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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第17章  決戦(2)



 ルツアとブラギが戦場に戻って来たとたんに、彼らの正面からどーんという大きな音がして黒煙が上がった。


「なんだ?」


 ブラギがようやく馬を止めたルツアに追いつく。ルツアがにやりと嗤った。


「陽動作戦がうまくいったようね」


「なに?」


「私たちが表から攻めている間に、崖を降りて火薬庫に火をつけた者達がいるのよ」


 ルツアの言葉に、ブラギは驚いた。


「あの崖をか? 不可能だ…」


 ルツアはそれに答えず、馬を走らせる。


「お、おい」


 ブラギは慌てて後を追った。投石機も動かなくなり、火薬庫も吹っ飛んだ今、敵方はかなりの動揺が見られた。すでに敵の歩兵は、どんどん退却してしまっている。そこに向かってルツアは突っ込んでいく。目指すは火薬庫の側。そして見つける。馬ではない生き物に乗って戦場を駆けていく集団を。その後ろから集団を追いかけている馬がいた。馬の方が早い。


 ルツアはそれに向かって矢を射る。馬がどぉっと倒れた。先頭を走っていた者が、ルツアの方を見た。馬を先頭の者に寄せるようにして近づける。寄っていくルツアに対する緊張が集団に走るのが感じられた。


「トラロク!」


 ルツアが叫ぶ。先頭の者、トラロクがいぶかしげにルツアを見る。敵ではないと判断したのだろう。だがまだルツアだとは認識できていないようだった。


「私よ。ハウトと一緒にいたルツアよ」


 トラロクの緊張が解ける。あわせて集団の緊張も解けていく。


「あの時の姉さんか。こりゃどうも」


 男なみに馬を操り、武装をしたルツアに対してトラロクは目をきょろきょろとさせている。ルツアは微笑んで叫んだ。お互いスピードを出して駆けているので、かなり大声を出さないと通じない。


「うまいこと火薬庫をやったわね」


 トラロクがにやりと嗤う。


「ハウトの兄さんからの頼みですからね。断れませんや」


「この後はどうするの? よかったら我々のところにこない? 後方に我々のテントがあるわ。アレスとフェリシアがいるから、あなたのことは分かってもらえると思うわよ」


 トラロクがびっくりした顔になる。


「あの二人もこの戦場にいるんですかい?」


「ええ」


 しかも王としてね…という言葉をルツアはこっそりと心の中で付け加えると、トラロクに微笑んだ。


「きっと歓迎してもらえるわ。日が暮れたら私たちも戻るわ。先に行っていて。ね?」


「いや…俺達は森に帰りまさぁ」


「そう…。じゃあ、また会いましょう」


 ルツアは残念そうな顔になったが、思い直したようにトラロクに笑みを見せた。トラロクもにやりと嗤う。


「ええ。また。おい、いくぞ」


 トラロクたちが、森の方へ戻っていくのを見送りながら、ルツアは馬の方向を変えた。ブラギがぴったりとルツアについている。


「ありゃなんだ? 馬にしちゃ、偉く足が短いな」


「なんでも山にいる動物らしいわ。崖の上り下りが得意なんですって」


「なるほど…」


「さあ、後始末だけよ。敵を蹴散らしちゃいましょう」


 ルツアはちらりと火薬庫のあった場所に視線をやった後で、まだ残っている敵兵たちを見た。馬のスピードを緩めると、弓を構えて矢を番える。逃げている敵はもういい。まだ戦おうとしている者を狙う。ひゅぅと音がして、敵が倒れた。だんだんと腕が上がっていくわね…と複雑な気持ちで思いながら、もう一本矢を番える。その様子を見ながら、ブラギは剣を抜くと、身体を馬から乗り出すようにして突っ込む。振り回される剣の先で、敵兵が崩れていく。ルツアは見ながら呟いた。


「戦士としては一流だとは思うんだけどね…」









 どーんと地に響くような音が聞こえた。エフライムははっとして、北の方を見る。ルツアがいる右翼の方から聞こえた音だった。何の音かは分かっている。火薬庫が爆発した音だ。上手くいったという安堵感と、ルツアたちが…いや、ルツアが爆発に巻き込まれていないかということだけが心配だった。とは言え、戦いの女神フレイムと呼ばれるルツアがその程度で、やられるとは思ってはいないのだが…。


