表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
33/170

第15章  手のひらの上の会議(1)

 翌日、早朝の裏庭をアレスはラオと共に歩いていた。本当は一人で来ようと思ったのだが、ラオの勘はごまかせなかったのだ。身支度を整えて練習用の剣を掴んで、扉を開けたところでラオが立っていた。思わずアレスは絶句してしまった。ラオの勘の良さは知っていたけれど。


「どこへ行く」


 ラオが低い眠そうな声で、不機嫌そうに言う。


「え…ちょっと一人で練習しようかな…と思って…」


 消え入りそうな声で言うと、ラオは目で先に歩くようにと催促して、そのまま影のようにアレスの後ろについてきた。黙ったまま裏庭まで着いてきて、今、二人で裏庭を歩いている。適当な木を見つけると、ラオはその木陰で幹に寄りかかった。


「俺は寝る」


 そういうと目を瞑る。アレスはしばらく呆然とラオを見ていたが、気を取り直して剣を構えた。右から切り込み、ブンと空を切る音をさせる。足を元に戻す。左から切り込む。戻す。いくつかルツアから教えてもらった型どおりにしたところで、後ろから声がかかった。


「熱心だな~」


 若い男の声だ。ラオが片目を薄く開けたが、動かない。


「おまえ、見かけない顔だな? 新米か?」


 見ると城の武官の格好をした少年が近寄ってくるところだった。アレスが答えに困っていると、その少年がにっこりと笑った。


「俺、エルバート隊にいるゼイルだ。おまえは?」


「アレス」


 かろうじて名前だけ答えた。ラオに動きはない。


「ふーん。まだ配属が決まってないんだな?」


「えっ? あ…その…」


 明るい青い瞳で、にやりとゼイルは笑った。大きな目が細くなる。


「よくあるんだよな~。志願してきた奴の配属がなかなか決まらないって。おまえちっこいから、なおさら決まり難いのかもな」


「あ…うん…」


「練習、俺もやろうと思ってきたんだ。相手してやろうか?」


 ゼイルはアレスを新米兵だと思ったようだ。たしかに練習用に質素な服装をしていたので間違えられても文句は言えなかった。ラオも何も言わずに寝たふりをしたまま成り行きを見ている。ゼイルがラオの方を見た。


「おっさん、こんなとこで寝ていると風邪ひくぜ?」


 おっさんという声にラオが両目を開けた。アレスが慌てて答える。


「あ、僕のために来てくれたの」


「知り合いか?」


「うん。ぼ、僕のなんというか」


「付き添いか…最近、そういうの多いんだよな。親とか、兄貴とか。入隊前についてくる奴がよ…」


 ゼイルは呆れたように肩をすくめた。ラオはゼイルの勘違いを正す気は無いらしい。黙って睨んだだけだった。アレスがそれ以上、何も言わないでいると、ゼイルはアレスの方を見て剣を抜いて構えた。


「こいつは練習用だからな。おまえのもそうか。じゃあ、一勝負しようぜ」


「あ、うん」


 相手がすでに剣を構えているので、アレスも慌てて剣を構えた。しっかりと相手を見据える。


「よし、いいぜ、おまえから掛かって来いよ」


 その言葉に反応して、アレスが踏み出した。すっと左に剣を払う。予測していたよりも早い動きにゼイルは慌てた。ぎりぎりのところで、アレスの剣を受け止める。その次の瞬間にもうアレスの剣は、ゼイルの剣を離れて、ゼイルの頭上を狙ってくる。一転してゼイルの顔から余裕の表情が無くなった。カーンといい音がして、上から剣をはたかれて、握る手がずれたと思った瞬間に、下から剣が突上げられた。ゼイルの剣が飛んだ。手の痛みに思わず顔をしかめる。


