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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
外伝(2)
49/170

拡大鏡

「これを使うことによって、物を大きくして見ることが可能なのです」


 財務大臣であるサイラス・ホールは、目の前にいる若きアレス王に丸く平べったい水晶体を見せた。


 アレス王は現在十三歳。もうじき十四になるところか。


 即位して一年だが、王を支える側近たちの力もあり、国は良くまとまっていた。


 一生懸命に水晶体を見つめている少年王を微笑ましい気持ちで見つめる。


 三十五歳のサイラスは、自分の娘が十二歳ということもあり、アレスをこっそりと息子のような気持ちで見ていた。


 サイラスは決してぬきんでた人物ではない。それはおっとりとしたこげ茶の瞳に丸い鼻、やや太めの体形にも表れていると自分で思っている。


 思い出されるのは、サイラスが財務大臣に任命されたときのことだ。


 先の王であり、アレスの父であるグリトニルが殺された反乱で、サイラスは下っ端の役人であったために難を逃れた。


 上役であったものや先輩たちが、粛清にあったことを考えれば信じられない幸運だったのだ。


 だから、まさかその下っ端役人であった自分が、大臣などという大役を任されると思っていなかった。


 そう。あの場面までは。もう二年近く前のことだ。





 王国の内外で出された告知。


 国務大臣バルドル、総司教イェフ、近衛隊長エフライム。ヴィーザル王国の四役のうち、現在いる三人のそれぞれから出された試験に合格したものの中から、四役最後の財務大臣を決める。


