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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第14章  予兆(3)



 ルツアより遅れること三日、エフライムとラオはウクラテナに戻ってきた。夜中の会合にはまだ早い時間に、ルツアの部屋の扉を叩く者がいる。ルツアが扉を開けてみるとエフライムが立っていた。


「夜這いならお断りよ」


「そんなんじゃありませんよ」


 エフライムが慌てて否定する。ルツアは肩をすくめた。


「まあいいわ。とりあえず入って」


 ルツアは身体を一方に寄せてエフライムを部屋に通すと、扉を閉めた。


「ちょっと尋ねたいことがあって…」


「何?」


「あの分かれた後、ここへ戻ってくるまでの間に、追っ手を見ましたか?」


 ルツアの顔色が変わる。


「見たわ…。一人は知っていた顔よ。さすがに男のなりをしていたから、私には気づかなかったみたいだけど。一度行き過ぎた後で、しばらくして戻ってきて、森がどうのこうのと言っていたから、心配していたのよ。無事で良かったわ」


「一人は腕に傷のある大男?」


 ルツアの顔が強ばった。あの夜、ギルニデムとルツアの前に立ちはだかったあの男だという思いが胸に走る。


「ええ」


 ルツアの返事に今度はエフライムがため息をついた。


「どうしたの?」


「ラオがね、森の方へも追っ手が来るだろうと。そして描写したのが、そういう男だったんですよ。だから無理を押して奥へ逃げたんです。逃げて正解か…」


 ルツアが、身体を投げ出すようにばさりとソファに腰掛ける。


「そういうのって嫌いよ。私」


「は?」


 エフライムは立ったまま、ルツアを見下ろす。


「そんなのラオの勘が当たったのかどうかなんて分からないじゃない? 単にあの男にラオが城で会ったのかもしれない。それで印象が残っていただけ、ということは考えられなくて? ラオは先読みしすぎる。ううん。先読みしている気になりすぎる。今回のことだってそうよ。死ぬか、死なないかなんて、決まっているはずないじゃない。それを自分なら大丈夫だって、独りで行って、切られて。馬鹿みたい」


「ルツア…」


 ルツアは足を組んで、ひじを足の上につくと、その手で顎を支えた。


「私、怒っているのよ。これでも。追手が掛かるだろうからって、手当てもせずに走り続けたり、無理をして逃げたり。ラオの勘が当たるかどうかなんて、なってみないと分からないわ」


「しかし…」


「今回だって、そうじゃない。自分なら無事ですって? 冗談じゃないわ。見事に背中を切られちゃって。命があったからいいようなものの、死んじゃったらどうするつもりよ」

 エフライムはふっと笑みを浮かべると、ソファの側にあったオットマンに腰掛けた。そしてルツアを見る。


「ラオには見えるそうですよ。その人の死と、周りが嘆き悲しむ姿が。おまえならどうするかと尋ねられました」


「はっ」


 ルツアは鼻で嗤った。


「そんなの。人はいくらだって死ぬ可能性を持っているわ。そして誰かが死ねば、誰かが悲しむのよ。それを先回りして、自分が誰かの代わりに死地に赴くなんていう真似を、して欲しくはないわね」


 荒い語気で、ルツアが言い切る。エフライムは苦笑した。思わず同意の意思を表すために頷いてしまう。


「そんな事をやり続けてごらんなさい。命がいくらあっても足りないわ。しかも神経も持たなくなるでしょうよ」


「心配しているんですね…」


「冗談! どうしようもない大馬鹿者に怒っているだけよ!」


 ルツアは顎を支えていた手をはずすと、両腕を胸の前で組んだ。


「力があるのも分かっているわ。本当にいろいろと分かってしまうのかもしれない。でもね、先読みしすぎて、手を出しすぎるのは勘弁して欲しいわ」


「ルツア…」


 ルツアは親指を口に持っていった。無意識に爪を噛む。


「これから戦が始まるのよ。誰だって死と隣り合わせになる。このままじゃ、ラオの精神は持たなくなるわよ。…でもこういうことは、言っても無駄なのよね…。自分で気づいてくれないと…」


