第5章 奪還
戻ったアレスを待っていたのは、旦那様であり奥方様だった。
「あの…なんでしょう」
二人とも着飾っている。その横にはきちんとした服装をして白いエプロンをつけたマリアとリーザが控えている。アレスの疑問にマリアが答えた。リーザは硬い表情ながら、こざっぱりした格好をしていたので、元々の愛らしさが目に見える。
「今晩、領主様のお屋敷でパーティーがあるの。それに私たちは一緒に行くのよ」
マリアがアレスに新しい服を渡す。明らかに小姓という感じのレースがついた服装だった。心の中でげんなりしつつも、領主に遭えるということがアレスにとって興味深かった。どうせ三日だ。あとは当初の予定通り、この村…いや街を調べてみるつもりだった。そこで領主に会えるのであれば、こんなにうってつけなことはない。
「わかりました」
アレスがごそごそと隣の部屋で、身体を拭いて着替えている間、奥方様の方はご機嫌だった。
「うれしいわ。あなた。美しい小姓と召使を連れているということは、格が上がるっていうものですもの」
どうでもいいのか旦那様、ドロテア氏の方は上の空だ。用意ができて扉を開けた瞬間、なぜ上の空なのか、アレスにも理解できた。それもそのはず。その視線はマリアを舐るように見つめていた。そんな二人の様子に嫌気が差しながら、アレスは静かに皆の前に立った。
「お待たせしました」
身体をきれいにして、こざっぱりとした服装をすれば、おのずとその品格が現われるというものだ。マリアが微かに目を細めたが、何も言わなかった。
五人を乗せた馬車は、すぐに領主の城についた。何しろ目と鼻の先だ。歩いてでも行ける距離にわざわざ馬車に乗ったのだった。
先にアレスが下りて、教えられたとおりに足の踏み台を馬車の前に用意して、頭を下げた。マリアも降りて、主二人が降りるときに手を差し伸べる。
最後がリーザだった。奥方様のショールを持ったまま降りて、それをマリアに渡す。マリアが奥方様の肩にかけた。
そのまま二人の主人を先頭にして、五人の行列が続いた。あちらこちらで囁き声が聞こえる。それらは一緒についてきた召使と小姓の美しさと愛らしさに対する称賛だった。その中を二人の主人が、胸を張って進んでいく。
大きな広間は、謁見の間のように模して作られていた。一段高いところに座っているのがここの領主だろう。整った顔立ちはハンサムとも言えなくはない。しかしどこか皮肉な影があって、あまりアレスには好きになれない雰囲気だった。そして、その傍に学者のような服装をした初老の男が立っている。
「おまえたちはここで待っていなさい」
広間の隅で奥方様の方がアレス達に言うと、夫の手に自分の手を乗せて前に進んでいってしまった。本当に謁見のようだ。領主に対してお辞儀をしてなにやら話をしているが、内容までは聞こえない。
「ばかみたい。王様ごっこね」
ぼそりとマリアが周りに聞こえないような声で呟いた。どきりとしてアレスがマリアを見上げると、マリアが領主を睨みつけるようにして見ていた。
「ここに居てちょうだい。アレス。私、やることができたわ」
そう言って、ふっと踵を返したと思った次の瞬間には、集まった人々の間を縫って、この広間の反対側の扉へと向かうマリアの背中が見えた。
「素早い…」
呆気に取られながらも、このままマリアが居なくなってしまったらどうするか…という不安とそのままここに居てはいけない気がして、アレスはリーザの手を取った。
問うようにアレスを見るリーザの耳に囁きかける。
「一緒に来て。リーザ。マリアを放っておけないし、なんだかこのままここに居るのも良くない気がするんだ」