 身分、年齢、性別は問わず。心身ともに健康で、ヴィーザル国の国民であること。平民の場合は、地域の司祭の推薦があり、ヴィーザル国民であることが証明できること。


 それが条件だった。


 試験の当日は、多くの人々が集まった。貴族のもの、平民のもの、それこそ街のごろつきまで。


 あまりの人数に、算術を含む基本的な財務知識に関する筆記試験が行われることとなり、急遽サイラスが作ることとなった。


 自分などが試験作成とは恐れ多いと思いつつも、作った試験が功を発揮し、この試験で半数が落ちた。


 それでもまだ多い人数に対して、バルドルが指示したのが城の周りを十周走ってくること。


 これでまたさらに半数が落ちる。サイラスも手伝いとして、バルドルに指示されてこの奇妙な集団の先頭で走ることになっていた。


 やや太り気味のサイラスとしては、途中で多くのものに抜かされたが、それでもきちんと走りきった。


 このとき脱落したのは、意外にも貴族のものが多かった。馬鹿馬鹿しいからやっていられないと、自分から放棄したものもいる。


 いよいよ残ったのは数百人。


「サイラス。おまえさんも試験を受けてみんか?」


 本格的な試験開始の前日になって、バルドルが言い出した。


「い、いえ…。私は…そんな器ではありませんし…」


 慌ててしり込みしたサイラスに、バルドルがぐぃっと顔を近づけてくる。


 近くで見るバルドルの顔は、武人として鳴らしたというのが納得できるぐらい、年齢に比べて獰猛な目つきをしていた。


 思わず猛獣に近寄られたような気分になって下がろうとすれば、バルドルも近づいてくる。


「言い方を間違えたようじゃな。受けろ」


 問いだったはずの言葉が、次の瞬間には命令に変わってしまった。


 こうなったら素直に頷くしかない。


「はい…」


 自信が無く、とぼとぼと家に帰れば、妻が迎えてくれた。


「おかえりなさい。あなた」


 サイラス同様、少しふっくらとした大らかな妻のアリシアは、三人の子供の母でもある。


「ただいま…」


 居間のドアを開けたとたんに、末っ子が飛び出してサイラスに飛びついた。


「おかえりなさいっ!」


 サイラスに似た男の子。まだ五つのヒューだ。ついで追いかけるように女の子がヒューを後ろから抱きとめた。


「ダメよ。パパは疲れているんだから」


 次女のシンシア。十歳。妻と同じとび色の目を持っている。最後に台所から手を拭きながら出てきたのは長女のテレサ。十三歳。こちらも妻に似ている。


 子供がいて、妻がいる生活がサイラスの安らぎのひと時だった。


 夕食を終えて、子供たちが寝静まった後、サイラスは妻のアリシアにバルドルから言われたことを零した。


 自分などは器ではない。試験を受ける資格などありはしない。


 そう思っていたのに、意外にもアリシアは乗り気だった。


「いいじゃない。サイラス。落ちたら落ちたときよ。せっかく勧めてくださる方がいらっしゃるのですもの。受けるだけ受けてみたら?」


 確かに。単なる試験だ。落ちたからと言って命までは取られないだろう。


「これはきっと神様が下さったチャンスなのよ。明日、お礼にお祈りに行かなくちゃ!」


「受かってもいないし、受かるとは思えないよ…」


「それでも、そう言ってくださる方がいらっしゃるということは、あなたを応援してくださっているということでしょう?」


 ふむ。確かに。


 サイラスはバルドルの強い灰色の瞳を思い出した。


 受けろと言われたのだから、積極的に受けるのも悪くない。


「こう考えるのはどう? その方に勧められたから受けたのですもの。落ちたとしても何も恥ずかしいことなどないわ」


 それもそうだとサイラスは気が楽になった。


 アリシアはいつもサイラスとは違う視点での考え方を教えてくれる。アリシアに話してよかった…そう考えて、サイラスはその日の眠りについたのだった。




「では試験を始める」


 集められたものたちに紙が配られた。これは城の奥深くで文官を集めて作られた試験だ。


 サイラスも用意まではしたのだけれど、途中から何故かその部屋に近寄らせてもらえなかった。


 きっとその頃からバルドルの頭の中には、サイラスに試験を受けさせるつもりだったのだろう。


 配られた紙を見てみれば、「ヴィーザルの歴史を書け」「各地を治めている諸侯を地名と共に書け」「ヴィーザルの地図を書け」と3つ書いてあって、白紙が数枚配られた。


 白紙に自分の名前を書きつつも、どこまで細かく歴史を書けばいいのか。地図を描けばいいのか。


 時間一杯まで迷いつつも、サイラスは白紙に丁寧に精一杯の答えを書いていった。


 書きつつも、武人であるバルドルらしい大雑把な問題だ…と苦笑が沸いてくる。



 この試験でさらに半数が落とされたが、サイラスは残った。



 次なる試験は総司教、イェフ・シャインの試験だ。


 配られた紙には、バルドルとは逆にそれなりの文字数が書かれていた。


 罪人が罪を犯したシチュエーションとその結果を読み、どのような裁きを行うのが適切か判断を下せと書かれている。


 なるほど。裁判権を持つ司教ならではの試験と言えた。


 これもサイラスは精一杯答えた。



 この試験でもサイラスは残ることが出来た。




 最後の試験は、近衛隊長であるエフライムからの問題だ。


 紙が配られたとたんに、サイラスは目を見張った。残っていた人数は数十人。


 それらを前にして、問題を配ったエフライムが優雅に微笑む。


「僕の問題はここで解いてもらう必要はありません。明日の昼までにここへ解答を持ってきてくだされば結構です」


「そ、それは…誰かに聞いてもよいということでしょうか?」


 受験者の一人が恐る恐る口を開く。それに対してエフライムは大きく頷いた。