 エフライムは何とも言えない気持ちでルツアを見ていた。


「ラオは…多分、気づいていますよ」


「どういうこと?」


「ヴィーザルを取り戻すのに犠牲が必要だということをね。と言うよりは、犠牲が出るということをね」


 ルツアはため息をついた。


「また先回りしているのね…」


「どういうことです?」


「いちいち誰かが犠牲になることを想定していたら、戦えないっていうことよ」


 怒っているルツアも美しい…と、少し不謹慎なことを考えながら、エフライムは立ち上がって、ルツアの方へ手を差し出した。


「そろそろ時間でしょう。エスコートさせていただけますか?」


 ルツアが差し出された手とエフライムを見比べてから、にっこりと微笑んだ。


「もちろん。よろしくてよ」


 そして差し出された手に自分の手を乗せると、立ち上がった。扉の方へ向かう途中でエフライムが言う。


「怒っているあなたも抱きしめたいくらいに綺麗ですよ」


 ルツアの態度はそっけなかった。


「言葉だけにしておいて頂戴ね」


「はいはい」


 エフライムはくっくっと喉の奥で笑って、ルツアのために扉を開いた。









 バルドルの部屋にエフライムとルツアが着いたとき、すでに皆が揃っていた。手前のベッドの端には、アレスが枕を抱えて座っており、フェリシアは長いすのところに座っていた。ラオは窓際で外を見るようにして立っていた。中央のテーブルでハウトとバルドルが地図を見ながら何かを言い合っている。


「俺は橋を落とすのは反対だ。後で苦労するぜ?」


「何を言うか、この地形であれば、橋を落として援軍との間を絶つのが常套手段じゃろうて。良いか。ヘメレにせよ、ケレスにせよ、物資は豊富なのじゃから、そこからの道を絶たずにしてどうするつもりじゃ。落とした橋は後で架ければよい」


「そりゃそうかもしれんが…」


「間違えるな。戦を行うということは、敵を叩くことじゃ。まずは目の前の敵を撃破することじゃよ」


 エフライムはアレスの横に座り込むと、アレスに尋ねた。


「何のことです?」


「明後日には全軍が揃うからね。今のうちに大枠の作戦だけ立てちゃうんだって。詳細は諸侯が集まってからになるけど、たたき台がないと紛糾するから」


「で、橋?」


「うん。バルドルがね、敵軍がクラレタの平原に入ったところで、プラクデス川に架かっている橋を落としたらどうかって」


「でも…」


 エフライムはバルドルの方を見た。


「プラクデス川に架かっている橋を落としたところで、あの川は広いけれど、浅いですからね。渡ることができるので意味が無いんじゃないですか?」


「物資を遮ることが一番の目的じゃからな。いくら浅いとはいえ、馬車を乗り入れるのは無理じゃろう? それに心理的効果もあるな。橋が落ちたとなれば、援軍も物資も来ないという気持ちになるじゃろう。そうなれば、兵たちは浮き足立つじゃろうな」


「なるほど」


「もちろん、さらに川が増水してくれるに越したことは無いじゃろうがな」


 ちらりとラオを見る。


「あとは、森からの奇襲じゃな」


「ヴァージの森か? だが森と平原の間は崖だぜ?」


「レスタの谷からの奇襲は誰でも考えつくわい。じゃが、ヴァージの森の側は崖がある。盲点になるじゃろう?」


「そりゃそうだが、無茶を言うなよ。じいさん」


「何が無茶なものか。あのぐらいの崖。わしが若いころは馬で下ったぞ」


「おいおい。まじかよ」


「まじじゃ」


 バルドルは澄まして答えた。考え込むように額に手をやったハウトに、バルドルは追い討ちをかける。


「あとは任せるわい。ハウト。どうするか考えい」


「勝手なこと言いやがって…。まあいい。これは俺の宿題っていうことだな」


 ハウトはくっと顔を上げた。そしてルツアを見る。


「ルツア。明日、おまえさんはここの武官に稽古をつけてやってくれ。結構使えるようにはなったとは思うが、まだまだ士気が足りないんでな。おまえさんとやりあうと、ちょうどいい刺激になるだろうさ」


