第19章 決着
士気も下がり、徹夜の行軍で疲れきっている敵軍を蹴散らすことは、アレスの軍にとって訳も無いことだった。ここぞとばかりに、各軍が攻め込む。その一番後ろで、アレスはラオとガラディールを従えて、進軍している。
「バルドル殿は?」
ガラディールが聞いてくる。
「先頭にいますよ。自分も戦場に出たくてうずうずしていたようです。ミスラ公がいらっしゃれば、僕の身の回りは大丈夫だからと」
バルドルと取り決めておいた回答をする。トゥールが城に逃げ帰るのを追いかけていったとなれば角は立たないし、アレス王の側を任されたとなれば、ガラディールも悪い気はしない。ラオはいつもどおり、黙って影のようにアレスの側についていた。
バルドルは敵の征圧が終わったら、その場所を占拠しておくのだと言っていた。もしもガラディールが言い出さなければ、アレスが言うようにと。そしてハウトたちが城を押さえたら使者を立てるので、それを待てと。
フェリシアにも言ったことだが、本当に自分は待ってばかりいる…とアレスは思った。
雨が上がり、レグラスの軍が、これでやっと川が渡れると思ったころには夜明けだった。敵軍が迫ってくるのが見える。
「ヴェルダロス様、先に城へ!」
武官の一人が、トゥールに叫ぶ。ぎりりと唇をかんでトゥールは川に背を向けた。そのまま後ろ髪がひかれる思いで馬を走らせる。供のものは数人だけの逃避行だ。その様子は、遠目にハウトたちにも見えていた。
「トゥールが逃げるぞ!」
ハウトが馬のスピードを上げた。バルドルとエフライム、そしてフェリシアの馬のスピードが上がる。
「フェリシア、身体を低めに」
エフライムが、右から突っ込んできた敵に向かって矢を射る。矢はフェリシアの金髪を掠めて、敵の胸に突き刺さった。落馬した敵がどんどんと遠ざかる。フェリシアは目前で行われている殺戮に、顔色が青くなっていた。
川はまだ濁流だったが、渡れないほどではなかった。ざぶりと馬を入れると、足がぬれることも構わずに、川を渡っていく。
川を渡らせまいと敵が切りかかってくるが、ハウトの槍の前では、物の数ではない。ハウトの槍を先頭に、フェリシアの左右をエフライムとバルドルが守っていく。
フェリシアはラオに教えられたように、扉に鍵をかけたイメージを意識する。敵が切り殺されて、断末魔の叫びをあげる。思わずフェリシアは顔をそむけた。とたんにエフライムの叱責が飛ぶ。
「フェリシア、前を見て! よそ見しないで!」
濁流の中なので、フェリシアの乗馬の能力では、慎重に馬を進めていかなければならない。目をそらしている暇はなかった。目に映っているものを極力意識しないようにしながら、川を渡りきることだけに意識を集中する。ハウトの背中だけを見つめる。
川を渡りきってしまえば、もう敵は追ってこなかった。一気にトゥールを追いかけて西へと馬を進めるだけだ。
西へ西へと馬を進めて、ようやくトゥールは城へたどり着いた。広い玄関ホールに入ると、わずかに残しておいた警護のものがトゥールの側にくる。
「王は?」
「謁見の間でお待ちです」
トゥールは武官のその答えに、苦いものを感じる。謁見などしている場合ではない。もう終わりなのだ。せめて城に立てこもるなどの準備をしてくれていれば、わずかばかりの時間稼ぎができたものを…。その武官に片手を振って下がらせると、トゥールは一人で階段を登った。
肖像画が飾られている廊下を抜けて、謁見の間に向かおうとしたところで、ぎくりと足を止める。暗い廊下の角から出てきたのは、ハウトだった。
「残念ながら、もう終わりだな」
ハウトがにやりと嗤う。
「おまえは…」
誰だと問おうとして、その答えをトゥールは知っていることに気づいた。漆黒の髪と瞳を持つ者。