リーザはアレスの顔をじっと見ると、黙ったまま頷いた。握った手に力を込めてくる。そのまま人々の間を抜けて、マリアが向かった扉に向かう。そっと扉を開いたところで、ひんやりした空気が流れてくる。長い廊下のようだった。
「まいったなぁ…」
どちらに向かったか、分からない。不意にリーザが手をひっぱった。
「リーザ?」
「こっちから声が聞こえる」
微かに答えるリーザの声。耳を済ませると、誰かが話している声が聞こえた。たしかに片方はマリアのようだ。
「急ごう」
息だけで答えて、足音を殺しながら急ぐ。リーザの手は握ったままだった。
扉から出たマリアは、そのまま廊下を急いだ。迷いはない。自分を呼ぶものの内なる声に耳を澄ませながら一心に、その方向へと向かう。いくつかの扉を抜けて…。
誰かに見つかったらどうなるのかという不安も、多少はあったが、出会ってしまって、見咎められたら、その時はその時。元来が出たとこ勝負な性格なのだ。
「多分このあたりのはず…」
扉を開けて誰かの、いや領主の私室に入り込む。やっぱりあの男だったのだ。マリアから大切なものを奪った男は。
ぐるりと部屋を見渡す。自分を呼ぶ声は絵の裏側からする。絵をそっと外して、その裏にあった小さな扉を見つけた。錠が掛かっている。
「ベガ」
そっと自分の右肩に呼びかける。その瞬間にまるでねじ切ったように、錠が壊れて床に落ちた。そっと小さな扉を開ける。見つけた。自分の半身。元は自分だったもの。それは小さな光の珠だった。ようやく遭えた。手をそっと伸ばす。
「そこまでだ」
いつの間にいたのか、後ろに領主が立っていた。それでも珠をしっかりと手の中に握り締める。
「取り戻しに来るとはな」
領主がにやりと笑う。手にステッキを持っている。
「よくも妹をだましてくれたわね」
珠を両手で握り締めたままマリアは相手を睨みつけた。
「可愛い。美しい。そんな甘言でだまされる女の方が悪いとは思わないかね?」
ぎりぎり。歯を食いしばって、マリアは珠を握り締めた。ぽぅっと手の中の珠が光る。
「ほお。どうするね。そんな偽者を握り締めて。こっちが本物だとしたら?」
えっと一瞬躊躇する。領主の手に現われたのは、寸分違わぬ珠だった。その一瞬の躊躇に、領主のステッキが振り回された。マリアの手を打つ。珠がころころと床を転がる。珠が扉の前まで転がったところで、扉が開かれた。そこに立っていたのはアレスだった。
「アレス! その珠を拾って!」
マリアが叫ぶ。アレスは驚いた。マリアの声が聞こえてきた気がして扉を開いた。だから会話の内容はわからなかったのだ。
だがマリアの目は珠を追い駆けていた。傍らからあの初老の男が出てくるのが見える。明らかにこの珠を狙っているようだった。
何がなんだかわからないままに、珠を拾い上げると走り出した。リーザの手を握ったまま、今来た道を逆走していく。
「追え! あの小僧を追え!」
領主の気が狂ったような声が聞こえる。そのまま、アレスは広間になだれ込んだ。
次の瞬間、目に映ったのは謁見の場所にあって、マリアの首にナイフを当てている領主だった。
「どうして…」
アレスが絶句する。領主がにやりと笑いかけた。
「この広間と私の私室は壁一枚でね。ご苦労なことだ。その珠を渡してもらおうか。それは私のものだからね」
「うそつき! それは私から奪ったものよ!」
マリアが隣で叫んだ。その首にナイフを突きつける。うっすらと血が滲んでいくのが見える。
「それ以上、おしゃべりをすると首が無くなるよ?」
アレスの後ろから、じわりと包囲網が近づいてくる。ぐっと唇を噛締める。
「わかった。珠を渡す」
アレスがリーザを庇いながら、領主へと目を移す。マリアの顔色が青ざめえる。領主がにやりと笑った。一種の均衡状態。アレスの周りの包囲網も止まる。
「その代わり、マリアを放せ。それから僕たちを無事にここから出してもらおう」
