扉の中から聞こえてきたのは罵声だった。酒場の奥でなにやら諍いが起きているようだ。


「やる気か? やるんだったら相手になるぜ?」


 続いて、からかうような口調の声が聞こえてきた。


「ふざけるなぁ!」


 慌ててオージアスが駆け出す。それにラオとライサも続いた。人垣の真ん中にいたのはかなり筋肉質で体格の良い男と、ユーリーだった。


 ユーリーの表情からは、彼がこの事態を楽しんでいるのが、ありありとわかる。舌なめずりをしそうな表情で、男の方へ人差し指を立てて、ひょいひょいと動かしてみせる。かかって来いという合図だろう。


 ふと泳がしたユーリーの視線がオージアスとその後ろにいるライサを捕らえる。オージアスたちに、にやりと意味ありげな表情を浮かべたのもつかの間、対峙していた男がユーリーに突っ込んだ。


 人々がそれぞれに、わいわいと囃子たてる。その中でユーリーは男のタックルを受け止めると、その男の鳩尾に膝を打ち込んだ。うっと音がして、男がよろけた折に、別な男にぶつかる。


 男のタックルを受けたユーリーも、背中に衝撃を感じて振り返ると、元いた場所よりも、他の男を巻き込んで移動していた。ユーリーに背中で吹っ飛ばされた男がユーリーに一発お見舞いしようとしたところを、軽く身体を沈めて避ける。ユーリーが避けた一発は、他の男の顔に納まっていった。


 あっという間に大混戦が始まった。もう誰が誰と殴り合っているのか、全然分からない状況になっている。その中でユーリーが嬉々として、だれ彼構わず殴りつけ、ダウンさせていっていた。オージアスはその光景を見て、頭を抱えてしまった。ラオも呆気に取られている。


「これは何事だ」


 ラオが呆れたような口調でオージアスに問う。


「いつもこうなんだ」


 オージアスの方も諦めた口調で答えた。その合間に彼らに向かって飛んできた男をオージアスは軽く受け止めると、そのまま大混戦の中につき返す。一方ではラオが自分に向かって飛んできたグラスを、軽く頭をかしげて避けた。グラスはそのまま後ろの壁にぶつかって砕けたようだ。ライサはオージアスとラオの影でびっくりしてこの光景を見ていた。


「信じられないわ…」


 ライサの呟く声が、オージアスとラオの背中から聞こえてくる。


「とにかく、ユーリーをつれだそう」


 オージアスがそう言って、乱戦の中に突っ込んでいった。だがすぐさま、オージアスも右側から突っ込まれた男を避けたとたんに、後ろにいた男ともみ合いになってしまった。ラオはその様子を見て、大きくため息をついた後で、くるりと振り返る。


「娘。どこにも行くな」


 ライサはラオの顔を見上げて、黙って頷いた。自分はここにいるということを示すように、出入り口脇の店の隅にすっと身体を寄せる。そして手を振って見せた。ラオは満足するように頷いてみせると、自分も乱戦の中に突っ込んでいく。


 オージアスは、あちらを殴り、こちらに膝蹴りをし、なんとか騒ぎの中心までたどり着いたのがライサから見えた。ちらりとこちらに視線を寄越すオージアスに対して、ライサは小さく手を振って見せる。


 一方ラオは、まるで後ろに目でもあるような動きで、あちらこちらから飛んでくる拳やグラスや酒ビンといったものを躱し続け、騒ぎの中心にいた。二人とも喧嘩している人の顔を、一人一人覗きこんで確認している。


 ふいにライサは肩を捕まれた。振り返るとアルマンが立っている。


「アルマン! あなた、今までどこにいたの?」


 アルマンが申し訳なさそうな表情を作った。


「すみません。お嬢様。ここにいると危険です。外に出て待ってましょう」


 アルマンはそう言うと、ライサを追い立てるようにして外に連れ出そうとする。


「ちょ、ちょっと待って。アルマン。私、ここから動くなって言われて…」


 その言葉を聞いて、アルマンが弱弱しい笑みを見せた。


「だったら、外で待っていても同じでしょう?」


 懇願するような調子で言われて、ライサの気持ちが揺らいだ。その揺らぎに拍車をかけるように、アルマンがライサの腕を取って、酒場の外へと連れ出していく。


「大丈夫ですよ。ちょっと外で待っているだけですから。すぐ彼らも来ますよ」


 アルマンは肩越しにちらりと、乱闘を見た。酒場の中は乱闘の結果、アルコールの匂いも漂っていて、酔っ払いそうな状態であった。ライサは引きずられるように、アルマンの後について、酒場から出て行った。







