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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
不死鳥の心臓
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第2章  旅の道連れ(3)

「お嬢様!」


 アルマンの声が聞こえた。足がガタガタと振るえてくるのを感じる。視界が狭まるようにくらくらとし始めた。もうちょっとで座り込みそうになる。その瞬間だった。


『大丈夫』


 後ろの木の囁きが聞こえてきた。ライサは思わず両手を背中側に回して、後ろ手で幹に触れた。そうすることによって、さらに木からの言葉が聞きやすくなるのだ。


『大丈夫。彼らは君を殺さないよ』


 まだ若い木なのだろう。かわいらしい声だった。ライサの足の震えが止まる。そして強い瞳でオージアスを睨み返した。オージアスの瞳に一瞬、驚いたような光が浮かんだ。それをまるで読んだかのように、低い声が響いた。


「そこまでにしておけ」


 声がしたほうを見ると、ラオが火の側で立ち上がってこちらを見ている。オージアスもラオが立ち上がったのを見ると、軽く肩をすくめた。


 次の瞬間にはオージアスの剣がパチリと鞘に戻ったのがライサの瞳に映った。首筋の冷たい感覚も消える。


 木が言ったことは本当だったのだと思いつつも、ライサは足の力が抜けたようになり、へなへなと木の根元に座り込んだ。とたんにユーリーに解放されたアルマンが駆け寄ってくる。


「お嬢様! 大丈夫ですか?」


 アルマンが優しくライサの肩に手を回すのを感じた。ライサはまだ視線が定まらないままに、ラオの方を見た。焚き火を背にしてこちらに歩いてくるラオの表情は読めない。


 ライサの前に立つと、立ち上がるのを助けるべく、手を差し伸べてくる。その手をライサは力まかせにぱちんと叩いた。きっとあまり力は入っていなかっただろう。だが音だけは響き、暗い森に吸い込まれていく。


 ラオは何を思ったのか、そのまま満足気に嗤うと、ライサに背を向けて火の側に戻っていった。それに続くようにユーリーとオージアスも火の側に寄って座り込む。そして三人がこっちを見た。それを受けるように、ライサは三人を睨みつけた。


「そんな目をして見てないで、こっちにこい」


  ラオが声をかける。なおもじっと動けないでいるライサにユーリーが笑いかけた。オージアスも唇の端が持ち上がっているのが見える。


「おいおい。冗談だったんだぜ? 俺たちが本気でやる気だったら、今ごろすでにお嬢ちゃんは無事じゃないって」


 笑いながらユーリーが言った。


「そこにいたら、寒いのでは?」


 そう言いながら、オージアスが自分のとなりに場所をあけると、ポンポンと地面を叩いて見せた。確かに秋も深まった森の中は底冷えがする。言われて初めて、地面に座り込んでいる自分が冷えていることに、ライサは気づいた。悔しいけれど、火の暖かさは誘惑だった。それにユーリーが言うことも一理ある。すでに一度退いたのだ。睨みつけるような目つきのまま、それでも精一杯の虚勢を張って、ライサは火の側に近寄った。アルマンがおろおろするように後ろからついてくるのが分かる。


 オージアスの隣に、それでもできるだけ体を離して陣取ると、ライサは三人を再度ぐるりと睨みつけるように見回した。三人とも何も無かったような顔をしている。


「あまりにも冗談が過ぎるんじゃない?」


 三人があまりにもさっきのことは忘れたような顔をしているので、思わずライサは憎まれ口を叩いた。その途端にユーリーとオージアスがじろりとライサを見る。一瞬たじろいだが、それでも強い瞳で二人を睨み返す。ユーリーがにやりと笑って、ライサに自分の腰の短剣を差し出した。


「良く見てくれよ」


 ライサは受け取った短剣をまじまじと見た。獅子と翼を持つ一角獣の紋章が柄に浮き出るように彫られている。


「お嬢ちゃん、あんたはヴィーザル王家の紋章を知ってるのか?」


 ユーリーがじっとライサを見ながら言った。ライサは手元の剣をじっと見ながら考え込む。そう、前に見たことがあったのだ。ヴィーザル王家だけではなく、紋章はその家を伝える大事なもの。どの紋章がどこの家のものかというのを覚えるのは、貴族の間では普通のことだ。


「そう言えば…」


 ライサは思い出した。獅子は一緒だ。全体的なデザインも似ている。だが、確か獅子が二頭だったはずだった。


「そう言えば…ちょっと違う。たしか獅子が二頭だったはず…」


 ユーリーが口角を持ち上げた。


「ほらな? こいつはそんなもんじゃないのさ。似ているだけだ」


 ライサが顔を上げて、ユーリーを見る。のろのろと返した剣をユーリーは素早く受け取って自分の腰に差しなおした。


「じゃあ、あなたたちはヴィーザルから来た人たちじゃないの?」


 ユーリーが肩をすくめた。


「あちらこちらさ」


 ライサが明らかに落胆の表情を見せた。ヴィーザル王国に行くのでなかったら、彼らについて行っても仕方が無い。


「これからどこへ行くの?」


 あまり期待せずに尋ねると、ユーリーが困ったような表情を見せてぽりぽりと頭を掻いてから、ちらりとオージアスとラオの方を見た。二人の表情は動かない。オージアスはじっと伺うような瞳でユーリーを見返した。ユーリーの視線が宙をさ迷い、しばらく考え込んだのちに、ライサに戻ってくる。何かを思いついたかのように、にやりと笑うのが見えたと思ったとたんに、ユーリーは楽しそうに言った。