「ほお?」
領主は珍しいものでも見たかのように、アレスを見ながら眼を細めた。
「召使風情が口答えした上に要求までするか。良い召使を持ったものだな。ドロテア」
さっきまで得意満面だった二人の主人の顔色が青ざめた。なるほど。結局、誰一人として生きて返す気はないのだ。そういうことだった。アレスはポケットの中身を思い出した。
「リーザ、僕のポケットの中身を出してくれる?」
アレスは領主を睨みつけながら、言った。今は目を逸らしたほうが負けだ。だったら目は逸らせない。リーザがポケットから何か出した。それを投げて…と言いかけて思いとどまる。
「リーザ、何を出した?」
「なんか食べ物みたいなもの」
リーザが囁く。しまった。それはエフライムがくれた非常食だ。違う…。アレスは内心の動揺を隠しながら、もう一度リーザに反対側のポケットを探るように頼んだ。
「木でできた入れ物が出てきたけど…」
「それだ。ありがとう。それを僕の手に握らせて。リーザの手を握っているほうに」
リーザが頷くのが見える。硬い感触をリーザと自分の手の間に感じる。
「いい、僕がこれを投げたら息を止めるんだ。いいね?」
アレスの囁きにリーザが再び頷いた。
「何をごそごそしている?」
領主がアレス達の動きを訝る。しかし優位を確信しているのだろう。最後のあがきを見てやろうとばかりに、動かない。それはアレスにとって好機だった。
「マリア」
アレスが領主から目を離さないまま、マリアに呼びかける。もう瞳が乾いて痛いほどだったが、まだ目は逸らすことはできなかった。マリアがのろのろとアレスの方を見る。
「あれはあなたを守れるの?」
アレスが口にした問いは、マリアに光明を与えた。何か手があるのだ。
「ええ。守れるわ!」
その叫びが合図だった。アレスはリーザの手を放し、木の小箱を床に叩きつけた。あっという間に香の中身が散らばっていくのが見える。とっさに息をつめる。
「ベガ!」
マリアの叫びに竜が答えた。領主のナイフを見えない爪が弾き飛ばす。次の瞬間、マリアはアレスの方へと駆け出していた。彼らが口と鼻を袖口で被っているのを見て、それを真似る。
しかしその間から気持ちの悪い匂いが、身体に流れ込む。あちらこちらで胃の中身を戻す人が続出していた。
アレスは珠を握った手で口を被いながら、リーザの手を引いて広間を駆け抜ける。足元は気をつけていないと他人の吐物で滑ってしまいそうだった。
もう広間はある意味で地獄だった。ラオの香がきっかけとなって、あちらこちらから吐く音がし、胃液の匂いがする。その匂いがきっかけとなって、新たな吐物が生み出されていた。
「悪趣味すぎるよ…ラオ」
思わず口の中で、アレスは呟いた。これはラオ流の冗談なのかもしれないが、あまりにも酷いありさまだった。
庭に出て、新鮮な空気を胸一杯吸う。どこかでかけらたのか、身体からまだ胃液などの匂いがするような気がしたが、中よりはましだった。蹄の音が聞こえたかと思ったとたんにアレスの真横で馬が止まった。
「あれを使ったか」
低い声。顔を見なくてもわかる。銀色の髪を持つマギ。
「ラオ」
アレスは馬上を見上げた。氷色の瞳がアレスを覗きこむ。
「酷いよ。あれ。しばらく食事ができそうにない…」
にやりとラオが嗤うと、アレスの横に下りた。
「だが効果はあっただろう?」
二人が言葉を交わしている間に、ひゅっと音がして矢が飛んできた。それを銀の刃が弾く。アレスを狙って飛んできた矢をエフライムが弾いていた。馬上からエフライムが叫ぶ。
「まだ敵地なんですからね。そこで何を和んでいるんですか!」
アレスの脇にマリアが倒れこんできた。あの香を吸ってしまったのか、真っ青な顔色をしている。