「あ、ごめん」


 アレスがすまなそうに謝った。


「謝るな」


「でも…」


「馬鹿。俺が油断したからやられただけだ。次はこうはいかないぜ」


 落ちていた剣を拾い上げて、再度ゼイルが構えた。アレスも剣を構えなおす。ルツアから教えてもらったことをしっかり思い出せるように。そう思いながら剣をきらめかせた。


 切りつける。払われる。こちらから剣を払う。そしてステップを踏んで、剣を避ける。一連の流れを意識しながら行っていく。バランスを良く。相手の全体を見て。エフライムの言葉も頭の中に浮かんできた。


 うまく出来ているといいけれど…。そう思って剣を振っていると、ゼイルが突っ込んでくる。受け流す。ルツアから教わった技だ。まだうまくできないけれど、それでもなんとか相手の力を利用することはできたようだ。


 ゼイルが体勢を崩す。アレスの目の前に、ゼイルの白い首筋が見えた。そこをトンと剣で叩く。傷をつけないように軽く。


「いてっ」


 ゼイルが首筋に手をやった。軽く叩いたつもりだったけれど、強かったのだろうか。ゼイルが顔を上げた。びっくりしたような目で見ている。


「おまえ、ちっこいくせに強いな」


 大きな目が見開かれて、ますます大きく見える。その表情にアレスは笑ってしまった。強いなどと言われたのは初めてだ。今まで自分の周りにいたのは本当に強い人ばかりだったから。


「ありがとう」


 なんと答えていいか分からなくて、アレスは素直にお礼を言ってみた。


「俺だって、エルバート隊の中じゃ強いほうなんだぜ。こう見えたって、何度か実戦だって経験してるしな。おまえみたいにちっこい奴に負けたのは初めてだ」


 ゼイルはにっこりとアレスに笑いかけた。ラオが立ち上がった。そろそろ部屋に戻る時間だった。


「僕、行かなくちゃ」


「おい、明日もここにくるか?」


「どうだろう? できれば来たいと思うけど…」


「よし、来られたら明日もやろうぜ。明日こそ負けないからな」


 城の方へ立ち去っていくアレスを見送って、ゼイルが手を振る。アレスも振り返ってゼイルに手を振った。


 鐘の音が聞こえる。このところ毎日行っている訓練が始まる時間だった。慌ててゼイルは集合場所へと駆けていった。






 ゼイルが集合場所に着くと、いつもの黒髪の男ではなくて、知らない二人が部隊の前に立っていた。一人は男装をした女だ。もう一人は上品な整った顔立ちの男だった。


「ハウト様から申し付けられて、今日は私たちが訓練をさせていただきます。私はエフライム。こちらはルツアです。よろしく」


 エフライムが一言挨拶をする。ハウトのことは敬称で呼んだ。一応将軍ということになっているので持ち上げておく。ルツアは横で艶然と微笑んだ。あまり強くは見えない二人に、部隊の中から不満の声がざわめきとして聞こえてくる。


「あら私じゃ役不足とお思いかしら? じゃあ、どうぞ。私に勝てると思う方からお相手しますわ」


 ざわめきが大きくなった。笑い声も混じっている。


「やめておけよ。お遊びじゃないんだぜ」


「いくら何でも女には負けないさ」


 そんな声が聞こえてくる中で、ルツアはさっと剣を鞘から抜いた。一瞬にして場が静まる。


「言葉より先に、勝負してみたら早いんじゃなくて?」


「誰か勝負してみろよ」


 笑いを含んだ声がする。


「とりあえず、ターキ、おまえ行け」


 指名された男が出てきた。中肉中背。年齢としては若い方だろう。相手に不満があるのか憮然とした表情で、ルツアの前に立つ。


「仕方ない…。どうぞ。掛かってきてください」


 ターキと呼ばれた男が、無愛想に言って剣を構えた。ルツアの剣がきらめく。次の瞬間、ターキの首筋に剣が当たっていた。もちろん刃は付いていない練習用で、寸止めされていたが、その速さにターキは驚いたようだ。信じられないという表情で、ルツアを見ていた。


