第4章 森の中(3)
夜明け近くになって、オージアスは火のはぜる音で目が覚めた。目の前で銀髪の男が火に枝をくべている。
「ラオ?」
オージアスの声で、男が顔を上げた。やはりラオだった。オージアスの動く感触で、ライサも目を覚ました。何度か目をこすった後で、やはりラオに気づく。
「無事だったのね」
「ああ」
ラオが立ち上がって、黒い布の塊をライサに渡した。広げてみるとマントだ。
「私のマント」
「落ちていたので、拾ってきた」
そう答えると、またライサとオージアスの正面に座りなおす。
「あ、ありがとう」
ライサは自分のマントを膝の上に乗せたまま呟いた。これを被るべきか、それともオージアスの温もりの中にいるべきか、考える。冷え込む森の中で、彼の暖かさは心地よい。しかし一方で、彼を暖房代わりにするのもどうかと考えてもいた。マントを膝の上に置いたまま、オージアスのマントの中で思案していると、ラオの視線を感じる。
「ア、アルマンとユーリーは無事かしらね」
視線の強さに戸惑いながら、ライサは二人の名前を口にした。ラオがふっと視線を落とし炎を見つめる。ほんのわずかな時間ののちに、視線はまたライサに戻ってきた。
「大丈夫だろう。少なくともユーリーは街の中にいるようだ」
「街を出て、森に向かっているんじゃないの?」
「いや。街の中だ」
ラオのあまりにも確信に満ちた言葉にライサは首をかしげた。そしてオージアスの方を見る。
「オージアス。ここって、待ち合わせの場所じゃないの?」
オージアスが意味がわからないという風に首をかしげた。
「だって…ラオが合流してきたし。この後、アルマンとユーリーも合流するんだと思ったんだけど」
オージアスはようやくライサの言いたいことを理解する。
「いや。ここは俺が適当に選んで来た場所」
その言葉にライサは、視線をラオに移した。
「じゃあ、どうしてラオは私たちがここに居るって分かったの? 火が見えた? 声が聞こえた? それって追手も見つけられるっていうことじゃ…」
ライサの声がだんだん大きくなる。オージアスは慌ててライサの肩を抱いた。
「落ち着いて。ライサ。そうじゃないんだ」
オージアスの腕の強さに、ライサは言葉を飲み込んでオージアスを見た。オージアスの目がじっとライサを見ている。
「どういうこと?」
「オージアスとユーリーの居場所はわかる。旅の間に気配を覚えたからな。それだけだ」
ラオがぼそりと言った。ライサとオージアスの視線がラオに集中する。
「気配って…街の中の、ここから離れた街の中の気配までわかるの?」
ライサの視界に、ラオの薄い水色の瞳があった。瞳に感情はなく、その奥底まで見透かせそうなほど澄んでいる。ふいに最初に聞いた警告の声を思い出す。あれは確かにラオの声だった。今までの追手を事前に警告してきたのも…ラオ。ライサはオージアスのマントを跳ね除けて立ち上がった。
「罠だったのね」
じりじりと二人から距離を取る。ライサの言葉にオージアスの目が見開いた。しかしラオの表情は変わらない。
「あなたが追手なんだわ。ラオ。そうじゃなきゃ、どうしてそんなことがわかるの? ううん。今までだって、追手のことを事前に知っていたみたいだった。事前に警告して…」
そこまで言ってからライサは気づいた。追手の一味だったら、追手があることを警告してしまっては何もならない。いや、むしろ今までラオの警告があったから、間一髪のところで逃げ出せているとも言える。
「あれ? でも…」
混乱してきたライサの表情を見て、オージアスが苦笑いをした。
「その論理は破綻してるだろ? それだと俺達は追手なのに、俺達自身でチャンスを潰していることになる」
「でも…でも…じゃあ、なんでわかったの? 追手が来るって…」
ライサの声に先ほどまでの勢いはない。しかしまだ二人から距離を取って、立ちすくんだままだ。
「俺にはわかる。それだけだ」
静けさの後で、ラオの低い声が響いた。まるで感情が篭らない声。事実を事実として告げているだけの言葉だった。
「わかるって…」
そこまで言って、ライサは別な可能性に気づいた。
「マギ」
唇に乗せてみる。オージアスがぎょっとしたような表情をしたが、一方でラオはにやりと嗤ってみせた。
「そう呼ばれることもある」
静かな声だった。ライサはへなへなとその場で座り込んだ。それを見たオージアスが苦笑しながら、ゆっくり立ち上がる。そしてライサの腕を掴んで立たせると、先ほどの位置へ連れてきて座らせた。ぱさりと自分のマントを半分ほど掛けてやるのを忘れない。ライサは自分のマントをしっかりと自分で握ったままで、放心している。
「信じられないわ。本当にいるなんて」
ぽそりとライサが呟いた。視線を上げれば、面白そうに自分を見ているラオの瞳にぶつかる。
「本当にあなた、本物なの?」
「何をもって本物と言う?」
「えっと…」