「アレス。珠を返して。それがないとベガをきちんとコントロールできない…」
乱れた呼吸を整えながら囁いた言葉に、アレスは珠を手渡した。アレスの後ろにいたラオに驚いて目を見開く。
「あなた…」
「また遭ったな。マリアと言ったか」
「知り合い?」
最後の問いはアレスのものだ。また矢が飛んできた。今度は複数だった。ラオがマントを一振りした瞬間に、矢は空中で失速しバラバラと地面に落ちていった。
「ここではうるさくてかなわない」
ラオが面白くもなさそうに呟く。それを見て、マリアが目を見開いた。
「あなた…マギだったの?」
「そうとも呼ばれるな」
また飛んでくる矢を空中で止める。こんな芸当ができるのはラオだけだ。矢は空中でピタリと止まった後で、地面に落ちた。マリアはラオの力を確信したのだろう。ラオのマントを掴んだ。
「お願い。少しだけ時間を稼いで。この珠を私の中に戻すために! お願いよ」
ラオが黙って頷くのを見ると、マリアは珠に集中し始めた。目を瞑って握った珠がうっすらと光を放ちはじめる。口が細かく動いて、なにやら唱えている。
その光に向かって、また矢が飛んできた。それをまたラオが軽い身振りで振り払う。次の瞬間に珠が大きく光って、そのまま消えた。マリアがゆっくりと目を開く。
「ベガ!」
伸ばした片手に竜が巻きついていく。
「あれを…。でも殺してはダメ。弓を奪うだけでいいわ」
巻きついた竜が、再び宙へ飛んでいく。竜は暴風となって弓を構えていた兵たちに襲いかかった。小さな竜巻が起こる。それでも人を殺すものではなく、弓や矢だけが飛ばされていく。
ふらふらと領主が館から出てきた。何回か胃液を吐いたのだろう。着飾った服の前が汚れていた。それでも気丈に、兵たちに号令をかける。
「奴らを殺せ!」
バラバラと屋敷から剣を持った兵が出てくる。
「アレス!」
エフライムが馬から飛び降りながら、アレスに剣を投げた。リーザを庇いながら、アレスを子供とみて掛かってくる兵と切り結ぶ。その横でエフライムが容赦なく兵に斬りつけていた。
館の中からふらふらと人が出てくる。どの人物もせっかくの服装が台無しの状態だった。アレス達が切り結んでいる脇から、聞きなれた怒号がした。
「何をやってるんだい!」
ジュリエッタだった。ふと見れば、となりの自分たちが居た屋敷の敷地と隣り合った場所だ。そして何人もの使用人が出てくる。その様子を見て、かつて主人だった男が叫んだ。
「あいつらを殺せ!」
アレス達に指を突きつける。
「あいつらはマギだ! 殺せ!」
その言葉に周りで火がついたように人々の気配が変化した。棍棒やフライパンや、何でもいい。武器になるものを手に押し寄せようとする。手に武器がないものは石を投げた。
「やっかいな」
ラオが両手を前に突き出した。その途端に群集が吹き飛ばされていく。
「ベガ!」
マリアの声に反応するように、小さな竜巻が起き、それが群集とアレス達との距離を引き離す。
それでも突き進んでくるものは、アレスとエフライムの剣の餌食となった。エフライムはあくまでも無駄なく死体の山を築いていく。エフライムの視界にちらりとジュリエッタがアレスも自分さえも潜り抜けて、リーザに手を伸ばしたのを見た。
「戻るんだよ! あんたは甘やかされすぎなんだ!」
アレスは目の前に来た男と切り結んでいて、ジュリエッタにまで気が回らない。なにぶん、彼女は殺そうとしてきたのではないのだ。リーザたちを連れ戻そうとしてきたに過ぎない。
しかし、エフライムは目の前の敵の頚動脈を一発で断ち切ると、素早くジュリエッタの後ろに回った。そしてジュリエッタの腕を押さえる。ジュリエッタの視線がエフライムを捕らえた。
「あんた誰だい?」
「アレスの保護者です。いや守護者の方がいいかな」
