第2章 旅の道連れ(6)
ラオが連れてきた宿は、街の中心の広場の傍にある宿だった。宿自体も多くの人でにぎわっている。ラオはさっと馬を下りると、馬の手綱をオージアスに突き出した。持っていろということらしい。
「こんなに混んでいて、部屋が取れるのかね?」
オージアスがユーリーに言う。ユーリーはまたしても軽く肩をすくめてみせただけだった。程なくして、ラオが宿の奥から戻ってきた。
「続き部屋で、二部屋だけ空いていた。小さな部屋と四人部屋だ」
ユーリーが驚嘆の意味を込めて口笛を吹く。
「馬小屋は奥だ」
ユーリーの口笛も、オージアスの驚愕の眼差しも、淡々と受け流すと、ラオは手綱を受け取って、奥へと馬を連れていく。慌ててオージアスやライサたちもそれに続いた。
彼らが通されたのは、三階の部屋だった。しかもライサが通された小さな部屋は、窓もなく、元々は倉庫か何かだったようだ。それでも眠る場所があるだけ文句は言えない。部屋の両側にドアが空いている形で、片方は廊下に、片方はオージアスたちがいる部屋に続いていた。コンコンとオージアスたちの方へ続くドアがノックされる。
「締め切ったままだと息が詰まるだろ? 眠るまで俺達の部屋にいないか?」
オージアスの声が聞こえてくる。ライサはちょっと思案したが、隣の部屋にはアルマンもいるし、大丈夫だろうと思い、ドアを開いた。オージアスが身体を半分どけて、部屋への入り口を開けてくれる。こちらもベッドが4つ、所狭しと置いてあるかなり狭い部屋だったが、窓があるだけましだった。その窓は今、大きく開け放たれていて、そこからユーリーが広場を見ている。ラオはベッドの上で足を組んで座っていて、アルマンはベッドの縁に腰掛けていた。
「広場に面してるのね…この部屋」
ライサも窓に近寄る。ユーリーが身体を傾けて、ライサのために場所を空けた。
「良く見えるぜ。騎士団に集まった連中っていうのが」
ユーリーの言葉に窓の外へ眼をやると、騎士団に集まった人々が、広場の中心にいるのが見えた。
「あれは今日の受け付け分っていう感じかもな。さっきから見ていると、ちょっと剣を振り回して見せたり、槍を振り回してみせたら合格っていう感じだ。本当の腕っ節を見ている感じじゃないな」
ユーリーが言うとおり、ライサがじっと見ていると、何人かいる前で剣を振り回して見せている人がいて、そのまま他の人々が待っているところへ入っていく。きっと騎士団への入団を認められたのだろう。
「あれじゃあ、強いのかどうなのか、わからないんじゃないの?」
ライサは振り返って、ユーリーとオージアスを見た。オージアスがベッドに座り込んでため息をつく。
「強くなくてもいいんだろうさ。人数集めだ」
ライサの眉間に皺が寄った。
「どういうこと?」
「言葉通りの意味だよ」
それっきりオージアスはそっぽを向いてしまった。
「それって…」
ライサがなおも問い正そうとしたところで、ユーリーが大声を出す。
「おーっ! 見ろよ。まるで熊だぞ。熊」
ライサがユーリーの声に窓の外へ眼をやると、まさに巨漢が大きな槍を振り回してみせようとしているところだった。
「まあ、すごい」
ライサも驚いて目を見張る。
「おい、オージアス、おまえも見ろよ。熊っていうのは、ああ言うのを言うんだ。俺なんかは、かわいいもんだぞ」
ユーリーが言う言葉に、オージアスの不貞腐れた声が返ってくる。
「熊は見飽きてるからいい」
オージアスはそのまま、ぽさりと音をさせてベッドに寝転んだ。ユーリーが枕もとに来て、座り込む。
「どうした?」
オージアスの視界を、髭だらけの顔が遮った。
「別に」
「不機嫌だな」
「俺はああいうのが嫌なだけだ。訳もわからずに戦場に狩り出されるっていうのはな。俺らみたいに、覚悟しているのとは訳が違う」
ぼそりと呟いたオージアスを、ユーリーがじっと見つめる。
「なんだよ」
「あいつらだって一緒だよ。騎士団って言ったら、戦う場所だ。結局は望んで戦いに出るのさ」
ユーリーが窓の外を見るように言う。
「それに」
ユーリーが言葉を続けた。
