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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
不死鳥の心臓
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第2章  旅の道連れ(2)


 二人の食事がほぼ終わったころ、バタンと乱暴に食堂の扉が開けられた。どかどかと大きな音をさせながら数人の男が入ってくる。ぱっと見た瞬間に、ライサは見覚えがある顔だということに気づいた。バルテルス領のものに違いない。とっさに頭を下げて髪の毛で顔を隠した。


 男のうちの一人が食堂の中央、ちょうどライサの斜め前辺りに立つ。


「我々は隣のバルテルス領の教会から来たものだ。ここにマギは逃げ込んでないか?」


 大声で人々に問う。とたんに周りがざわざわとざわめきだした。


「逃げたのは小娘だ」


 そう言った瞬間に、ふっとその男の視線が落ちた。目の前にいるライサに固定される。


「女、顔をあげろ」


 どう逃げるか…ライサは必死に頭の中で考えながら、できるだけゆっくりと顔を上げる。やはり見たことのある男だった。


「おまえ、バルテルス家の娘だな。マギだろ」


 にやりと嗤う。その瞬間にライサは立ち上がって叫んだ。


「ちがいます! 知らないわ!」


「いや…おまえはマギだ。人を呪う悪魔だ」


 男の手がライサに近づいてくる。それを避けるように椅子を跳ね上げて、後ろに下がった。周りにいた人々が固唾を飲んで見守っている。


 マギだと決め付けられれば、すぐさま皆に囲まれることになるだろう。今、この瞬間ならまだ逃げられる…。そう判断したライサはアルマンに目配せを送って、裏に続く扉に向かって走りだした。


「やっぱりマギだ!」


 男が叫んだ瞬間に、周りの人間がライサに手を伸ばしてきた。手が腕を掴み、肩を掴む。身動きができなくなっていく。


「いや! 離して!」


 ライサが大声で叫んだ瞬間だった。


「離してやれば?」


 のんびりした声がしたと思った瞬間に、シャッと剣を抜く音が聞こえた。


「悪いけど、手をそのままにしている奴は怪我をするぜ」


 ライサを守るように人々とライサたちの間に入ってきたのは、さっきのハニーブロンドの熊みたいな男だった。連れの鷲鼻の男は呆気に取られたような表情をしており、もう一人の銀髪の男は、こちらを肩越しに見ていた。神殿にある神の像のように整った顔の眉を軽く顰めている。


「ユーリー。おまえ、何をやっているかわかっているのか?」


「わかってるさ。おまえも手伝えよ。オージアス。女の子が困ってるのに助けないのはマズイだろ?」


 ユーリーと呼ばれた熊のような男は、何が嬉しいのか、にこにことして表情で鷲鼻の男、オージアスを見ている。


 オージアスはやれやれという風に肩をすくめたが、ユーリーの方に加勢することに決めたらしい。やはりシャッという音とともに剣を抜くと、ライサを守るように人々との間に立った。


「ということなので、手を引いたほうがいいぜ?」


 ユーリーが人々に言う。最後に残った銀髪の男が、荷物をまとめて背負うと、ライサたちの脇を抜けて、裏の扉の方へ向かう。まるで他の二人のことは知らないというような態度だった。


「おい、ラオ。そりゃないだろうよ。おまえ、俺たちを見捨てて行く気か?」


 ユーリーが情けなさそうな顔をしながら、銀髪の男、ラオに声をかける。だがその剣先は教会の男を狙ったままピクリともしない。


「馬の用意をしにいく。片付いたら馬小屋に来い」


 扉の前で振り返りもせずにボソリと言うと、ふと気づいたようにライサの方へ振り向いた。


「とりあえずおまえたちは俺と一緒に来い」


 ライサは何がなんだか分からないまま頷く。ラオはちらりとアルマンを見て、そのまま扉を開いてくぐる。扉の向こうは裏庭。そして馬小屋だ。


 ライサとアルマンは急いでラオの後を追っていくと馬に鞍を乗せた。荷物は幸いにも全部持ってきている。ラオたちの方は鞍も乗せっぱなしだったようだ。ラオがアルマンに一頭分の手綱を渡す。