「戦場だったら、死んでいるわね。あなた」


 ルツアがにやりと嗤った。


「もう一回勝負する? それでもいいわよ」


 ターキは無言で頷いた。ルツアの剣が元の位置に戻り、構えなおされる。今の勝負で周りは静まり返っていた。やり直しとなったターキとルツアの勝負の行方を見守ろうとしている。


「今度はあなたからどうぞ」


 ルツアが言った。ターキが力任せに剣を振り上げて降ろした。それをルツアは見事に受け流す。そして体勢を崩したところで、首筋に剣を当てる。そっと。


「今回も死んでいるわね」


 ルツアが艶然と微笑む。ゼイルはそれを見て、さっきのアレスとの勝負を思い出した。同じやり方だった。


 呆然としているターキを尻目にルツアが言い放った。


「もう少し骨のある人はいないの?」


 とたんにターキの顔が赤くなり、身を起こすとルツアの後ろから襲い掛かった。ゼイルがあっと思った瞬間に、ルツアが振り向きざまに頭の上に来ていた剣を弾き飛ばして、ターキの胴をなぎ払う。刃が無いとは言え、それなりの衝撃を受けたようだ。


 ターキは身体を折り曲げると、膝をついた。エフライムが加勢しようとして、剣を抜いたが、決着がついたのを見て、そのまま鞘に収めた。


「このぐらい、手出しは無用よ。エフライム」


「そのようですね」


 エフライムは微笑んだ。周りが水を打ったように静かになっている。ゼイルは息を呑んでいた。すごい。後ろからターキが襲い掛かったときに、見えていなかったはずなのに、気配だけでやり返した。しかもあのスピード。相当鍛えていないと出せない速さだ。


「ちなみにエフライムは、もちろん私より強いわよ」


 ルツアの一言に尊敬の視線がエフライムの上に集まった。エフライムはその視線を平然と受け止めて言う。


「じゃあ、訓練を始めましょうか」


 全員の顔が引き締まったように見えた。







 ハウトの部屋で、ハウト、アレス、バルドルはテーブルの前で立ったまま地図を睨みながら、ああでもない、こうでもないと言い合っていた。正確に言うとハウトとバルドルが、言い合っていたのであって、アレスはもっぱらそれを聞いている。何しろ全軍を動かすのだから、ハウトにも経験がない。ここはやはりバルドルの知恵と経験が物を言う。


「布陣は、こことここが要所じゃな。後方部隊はここに置くのが良いじゃろう」


「だが、相手もここと、ここに置いてこないか?」


「こっちは右翼の部隊で押さえる。突破口はここじゃな」


 バルドルがとんとんと人差し指で地図を叩いた。


「後方部隊と作戦司令部をいかに隠せるか…というのも肝じゃからな。あとはできるだけ見渡せる位置が良い。後方部隊はここかのう」


「そうなると作戦司令部がここになるだろ? 位置がバレバレになるぜ?」


「そうじゃなぁ」


 アレスはバルドルとハウトのやり取りを聞いているうちに、疲れを感じて椅子に座り込んだ。そのうちに、うとうとと眠くなってくる。がくんと首が落ちそうになって、慌てて目を覚ます。バルドルとハウトが自分を見ていた。


「ごめんなさい」


 思わず顔が赤くなった。


「寝ていろ」


「しっかり聞いてるんじゃ」


 正反対の言葉をハウトとバルドルから言われる。ハウトがバルドルを見た。


「アレスはまだ子供だぜ? じいさん」


「じゃが、王じゃからな」


 バルドルがアレスを見た。


「良いかな。ここに新米の兵がいるとしよう」


 アレスは頷いた。


「その新米兵は、どこかの隊に所属している。その隊には分隊長がいる。新米兵は分隊長の言うことを聞く必要があるな。それが指揮命令系統というやつじゃ。そして分隊長はどこかの小隊に所属している。そこには小隊長がいる。よって分隊長は小隊長の言うことを聞く。小隊長の上には中隊長がいる。そうやって考えていくと、さて、一番上には誰がおるかな?」