 しばらくした後、オージアスとラオは、ようやくユーリーを見つけて、騒ぎの中心地から抜け出てくることができた。


「ひでぇ目にあった」


 ユーリーが頬を撫でながらぼやくのを聞いて、オージアスが後ろから頭を殴りつける。


「誰のせいだ。誰の」


「おまえだ。オージアス。おまえが後ろから羽交い絞めにするから、一発食らっただろうが」


「自業自得だ。俺たちが来たときに、無視しただろう。おまえ」


「いんや、全然気づかなかったぜ?」


「あのなぁ。大体、普通は大人しく待つもんだろうが。追われてたんだぞ。俺たちは」


「そんなの、俺の性にあわん」


「おまえの頭の中には、自分がことの発端という認識はないのか?」


「ないっ!」


 ユーリーが堂々と言い放って胸を張る。思わずオージアスはへたり込みそうになった。そこへ今まで黙っていたラオが舌打ちをする。


「ラオ、おまえもそう思うよな?」


 ラオの舌打ちをユーリーへの抗議の意味だと受け取って、オージアスが同意を求めてラオを見た。だがラオの視線は、店の出入り口の脇、ライサが立っていたところへ向けられている。オージアスもようやくその方向を見て気づいた。


「ライサがいない…」


 ラオが振り返って、今だ続いている乱闘を見つめた。


「あの中にもいないようだ」


 ラオのぼそりと呟く声に、オージアスは眉を顰めた。


「外じゃないのか?」


 ユーリーが呑気そうに言う。まだしきりに頬を撫でながら、扉を開いた。夕闇が迫っている街に、行き交う人々は見えるが、ライサの姿が見えない。酒場の前で呆然と立ち尽くしたのちに、オージアスとユーリーはとっさにラオを見た。ふたりの視線にラオが冷たく答える。


「なんだ」


 ラオに問い返されて、オージアスの視線が揺れた。


「いや、どこに行ったか、わかるかと…」


 その言葉を聞いて、ラオが深いため息をついた。オージアスとユーリーを交互に見る。


「俺だって万能じゃない」


 ラオのその言葉を聞いて、オージアスが考え込んだ。ユーリーはきょろきょろと周りを見ている。


「どっかで休んでるんじゃないの? 飯食ってるとか」


「いや、それよりもユーリー、アルマンはどうした」


 オージアスの問いに、ユーリーは肩をすくめて見せた。


「俺と一緒じゃなかったぜ。俺はてっきり、おまえたちと一緒だと思ってた」


 ラオとオージアスが顔を見合わせる。ラオがふっと目を閉じた後に呟いた。


「街の中には、すでにいない」


「アルマンが? それともライサが?」


「両方だ」


 いないことはわかるんだな…というユーリーのまぜっかえしを無視して、オージアスの眉間の皺が深くなった。


「おかしい。とりあえず、どっかで体勢を立て直そう。ラオ、安全そうな宿はあるか?」


 オージアスがラオに視線を向ける。ラオが表情を曇らせた。


「俺は案内人じゃないぞ」


「わかってる。だが、今はあなたのその感覚に頼らざるをえないんだ。自分たちが安全かどうかさえも怪しいんだからな」


 その言葉にユーリーが反応する。


「どういうことだ? オージアス」


「だっておかしいだろう? 何度にもわたるライサへの追手。それにこれだ。あの酒場に追手がきたら、さすがに俺だって気づく。だがそうじゃない。ライサは普通に消えたんだ。だとしたら、誰かが静かに連れていったとしか思えない。しかも街中にいないということは、馬なり馬車なり用意したってことだ」


「ライサが馬を連れて、俺たちと別れた可能性は?」


「ないな」


 ユーリーの問いに、ラオが端的に答えた。


「なぜ?」


「馬はすべて街の外につないである。常人は馬を連れて行くことはできない」


「マギの術か」


 ラオはユーリーに黙って頷いてみせた。ユーリーは視線を足元に下ろし、がりがりと髪の毛を乱すように、頭を掻いた。そして気が済んだのか、視線がラオに戻ってくる。そしてオージアスを見た。


「こういうときは、体勢を立て直すべきだな」


 偉そうな口調でユーリーが言う。オージアスが呆れた表情になった。


「おまえ、だから今、俺がそう言っただろうがっ!」


 ユーリーはひょいと肩をすくめてみせて、ラオを見た。ラオがため息と共にくるりと背を向け、歩き始める。二人はまだ言い争いをしながら、ラオの後へと続いた。


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