エフライムがにっこりと微笑みかける。
「このうすのろな、無駄飯食いのかいっ!」
ジュリエッタはエフライムの剣が見えていなかった。エフライムの剣がひらめく。
「ダメ! エフライム」
アレスの声は届かなかった。ジュリエッタの身体を抱えたまま、くるりと踵を返して、リーザやアレスからの視線をエフライムは背中で遮る。そしてジュリエッタの身体に深々と剣を突き刺した。
「あ、あんた…騎士様が無抵抗な人間を殺していいのかい?」
苦しい息の下でジュリエッタがエフライムの顔を覗き込んだ。それに対してエフライムが恐いぐらいの笑顔を見せる。
「普通の騎士だったら躊躇するでしょうけどね。私は違いますから。王に手を上げた人間は、女子供であろうと容赦しない主義なんです」
ちらりと振り返って、敵と切り結んでいるアレスをちらりと見ると、エフライムは懐から短剣を出した。
「だからね、例え直接手を上げてなくても、そういう状況に置いた人間は許せないんですよ」
そう呟くと、短剣を振りかざして手を放す。エフライムの手から離れた短剣は、そのまま主人と呼ばれた人間の喉元に吸い込まれた。次の瞬間には、その隣に立っていた奥方様と呼ばれた人間の喉元にも短剣が刺さる。
パンパンと手を払うと、ジュリエッタの身体から剣を抜き、そのままアレスが切り結んでいた相手の首をはねた。背にアレスとリーザを庇うようにして立つ。とはいえ、大方勝敗は決してしまったようだ。残っているものには、すでに戦意はない。
いつのまにか風も収まっていて、ラオも手持ち無沙汰に馬に寄りかかって立っている。その脇には黄金の竜の見事な彫り物がされた腕輪を巻いたマリアが立っていた。
「終わってしまったようじゃのう」
のんびりとした声が傍から聞こえてくる。アレスがびっくりして振り返ると真後ろに馬上から見下ろすバルドルの顔が見えた。
「バルドル!」
アレスの声に、斬りまくったわりには返り血一つ浴びていないエフライムが振り返り、バルドルの姿を見つけてにやりと嗤った。バルドルの後ろにはオージアスもいる。
「来るのが遅いんですよ」
「ちょっと遅刻じゃの」
のんきなやり取りをしている場に、ラオも近づいてくる。マリアもつられたように一緒に歩み寄ってきた。
蒼白になった領主がバルドルの前に、歩いてくる。数歩近づいたところで歩みを止めた。
「わが領土に進入してくるとは何者だ!」
ほとんど全滅した中での、精一杯の虚勢であるのは誰が見ても明らかだった。バルドルは馬上から、領主を見下ろした。
「おまえさんがここの領主か。わしを知らんとはもぐりじゃのぉ」
「何者だ! 名を名乗れ」
まだ強気な領主だった。バルドルがため息をつく。馬を下りて、アレスに軽く会釈をしてから領主に向き直った。その前にエフライムとラオが陣取る。バルドルとアレスを守る布陣だ。それを見て満足したように頷き、バルドルは領主を見つめた。
「おまえさん、馬鹿じゃな? まあ良い。バルドル・ブレイザレク。三代の王に仕えているじじいじゃよ」
その言葉を聞いたとたんに領主が青ざめるが、既に取り繕うことも叶わない状況だ。バルドルの言葉に召使たちや、領主のパーティーに集まっていた人間たちが、何も考えずに跪くのが見えた。その中で領主が立ち続けている。
「ついでに言うとな、今、わしの主はおまえの前にいる。おまえが殺そうとしたそのお方こそ、アレス王じゃ」
その瞬間に、バルドルと一緒に来た人間はすべて馬を下り、アレスに対して膝をついて頭を下げた。バルドルもアレスへの礼を取る。
守る盾となるエフライムとラオ、そしてまだ呆然としているリーザとマリア、領主のみが、その場で立ち上がったままだった。
我に返った領主が慌てて膝を折って頭を垂れる。今までバルドルに対して跪いた人々が、さらに低く頭を下げるのが見えた。