「俺達だって、そんなに覚悟しているわけじゃないだろ?」
にやりと嗤って自嘲気味に言う言葉に、オージアスは眼を見開いた。だがすぐに同じようににやりと自嘲気味に嗤う。
「そうだな」
ライサがつかつかと窓から離れて、オージアスの傍に来た。
「何をそこでごちゃごちゃ話してるの?」
「べーつにっ」
ユーリーが返事をして、立ち上がる。そしてライサの肩に手を置いて回れ右をさせると再び窓際まで連れていって、窓から広場を覗きこむ。その様子をオージアスはぼんやりと眺めた。
彼らといて、ライサは気づいたことがある。しょっちゅう喋っていて陽気なのはユーリー。それをいなしているはオージアス。この二人はまるで生まれながらのコンビのように、阿吽の呼吸で物事をこなしていく。村での食料を手に入れる交渉など、二人に任せておけば、見事に飴と鞭でその役割をこなしていく。当然飴がユーリー、そして鞭はオージアスの役割だった。
あまり物は言わないけれど、リーダー格はラオ。ラオが決めたことに二人は逆らわない。ユーリーとオージアスに距離を保ちながら、それでいて絶対的な存在感を漂わせているのがラオだった。二人ともラオには一目置いているのが良くわかる。
例えばあの道が分かれていたときのように。両方とも目的地に向かっているように見える。でもどちらの道を行けばいいか分からない。そんなとき、ユーリーとオージアスが自然に見るのがラオだった。ラオに二人の視線が行き、それを感じて、ライサとアルマンもラオを見る。そしてラオが決めるのだ。右へ行くか、左へ行くか。その決定に、ユーリーもオージアスも絶対の信頼を置いているかのようだった。
こうしてケラスも抜け、数日間の野宿をし、ようやく街道を東に走り始めころだった。
その日、完全に陽が暮れる前に、どこかの大きな城壁の中に入ることができた。まっすぐに馬を進めていくと、大きな広場に出る。地方都市としてはかなり大きな都だった。皆、馬を下りてからぐるりとあたりを見回す。
「クアントラの街かな?」
オージアスが独り言のように言った。誰ともなしに言うのは、オージアスの癖らしい。それにユーリーが絡む。
「クアントラと言えば、トラケルタ国、東の大都市だな。東にクアントラ、南にウテナ、西にヴァルカス、北にタートラド。トラケルタの首都ヴェルナスを囲む四つの宝石と例えられる都市のうちの一つだ」
「おまえ、良く知ってるなぁ」
オージアスの言葉に、ユーリーが得意そうな顔で胸を張った。
「それりゃそうさ。伊達にあちこち歩いてきたわけじゃない。この半島のことは何でも聞いてくれ」
「半島?」
ライサの言葉を聞きつけて、ユーリーがライサの前に立つ。
「ああ。ヴィーザルもトラケルタも、ある半島の一角にある。もっと広い大陸が、東の果てにはあるんだぜ」
自分たちがいるトラケルタだけでも広いのに、もっと広い世界が広がっているなどということはライサに想像できなかった。それでも眼を輝かせて語るユーリーの言葉に偽りがあるとも思えない。思わずユーリーの明るいブルーの瞳を覗き込んだ。
「おっ、そんな風に見て、俺に惚れるなよ」
にやりと笑うユーリーに、ライサの頬は熱くなったのを感じる。思わず視線を逸らしたところで、オージアスの視線とぶつかった。オージアスがユーリーを軽く睨む。
「ユーリー。お嬢さんをからかわないように。困ってるだろ」
「へいへい」
ぐるりと広場をもう一度見渡した上で、オージアスがラオを見た。ユーリーもラオを見る。道を決めるときと同じだ。自然とライサとアルマンもラオを見ることになり、四人の視線がラオに集まった。ラオは軽く眼を瞑ると、大きくため息をついた。そして観念したかのように、顔を上げる。
「こっちだ」
ラオがくぃっと肩で方向を示すと、馬の手綱を引いて歩き始めた。オージアスとユーリーがにやりと嬉しそうに視線を交わすと、その後に続く。ライサとアルマンも黙って、三人の後に続くことにした。
完全に信じた訳ではない。しかしながら、約束を違える人たちではないと、ライサは思い始めていた。




