第15章 手のひらの上の会議(2)
ウクラテナの城内は、にわかに活気付いた。各地からの諸侯とそれぞれに付く軍が集まり、人々で溢れかえっていた。もちろん小さな小競り合いも起こったが、それらはハウトをはじめ、ルツアとエフライムで押さえていく。
そして各地の軍の長(それは、その地の軍の大きさによって、階級や呼び名がまちまちになっていた)、それを治める諸侯、及びアレス達で会議が行われた。今後の作戦会議である。
大広間の大きなテーブルに諸侯が席を占め、その左右に各軍の長、さらに後ろには諸侯の取り巻きが座っていた。アレスの左右にはバルドルとハウトが席についている。バルドルの隣には、ミスラ公ガラディールが座った。アレスの後ろにはラオとフェリシアが控える。ルツアとエフライムは護衛も兼ねて部屋の両脇に立っていた。
先ほどから各軍の長は仕切りに諸侯に耳打ちし、それを諸侯が会議の席の発言として発言するということを繰り返していた。さざめくように、あちらこちらから密やかな呟きとが聞こえ、その後に意見があがる。
ガラディールは会議の様子を、内心、驚愕しながら見ていた。口調こそ幼さが残るが、アレスの判断力は大人顔負けであり、年齢を感じさせない。各諸侯があげる戦略案を端から判断していく。
「その案は非常に良いと思います。ネヴィアナ公。あなたのところでそれを実行に移せますか?」
「もちろんでございますとも」
ネヴィアナ公と呼ばれた赤ら顔の男は、興奮のためにさらに顔を赤らめると、隣に控えた精悍な印象の武官の方を見た。
「このバルトロメが長を務めさせていただきます。必ずとも成功させてみせましょう」
アレスはバルトロメの方に視線を移すと微笑を浮かべ、頷いて見せた。
「頼みました」
「かしこまりましてございます」
バルトロメも礼を返す。その頬も己が出した案が受け取られた興奮に、紅潮していた。
「実行タイミングについては、もう少し検討する必要がありそうですね。それと、谷側の守りが少し不安です」
アレスの言葉に、武官がハイネデル候に耳打ちをする。頷いて、ハイネデル候が口を開いた。
「それについては、我々に策があります。谷の中に軍を隠しておいて、そこに誘い込んではどうでしょうか」
「いや、それは兵の無駄になりましょう。谷の中は動きにくい」
ギルザブル公の代理として港町アセルダから来たエーリク・ベルツ伯が、後ろの武官から囁かれて発言する。
「むしろわざと谷を空けておいて、そこに布陣させて、後で攻めるほうがよろしいかと」
アレスが考え込むような様子を見せた。表面は落ち着いているように見せつつも、必死で覚えた作戦を思い出そうとする。谷のところは、いくつも作戦が出ては消え、出ては消えしていたところだったので、どれが最終的な結論だったか思い出せないのだ。思い出すのは諦めて、取り決めておいた符丁を使う。
「なるほど…。ここはどうしたものでしょう…」
アレスが言いよどんだところで、バルドルが口をはさんだ。
「失礼ながら陛下。私はベルツ伯の案に賛成ですな」
バルドルが賛成表明したところで、諸侯が口々に賛成と反対を口にし始めた。それを一通り聞いてからぐるりと見回すと、アレスは片手をあげて皆を黙らせた。
「両方の意見を聞くと、ベルツ伯の案が良いですね。ベルツ伯。頼みますよ」
「はっ」
ハイネデル候の顔色が少々青ざめたが、納得したようだ。一方ベルツ伯の頬が紅潮している。後ろにいる武官にも緊張した面持ちと共に、やる気がみなぎる様子が見えた。とりあえずは上手くいったようだ。アレスは小さく息を吐いた。
ハウトの手がテーブルの下で伸びてきて、ぽんぽんと膝を叩く。思わず見てしまうと、ハウトはまっすぐに前を向いたままだった。手だけが暖かくアレスに触れている。
大丈夫。ここに居てくれる。ちゃんと僕を支えてくれている。ちらりとエフライムとルツアを見ると、二人とも温かく微笑んで頷いてくれた。アレスはそれで安心して、議事を続けていく。大事なことは、皆で決めたと思わせること。しかし最終判断はアレスがやること。そして、それらはすべて最初に用意したシナリオに沿っていること。
次の要所をどう攻めるか、知恵を絞っている諸侯を見ながら、アレスは昨夜のバルドルとの会話を思い出す。