ライサの頭の中にあるイメージを拾い集める。普通の人間にできないことができたり、人を呪い殺したりする…と思って、気づいた。具体的なイメージがないのだ。どんなことができるとマギなのか、どのように人を呪い殺すのか。よく分からない。ただ人に害を為すというイメージだけが、そこにはあった。
「人を呪い殺すの?」
「そんなことはしない」
即答だった。月明かりと焚き火の中で浮かび上がる銀髪と薄青色の瞳。
「どんなことができるの?」
「特に何ができるわけではない」
これも即答だ。だが答えになっていない。
「誰がどこにいるか、わかるのね?」
「良く知ったものだったら、なんとなくな」
「人の考えを読んだりできるの?」
「そんなことはできない」
「じゃあ、手を使わずに物を動かすことは?」
「こういうことか?」
ラオが傍においてあった小枝の山に手をかざす。カタリという音がして、そこから一本の枝が宙に浮き、火の中に入っていった。オージアスが低く口笛を吹く。ライサも眼を見開いた。
「すごい…」
だが、その感嘆の様子に、ラオは表情を変えることなく俯いた。がさりとラオの手が小枝を掴む。
「こんなもの。大したことではない。手で掴んで入れるほうがよっぽど早い」
ぽいっと掴んだ小枝を火の中にくべる。ラオの瞳がライサに向かった。
「あの…もしかして、木と話ができたりする?」
「木?」
「え、ええ。木とか草とか」
ラオはちょっと考えるように首をかしげた。
「感じることはある。何かを。だが明確な言葉ではない」
ライサは黙り込んだ。
「大丈夫。ラオは悪いマギじゃない」
オージアスがとりなすように言う。
「うん…」
たった数日だったけれど一緒にいて、それはなんとなくライサにも分かっていた。ラオは口数が少なく表情もあまりないので、わかりにくい部分があったが悪い人ではななさそうだった。曖昧に頷いた後で、じっと火を見つめた。誰も何も言わない静かな時間が過ぎていく。何かを言ったほうが良いのだろうかと思いつつ、ライサは頭の中で、状況を咀嚼できずにいる。
「何を隠している?」
ラオが唐突に言った。
「ただのマギ狩りであれば、地方の領主が治める領土を越えて追い駆けては来るまい」
続けられたラオの言葉に、ライサはちょっとだけ安堵した。話題が変わるほうが、今はありがたい。
「そんなの」
ちょっと考えて。そして思いついたことをそのまま答える。
「知るわけないじゃない。大体、ただのマギ狩りが領土を越えるのかどうかっていうことさえ知らないもの。これだけ追い駆けてくるっていうことは、領土を越えて追い駆けるのが普通っていうことなんじゃないの?」
ラオがすっと目を細めて、首をかしげた。疑問を感じて首をかしげたというよりは、何かを見透かすような仕草だ。
「娘。おまえが追われるようになった経緯を話してみろ」
ライサは一瞬抗おうと思ったが、ラオの色素がないかと思われるような薄い水色の瞳に出会って、出かかった言葉を飲み込んだ。
「経緯も何も、館に人が押し寄せてきたのよ。父と母がマギだと言ってね。父と母は、私を秘密の通路から逃したの。そして自分たちも別の通路から逃げたはずよ。屋敷に火を放ってからね。そして待ち合わせはヴィーザル王国」
以上、と言外に言ってラオを見たライサは、貫くような視線にぶつかった。
「な、何よ。それ以上、何も無いわ」
「何か預かったものとか、教えられたことは?」
ライサはもう一度城を出る前のことに思いを巡らした。そして首を振る。
「旅費ぐらいね。何も持ち出せなかったもの。着の身着のまま」
無意識に、ぎゅっと自分の胸に下がっていたペンダントを握り締めた。結局、城から持ち出せたのは、このペンダントだけだ。誕生日に貰ったアクセサリーも、父から貰った人形も、すべて置いてきてしまった。しかしその言葉を聞いたラオの反応は深いため息だった。
「もういい。わかった」
どうみても納得はしていないという表情のまま、ラオはそう呟くと、自分のマントの前を合わせて屈みこんだ。
「何? どうするの?」
「眠る。動く時間まで、まだ間がある。明日は…いや、今日はユーリーたちを見つけに行く」
それだけ言うと、ラオは動かなくなった。次の瞬間、ライサの肩から温もりが消えた。あっと思ってオージアスを見ると、自分のマントをしっかりと前であわせている。そしてちらりとライサを見た。
「自分のマントで寝ろ」
「暖かだったのに。ケチ」
そう口を尖らすと、ライサは自分のひんやりとしたマントを羽織った。ラオがくべた薪が、少しずつ火を失っていく。慌てて手近にあった枝を数本突っ込んだ。火の勢いが戻ってくる。見るとラオもオージアスも眠ってしまったようだ。
「早いこと」
ライサは身動き一つしないオージアスをちらりと見てから、ことんと身体を預けた。マント越しだけれど、自分よりも体温が高く暖かい。そのまま寄り添うようにしているうちに、眠りに落ちていった。




