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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
竜の瞳
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第3章  街中

「見失った…」


 アレスが攫われた直後から始まった追跡も、森が途絶えたグィード村の入り口で終わった。それ以上の痕跡は、行き交う人々の間で消えてしまっている。しかしそこまで追い駆けられただけでも、エフライムには驚きだった。


 ラオだけが感じることができるアレスの痕跡を追い駆けて、一週間近く、森の中をほぼ一直線にここまで走ってきたのだから。すでに太陽が高く上った時間だった。


「ラオ、馬も休ませなければなりませんし、まずは村の中で宿を見つけましょう。それと…」


 馬をくぃっと引くと、エフライムはラオの隣に来て、自分の腰に下げていたものをラオにぐぃと差し出した。


「なんだ」


「下げておきなさい。あなたのその雰囲気では、まさにマギですと大声で叫んでいるようなものですからね。剣でも下げておけば、無骨な騎士様でごまかせますよ」


「おまえはどうする」


「私はどっかで調達してきます。大丈夫。そうしたらその剣は返してもらいますよ。アレスからもらった大事な剣ですから」


 エフライムはにっこりと笑って、再度剣を差し出す。しぶしぶという風情でラオはエフライムの剣を受け取り腰に差した。


「ちなみに使ったことはありますか?」


「少しだけな」


 ラオの意外な返答に、エフライムは眼を見開くとすぐに微笑んだ。


「それは結構。何かあったら、それで対処してください」


 と、皮肉とも本気ともつかぬことを口にして、馬を村に向かって走らせた。ラオはいつもと表情は変えないものの、軽く剣に手を置いて、なにやら思案した後にエフライムの後を追って、村に馬を乗り入れた。






 よそ者に対する視線がきつい。それでも耐えられないほどではない。貧しい農村を抜けると森になっているようだったが、その向こうに大きな城壁が立っていた。森で城壁を覆うことで、そこから先が見えないようになっていたのだ。


 城壁の門番のところに、エフライムはそのまま、極めて自然に寄っていった。ラオもその後ろに続く。


「こんにちは」


 にこやかに挨拶をする。門番は一瞬、警戒をしたように手にした槍を握り締めたが、エフライムの表情に、手の筋肉が緩んだ。


 エフライムがとん、と馬から身を躍らせて地上に下りる。ラオもそれを見習って馬から下りてエフライムを見守った。エフライムは、そのまま門番に近寄っていく。


「私たち、この先に用があるんですよ。わかるでしょう?」


 と、さりげなく、門番の手にエフライムが何かを握らせる。門番がにやりと理解したように笑うと、エフライムたちに通るようにと合図した。


「どうも」


 にっこりと微笑みを残して、エフライムが通る。その後ろをラオはいつもの表情のまま通っていった。


 門の中はまるで港町だった。活気溢れる市場のある街という風情だ。さすがのエフライムも眼を見張る。


「すごいですねぇ」


 ラオが同意の意思として黙ってエフライムの言葉を聞いていた。不意にくるりとエフライムが振り向く。


「それで? 宿屋が欲しいんですけど、信用できる宿屋はどこにあります?」


「なぜ俺に聞く」


「だって、私が情報を集めてる時間がないでしょう? だったらあなたの勘に頼るしかないんですよ」


 その言葉にラオが顔をしかめた。


「俺はタウンマップじゃないぞ」


「わかってますよ。早く案内してください」


「わかってない…」


 ぼそりと言いながら、ラオはそれでもぐるりと街を見回すと、右側の道を通っていく。ラオの勘が導くままに、街の片隅にあった宿屋に陣取ると、エフライムは情報収集してきます、と軽く言って出て行ってしまった。


「わかっていると思いますけど、騒ぎは起こさないようにしてくださいね。ラオ」


「なんで俺が起こすと思う」


「いえ、あなたが起こさなくても、あなたの周りが起こす可能性があるので」


 にっこりと忠告とも、皮肉とも取れる言葉を残して、エフライムは立ち去った。どうもエフライムは自分のことを誤解しているんじゃないかと思いつつ、ラオも宿屋を後にしたのだった。


