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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
不死鳥の心臓
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第2章  旅の道連れ(1)

 夜の道を抜けてライサとアルマンは走りつづけた。逃げたと判れば追手があるはずだ。少なくとも自分の領地内からは出る必要がある。闇の中で方向がわからないが、とりあえず馬に任せて、先を急いだ。街道にぶつかれば東への道も見つかるだろう。そして領地さえ抜けてしまえば、ライサをバルテルス家の娘だと知るものはいない。


 星明りだけが二人の道先案内だった。領地の平原を抜ける。もうこの辺りはバルテルス家の領地だと言っても、ライサもアルマンも来たことがない場所だった。平原から林の中に入る。横から張り出している木々は厄介だったが、馬は多少なりとも夜目が利くのが幸いだった。馬の背に伏していれば、どんどんと一定の方向へ向かってくれた。少なくとも戻っていないことだけはライサにもわかる。


 だいぶ林の中を進んだころに、水の流れてくる音がしてきた。アルマンの馬がライサの馬に並ぶ。


「お嬢様、ちょっと馬を休ませましょう。ここなら追手がきても、闇に隠れられますよ」


 ライサは返事の替わりに馬の手綱を引いて、馬を止める合図をした。ぶるぶると馬が嘶いて、足取りがゆっくりになる。水音が大きくなり、よく見ると細い小川が流れていた。


 ライサは馬から下りると、川のほとりに立った。ぽっかりとそこだけが穴があいたように木々がなく、星空が見えた。あれだけ夕方は曇っていたのに、今は雲の切れ間のようだった。


 雲と雲の間にきれいに星が見える。


 ライサはぼんやりと空を見上げていた。横では馬が水を飲んでいる音と小川の音が聞こえる。まるで現実感はなかった。


 蒼い夜。林の中でライサとアルマンは馬に水を飲ませている。しかしさっきまでの追手に対する怯えや、焦燥感はまだ身体に残っていた。手がかすかに震えている。そしてその震えが今現在を現実のものだと教えていた。


「アルマン…」


 ぼそりとライサは呟いた。無意識に手がお守りのペンダントに伸びて、握り締める。


「なんです?」


 アルマンが馬の首を撫でながら、ライサを見る。アルマンも青ざめた顔をしていた。


「ついて来てくれて、ありがとう」


 ライサはぽつりと呟くように言った。アルマンですら見捨ててもおかしくない状況だったのだから。もしもこれでアルマンも自分と一緒に捕まったら、彼もマギとして裁判にかけられるだろう。素直にお礼を言うライサに、アルマンは慌てたように赤くなる。


「な、何をおっしゃってらっしゃるんですか。私はいつだってお嬢様にお供してきたんですから。今回だってそうです。そ、それに…」


 一瞬言葉を切ったアルマンの目に、ちらりといたずらっぽい光が浮かんだ。


「私がいないと、お嬢様、簡単に迷子になるでしょう?」


 その言葉にライサの頬が赤くなった。


 そう。方向感覚はまったくと言って無いのだ。いわく「不動の羅針盤」。そういうと聞こえは良いが、要するに、動かない羅針盤が体内にあるようなものだ。


 普通の人であれば、北を向いた後に右を見れば東に向いたと判るのだが、ライサの場合には、そのまま自分が向いたほうが北だと思ってしまうのだった。


 だからこそ、今まで館から出かけるときには必ずアルマンが一緒だった。彼がいなければ街から戻ることすらも厳しいだろう。


「本当に感謝してるわ。大好きよ」


 ライサは無邪気に感謝の気持ちと共に好意を伝えた。


「私もですよ」


 アルマンが伏せ目がちに答える。一気にライサの頬が赤くなった。


 幼いころから繰り返されたやり取りだ。「アルマン、大好き」「私もです。お嬢様」という他愛のないやり取り。それでも最近は、ライサがアルマンを意識し始めて、答えに頬を染めることも多い。


