第2章 旅の道連れ(4)
「起きろ!」
ライサは、ラオの鋭い声で眼を覚ました。眠れないと思っていたのに、うとうとしてしまったようだ。空は白みはじめ、うっすらと朝もやがかかっていた。その中で、オージアスが、足で火を消しているのが見える。となりでアルマンのうめき声が聞こえたので視線をやると、ユーリーがアルマンの肩を揺さぶって起こしているところだった。
アルマンも眠ってしまっていたらしい。一瞬状況が分からないようで、きょろきょろしている。
「急いで馬に乗れ」
「え? え?」
驚いているうちに、ライサは腕をラオに捕まれて馬のところに引きずっていかれた。慌ててアルマンが追いついて来る。
「お嬢様に何をする!」
「おまえもだ。さっさと馬に乗れ」
ラオがアルマンに馬の手綱を渡した瞬間だった。ばさばさという木々を掻き分ける音がした。
「いたぞ!」
声と共に、オージアスとユーリーが剣を抜く。ラオが舌打ちする音が聞こえた。木々の向こうから飛び込んできたのは、昨日、宿に追ってきた男たちだった。一晩かけて探し出したのだろう。目の下に隈があり、顔には疲労の色が現われている。
ライサもアルマンも凍り付いたように足が動かなくなっていた。まさかこんな森の中まで追ってくるとは思っていなかったのだ。
「まったくしつこいこった」
ユーリーが手首で剣をくるくると回しながら言う。なぜか楽しそうな口調だと、ライサは思った。
「しつこいと女の子に嫌われると思わないか?」
オージアスがまじめな口調で言う。ライサとアルマンを守るように、二人はさっと剣を構えた。ラオは両手を腕のところで組んだまま、じっとしている。腰に剣は差しているが抜こうともしなかった。追手は五人。力ずくで行けば、勝てると踏んだのだろう。剣を抜くと、一気にかかってきた。
オージアスが、一人の肩に剣を差すと同時に、次の瞬間、横をすり抜けようとした男の背中をなで斬りにする。それで二人。対して、ユーリーは一人のわき腹を剣で差すと同時に、別の男に足払いをかける。見事に頭から転ばせることに成功して、二人ダウン。そしてもう一人…。
「危ない!」
ラオに向かって剣を振り上げた最後の一人を見て、ライサは声を上げた。思わず眼を閉じる。その瞬間に、ごーんという何かが硬いものにぶつかる音が鈍く響いた。ごーん? なんの音かと思って目を開いてみると、ラオが剣の腹の部分で男の頭をぶっ叩いた音だった。打たれた男は、高く剣を振りかざしたまま、白めを剥いて地面に倒れる。額の真ん中が見事に赤くはれ上がっていた。額の真正面で剣を受けたのだろう。
ラオが剣を腰に戻すのが見えた。オージアスが片手を頭にやる。ユーリーはびっくりしたように口が開いたままだ。
「ラオ…。剣の使い方が違う…」
オージアスが顔をしかめながらラオに向き直って言った。その瞬間に呪縛が解けたようにユーリーが笑い始めるのが見えた。
「切ったら痛かろう。まあ、剣で殴られても充分痛いと思うが…」
ラオが言い訳をするように、地面に倒れている男を見ながら言う。視線をオージアスに合わさないのが、本当に言い訳めいていた。
「うははは。こりゃ、傑作だ。ラオ。なかなか面白い剣の使い方だな」
「ユーリー! そういう問題では…」
ユーリーはまだ楽しそうに笑っていた。ラオはちらりと眼を細めてユーリーを見、何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。地面からふらふらとユーリーが転ばせた男が立ち上がろうとしてきた。ちらりとオージアスは視線をラオにやってから、剣を構えると、ラオと同様の方法でその男を昏倒させる。そしてにやりと笑った。
「確かに…意外にいいかもしれない。この方法」
ラオも微かに笑みを浮かべて返す。まるで子供が誉められたときに見せるような、得意さとはにかみの混じった笑顔だった。だがその笑顔はさっと消えてしまった。一瞬ののちにはいつもの無表情に戻っている。
「行くぞ。ここにいても仕方あるまい」
ラオがボソリと言うのを合図に、ライサたちはそれぞれの馬に乗り、この森を出ることにした。
街道をひた走っていく。途中途中の村で休みを取りつつも馬を走らせていくうちに、太陽の位置からアルマンはあることに気づいた。すぐ前を走っているライサの馬にそっと自分の馬を近づける。
「お嬢様、どうもさっきから南へ進んでます」
アルマンが馬を寄せてきて囁く。ぎょっとしてライサは先頭を走らせているオージアスの顔を見た。
「ちょっと待って、オージアス!」
声をかけて、馬の速度を上げてオージアスの馬に並べる。