「もうすぐあの二人が出てくる。片方にこの手綱を渡せ。もう一人は俺が渡す」


 アルマンは自分の馬の手綱を握ったまま、もう一頭の手綱を握り頷いた。


「乗れ」


 ライサに向かってラオが言う。あまりの無作法な口のききように、一瞬ライサはむっとしたが、彼らに助けられていることを思い、黙って言われるがままに馬に乗る。そのときにバタンと扉が開いて、さっきの二人が飛び出してきた。


「逃げるぞ!」


 オージアスがラオに叫ぶ。心得たようにラオはオージアスに手綱を渡すと自分も馬に乗り上げて、手綱をさばく。馬が疾走し始めた。慌ててライサもラオの後を追うように馬を走らせる。その後ろにアルマン、そしてユーリーとオージアスが続く。


「追え!」


「マギだ!」


 人々の声が後ろに響いているが、街道の宿のこと。周りには遠く離れた民家しかない。まだ彼らの声は聞こえていないだろう。ラオの馬は迷うことなく、真っ直ぐに疾走していた。ライサはそれに必死で続いた。


 やがて声は聞こえなくなり、聞こえるのは五頭の馬の蹄の音と、荒い息のみとなった。まわりは暗闇。わずかに道を照らしているのは細い月だ。


 不意にラオの馬が左に逸れた。慌てて、ライサもそれを追う。アルマン、オージアス、ユーリーもそれに気づいて、続いて走ってきているようだ。目の前は暗い森だった。暗いと言うよりも黒いと表現したほうがいいかもしれない。ライサたちが通ってきた林よりももっと暗い森。それが目前に広がっていた。そこにラオは迷うことなく馬を進めている。


 あの中に入る気なのか…怖れをライサが感じた瞬間、ラオとラオの馬は森の中に吸い込まれるように入っていった。馬が続いているのに任せて、ライサは自分の意思とは裏腹に森の中に入っていく。後ろから、アルマンのものだと思われる他の馬の蹄の音が聞こえているのがせめてもの心の支えだった。


 しばらく森の中を、ラオの背中だけを頼りに走ったころだった。水音が聞こえてくる。


 小川かと思った瞬間に目の前が開けて、小さな池が見えてきた。


 かすかな光の中で、ラオの馬が止まるのが見える。ライサもそれに習って馬を止める。順番にアルマン、オージアス、ユーリーの馬も止まった。それぞれに馬から下りる。


「見失うかとおもったぜ」


 ユーリーが息を吐き出しながら言う。ラオはそんな言葉は聞こえないかのように、さっさと手近な木に手綱を縛り付け始めた。ライサもそれに習う。


「今日はここで野宿かな?」


 オージアスが誰ともなく呟くのが聞こえる。それに誰も答えなかったが、どうやらそれが正解のようだとライサは思った。まあ悪くはない。ベッドではないが、水は側にあり、何よりも四人も護衛官がいるのだから。


 薄暗がりの中で、皆がもたもたと馬の手綱を木に結び付けているうちに、ラオはその辺りにある小枝を集めて火をつけていた。それに気づいて、ユーリーとオージアス、そしてアルマンも見えるだけの小枝を集めて、火の側に持ってくる。