「初めましてというべきかな? トゥール殿。俺はハウト・メイクレウス。おまえさんに何度も殺されそうになった男だ。アレスと一緒にな」
「どうやって入ってきた?」
その問いの答えにまたしてもトゥール自身で気がついた。諦めたような苦笑をして言葉を続ける。
「遠見か。フェリシア殿だな」
ハウトの後ろからフェリシアが出てくる。
「ご機嫌よろしゅう。ヴェルダロス様」
フェリシアが優雅に挨拶をした。ハウトががちゃりと音をさせて剣を抜く。
「わるいが、おまえさんはここで終わりだ。フェリシア、下がっていろ」
フェリシアがハウトから離れる。トゥールがにやりと笑った。
「なるほど。予言通りとなるか。フォーマルハウト」
ハウトの顔色が変わる。
「な、何?」
「おまえはわしを殺し、そして王となる。さあ、殺せ。そして王座を勝ち取るが良い」
トゥールはハウトに両腕を広げて見せる。そして微笑んだ。
「どうした? 殺せ」
じりじりと近寄ってくるトゥールに、ハウトがじりじりと後ずさる。
「わしの息子がわしを殺し、王になる。マギに言われた予言だ。それが成就するのだ。さあ、わしを殺せ。フォーマルハウトよ」
ハウトの顔に脂汗が浮かんでくる。トゥールがにやりと嗤いかける。
ハウトの漆黒の髪と瞳を見ながら、自分の若い頃にそっくりだとトゥールが皮肉に考えていたとき、背中に熱いものを感じた。身体から急速に力が抜けていく。無理やり首を回して後ろを見ると、バルドルが剣をトゥールの背に刺しているところだった。
「お、おのれ…」
バルドルはにやりと暗い表情で嗤った。
「予言は成就せん。フォルセティが全部断ち切ったのを、おまえが紡ぎなおしたんじゃ。この馬鹿者め。だからわしがもう一度断ち切ってやる。残念じゃな。おまえを殺すのは、このわしじゃ」
「なっ」
トゥールの身体から力が抜ける。瞳が急速に力を無くす中で、ハウトの方へ片手を伸ばした。
「フォーマルハウト…」
トゥールの声に、ハウトが呼応する。
「俺はハウトだ。ハウト・メイクレウス。お前のことは知らない」
トゥールの目が見開かれ、そして何も映さなくなった。バルドルが剣を抜き、どさりとトゥールの身体が床に落ちる。
「ハウト…」
フェリシアがハウトに近づこうとした瞬間だった。バルドルの後ろに弓を構えた武官が見える。とっさにフェリシアは叫んだ。
「やめて!」
バルドルが振り返った瞬間に、矢が射られた。ハウトが矢を射た武官の方へ飛び出していく。フェリシアは祈るように両手を胸の前に組んだ。
バルドルの胸に矢が刺さる…はずだった。矢が宙に止まる。
ハウトが武官を倒して振り返った。まだバルドルの前に矢が止まったままだ。バルドルは驚きの表情を隠せないまま震える手で矢を掴む。
呆然としていた。自分はこの矢で死ぬはずだった。それはフォルセティにも予言されたこと。そして多分、ラオでさえも見た死の風景であったはずだ。矢を凝視する。そしてフェリシアの方を見た。その瞬間にフェリシアが崩れるように倒れかかった。
「おっと」
バルドルが慌てて一度握った矢を、その手から落として、フェリシアを抱き支えた。ゆっくりと床に寝かせる。
「フェリシア!」
ハウトが戻ってきて、フェリシアの名前を呼んだ。身体を揺さぶるが目覚めない。
「気を失っているだけのようじゃ」
バルドルが首筋に手を当てて確認した。呼吸をしている様子にハウトが安堵の息を漏らす。フェリシアを抱きかかえたまま、ハウトはバルドルを見た。
「しばらくここから動けそうにないな。じいさん、エフライムの方へ加勢に行ってくれ。いくら説得してみると言っても、分が悪いからな。あいつのことだ、無茶な戦いはしないと思うが…。フェリシアが気づいたら、一緒に行くから」
「わかった。気をつけるんじゃぞ」
「わかっている」
ハウトがにやりと嗤う。バルドルは軽く頷くと、廊下の先へと急いで行った。