 きっとアルマンは意識していないに違いない。彼にとって自分はいつまでも小さな子供と一緒なのだ。手のかかる子供。昔と同様に、どこに行くにもアルマンはついてくる。


 しかしライサは、いつしかそのやり取りの中に自分の気持ちを入れ込んでいた。「好き」という淡い気持ち。ライサにとっては、自分だけの甘い秘密だった。


 物音がした気がして、二人は身構えた。だがどうやら梟かなにかだったらしい。緊張を解いてからライサはアルマンに微笑んだ。


「行きましょう。アルマン。まだ追手がくるかもしれないわ」


 馬の首をぽんぽんと二回ほど叩くと、鐙に足をかけて乗り上げる。アルマンもすぐにそれに続いた。







 夜明けと共に林を抜けた。すでにもうどこだか分からない場所まで、二人は走ってきてしまっていた。やっと街道を見つけて、街道沿いに馬を歩かせる。ほぼ一晩中乗っていたせいもあって、馬もかなり疲労しているように見えた。だますように歩かせながら、ライサは馬の背で考えた。長時間の逃避行にライサの思考もふらふらとしている。


「アルマン。宿を見つけたら、早いけれど休みましょう。馬を休めて、そして私たちも一休みできる場所を探しましょう」


 アルマンも疲労の色が顔に出ていた。自分もそんな顔をしているのかもしれないと思いつつ、ライサはライサの言葉に頷くアルマンの顔を見た。


 太陽が天辺を越えて、午後の日差しになってきたころに、ようやく二人は街道沿いの宿を見つけた。古いけれどしっかりした宿のようだ。


「ちょっと待っていてください。部屋があるかどうか聞いてきます」


 アルマンは心得たように頷いて、宿に入っていく。そして、出てきたときには満面の笑みだったので、上手くいったことはすぐに分かった。


「ちゃんと二部屋確保できましたよ。続き部屋でね。私は馬を置いてきます。お嬢様はお部屋に先にいらしてください」


 ライサは笑みで感謝の意を示すと、手綱をアルマンに預けて宿屋に入った。主人が部屋まで案内してくれる。無愛想だが、悪い人ではなさそうだった。部屋は質素だったが清潔だ。どこだか分からない場所で、これだけの宿が見つけられれば幸いだろう。ライサは上着だけ脱ぐと、そのままの服装でベッドに横になった。








  扉のノックの音で目が覚めた。いつのまにか眠ってしまったらしい。もう一度遠慮がちなノックがする。


「どうぞ」


 そうライサが答えると、アルマンがそっとドアを開けて入ってきた。ライサの寝起きの頬がやや上気しており、眼がとろんとしているのがやけに眼について、アルマンはしどろもどろになる。


「ね、寝てましたか?」


「ううん。うん。…多分。うとうとしていただけだと思うけど」


 ライサはわずかに笑みを浮かべて見せた。アルマンも少し眠っていたのかもしれない。さっき顔を合わせたときよりは元気に見えた。


「下で食事ができるらしいんですよ。行きますか?」


 ライサは、両手でパンと頬を叩く。潔いぐらいの大きな音がして、ライサの意識がはっきりしてきた。ぐっと両手を握って、身体に力を入れる。大丈夫。まだ元気だ。


「行くわ。まずは食事よ!」


 その言葉に、アルマンが安心したように微笑んだ。大して荷物はないが、扉の鍵は申し訳程度のものだったので、そのままに荷物を持って下の階に移動した。








 食堂というよりはパブと言ったほうがふさわしい場所にいくと、すでに何人かの先客がいた。みなこの宿に泊まる人々なのか、それとも近所の人も混じっているのか。


 ビールや食事を運んでいる主人に、親しげに声をかけている者もいるところを見ると、常連客がいるようだ。


 ライサとアルマンは、周りを見回して通路際の空いている場所に席を取る。すぐに主人がオーダーを聞くべく、飛んできた。


「何か食べられるものと、ビールとワインを」


 アルマンがオーダーをする。ビールはアルマン、ワインはライサのためだ。ライサは見るものが珍しく、失礼にならない程度に店の中を観察していた。街に遊びに行ったときもアルマンはライサがこういう酒場に近づくことを許さなかった。だから初めて入った場所だ。人々があちらこちらでテーブルを囲んで、楽しそうに話している。すでに赤い顔をしている人もいた。