「ハウト? それともバルドル?」


「なるほど。で、わしらは誰に仕えているかね」


 アレスはしばらく考え込んだ。そしておずおずと口を開く。


「…僕?」


 バルドルは頷いた。


「え…でも…。僕…」


 自分を取り巻くたくさんの…本当にたくさんの人達。武官だけではない。文官も、召使もいる。それらの人々をたどっていくと、自分につながる。アレスは呆然とした。


「良いか、組織とはそういうものじゃ。一番上に立つものはそれだけの人を動かすということでもある。その動かし方一つで、人の生き死にも決まってしまう。


 もちろん王といえども完璧ではない。誰だってそうじゃ。おまえが若いとは言わん。年齢ではないんじゃ。おまえさんに足らんのは経験じゃよ。そのことはよく分かっておる。じゃから、わしらが今までの経験と知恵を振り絞っている」


 バルドルはそこで言葉を止めて、アレスをじっと見つめた。


「おまえの経験や知識や知恵が足りない分は、人を使え。経験や知識だけじゃない。能力も同様じゃ。足りない分は周りの人間で補え。もちろんその若さが不利になることもあるじゃろう。そのときは、年寄りを使え」


「で、でも…誰に頼んだらいいの?」


「誰でもじゃ。おまえが信じられると思う人間を使え。良いか、王に頼まれるということは頼りにされているということと同義じゃ。その者が真っ直ぐな者であれば、信頼に足る者であろうとするじゃろう。だからこそ人を見る目を養え」


 アレスは肩に暖かいものを感じた。ハウトの手だった。


「最初から出来る奴なんていない。大丈夫だ。おまえが人を使えるようになるまでは、俺達が助けるから。な、じいさん」


 バルドルも頷いた。まじめだった表情をふっと崩して笑みを見せた。


「早く一人前の王になってくれるのを、楽しみにしておるぞ。とりあえずは、わしらが立てた作戦どおりに事が運ぶように、するのが先じゃな」


「どういうこと?」


「良いか」


 バルドルはどっしりと椅子に座り込んだ。そしてアレスを見る。


「明日は全軍が揃う。そして主だったものを集めて会議を開く必要がある。戦をどのように戦っていくかという作戦会議じゃ。その会議の席で、ここで立てた作戦に合うものがあったら、それを認めて、言った奴にやらせるんじゃ。そうすれば、その者は自分で考えたことじゃ、必死でやりぬくじゃろう。わしらの作戦にも合っておる」


 アレスとハウトの目が丸くなった。


「王であるおまえが『やれ』というんじゃ」


「でも…もしも誰も作戦通りのことを言い出さなかったから?」


「そうしたら、わしが誘導してやる。ヒントを出せば、ちょっと思いつく奴はいるじゃろう。もしも誰もいなかったら最終手段は、わしが提案するから誰かにやらせろ」


 ハウトは頭の中で唸っていた。なるほど。これが王の片腕と呼ばれた手腕かと。会議の席で思いついた案をその場で決めていたら、紛糾もするし、全体を掌握するのが難しくなる。しかし先に全体像を作り上げてしまって、それに合致する案だけを拾っていけば…。最終的に出来上がるのは、ここで決めた全体案だ。この裏の案を知らずに会議に出たものは、その場で決まったと思うだろう。さらに提案したものは、自分の案だと思い、それが王に認められたとあっては、やる気も起きるし、何がなんでも成功させようと思うだろう。なんて策士だ…。


 視線が雄弁に語ったようだ。ハウトを見てバルドルがにやりと笑った。


「これが人心掌握術じゃよ」


 ハウトは答える代わりに肩をすくめて見せた。敵わないという意思表示でもあった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