「ヴィーザルへ抜ける」


「ばっ」


 馬鹿やろう…と叫びかけて、オージアスが寸でのところで止める。片手がユーリーの肩に掛かる。ラオは盛大なため息を付いてみせた。


「じゃあ、一緒に…」


 と言ったライサの言葉をオージアスが遮った。


「ダメだ。俺達は俺達の用事がある。追われているあなたたちを連れて行くことはできない」


 ライサにも理屈はわかる。だがこの人たちは腕が立つ。さっきの宿屋での一件で、それは確かだった。そしてマギだと言われた自分に対しても、トラケルタの人たちとは違う反応を示している。ヴィーザルかどうかは、確信が持てない。しかしマギ狩りの無い世界から来た人たちだと思っていた。


「ユーリー、助けてくれたのは、あなただもの。最後まで助けてくれるわよね?」


 一番可能性が高そうな人物にライサは向き直った。眼に力を入れて必死で訴える。なんとしてもヴィーザルに行くのだ。その思いだけがライサを支えている。


「いいぜ」


 ユーリーが返事をしたとたんに、オージアスがユーリーの頭を叩いた。


「おまえなっ!」


「痛いって。いいじゃん。面白そうだし。女の子がいたほうが道中楽しいぜ」


「違うだろっ! それ」


 オージアスがラオの方に振り向いた。助けを求めるような視線を送る。だがラオは一言呟いただけだった。


「勝手にしろ」


「ラ、ラオ?」


 オージアスの瞳が丸くなる。ユーリーが労わるようにオージアスの肩に手を伸ばした。


「波乱万丈、人生、これ楽し、ってね」


「誰の言葉だよ。それ」


「ユーリー・エールソン」


「一度死んでこい」


 オージアスは投げやるように、肩に置かれたユーリーの手を払った。


 ラオがじろりとライサの方に瞳だけを動かす。


「娘」


 低い声が響く。ライサを見ている氷のような薄い色の瞳が、ライサを刺し貫くようだった。そしてラオの唇の両端がわずかに持ち上がる。


「まずは眠っておけ。我々はおまえに手はださん。それは約束する。だから眠っておけ」


 何か言おうとするライサをちらりと目線だけで留めると、ラオはユーリーとオージアスのほうを見た。


「おまえたちもだ。眠っておいたほうがいい」


 はっとしたように二人がラオが見つめる。ラオはその視線にゆっくり頷いて見せた。その頷きに、ユーリーは肩をすくめて、ばさりと自分のマントに包まった。オージアスもそれに習うように手近にあった石を枕代わりに、身体を横たえる。ラオがちらりとライサを見て、それから枝を火にくべた後で、マントを頭から被った。すぐさまユーリーの寝息が聞こえてくる。


「どこでも寝れるっていうのは特技だよ。まったく」


 オージアスの声がボソリとしたと思うと、その後はまったく静かになってしまった。かすかに皆の呼吸音がするぐらいだ。


「お嬢様…」


 アルマンがライサに囁く。ライサはアルマンを見てから、自分のマントが馬の足元に落ちていることに気づいた。立ち上がろうとしたところを、アルマンから制される。


 アルマンが立ち上がって馬の足元まで行き、ライサのマントを取り上げ、軽くはたいてから持って帰ってきた。そっとライサの肩にかけてくれる。


「ありがとう」


 ライサも呟いた。すべての音が吸い込まれるような森の中。ふと空を見上げる。そのライサの横顔をアルマンが見つめている。大切な宝石を慈しむような視線だった。


「お嬢様、少しだけでもお休みください。私が見張ってますから。何かあったら起こします」


 ライサは視線をゆっくりと夜空からアルマンに移した。焚き火の明りで、アルマンの顔の半分が明るく見え、半分が暗い。優しいアルマンの視線にぶつかる。


 そう。いつでもそうだった。ライサがいる場所にアルマンはいた。いつでもライサの側で、ライサのことを見ていてくれたのだ。こんな瞳で。


 アルマンの顔をじっと見てから、ライサはかすかに頷くと、マントに包まった。とても眠れそうにない。でも、今は少しでもじっとして体力を温存するしかない。絶対に助かってヴィーザル王国に抜けるのよ。そうライサは決心していた。その為に何をすればいいのか分からなかったが、できることはしようと決める。


 遠くに森のざわめきを、近くに火がはぜる音を聞きながら、ライサはじっとうずくまっていた。

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