 続いて同じような爆発音がしてから、ガラガラと岩が落ちる音がした。今度は反対側だ。橋を落とすことに成功したのだなとにやりと嗤う。集まってくる物資と兵は、これで押さえられるはずだ。


 エフライムがいる南側では、ケレスの兵が駆けつけてきたこともあって、戦況はこちらに有利だった。すでに敵は敗走し始めていたので、物資をさえぎるというよりも、心理的な効果の方が大きいだろう。


 そう思っているところへ、剣が動く気配がした。右手を振り上げて、こちらも剣で受ける。すでにエフライムの馬は、槍でやられてしまっている。剣で切り込んでくる敵兵に、こちらも剣で応戦する。エフライム剣は血糊で切れなくなっていたが、それでも突き刺してとどめを刺すには十分だった。仕留めるときは一撃で。身体が覚えてしまっている動きを、意識せずに続けていく。乗り手を無くした馬が走ってきたのが見えた。馬を手に入れるチャンスは少ない。鬣を掴んで背に乗る。馬上の風景が戻ってくる。


 敵兵の数は多いが、烏合の衆だった。無理やり徴兵したのが仇になっていて、まったく統率が取れなくなっている。それがこちらには幸いした。作戦どおり橋を落として、相手に衝撃を与えることができた。後は谷側が押さえられれば良いが、これもベルツ伯の軍ががんばっている。


「すごいものですね。バルドル・ブレイザレク卿の統率力は」


 エフライムは呟くと、馬をハウトがいる中央の方へと走らせた。もう大方右翼の方の戦いは決してしまった。あとは中央からトゥールとレグラスを討つのみ。とは言え、王の側には近衛がいる。そしてそれは精鋭が集まっていること意味した。そのことをエフライムは身をもって知っている。何しろ自分もかつてその集団の中にいたのだから。


 馬上からの視線の先に、今にもやられそうになっている兵を見つける。まるでギルニデムと出会ったときの自分のように周りを敵兵に囲まれている。この辺りにいたほとんどの敵兵は敗走してしまっているから、まさに運が悪いというところだ。よっぽど根性が座った敵と出会ってしまったのだろう。


 近づいてみると、それはターキと呼ばれた男だった。ウクラテナ軍の中でルツアと勝負した、あの男だ。あわや首が飛ぶかというところで、エフライムは馬上から腕を伸ばすと敵を切りつけた。


 後ろから切りつける形になるので、あまり公平だとは言えなかったが、ここは戦場なのだ。背中であっても油断するほうが悪いとエフライムは考えた。ターキの正面にいた男が倒れる。残念ながら仕留められたどうかは分からなかった。ターキの驚いた顔がエフライムに見えた。


「油断しないで」


 エフライムがさらにもう一人に切りつける。残るは後二人。行き過ぎてしまった馬を取って返すと、もう一人の胸を突き通すように刺す。枯れ木が倒れていくように、頭からばたんと倒れた。残る一人はターキがなんとかしたようだ。崩れていくのが見えた。エフライムは、手綱をひいて馬を止める。


「大丈夫ですか?」


 馬上から声をかけると、ターキが青い顔をして頷いた。頬が強ばっている。


「敵は今ので終わりでしょう。後は逃げたか、別の場所に移動しています」


 ターキがさらに黙って頷く。見ると歯の根が合っていないようだ。エフライムは微笑んだ。


「あなたは、左翼のウクラテナ軍に合流すると良いと思いますよ。私はこれから中央に向かいますから」


 そう言うと、エフライムはターキに軽く手をあげて合図をする。そして馬を走らせた。ターキが呆然としたままでエフライムの後ろ姿を見送っていた。








 アレスのテントの中で、フェリシアの悲鳴が響いた。


「いやぁ」


 アレスとバルドルが慌てて、フェリシアがこもっていた奥の寝室に向かう。頭を抱えて涙を流しながら、フェリシアが唸っている。


「お願い。やめて…。お願い」


 身を小さく縮めている。そして頭を両手で抱えて、首を振っている。


「フェリシア? どうしたの? フェリシア?」


 アレスもバルドルも不吉な予感に顔を強ばらせたが、肝心なフェリシアが涙を流して、言葉にならない言葉を口走っているだけで、何も語らない。おずおずとアレスが手を伸ばして、フェリシアの肩に触ったとたんに、フェリシアがびくりと震えて、怯えた瞳でアレスを見た。両手で自分の身体を抱きしめる。