「お久しぶりです。みなさん」
謁見の間では、エフライムが近衛隊とレグラスを相手に、優雅にお辞儀をしていた。死んだと思っていたエフライムが現われたので、近衛隊が騒然となる。
「なぜ…どうして…おまえ」
オージアスは声も出ない。なぜここにいるのか、どうやって現れたのか、という問いが片言の言葉で口から出てくる。エフライムがにっこりと笑った。
「そこにいらっしゃる方の指示で、牢獄に幽閉されまして」
近衛隊がレグラスの方を振り返る。
「そしてアレス王子、今はアレス王ですね、と、一緒に逃げました」
皆の視線がエフライムに戻ってくる。
「アレス王は、すでにレグラスの軍をほとんど制圧されています。私としては、ここで剣を交えるよりも、皆様がすんなりとアレス王に従われたほうが得策だと思いましてね。それでお勧めしに来たわけです」
ざわめきが大きくなる。
「アレスは殺した! おまえと一緒にいるのは、偽者だ」
レグラスが王座から立ち上がり、エフライムに指を突きつけた。その様子に対して、微かに嘲笑を含んだ笑みで答えると、エフライムは首をかしげる。
「おかしいですね。アレス様は生きていらっしゃいますよ。ずっとお守りしてきたんですから」
「嘘だ。王は俺以外にいない。このレグラス様だけだ!」
大声で喚くレグラスに対して、エフライムはわざとらしくため息をついてみせた。これ見よがしに、大きく息を吐く。
「いいですけどね。あなたがそう思っていても。でも、みなさんはどうなんです?」
そう言うと、エフライムは近衛の面々をぐるりと見回した。視線で問われた近衛たちが、ぎくりとした表情になり、レグラスとエフライムを見比べる。
「なあエフライム。アレス王は良い王様になりそうか?」
近衛の中からのんびりした声が聞こえた。エフライムはその声の主、ユーリーににっこりと笑ってみせた。
「ええ。きっと良い王になられると思いますよ。それは私が保証します」
それを聞いて、オージアスが一歩前に出る。
「アレス王が本当であるならば、俺はアレス王につく。もうこいつのお守りは真っ平だ」
親指でレグラスを背中越しに示すと、オージアスはエフライムに笑いかけた。
「俺もだな」
ユーリーもにやりと嗤って、オージアスの隣に並ぶ。他の近衛も一歩踏み出そうとしたところで、レグラスが喚く。
「おまえら! アレス王など偽者に決まっている。こんな奴の言葉に耳を貸すのか」
皆がレグラスに注目したところで、部屋の後ろの方から静かな声が響いてくる。
「王は僕だよ。レグラス。もう君の味方は誰もいない」
皆が振り返った。こつこつと軽い足音をさせながら、甲冑に身をまとった少年が、供のものを連れて歩いてくるのが見えた。
「アレス。早いですね」
エフライムが肩をすくめながら声を漏らした。まだアレスは戦場にいるずだった。だが目の前にはラオとガラディールを従えたアレスが立っていた。
「城は包囲した。もう逃げ場はない」
ゆっくりとレグラスの方へアレスたちが近づいてくる。エフライムに近い方の扉が開くと、バルドルが入ってくる。
「トゥールはあの世で貴殿を待っておるぞ。レグラス殿。馬鹿なことをやりおって」
バルドルの声は苦いものを含んでいた。アレスがいることに気づくと、ちらりと表情が動いたが、無理やり押し隠す。
「これでもまだ僕のことを否定する気?」
アレスは被っていた兜を取る。さらりとした茶色の髪と共に、ネレウス王に似た風貌が現われる。レグラスは睨みつけるようにアレスを見ていたが、その顔にずるがしこい表情が浮かんだ。
「なるほど。どうやら我が従兄弟殿らしい。だが王は一人。そこで、どうだろう。どちらが王としてふさわしいか、決着をつけようじゃないか」
レグラスがゆらりとした足取りで、王座から一歩踏み出した。