「とりあえず、しばらくはもつな」


 オージアスがまた誰ともなしに言った。焚き火の明りでそれぞれの顔が照らし出されている。


「逃げ切れたて良かったな」


 ユーリーが上機嫌といった顔で言った瞬間にオージアスが顔を顰める。


「逃げ切れたじゃない。おまえ、何やったか分かってるのか?」


 ユーリーが肩をすくめた。


「人助け」


 軽い調子で返事をする。その呑気な様子に、ついライサは吹き出してしまった。皆の視線がライサに集まる。思わずライサは表情を引き締めた。


「あ、ごめんなさい。つい…」


 それに対して、ユーリーがにやりと笑った。


「いいの。いいの。女の子は笑ったほうが魅力的っていうだろ?」


「ユーリー」


 たしなめるような声をオージアスが出した。ライサはくすりと笑ったのちに、さっと腰を落として見事なお辞儀をして見せた。


「危ないところを助けていただきまして、ありがとうございました」


 慌ててアルマンも後ろで頭を下げる気配がする。ユーリーがひらひらと手を振った。


「当然のことをしたまでだぜ。困ってる人は助けないとね。それに…トラブル大歓迎」


 最後の一言は独り言に近かった。オージアスがじろりと睨んだので、ユーリーは慌ててそっぽを向く。


 ライサは顔を上げてにっこりと微笑んだ。


「私はライサ、彼はアルマン」


「アルマン・カレと申します」


 アルマンがライサに控えるようにして挨拶をする。それにユーリーが応じた。


「ああ、おれはユーリー。ユーリー・エールソン。こっちはオージアス・ザモラ」


 オージアスが「どうも」と軽く頭を下げた。


「そして、あっちにいるのがラオ・メイクレウス」


 ラオはちらりとライサたちに視線だけ寄越す。失礼な人…と思ったけれど、それを顔に出すライサではなかった。もう一度にっこり微笑んで、ユーリーに向かい合う。


「さて…あなたたちはヴィーザル王国から来た人たちね?」


 もう貴族ごっこはおしまい。ライサにとって、ここからは取引の時間だった。ユーリーの表情がさっと変わる。オージアスの表情も引き締められた。気配が変わらないのはラオだけだ。


「何を言ってるのかな?」


 オージアスが引き締めた表情を解きながら、ライサに尋ねた。ライサはその問いに対して、ユーリーの腰の短剣を示してみせる。


「その短剣よ。王家の紋章が入ってるもの」


 オージアスとユーリーが慌てて、ユーリーの腰に差してある短剣を見た。


「これはただの短剣だぜ? そんな大層なもんじゃない」


 ユーリーが取り繕ったように言った。オージアスは苦虫を潰したような顔をしてやり取りを見ている。


「そんな顔しないで。取引をしたいの」


「取引?」


 オージアスが鋭い視線でライサを見る。ユーリーも面白いものでも見るような顔で、ライサのことを見ている。後ろでアルマンが息を呑むのが聞こえた。


「私たちを守ってほしいの。あなたたち腕が立つみたいだし…。私たちはヴィーザル王国へ行きたいのよ。トラケルタとヴィーザルの行き来には通行許可証が必要でしょ? 一緒に連れて行ってくれればいいなって。その代わり、短剣のことは黙っていてあげるわ。 あなたたち、王家の紋章が入った剣を持っているということは、王からの使いに見える。そのわりには身軽すぎるわね。密偵と見たけれど、違って?」


 ライサは一息で言い切った。だが相手の反応は、ライサが期待していたものと違っていた。


 ユーリーは目をくるくると回すと、オージアスに視線をやる。オージアスもユーリーに視線をやるとプッと噴出した。とたんにライサは真っ赤になった。


「な、何が可笑しいのよ!」


 ユーリーが肩をすくめてみせる。


「お嬢ちゃん。やり方が上手くないな」


「お子様扱いしないで! 私、これでも十六よ」


 ユーリーが再度肩をすくめて、脇にいたオージアスを見る。オージアスもため息をついてみせた。


「な、なによ」


 オージアスが頭を振ってから、ライサのことをじっと見る。


「お嬢さん。今、あなたは二つミスを犯した」


「ミス?」


「まず、我々を脅したこと。ここは森の中。我々以外は誰もいない」


 オージアスが一歩踏み出す。ライサは思わず気おされて、一歩後退した。


「我々が、あなたを殺しても、誰も気づかない」


 オージアスがもう一歩、踏み出してくる。ライサは思わず青くなって、もう一歩下がった。無意識に胸元の木彫りのペンダントを片手で握り締める。


「そして、自分を子供ではなくて、女だと認識させたこと」


 オージアスがもう一歩踏み出してくる。ライサは下がろうとして後ろに木があることに気づいた。もう下がれない。ちらりとアルマンを見ると、ユーリーに拒まれている。ユーリーは弄ぶように剣に手をかけて、アルマンの前に半身で立ちはだかり、オージアスとライサのやりとりを片目で面白そうに見ていた。


 オージアスの剣がすっと鞘から抜けて出てくる。首筋にあたる冷たい感覚。


「どうする? お嬢さん」


 オージアスの目が自分を捉えているのをライサは感じた。動けなかった。自分はオージアスの獲物なのだということを意識させられている。

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