「お願い、あれを止めて。やめて。お願い」


 泣きながらアレスを見ている。そしてじわじわとアレスに触られないように後退る。あまりのフェリシアの様子にアレスは呆然として、なす術もなくフェリシアを見ている。バルドルも同様だった。


 ばさりと布が擦れる音がして、黒いマントがアレスの脇を抜けた。そしてフェリシアの肩を掴む。


「フェリシア、しっかりしろ」


 マントのフードが肩に落ちると、長く無造作に結わかれた銀髪が現われた。ラオだ。必死の表情でフェリシアの肩を両手で掴んで、フェリシアを揺さぶる。


「俺を見ろ」


 フェリシアがラオの声に反応したように顔が向けたが、瞳は漂ったままだ。ラオの片手が持ち上げられた。パーンと音がして、フェリシアの頬が赤くなる。頬を叩かれた痛みにフェリシアの意識がはっきりしたようだ。のろのろとラオを見た。


 ラオが何かを唱えた瞬間に、アレスはキーンという耳鳴りのような感覚を感じる。フェリシアの意識が、徐々に戻ってくるのが表情から分かる。ラオがフェリシアの肩を掴んだまま、顔を覗き込んだ。


「大丈夫か?」


「え…ラオ…」


 まだ朦朧とした様子でフェリシアがラオを見る。そしてアレスとバルドルに視線を移した。


「アレス…? 私…」


「こっちを見ろ」


 ラオがフェリシアの意識を自分に向けさせる。


「いいか、扉と鍵を思い浮かべろ」


「扉と鍵?」


「そうだ」


 フェリシアが首を傾げてラオを見る。


「思い浮かべたか?」


「え、ええ…。でも、これが…」


 ラオがぐっとフェリシアの肩を掴んでいる手に力を入れる。痛みにフェリシアが顔をしかめた。


「いいか、おまえが扉の鍵を閉めた瞬間に、おまえの意識の中に、他の意識は感じられなくなる」


「ラオ…なんのこと?」


「おまえが混乱したのは、いろいろな意識を感じたからだ。違うか?」


 フェリシアは青白い頬を更に青ざめさせた。そして頷く。ラオはじっとフェリシアを見た。


「今、俺がすべて遮断している。だが、それはこの場限りのことだ。自分でコントロールしろ。扉をイメージするんだ」


 フェリシアが頷く。


「鍵をかけて」


 フェリシアの紫色の瞳が閉じられた。


「いいか、俺が遮断しているものを、ゆっくり元に戻す」


 フェリシアは目を閉じたまま、ゆっくりと頷いた。ラオが同じく目を瞑った。アレスが感じているキーンと言う耳鳴りのようなものが薄れていく。それと共にフェリシアの顔が苦痛を感じているようにゆがんだ。


 ラオが目を開いた。続いてフェリシアが目を開ける。ラオの両手がフェリシアの肩から離れた。


「大丈夫か?」


 フェリシアが涙の残った瞳で、ラオに頷いた。そして呟く。


「まだ感じるけれど…さっきよりはまし…」


 ラオが片手をフェリシアの頬に置いた。


「叩いて悪かった」


 フェリシアがゆっくり首を振った。そして無理やり微笑む。


「ううん…ありがとう」


 ラオがため息をついた。そして頭を振る。


「ここじゃあ仕方ない。おまえは免疫がなさ過ぎる。俺でさえ正直きついんだからな」


 ラオは自嘲気味に嗤った。


「ハウトもつれてくるとは無茶なことを…」


 その言葉を聞いて、フェリシアが慌てて首を振って否定する。


「違うの。ハウトがつれてきたんじゃないの。私がついてきたの」


「おまえが?」


「絶対に一緒に行くって。役に立つからって。ハウトも最初は駄目だって言っていたんだけど…」


 ラオがため息をついた。そして、そのまま立ち上がる。


「ラオ?」


「この先、もっと辛い…。気をしっかり持て」


 そう言うとラオは、バルドルとアレスの横をすり抜けて、その場を離れた。テントの出入り口を開ける音がする。外に出たのだろう。アレスがぼんやりとラオの後ろ姿を見送ると、フェリシアの顔を覗き込んだ。


「大丈夫?」


 フェリシアがこわばった表情のままで、それでもなんとか微笑んで見せた。


「お二人にはご心配をおかけしました。でも、もう大丈夫」


 バルドルは安堵の息を吐いた。




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