「なんだ?」
「なぜ南に向かっているの?」
「南に予定があるからに決まってるだろう」
「でも、東に向かうのよね?」
ユーリーがオージアスとは反対側のライサの隣に馬を寄せてきた。
「心配するな。ケラスっていう街に寄る。その後は国境へ向かうから」
「ケラス?」
「ここよりちょっと南東に位置している街さ。そこでいろいろ調達してから国境に向かうんだ。これから何回か野宿だって必要だっていうのに、水や食べ物だってまともに用意してないんだぜ? 俺達はさ。まあ、焦りなさんなって。大丈夫。大丈夫」
ユーリーは言うだけ言うと、さっと馬の速度を落として後ろへ行ってしまった。オージアスがため息をつく。
「そういうことだ。お嬢さん」
「わかったわ」
ライサも速度を落として、アルマンの傍に戻ってきた。しばらく走らせていくうちに道が二股に分かれた。馬が自然と止まる。オージアスが視線を落としながら呟く。
「こりゃ…どっちだ」
壊れた道しるべが落ちていて、どちらが街に抜ける道か分からない。ユーリーがラオを見る。オージアスもラオを見た。ライサはそんな二人の反応に気づいて、ラオが道を知ってるのだろうかといぶかしく思いながらもラオを見た。アルマンも自然に事の成り行きを見守るように、ラオに視線を移す。
ラオは全員が自分を見ていることに気づいて、眉を顰めると、ちらりと左右の道を見比べた。
「右だ」
そのラオの短い答えに、オージアスはにやりと笑う。そしてそのまま右に馬を進めた。ユーリーもそんなオージアスに従う。
「ラオは、この辺りを良く知ってるのかしら?」
ライサはそっとアルマンに呟いた。だがそんなこと、アルマンにも分かるはずがない。
「さぁ、どうでしょうか」
アルマンからの返事はライサが満足するものではなかったが、とりあえず皆の決定に従って、ライサも右側の道に馬を踏み入れた。
右側の道は鬱蒼とした木々に包まれた暗い道だった。だが細々としつつも道は続いていく。その中でオージアスは躊躇することなく、どんどん進んで行った。どうやらこの道で間違いがないことに、絶対の信頼を置いているらしい。ライサは前を行く三人の背中が、馬で揺られていくのをぼんやりと見つめていた。
ふいに視界が広がって、両側に畑が現れる。
「ケラスか?」
オージアスが呟く。
「いや、途中の村だろう」
ユーリーが返事をした。
「ケラスっていうのは、もうちょっと大きな街だって聞いてるぞ」
ぼんやりとオージアスとユーリーの会話を聞いていると、黒い影が傍に来た。顔をあげるとラオがこちらを見ている。
「娘。しっかり手綱を握っておけ。落ちるぞ」
低い声でぼそりと言われて、はっとしてライサは手綱を握りなおして、鞍に座りなおした。たしかに両足の太ももに擦れた痛みがあるせいで、重心がずれてきている。そうして座りなおしてから気づいた。
「ラオ。娘、娘って呼ばないで。私にはライサって言う名前があるの」
ライサの言葉に、ラオが眼を見開いた。その瞬間にユーリーがぷっと吹き出す。
「失礼ね! ユーリー」
ユーリーが笑い出す。
「いや、すまん。だが、そりゃ、ラオには酷っていうもんだ」
見ると、オージアスもユーリーほどではないが、笑みを浮かべている。
「何がおかしいのよ」
「ラオは、名前を覚えるのが得意じゃないんだよ」
オージアスがとりなすように言う。
「ユーリーなんて、酷いもんだぜ。最初のころ何て呼ばれたと思う?」
そしてユーリーのことを親指を立てて示す。
「ばらすなよ」
ユーリーがふくれた。それを見ながらオージアスは楽しそうに笑ってみせた。
「何て呼ばれたの?」
「言うなよ」
「ひどいぜ。『おい、そこの熊』だって」
「言うなって言っただろうが、オージアス!」
ユーリーが馬を近づけてパシンとオージアスの頭を叩いた。思わずライサも吹き出す。
「二週間以上たって、ようやく名前を覚えてくれたんだからな。俺もユーリーも」
くすくすと笑ってから、ライサはラオを見た。苦虫を噛み潰したような顔をしている。その顔に思わず、また笑いがこみ上げてくる。
「見てみたかったわ。ラオがユーリーに『熊』って呼ぶの」
「見んでいいっ」
ユーリーがふてくされた声で答える。その声にまたオージアスの笑い声が被った。ライサもひとしきり笑った後で、ラオに向き直った。
「いいわ。ラオ。でも、できるだけ覚えて。私はライサ」
ラオがため息をつく。
「努力はする」
ぼそりと困ったような顔をして告げた後で、ラオはライサより前に行ってしまって、その表情は見えなくなった。