「良いか、知恵は出せる。じゃが要になるのは王じゃ。おまえじゃよ。アレス。誰にも代わりはおらん」
「でも…全部バルドルやハウトが決めてるんだったら、僕がやる意味はないと思うけど」
「それは違う。わしが仕切ったら、おまえは飾りになる。飾りの王でいいのか?」
アレスは少し考え込んでから、首を振った。バルドルの目が愛しいものを見るように、すっと細くなる。
「そうじゃろう? 今回はわしやハウトが考えた案におまえが賛成して、最終案になる。じゃがな、次やその次は、おまえも案を出せるようになればいい。そして一番いい案を作っていけばいいんじゃ。最初から全部できる者はいない。じゃが訓練しなければ何事もできるようにはならない。剣と同じじゃよ」
バルドルの真っ直ぐな瞳に、アレスは黙って頷いたのだった。
かなりの時間がたったのち、会議は終了した。まずアレスがバルドル、ラオ、ハウト、そしてガラディールを従えて退出していく。
ルツアとエフライムをまだ部屋の隅に残ったままだ。残された諸侯たちの顔は引き締まったものでありながら、それぞれに与えられた役割に興奮していた。そして口々にアレス王の思慮を褒め称えながら、彼らも大広間から出て行く。
その様子を見ながら、ルツアとエフライムは笑みを交わして、大広間を後にしたのだった。そのままの足でアレスの居室に向かう。扉をノックするとバルドルが出てきて、招き入れた。
部屋に一歩入ると、アレスがベッドに寝込んでいる。思わずエフライムが声をかけた。
「どうしたんです?」
「緊張し過ぎだ。頭痛がするらしい」
ベッドサイドにいたハウトが返事をする。後ろから扉が開く音がして、ラオが水差しを持って入ってきた。中のもの茶碗に注ぎ入れると、アレスに差し出した。
「メリッサを煮出したものだ。沈静作用と鎮痛作用がある」
アレスは黙って受け取って飲んだ。口の中にレモンに似た柔らかい香りが広がる。ほっとするような香りだ。エフライムはアレスのベッドサイドに近寄った。
「でも、それだけ緊張した甲斐はありましたね。皆が口々に褒め称えて大広間を出て行きましたよ。本当に王の貫禄たっぷりでしたからね」
「ほんと?」
「ええ」
バルドルもアレスの側に来た。
「ようやったな」
アレスは満面の笑顔でこれに答えた。
「これで、いよいよ一週間後に進軍ですね」
エフライムがぼそりと言う。
「そうだな。なんとしても勝たないとな」
ハウトが言ってから、片手を大きく広げてアレスの頭を叩くようになでた。そして微笑む。
「大丈夫さ」
エフライムとルツア、そしてバルドルがそれに答えるようにアレスに頷いて見せた。
蝋燭の光を頼りに、ルツアはいつものトレーニングをしていた。鍛えることは、毎晩の日課となっていた。すでに城内では男装の麗人として認識されている。陰ながら広まった女神フレイムの異名と共に。戦いの女神フレイム。私の呼び名としては、最高だわ。ふっと笑いが漏れる。汗が滴り落ちてくる。無造作に結わいているブロンドの髪が、背中から落ちて、首の周りにまとわりつく。腕と足先だけで支えていた体を起こすと、汗をぬぐった。
水差しの水で布を湿らせて顔や首筋を丁寧に拭いていく。一通り身体の汗もぬぐって着替え終わったところで声が聞こえた。
「ルツア…」
空耳? 微かに聞こえてような気がする。また聞こえる。外からのような気がするが、定かではない。今着替えたばかりの部屋着から、男物の服に着替えなおすと剣を腰から提げる。また自分を呼ぶ声が聞こえる。扉を開けて廊下を見たが人が居る気配はない。また呼ばれる。廊下の端から呼ばれたようだ。蝋燭を灯した蜀台を手にもって、ゆっくりと進んでいく。
追いついたと思うと離れる呼び声を追いかけながら、庭に出た。天には細い月が昇っている。無いよりはましだが、あまり頼りにならない明るさだった。声の大きさは、相変わらず囁くようだ。だが、呼ばれている。庭の向こうから呼ばれているような気がして、そのまま歩いていくと、木の下に黒い塊がある。何かが居るようだ。足元に蜀台を置き、思わず剣を抜く。のそりと塊が動いた。剣を握る手に力がこもる。
「ルツアか」
その声に聞き覚えがあって、ルツアは力を抜いた。ラオだった。
「何やっているの? こんなところで!」
「瞑想していた」