「もちろんです。どうぞ積極的に答えを尋ねて、探してください」


 それを聞いたとたんに、一斉に受験者が立ち上がって足早に広間を出ていった。


 サイラスも一瞬呆然としていたが、我に返って飛び出す。



 エフライムの問題は次のようなものだった。


1.ヴィーザル城の門番でひげを生やしていないのは何人いるか。


2.西の塔の飾りは何の模様か。


3.首都イリジアの中央にある噴水の石像は誰の像か。


4.近衛隊員であるカティスの娘が飼っている犬の名前は何か。



 こんな問題がざっと百問。


 これらの問題の答えを全てエフライムは知っているのだろうか…といぶかりながらも、サイラスは城のあちこちを訪ねては問い、さらに街へと飛び出した。


 城はまだ顔見知りがいるからいい。


 一方でイリジアの街は一人で歩き回るのには巨大すぎて、歩き切れなかった。


 何人かで組んで調べている連中もいるようだったが、その気にもなれず、サイラスは日暮れにとぼとぼと家に帰ることになった。





 夕食の席で思わず暗くなっているサイラスに、妻が声をかけてくる。


「どうしたの?」


「いや…例の試験なんだが」


 サイラスが説明をした上で、まだ出来ていない問題を読み上げたところで、娘たちが笑い出した。


「そんなの簡単だよ」


「ええ? なぜ?」


「だって、私たち、街の中でも遊んでいるもの」


 しかも近衛隊のカティスの娘とは友達で、犬の名前も娘は知っていた。


「面白いね。この問題」


 シンシアとテレサがサイラスの手元の紙を覗き込みながら、感想を言う。


 サイラスは娘たちに感謝して、翌朝には解答用紙を提出したのだった。





 そして残った五人。その中にサイラスはいた。


 五人から一人を選ばなければならない。財務大臣は一人なのだ。


 そこで王に謁見し、王の意見を伺うこととなった。総司教イェフ、近衛隊長エフライムが並ぶ中で、王への謁見。国務大臣バルドルは何故かその場には居なかった。


 緊張した面持ちで跪く五人の前に現れたのは、年端のいかない少年。


「何、あんたたちが、財務大臣になろうっていう奴?」


 初っ端から口が悪い。


 ネレウス王に似た風貌であり、かなり良い少年だと聞いていたのに、噂とはかけ離れた存在だった。


「そんなひ弱な感じで、僕の側近なんか務まるって思ってんの?」


 ヒステリックに怒鳴りちらして、五人の目の前に歩いてくると、思いっきり脇に置いてあったテーブルを蹴り飛ばした。


 周りに居たものは諌めようともせずに好きにさせている。


「ちょっと。そこのお前!」


 部屋の端に護衛で立っていた近衛兵がびくりと身体を震わせる。


「その目が気に食わないっ! 僕は王なんだ。僕のやることに文句があるのかっ」


「い、いえ。そんなことは…」


「お前のその態度も気に食わないっ! エフライムっ!」


 傍に控えていたエフライムが、さっと王の前へと跪く。


「こいつ、首にして」


「仰せの通りに」


 これには見ていたサイラスも仰天した。


 何もしていないのに、目の前で近衛兵が一人、首になったのだ。


「す、すみません。今、首にされたら、明日からどうやって生活していったらいいのか」


 首になった近衛兵が、王の前に滑り込むようにしてきたが、それは周りのものに止められてしまった。


 そして羽交い絞めにされて部屋の外へと運び出されていく。


「エフライム」


「はっ」


「ああいう、変なのを雇わないでよね」


「申し訳ございません」


 王は王座に戻ってふんぞり返り、大きく足を組んで座った。


 エフライムは立ち上がって、王に対してお辞儀をすると部屋の隅へと控える。


 そのとき、部屋の隅でかちゃりと音がした。


「あっ」


 小さな声があがる。


 部屋の隅で水差しからグラスに水を移していたメイドの手が震え、かすかな音を立ててしまったのだ。


 部屋中の視線を受けて、彼女の手がますます震えだして、カチャカチャと水差しがグラスとぶつかって音を立てた。


 サイラスは彼女をよく知っていた。


 妻の友人の娘だ。


 今日、初めてお城に上がると聞いていたのに、もう王の前にいるとは。緊張してしまったのだろう。


「エフライム」


 王の冷たい声が響く。


 再びエフライムが王の前で跪いた。


「その女は失礼だ。僕の前で不愉快な音を立てた」


「はっ」


 エフライムがすかさずメイドの傍へ寄る。メイドの顔色は真っ青になっていた。


「その女、死刑」


「えっ!」


 思わずサイラスは王の御前ということも忘れて思わず立ち上がっていた。


 皆の目がサイラスに集まる。


「そ、それは無いでしょう」


 王の視線がサイラスを射抜く。


 それでも言わなければとサイラスは覚悟を決めた。


 音を立てたぐらいでの死刑を許していいはずはないのだ。


 たとえ王だとしても。


「そ、そ、その女性は何もしていません。し、死刑になるような、こ、ことは、な、なにもです。そ、それはおかしいです。さ、裁判にす、するなら、し、司教の仕事でしょう」


 思わず声が震えたが、それでもサイラスが言いきると、王の視線を総司教のイェフが受け止めた。


「まあ、そうですな。そのような刑罰の決定は私の仕事ですぞ。陛下」


「ふん。お前がそう言うなら、そうしてやる」


 イェフが頷いて、女性の傍に立っていたエフライムが下がると、彼女は力が抜けたように座り込んでしまった。


 その様子を見ながら、思わずサイラスも座り込みそうになったときだ。


 バタンと大きな音がして皆が振り返る。後ろのドアから覆面をして剣を振り上げた男達が入ってきていた。大きな体つきと、抜かれた剣の鋭い切っ先が目に入る。


