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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
外伝(1)
43/170

秘密

 すっと剣を抜く。心臓を突き刺すと、意外に出血が少なくて済む。これは経験の中で覚えたこと。何をすれば、どこを刺せば死を呼び込めるのか…それを幾つもの闇を越えることで覚えてきた。


 さっと剣を拭って鞘に戻す。冷たい路地の上、自分の足元に横たわる物体に、もう興味はない。その者の過去も現在も、未来でさえも奪ってしまった自分に、祈る権利はない。事切れていることを確認すると、静かに目を逸らす。


 立ち去る間際に、現場には何も残っていないことを確認する。まるで乗合の馬車を降りる客のような冷静さで、身の回りを見回した。


 残していくのは1つだけ。自分が命を奪った男の身体。


 立ち去りながら空を見上げると細い月が見える。少年の小柄で細身の影が、路上に映っていた。マントのフードを引き上げて、頭から被る。


 淡い金色の髪がフードの中に隠れた。月の光でさえ、自分には眩しく感じられる。


 だがこれも終わりだ。僕はもうここを出て行く。母さんが死んだ今、引き止めるものは何もない。


 幼い頃から生きてきた世界を捨てる。闇の中の生活は、もう充分だ。明るい光の世界へ行こう。すべてを自分の心のうちに沈めて。






 取り決めた場所に行くと依頼者が待っていた。言葉少なく報告だけする。支払われる金貨。


 自分のわずかばかりの良心と誇りを売り渡した代価。素早く受け取って、さらに道を急ぐ。


 緑の壁の娼館に入り、ゆっくりと最上階へ向かう。目的の部屋の前に着くと、目の前に立ち塞がっていた大男が扉を開けた。


 豪奢な部屋の真ん中のソファで、絹の服を着た男が座っていた。ロベリオ・ガラバーニ。このあたり一帯を取り仕切っているボスだ。悪と呼ばれることは、すべてこの男に繋がっていた。そしてこの娼館は、このロベリオの根城であり、金づるであり、すべての犯罪が生み出されるところでもあった。


 ロベリオが、にやりとこちらに笑いかけてくる。その笑みは、獲物を咥えて戻ってきた猟犬に与えられるものと同じだった。


 いつものことだ。彼にとって自分以外の者は家畜同然なのだから。差し詰め、自分は金を持って帰ってくる小犬。そんなところだろうか。


 さっと目だけで部屋の中を見回す。一瞥しただけで高級だとわかる調度品が並んでいる部屋の中には、ソファに座った主人を守るように六人の男が立っていた。


「エフライム。首尾は上々っていうところだな?」


 恰幅のいい身体を揺すりながら、手を伸ばしてきた。金を出せと言っているのだ。エフライムと呼ばれた少年は、ロベリオの灰青色の目を見ながら、ゆらりと近づいていく。


「そうですね。上々っていうところですよ」


 静かな口調で返事をした。いつもとの違いを悟らせない。何も違わない。いつもの会話。いつもの態度。


 だが今日、金貨の代わりに突き出したものは、細身の短剣。そのままゆっくり心臓に埋め込む。男が驚いたように目を見開く。


「おまえ…」


 そのまま事切れた。周りにいたものも、何が起こったか分からなかったらしい。そのまま振り向き様に、傍にいた男の胸に剣をつきたてる。声を出す間もなく崩れ落ちていく。


 そしてもう一人。首から反対側の脇に向かって、袈裟に斬りつけた。首筋から吹きだす血と共に三人目が倒れたところで、ようやく四人目の男が事態を理解した。


「裏切ったな! どうなるか分かっているんだろうな!」


 怯えた目をしている男に向かって、エフライムは、ゆっくりと唇の両端を持ち上げて見せた。


「わかってますよ」


 まだ幼さが残る声でそう言った瞬間に、四人目の男の首は、エフライムの左手に現われた長剣によって飛んでいる。


 多分エフライムの手に剣があることを理解するよりも先に、首が胴から離れたのだろう。床の首は、驚いたように目を見開いている。


 そして五人目。相手が剣を抜くよりも早く、首をはねる。六人目はすでに剣を抜いていたが、その剣が構えられるよりも早く、胸に剣を突き立てた。


 七人目の男に向かう。床に足跡を残さないように、深紅の場所を避けながら、窓際で震えている男の肩に手をかけた。


「た、たすけ…」


 首筋に剣を走らせる。ごぼりという音がして、血が吹きだした。咳き込むような音をさせながら、男が首に手をやっている。


 返り血を浴びないようにしながら、エフライムは退く。ようやく異変に気付いた扉の外の大男が扉から中に入ってきた。


「おまえっ」


 その瞬間に空を切る音がして、大男は崩れ落ちた。胸に短剣が刺さっている。


「こんなことをして…、無事で済むと思っているのか・・・」


 苦しい息の下で、大男が呟く。エフライムは大男の傍にしゃがみ込むと、にっこりと微笑んだ。


「ええ。追手がいるなら、すべて排除すればいいんですよ」


「馬鹿な…。ここは俺たちの…」


「この建物の中で、生きているのは、あなたが最後です」


 静かな声に、大男の目が見開かれた。


「下の階の皆さんは、とっくに静かになってます。もう私を追うことができるものはいません」


 一度思いっきり差し込んでから、静かに男の胸から短剣を回収する。ぐふっという音と共に男の身体から力が抜けた。


 エフライムは廊下に出ると、動く者のいなくなった部屋の中を緑色の瞳で見回した。せっかくの調度品が汚れてしまったが仕方がない。そして動かなくなった主とその取り巻きに微笑みかける。


「おやすみなさい。皆様。ごきげんよう」


 静かに扉が閉められた。





 夜の闇の中で、静かに朽ちていく建物と共に、物語は葬り去られた。



ヴィーザル王国物語 ~外伝:秘密~


The End.

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