わずかな蝋燭の明かりで、表情は見えない。ルツアは首を振って剣を納めると、腕を組み、ラオを見下ろした。
「あなたが呼んだの?」
「何がだ?」
「私の名前を呼ぶものがあって、それで出てきたんだけど…」
「…呼んだつもりは無かったが…呼んだのかもしれないな…」
要領を得ない答えにルツアはいらついた。
「何の用?」
細い月明かりと、蝋燭の明かりの中で、ラオの眼が光っているように見える。
「話したいことがあった。だが、話すべきか迷っていた」
「待って」
ラオが口を開く前にルツアはそれを止めた。ぐぃとラオの瞳を見据えるように、ラオに顔を近づけて、目の前にしゃがみ込む。
「私にこれから起こることについて、忠告する気ならお断りよ。私はあなたが教えてくれる未来には興味ないの。私のことは私が決めるわ」
ラオが黙ってルツアの瞳を見ていた。ルツアはさらに続ける。
「いい? 戦いが始まるということは、誰でも傷つき、死ぬの可能性があるということなのよ。あなただって例外じゃない」
「確かにな」
「そんな不確定要素の中で、たった一人を救おうとしないで」
ラオが困ったような、泣きそうな表情になった。その表情にラオが自分より年下であることを思いだす。そしてルツア自身の弟のことを思い出した。父の後を継ぎ、田舎で領土を治めている弟。ルツアが嫁いだ後も、なんだかんだと頼ってくる弟のことを思い出す。考えてみればラオもハウトもその自分の弟と同じぐらいの年なのだ。そう考えると、いろいろと背負っているこの不器用な男がかわいそうになり、思わずふっとルツアは笑った。よく弟にしていたように、肩に手を置く。
「私のことを心配してくれているのは嬉しいわ。ラオ。でもね、私はいいの。私はこの戦いで全力を尽くすわ。そしてもしも力尽きて倒れたとしても、きっとギルニデムは私をほめてくれるわ。私はギルニデムのところへ行けるのよ。ね? 素敵だと思わない?」
ラオが眼を見開いた。
「私は自分では命を絶てないわ。そんなことをしたらギルニデムに怒られるもの。でもね、しっかりと力を出し切って、アレス様を守るために、このヴィーザルを取り戻すために倒れたなら、きっとギルニデムは笑って迎えてくれるわ。よくやったって。きっと」
ルツアは微笑みながら涙を流していた。話しているうちに感情が高ぶってくる。
「だからお願い。何も言わないで。私に忠告しないで。私を救おうとしないで。もしも時が来たら、黙ってギルニデムのところへ行かせてちょうだい。ね?」
何も言えないでいるラオに、ルツアは手の甲で涙をぬぐった。そして立ち上がる。ラオは、艶然とした笑みを浮かべるルツアを座ったまま見上げた。ヴィジョンが頭の中に浮かんでいる。目頭が熱くなってくるのを感じたが、かろうじて涙を堪えた。
「女神フレイム」
低い声で呟く。ルツアが意外そうな顔をする。
「あなたにまでそう呼ばれるとは思わなかったわ」
「そのあだ名は伊達ではない」
その先を続けようとして、ラオは黙り込んだ。伝えたいけれど、伝えられない言葉。しかし心だけは伝わっている。それは分かっていた。
「ありがとう」
ルツアが取った意味は違ったけれど、それでも良かった。ラオがのそりと立ち上がる。
「部屋まで送って行こう」
ラオがエスコートするべく差し出した手に、ルツアの手が触れる。その瞬間、ラオの手が微かに揺れたが、それをルツアもラオも口にはしなかった。
「私もついて行くわ」
暗闇の天井を見つめながら、フェリシアはポツリと言った。横でハウトが身を起こす気配を感じる。正確に言えばフェリシアには見えていた。視覚とは違う感覚で、驚きに目を見開いて、見えるはずのないフェリシアの表情を読もうとしているハウトの顔が。
「それは駄目だ」
「なぜ? 私がいれば、どこに敵がいるのか、どこにレグラスやトゥールがいるのか、すぐに分かるのよ。奇襲だってやらせはしないわ」
「戦場は人を殺す場所だ」
ハウトが搾り出すような声で言う。殺し合いが繰り広げられる場所に、フェリシアを連れて行きたくない。ましてや自分が人を殺している姿など、この心優しい遠見には見せたくない。絶対に。
「でも…あなたはそういうところで生きてきたのよ?」
「だからこそだ」