「仮にも我々はネレウス王の孫だ。それであれば、剣は得意なはずだ。そうだろう? 王としての度量を剣で示そうじゃないか。アレス」
レグラスがくっくっくっと笑って、腰に下げていた剣を抜いた。エフライムはすっと下がってアレスの横に立つ。
「おい、待てよ。あんなにちっこいのに、剣で挑むなんて、恥ずかしくないのか?」
ユーリーがレグラスに対して、文句を言う。しかしレグラスはちらりとユーリーを見ただけだった。そしてアレスに対して指を突きつける。
「おまえのその腰に下がっているのは何だ? 飾りか?」
アレスの頬がさっと紅潮した。エフライムがアレスにだけ聞こえるように、ほとんど唇を動かさずに喋る。
「アレス、容赦なく戦いなさい。あれはルツアの仇、そしてあなたのお父様とお母様の仇です。人間ではないと思いなさい」
アレスはまっすぐ前を見たまま頷いた。アレスにとっては重いだけの兜を床に落とす。がちゃんと音をさせて兜が床に転がった。その音を聞きながら、すらりと剣を抜く。そして構えた。
「はあ!」
大きな声とともにレグラスがアレスに襲いかかる。その剣をアレスは弾いて避けた。レグラスは何度も打ち付けてくるが、動きが単純でしかも遅いことにアレスは気づく。その遅さは、今までアレスが相手にしてきた者たちとは比べ物にならないぐらい遅い。
ルツアの仇、そしてお父様とお母様の仇。エフライムの言葉が耳でこだまする。狙いを定めるために、じっくりと見据える。アレスからの反撃がないことを、レグラスは弱さと勘違いしたようだった。
「そろそろケリをつけるぞ」
にやりとアレスに嗤いかけると、レグラスが大きく右に刃をなぎ払った。その瞬間をアレスは待っていたのだ。ルツアに教えてもらったやり方。同じ方向にレグラスの刃をなぎ払う。その瞬間にバランスを崩したレグラスの首筋が見えた。
「容赦はしない!」
アレスは叫んで振り下ろした。刃がレグラスの首筋に当たった。ぎりりと肉を切る嫌な手触りが剣を通じて、アレスの手に伝わってくる。それでもしっかりと剣を握ったまま、アレスは剣の重さがレグラスの首を切るのに任せていた。
一気に血が噴出していく。それはアレスの顔にも掛かってきた。エフライムが後ろからアレスを抱きかかえて、下がらせる。ドンと大きな音がして床に倒れたレグラスの首からは、血が噴出し、見る見るうちに周りを赤く染めていく。そして身体が二回ほど痙攣した後に動かなくなった。
「見事でした。アレス」
エフライムがアレスの身体を放しながら言った。後ろから手を叩く音が聞こえてくる。
「やったな」
ハウトが手を叩きながらアレスの方に近づいてくる。そしてアレスににやりと笑った。
アレスはまだ手に感じる感触を忘れられないまま、ぼんやりとハウトを見た。そして、フェリシアがその後ろに従っているのを見つける。フェリシアの顔色は悪かったが、それでも微笑んでいた。
バルドルは複雑そうな顔をしてレグラスの躯にかがみこんだ。
「あわれな奴じゃ」
ぼそりとそういうと、アレスを見てにやりと笑う。
「負けるはずはないとは思っておったが…。やりましたな」
そしてオージアスの方を向いた。それからエフライムの方を見る。
「で、近衛隊の方々の結論は?」
オージアスがはっとしたようにアレスの前に跪いた。ユーリーもそれに従う。それに習うようにその場にいた近衛隊が全員アレスの前に跪いた。それをオージアスはぐるりと見回して確認してから、アレスの手を取った。そしてその小さな指にはまった指輪に口づける。
「近衛隊長オージアス・ザモラ、近衛隊を代表致しまして、アレス王に忠誠を誓います」
アレスがオージアスの言葉に頷く。そしてアレスは、バルドルたちの方へ振り返って、にっこりと笑った。それは本当に見事な笑顔だった。