 まずは街の概観を掴む。まるでドーナッツのような街だった。中心に領主など富めるものが住んでいる。そしてこの街、その周りにまるでここを隠すような農村。街自体も迷路みたいになっていた。あちらこちらに高い城壁がある。まるでこの場所を隠すように。


 ラオが街の様子を見ながら、中心に程近い広場に立ち寄ったときだった。


 火を燃やす匂いがしてくる。まるで巨大な焚き火をやろうとしているような。そんな気配が広場からしてきた。その匂いに導かれるように広場に足を踏み入れる。広場の中心には一本の木が立てられ、その周りに薪が堆く積まれている。そこへ木枠の檻に入れられた女が運ばれてきた。


「お願いです! 助けて。私はマギじゃないんです。魔術なんか使えません!」


 木枠の間から伸ばす手が白い。そこにところどころ赤黒い痣が見えていた。服も所々破れていて、唇も切れて血を流している。乱暴を受けたのは一目でわかる状態だ。


「お願い!」


 喉の限り叫ぶ声が広場に抜けていく。広場にいた人々の反応は様々だった。眼を逸らすもの、石を投げつけるもの、そっと広場を離れるもの、そして広場に駆けつけるもの。


 思わず檻に駆け寄ろうとしたところで、後ろから腕を捕まれた。


「ラオ!」


 耳元に、いつもより低く押し殺した、微かな、しかしはっきりとした声がした。振り返らなくてもわかっている。エフライムだ。


「ダメです。わかるけど、今はまずい。助けたら私たちもマギだと見なされます。ダメです」


 ラオはくっと唇を噛締めた。女が檻から引き出され、詰まれた薪の傍に引きずられるように連れてこられる。微かに抗っているようだが、それとて大した力ではないのだろう。両側から屈強な男たちに引き立てられて、薪の上に立たされた。


「お願い。止めて…」


 すすり泣く声。その声に重なるように、広場で怒号が起きる。


「マギだ! 魔術を行うものだ! 殺せ!」


「あいつは人の心を迷わせる!」


「人を呪いころすんだよ! さっさと殺せ!」


 バラバラと石の雨が降った。


「違います…。私は何もしてません…。何も」


 すすり泣く声が響いてきた。ラオは眼を逸らした。エフライムの手はラオの腕を掴んだまま放さない。







 火が薪に放たれようとした瞬間だった。空一面を黒い雲が覆い、激しい雨と雷にあたり一帯が包まれた。慌てて、ラオもエフライムも空を見る。


「竜だ…」


 ラオの目に映ったのは身体をくねらせる巨大な竜だった。それが雲に隠れて雨を降らせ、雷を落としている。あまりの雨の激しさに、薪につけようとした火は消え、手を伸ばした先すらも見えない状況だった。


「女が逃げる」


「ラオ?」


「こっちだ」


 エフライムの眼には、真っ暗な闇と、雨、時折落ちる雷だけが見えていたが、どうやらラオには別なものが見えているらしい。今までとは反対に、ラオに腕を捕まれながら、エフライムは見えない闇の中を走った。見えているのはラオの濡れた銀色の髪のみ。そのラオの腕が、エフライムの杖の代わりだった。


 徐々に雨はやみ始め、周りの景色が戻ってくる。それと同時に、自分たちのいる場所が城壁の入り口の逆側であり、大きな城の裏手だということがわかった。


 ずぶぬれになって立ち尽くすエフライムとラオの前には、長い黒髪を持つ女が右手に剣を構え、左手に先ほどの女を抱えているのが見えた。黒髪の女がエフライム達に気付いて、身構える。その後ろで、さっき檻から叫んでいた女は青ざめていた。