 周りの人間がとっさに王を守ろうと剣を抜いた。


 サイラスも腰に剣を下げてはいたが、自分の腕前が大したことがないことは一番自分が知っている。


 それなら今できることは…。


 サイラスがやったことは王座に足早に近寄り、王を連れて逃げることだった。


「陛下! こちらです!」


 とっさに王の手を握り、ドアに向かう。


 もちろんドアを開けるときには、先に自分が出て周りを見回すのを忘れない。


 必死だった。あの反乱のときを思い出していた。


 廊下に追手が待ち構えている場合は、自分だけでは王を逃がせない。


 しかし狼藉ものは、あの二人だけだったようだ。


 ぱっと廊下を見回し、王の手をとって東の階段へ走る。


 召使だけが使う東の階段。


 王を狙うものであれば、そこから王が降りてくるとは思わないに違いない。


 後ろからの足音にちらりと振り返れば、エフライムが一緒に走ってくるところだった。


 この腕が立つと評判の近衛隊長が一緒であれば、万が一の場合には王を守ってくれるだろう。それしか頭に無かった。




 中庭まで降りたところで、正面にバルドルともう一人銀髪の男が立っているのが見えた。


 バルドルが驚いたような顔をして、傍らにいる男に話し掛ける。


「ドンピシャじゃな。ラオ。この位置で正解じゃ」


 ラオと呼ばれた男が頷くのが見えた。


 銀色の髪…王に仕える遠見だ。姿だけはサイラスも何度か見かけたことがあった。


 王がサイラスの後ろで足を止める。


 サイラスもバルドルの姿に安心した。エフライムとバルドル。二人がいれば、王は守れるに違いない。


「謀反ですっ! 王を害するものが謁見の間に!」


 それだけ言うと、サイラスは倒れそうになった。


 王の手をとって全力疾走したのだ。息があがっている。


 バルドルは焦るサイラスの両肩を支えると言った。


「合格じゃな。サイラス」


 その言葉にサイラスがぽかんと見上げる。


 ふと見回すとエフライムと王も笑っている。


「な、何が・・・早くしないと暴漢が・・・」


 バルドルがにやりと笑う。


「あれは芝居だ」


「え?」


「おまえさんの行動が正解じゃよ。サイラス。文官に剣の腕は期待しておらんからな。おまえさんが財務大臣じゃ」


 バルドルの言葉がぐるぐるとサイラスの頭の中を回って、理解できたころには意識の方が吹っ飛んでいた。




 目が覚めたとき、側にいたのはアレスだった。


「ごめんなさい。サイラス。みんな試験だったんだ」


 ペコリとサイラスに向かって、王が頭を下げた。


 それはあの場で見た暴君とは打って変わった優しい口調。噂どおりの良い少年であることがにじみ出るような仕草だった。


「近衛兵の罷免も召使の死刑も嘘。本人たちには言ってないから、一瞬びっくりしたと思うんだけど、本当は全部嘘なんだ。それに暴漢もね。あれは近衛のユーリーとオージアスだよ。今ごろは、彼らに向かっていた人たちは、気絶させられてると思う。大きな怪我はないと思うけどね」


 アレスの茶色の瞳にいたずらっぽい光が浮かぶ。


 全てが芝居だとわかって、サイラスがようやくほっとした次の瞬間、アレスの表情がすっと真面目なものになった。


 そしてその幼い唇から厳かな声が出てくる。


「サイラス・ホール。財務大臣に任命する。受けてもらえるだろうか?」


 サイラスはベッドの上から慌てておりて、片膝をついた。頭を下げる。


「陛下の御心のままに」


 目の前にすっと小さな手が差し出される。


 その手をそっと掴みながら、サイラスはまだ信じられない思いを擁いていた。


 そのままどうしたらいいか分からずに、アレスの手を掴んでいたら、上から明るい忍び笑いが響いてきた。


「そのまま指輪に口づけたらいいんだよ」


 作法も分からないままに、サイラスは指輪に唇をつける。


 手を離してから目の前に立つ人物を見上げた。


 窓からの光が差し込んで後光が差しているように見える。


「よろしく。サイラス」


 アレスが軽い口調で言った。その声を聞いて、自然とサイラスからも笑みが洩れる。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 それはまるで夢のような時間だった。



 もちろんその後、正式な任命式があり、ヴィーザル王国の財務に関してはバルドルからサイラスに引き継がれた。


 今だにバルドルが助けてくれるし、サイラス自身も慣れたせいもあって、十分とは言えないまでも、なんとかやっている状態だ。




 くすりと思わず笑みが洩れる。


 レンズを覗きこんでいたアレスが顔を上げて、サイラスを不思議そうに見た。


「どうしたの? サイラス?」


 こほんと咳をして笑みをごまかす。


 あの暴君ぶりを発揮した王とここにいる王が同一人物だとは思えない。




「サイラス、本当に大きく見えるねぇ」


 アレスがレンズを覗きこんでいる。


 素直でかわいらしい王様。


「ええ。そうでしょう」


 サイラスはにっこりと微笑んで、綿や木綿の布を手渡す。


 これらのものを大きくして見ると、また違うものが見えてくる。


 ふとサイラスは思った。今、サイラスが見ているヴィーザルという国は、以前、サイラスが見ていたものと違うように見える。


 自分が財務大臣になることによって、見え方が変わってしまったのだ。


 それはまるで王にレンズを与えられたようなものだった。


 感謝してます。


 心の中でサイラスは若き王を見ながら、付け加えた。





ヴィーザル王国物語 ~外伝:拡大鏡~


The End.


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