アレスは内心頭を抱えていた。ここに来てようやく、自分が本当は誰に嵌められたのかを悟ったのだ。まったく。この演出はバルドルが考えたものに違いない。
いや。そもそもアレスが城を抜け出せた時点でおかしかったのだ。もちろんさすがのバルドルもアレスが殺されそうになるところまでは予想していなかったと思うけれど。終わりよければ全て良しだった。
「バルドル」
「はっ。陛下」
バルドルは家臣の礼を尽くしていて、頭を上げない。アレスはため息をついた。そのままバルドルの肩に手をかけて、起こすふりをして、周りに聞こえない声で囁く。
「これ、どうしたらいいのさ。みんな平伏しちゃって…。僕にどうしろと言うわけ?」
「陛下のお好きなように」
人の悪い顔でにやりと下から覗きこむようにバルドルが嗤う。やれやれ。どうやらこの老人を出し抜くのは無理らしい。そうアレスは思った。いや、とっくに分かっていたことだったのだけれど。
「バルドル。降参。頼むから。この状態を何とかして」
剣で戦っているよりも、周りの人間にかしこまれられているほうが、アレスにとっては苦痛だった。どうにも身の置き場がなくなってしまう。そのことを良く知っているこの老人は、たまに意地悪をしたくなるようだ。
「もう一人で抜け出すだそうなどと、考えませんな?」
自分が仕組んだくせに…とアレスは思ったが、黙っておいた。言ったら大変なことになりそうだ。黙って頷くに留める。それを見て、バルドルは満足そうに頷いてから立ち上がった。
「オージアス。後は頼んだ」
すべて手はずが整っていたらしい。オージアスとその部下が領主の傍に行くと、そのまま縄をかけた。バラバラとオージアスにしたがっていたものたちが、城へと入っていく。
あっと思った時には遅かった。そのまま入ったものたちが飛び出してきて、胃の中身を地面にぶちまけている。
バルドルがびっくりした顔をしてアレスを見た。
「新手の毒薬ですかな?」
アレスはその表情に、笑みを浮かべながら答える。
「ラオの新しい香だって。効果覿面でしょう?」
苦虫を噛み潰したような表情にバルドルがなったところで、アレスは笑ってしまった。その笑顔のままでリーザとマリアを見る。二人はまだ驚いた表情のままだ。
「二人とも、もう大丈夫だよ」
その瞬間に二人に感覚が戻ったみたいだった。まずマリアが膝を地につけた。続いてリーザも。その二人の姿を見て、アレスは本日何回目かのため息をついた。
「お願いだから止めてよ。二人とも。もういいよ」
おずおずと二人が顔を上げる。アレスも同じようにして地面に膝をついた。目線が揃う。
「それで? 二人はどうするの?」
二人が顔を見合わせた。そのマリアの後ろにラオが立つ。
「ラオ?」
アレスが視線を上げた。膝をついたアレスの位置からラオは見上げる位置になる。ラオも膝を地面につけた。まるでみんなでしゃがみ込んで話しているような妙な光景になっていることに、アレス達は気づいていない。
「マリアは俺と一緒に来る」
その言葉に驚いたのはマリア自身だった。慌てて後ろを振り返って、ラオの視線に捕らえられた。
「何を言って…」
「おまえは俺と生涯を共に歩む運命にある」
ラオがマリアに向かって言い放った。マリアの頭にラオの言葉が届きはじめると同時に、マリアの頬が染まり始める。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あなた自分が何を言っているか、分かってるの?」
「分かっている」
ラオは表情も変えない。そのラオの表情を見ながら、アレスが口を挟んだ。
「いや、ラオ。きっと分かってないと思うよ」