「待ってください。追手じゃありませんよ」


 エフライムが両手をあげる。


「じゃあなぜ追ってきたの?」


 黒髪の女が構えを崩さないまま、エフライムにきいた。


「竜を見た」


 エフライムが口を開くより早く、それにはラオが返事していた。女の顔が驚愕に変わる。


「ベガが見えたのね。珍しいこと。あなたで二人目よ。私の一族以外で、あの子が見えるのは」


 女が構えを解いた。


「信用した訳じゃないけど。彼女を逃がすことに異存は無いみたいだから、先に彼女を逃がすわ」


 それに対してラオが黙って頷く。黒髪の女は彼女の後ろで青ざめていた女に向き合った。腕の動きで城の城壁の隙間を示す。


「行きなさい。そこから出て三日も歩けば、街道にあたるわ。いい? 振り返ってはダメ。あとはがんばって生きなさい。これは少ないけど、旅費にして」


 女の手に皮袋を押し付ける。


「私…」


 何かを言おうとする女を押し止めて、背中を押す。


「さぁ、いいから行って。私たちもここから立ち去るわ。早く」


 なんども頭を下げる女を見送ってから、黒髪の女はエフライムとラオに向き直った。


「それで? どうするの? 私を代わりに奴らに突き出す?」


 そう言っている間に、竜が小さくなって女の右肩に降りてきた。もっともそれが見えたのは女とラオだけだ。


「突き出す気は全然ありませんよ」


 エフライムが返事をしない相方の代わりに返事をする。女が微笑んだ。


「よかった。今はちょっと訳ありで、この子をきちんと制御できないの。だから酷いことになるところだったわ」


 その言葉にエフライムは、曖昧な笑顔を返して、行きましょう…とラオを促した。だが、ラオが動かない。


「ラオ?」


「おまえ…名をなんという?」


 長い濡れた髪を絞りながら、女、マリアが微笑んだ。


「マリアよ。またチャンスがあったらお会いしましょう」


 そういうと短く口笛を吹く。その音を聞きつけたのか、馬の蹄の音が近づいて来た。


「よく訓練された馬ですね」


 エフライムが感嘆とも称賛とも取れる言葉を口にする。


「ありがとう」


 にっこりと微笑むと彼女は馬に乗って行ってしまった。それでまるで金縛りにあっていたようなラオがのろのろとエフライムを見た。


「ラオ?」


 ラオが一瞬、ありえないものを見たような、そんな表情をした。目をぐるぐると回しながら、なんどもぱちぱちと瞬きをする。


「ラオ?」


 二度目のエフライムの声で我に返ったように、ラオはもう一度エフライムを見た。


「いや、なんでもない。宿へ戻ろう」


「ええ。そうしましょう」







 二人が街に戻ると、マギの脱走の話題でもちきりだった。驚いたことにというべきか、それとも当然というべきか、その会話から、殆どの人間はマギの存在、魔術の存在を信じていなかったことがあきらかになっていた。


「先に宿に戻っていてください。夕飯を調達してきますよ」


 エフライムはそう言うと、人ごみに消えていった。ラオは暗い宿に戻る。部屋を見回すと、蜀台に火を灯した。火を見ながら瞑想を始める。


「どこに居る? アレス…」


 ラオの意識が自由になり、脳裏に色々な風景が浮かびはじめる。だが、ダメだった。今ひとつ集中できない。その脳裏にちらちらと浮かぶのは、あの女の顔だった。黒髪の、母と同じ名前をもった女。


「ばかな…」


 垣間見えた未来を否定する言葉を吐いて、もう一度蝋燭の光を見つめる。アレスは近くにいるはずだ。この街のどこかに。だとしたら、見つけられないはずがない。









 しばらくしてから重い靴音と共にエフライムが戻ってくる。両手一杯の荷物だ。


「なんだそれは?」


「戦利品です」


 エフライムがどさりと机の上に、食べものと色々なものを置いた。着替え、薬草の類、そして一振りの剣。


「剣はあなたのですよ。あと薬草もね。私だとなんだかわからないけど、きっとあなただったら使いこなせるんじゃないかと思って、適当に手に入れてきました」


 ラオは黙って自分が差していた腰の剣をエフライムに返すと、新たな剣を自分の腰に差した。どちらにせよ、剣の重さは自分にとっては違和感だ。なじめない。


 そして薬草の山を見た。薬草にはいくつかの組み合わせがある。それらが揃ってないと役に立たない。もちろん単品でもそれなりには効果があるのだが、組み合わせたほうがより良いものが作れる。