「だからこそ、今度は側にいたい。役に立ちたいの。きっと戦場に居るのは辛いわ。本当はすごく怖いのよ。でもお願い、置いていかないで。私を独りにしないで」
最後は涙声になってしまった。ハウトは手探りで涙をぬぐうと、フェリシアの唇を探し当ててキスをする。
「大丈夫だから、待っていろ。俺は必ず戻ってくるから」
「駄目よ。今度は絶対に一緒に行く」
「フェリシア」
「駄目。あなたが置いていくって言っても、絶対ついて行くわ。荷物の一つになってでもついて行くわ」
「フェリシア」
「いやよ。絶対に行くの。荷物に入るわ。そうよ。考えてみて? 小麦粉の袋を開けたら私が入っているのよ? きっと髪の毛も顔も真っ白になっちゃってきっと後が大変だわ。それともあなたのテントの方がいいかしら。くるくるとテントをまきつけて。そしてあなたがテントを張ると、私が落ちてくるの。それはどう?」
ハウトは呆れたように天井の方を見る。さらにフェリシアが続けた。声がどんどん高くなり、滅多にないほどに早口になってしまっている。
「それとも、森を抜けて、先にクラレタの平原に着いているっていうのはどう? 遠見ですもの。森だって無事に抜けられるわ。トラロクさんたちだっているし。あ、兜を被って、男のふりをして潜り込んだら、きっと一人ぐらい見知らぬ武官が混じっていても気づかないわ。きっと。それとも、水の甕の中に入っているのはどうかしら…駄目ね。ふやけちゃうわ。でも、何としても行くわ。あなたが何て言っても。
それにラオは、勘は良いけれど遠見とは違うのよ。遠見の力は無いって言っていたもの。敵がどこに何がいるかなんて、分からないわ。そうしたら作戦を立てるのだって大変でしょう」
「フェリシア」
「ん」
名前を呼ぶと共に、ハウトはぐいっとフェリシアを抱きしめて、唇で口を塞ぐ。しばらく口づけていると、落ち着いてきたようだ。やっと身体が弛緩する。ようやく静かになったフェリシアを見ながらハウトが言った。
「本当に戦場に行くのは止めてくれ」
「行くわ」
はっきりとした声が返ってくる。今までに聞いたことが無い凛とした声だった。
「ねえハウト、私はあなたの何? 一方的に守られているだけじゃ嫌なの。私もあなたに何かをしたいの」
今度はフェリシアがハウトの頬を両手で包んでキスをした。
「約束するわ。あなたから言われない限り、遠見の力は使わない。戦いがある間は、目を閉じて耳をふさいで、隠れているわ。だから…お願い」
ハウトはため息をついた。
「フェリシア、いつの間にそんなに強くなったんだ?」
暗闇の中でフェリシアの頬が赤くなる。ハウトには見えていないのが幸いだった。
「ルツアが言っていたわ。女は妻になって変わり、母になって変わるんですって」
「なるほど」
「私、ルツアのようになりたいの。ルツアはすごく強い人だと思うわ。だからあんな風になりたいの。剣の腕は…無理だと思うけど」
「やれやれ。勘弁してくれ。俺は戦いの女神と結婚した覚えはないぜ」
「まあひどいわ!」
ふわりと暖かくなる。フェリシアはハウトに抱きしめられていた。
「俺が結婚したのは、ここにいるフェリシアだからな。泣き虫で、優しくて、いつも微笑んでいる、俺の一番大事な人だ。だから、他の人になろうなんて思わないでくれよ」
「あら…そういうわけじゃ…」
反論しようとした唇を塞がれる。そのまま首筋に唇が移動していく。
「ハウト…ずるいわ。私が喋ろうとしているのに…」
また唇を塞がれる。ハウトの手が身体のあちこちに触れていく。触られた場所から生まれてくる波に翻弄されて、まともに喋れなくなっていく。
「でも…あん…」
鼻に掛かる高い声を出してから、フェリシアはハウトの手を掴んだ。動けなくなったハウトを前に、深呼吸をしてから微かだけれど、しっかりした声で言う。
「ごまかさないで…私、絶対について行くわ」
ハウトは苦笑いをした。もうこうなったら手におえない。下手に小細工されてついて来られるよりも連れて行ったほうがましだ。仕方なくフェリシアの耳元に囁く。
「わかった。でも絶対に危険なことはするな。そして俺の言うことを聞いてくれよ?」
フェリシアの目がきらきらと光っている。
「あら…いつだって…私はあなたの…」
後は何も喋らせない。唇を重ねると、ハウトはフェリシアに覆い被さった。