二人の視線が、いや二人だけではなくて、エフライムもバルドルも、リーザの視線すらもアレスに集中した。アレスはゆっくりと口を開く。
「だってラオ、今、ラオはマリアにプロポーズしたんだよ?」
その言葉がラオに届いた瞬間に、ラオの顔色が変わった。首から上が真っ赤になっていく。ああ、やっぱりとアレスは思った。その思いを口に出す。
「多分、ラオは自分が感じた予感か予言か知らないけど、それを口にしただけでしょう」
ラオが慌てて頷く。そして呟いた。
「そうか…。そういうことになるな」
妙に納得している。その納得を見て冷静になったのはマリアだった。
「なによ! 人をぬか喜びさせておいて、それってないんじゃないの?」
その言葉にエフライムが気づいた。
「ぬか喜びということは、マリアもラオを良いと思っていたということですか?」
その瞬間にまたマリアの頬が赤くなった。
「だ、だって、ほら、なんていうか、まだ会ったばかりなのよ。でも、ほら、助けてもらったりとかしたし…」
ぶつぶつと言い訳しているのか、独り言を言ってるのか分からない状態で呟く。アレスはため息をついた。まったくやってらんないよ。
「じゃあ二人とも、とりあえず城においでよ。まあ少なくとも、ここよりは良い待遇で雇うよ。ね? バルドル」
黙ったままおろおろするラオとマリアを見守っていたバルドルに水を向ける。バルドルはその白いあごひげを撫でながら、思案しているふりをした。
「そうじゃのう。まあ二人ぐらいなら仕事はあるじゃろう」
そしてにやりと笑って見せる。
「王の推薦もあることだしのぉ。無碍にはできんじゃろう?」
バルドルは不器用に片目をつぶって見せた。なんか目にごみが入ったようなウィンクだったけど、まあ良しとしよう。アレスはそう思って、膝についた土を払って立ち上がった。
そのときになってようやく、周りにいた全員がほぼ地面に膝をつけて話をしていたことに気づく。まったく。この仲間たちは。
笑い出したい気持ちを押さえて、バルドルに手を伸ばした。バルドルが立ち上がるのを助けるようにして、引き上げる。バルドルもまた膝の土を払って立ち上がった。
「行きますかな?」
「うん。戻ろう。僕たちの城にね」
その後グィーダ村は王の直轄地となり、新たな領主が選ばれて派遣された。
交易は禁止するよりは認めた方が良いという王の判断により、新たな交易地として栄え、そこから仕入れられた数多くの品々は、ヴィーザル王国の首都イリジアまで運ばれることとなる。またマギ狩りは、新たな領主の下で禁止され、今までマギとして殺され、打ち捨てられた骸はすべて弔われることとなった。
なお前領主の片腕、そしてマギ狩りの際の判断者とされていた名前もわからない学者風情の男については、その後行方が知れなかった。
ヴィーザル王国物語 ~竜の瞳~
The End.
お読みいただいてありがとうございます。
これを書いたときのことが、さっぱり思い出せません。しかもプロットも残っていないという。一体どうやって書いたのだか…。
お話の中は、あのレグラスの乱から約二年。アレスが王になって一年程度経ったところでの事件です。
まだ国の中がガタガタな状況なんですが、アレス王、勝手に抜け出しています。裏設定ですが、実は何回も脱走劇をやっているんですよ。
城下町までちょっと…みたいなのは日常茶飯事です。なんせネレウス王の孫ですから。やんちゃなのは血筋でしょう。
一番傍にいるラオは止めませんしね。それでバルドルが画策したという。策士を敵に回しちゃいけません(笑)
修正しつつアップしていたのですが、読みづらいところや誤字脱字がありましたらお知らせください。
次は外伝と、ちょっと外伝っぽいけれど続々編にあたる「不死鳥の心臓」に続きます。
よろしければお付き合いください。
沙羅咲