 ラオは心の中で頭を抱えた。知識がないものには仕方あるまい。だが、よりよってここまでバラバラなものをそろえるとは…。


「エフライム。おまえも少しは薬草の知識を、その頭に入れたらどうだ」


 ボソリと薬草の山を見たままで呟いた一言で、エフライムは悟った。苦笑いになる。


「うーん。やっぱりダメですか? 適当だと」


「使えんことはないが、色々足りない…」


 そう言いかけて、あることに気付いた。


「おまえ、これ毒草ばっかりだろう」


「あ、ばれました?」


 エフライムが苦笑いする。知識が無いなんてとんでもない話だ。どれもこれも一般には薬草として知られているが、その実、暗殺に使われるような物騒な薬草というよりは、毒草ばかりだった。


「本当に使えないと困るから、少なくとも私が知ってるものだけ調達したんですけどね」


 にこやかなエフライムの顔を見ながら、ラオはため息をつく。


「おまえの知識は偏りすぎだ…」


 何に使うかは、後で考えよう。とりあえず束ねられたものをそのまま袋に突っ込む。


「それで?」


「何かわかりました?」


 二人同時に同じ意味の言葉を口にして、口篭もる。じっと見詰め合った視線を逸らして、先に折れたのはエフライムだった。軽く肩をすくめてから地図を取り出した。


「私から話しますよ」


 酒場で手に入れたんですけどね…と言いながら、地図を蝋燭の光の元に広げた。


「これがこの街の見取り図です。細い三日月みたいな形の街ですね。一番奥に領主の屋敷…これはもう城と呼ぶべきでしょうね。それがあって、あとはその取り巻きの屋敷がある。そして我々がいる街があって、その周りに城壁とそれをカモフラージュしている森。その周りが農村です」


 ラオはじっと街の地図を見つめた。


「しばらくあなたは外に出ないほうがいいですよ。ラオ」


 その言葉に、ラオの視線が地図から離れてエフライムの顔に移る。


「何度も言うようですけれど、この街はね、マギを狩る習慣が残っているんです。でも実際に狩られているのはマギじゃない。人から恨まれた人、疑われた人、思い通りにならなかった恋人…そんなところです」


 ラオは頷いた。そんなものだ。そんなにたくさんのマギが居るわけがないし、マギ自身も迫害の歴史を知っているだけに、ひっそりと暮らしている。ましてや何の能力も持たない人間が、マギかそうでないかなどということを見破れるはずがない。


「一応裁判があるんですよ。領主がマギかどうかを見極めるというね」


「くだらん」


「ええ。くだらない茶番です。でもね、その場所に本物のマギが一人だけいるっていう噂です。そのマギが、自分の仲間かどうかを売り渡しているとね」


 ぎろりとエフライムを睨みつけたラオを、軽く片手でいなして、エフライムが言葉を続ける。


「噂ですから。あくまで。本当にマギがいるんだったら、さっきのお嬢さんみたいなことはおこらないでしょう? あの囚われていた女性は、とてもじゃないけどマギに見えませんでしたよ」


「わかるのか? おまえに」


 その言葉にエフライムがにやりと嗤った。


「マギの気配は独特ですからね。おかげさまでマギのお友達が多くなったので、わかるようになりました」


「そりゃ良かったな」


 にこりともしないで、ラオは返した。エフライムの戯言に付き合っている気はない。それに確かにエフライムは気配に敏感だった。マギの気配がわかるというのも、あながちウソではないだろう。


「おや、それだけですか? 感想は」


 エフライムがちょっとだけ不服そうな表情を作って見せた。


「俺が居なくなったときには、せいぜいおまえに探してもらうとするさ」


 ふん。と興味もなさそうに呟くと、地図に視線を戻す。この地図とさっき読み取った場所を合わせると…。


「それで、あなたの方はどうなんです? ラオ。何か収穫は?」


 それには答えずに、黙ったまま地図を睨みつける。場所のイメージから一致するところはどこか…。それを読み出す。そして一点を指差した。


「この屋敷だな。きっと」


 それは領主の取り巻きである貴族たちの屋敷の一つだった。

 


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