 思わず頬杖をつきながら、じっと眺める。その時に、ふっと視界が何か黒いもので遮られた。


「逃げろ。八つ裂きにされるぞ」


 ぼそりと小さいけれどはっきりとした声が頭上から降ってくる。慌てて顔を上げたが、すでに目の前には誰もいない。目の端で少し離れたテーブルに陣取る三人組の男たちが見えた。今入ってきたばかりなのか、長いマントもそのまま、荷物もそのままに持っている。


 さっきの呟き声は彼らのうちの一人だったのか? それにしてはライサの反応を見る様子がない。


 三人とも身体を椅子に投げ出すように座りこみ、そのうちの一人が主人を呼ぶべく、手を上げている。ハニーブロンドの髪に明るいブルーの瞳。顔中ひげだらけのようだ。くるくるとした癖毛と、ウェーブがかかった髭、そして体格の良い体つきが熊を思いおこさせる。


 その向かいに座ったのは、ダークブロンドの髪に、ダークブルーの瞳を持つ細身の男だった。かきあげる指先から、さらりと落ちてくる真っ直ぐな髪。細面の顔に鼻梁の高い鷲鼻で、つり目気味。怒っているのか不機嫌なように見える。だが他の二人は、この男の機嫌など気にしていないようだった。


 そして最後の一人はライサに背を向けていた。長い銀色の髪を肩のところでゆるく束ねている。


 みな同じぐらいの年齢だろうか。アルマンよりも少し年上、二十代半ばから後半ぐらいに見える。


「お待ちどうさま」


 店の主人が料理を運んできた。がちゃりとテーブルに皿を置く音で、ライサの思考も食事に向けられる。今の声は気のせいだったのかもしれないと思いつつ。


 ワインをゆっくり飲みながら、主人が持ってきた野菜料理とパンをつまむ。味は家庭的で素朴な味だった。アルマンもライサも言葉なく食事をしている。お腹が空いているのと、何を話したら良いのか分からないのと、両方だった。ようやくお腹が満たされて落ち着いてきたころ、周りの客の声が耳に入りはじめた。あまりにも食事に集中していたために、周りに気を配る余裕がなかったことに、ライサは気づいた。しかし一方でその話の内容のせいで気づいたとも言えた。


「隣のバルテルス候の領地内でマギ狩りがあったらしぞ」


「ああ、俺も聞いた。なんでもバルテルス候がマギだったとか」


 ライサたちの真後ろにあるテーブルの男たちだった。四人組の男たちは、それぞれに料理を食べながら話をしている。ライサは内容を聞こうと耳をそばだてた。


「なんでも館の召使からの告発だったとか」


「おそろしいなぁ。領主がマギだなんて」


 違う…と叫びたい気持ちをじっと押さえつける。ぐっと握った拳は力を込めすぎて白くなっていた。


「でも捕まえたんだろう?」


「え? 俺はまだ捕まえてないって聞いたぞ?」


「いや、捕まえたけど、娘だけが逃げてるって聞いたが…」


「俺は召使の一人がマギで、そいつは捕まえたって聞いたが…」


 何が本当なのかわからなかった。お父様とお母様は無事なのか…。ライサは心の中で男たちに問いただしたい気持ちになったが、それをぐっと押し留める。


 指が掌に食い込んでいくのが分かる。その拳をそっと暖かいものが包んだ。ふと顔を上げるとアルマンが心配そうにライサを見て、ライサの握り締めた拳の上に手を乗せている。


「怪我をしますよ」


 込めた力をゆっくりと抜いていく。掌の痛みはそれで止まったが、心の痛みは消えたりしなかった。

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