「わかったわ」


「ああ。エフライムも手が空いているだろう? 一緒に頼む」


「了解」


「ラオは…」


「俺は用意するものがある。明日は一日部屋にこもる」


「わかった…バルドル?」


「おぬしとわしは、この続きじゃな?」


 ハウトが返事代わりに肩をすくめた。


「アレスも一緒に来い。いい経験になるぞ」


「うん」


「フェリシアはクラレタの平原の地図を作ってくれ。できれば高低差も判るといいんだが…」


「ん…そこまではうまく描けるかわからないわ…今ある地図に高低差や、障害物を書き入れることだったら、難しくないけど?」


「それでいい」


「わかったわ」


 ハウトが解散の合図をして、皆がバルドルの部屋から挨拶と共に出て行った。ラオが窓際からのろのろと動き、バルドルの前に立った。もうこの部屋に残っているのはラオだけだ。ちらりと扉を見て閉まっていることを確認すると、ラオは言った。


「話がある」


「なんじゃ」


「ヴィーザル城でトゥールに会った」


 バルドルの瞳に驚きと諦めの表情が同時に現われた。


「なるほど。トゥールが何か言ったかね?」


「いや。だが分かった」


「さすがじゃな。なぜわしに話そうとする?」


「知っているからだ。そしてハウトは知らない」


「なるほど。で、どうするつもりじゃね?」


「肩代わりする気か?」


 バルドルはにやりと嗤った。そして椅子の方に座るようにと身振りで示した。素直に座るラオを見て、扉からワインとグラスを出して注ぐと、一つをラオに渡した。自分も椅子に座り込み、グラスの中の赤い液体を喉に流し込む。


「フォルセティとネレウスとの約束じゃ。そのためにわしは生き残った。いや、生かされたんじゃな。あいつらに」


「ハウトのためか?」


「馬鹿を言うな。アレスのためじゃ。まあ、フォルセティにすれば、多少はハウトのためもあると思うがな」


「どこまで親父は見えていたんだ? 今回の件は全部か?」


「知らん。あの男は肝心なこと以外は何も言わん奴じゃったからの」


「それで、あんたは…どの程度今回のことを聞いてるんだ? 終わりまで全部知っているのか?」


 バルドルはため息をついた。


「知らん。知っていても教える気は無い。ラオよ。未来に囚われるな。おまえの見ているものなど、ちっぽけなものだ。無限の未来の中で、なぜ一つに固執しようとする?」


「約束を守ろうとしている者の言葉とは思えんな」


「約束を守ることと、未来を信じることは別のことじゃ」


 バルドルはラオのグラスにワインを継ぎ足すと、自分のグラスにも注いだ。


「フォルセティは自分の力を過信する男ではなかったぞ。ラオ」


「過信などしてはいない…なんとかして…止めたいだけだ…今度こそ…」


 ラオは俯いた。


「止める? 何をじゃ?」


「俺は…父さんが、死ぬのを止められなかった…」


 搾り出すようにラオが言った。






 約十年前のあの日。ラオ、フェリシア、そして母親のマリアが暮らしていた森の中の家に、久しぶりに家の主であるフォルセティが戻ってきた。のちにレティザルトの戦いと呼ばれる隣国との戦争は長引いていた。当時のネレウス王に付き従って戦場に向かったフォルセティが無事に帰ってきたのだから、マリアの喜びはひとしおだった。


「無事でよかったわ。フォルセティ」


 マリアはドアを開けて、フォルセティが立っているのを見るなり抱きついた。ドアを開ける前から、ラオによって帰ってくることは予告されており、フェリシアによってすぐ側に来ていることは分かっていたのであるが、それでも驚きの表情と共にドアを開けた。


 マリアは特殊な能力を何も持っていなかった。城で小間使いとして働いていたときにフォルセティと出会い、惹かれ、一緒になったのだった。


「ただいま」


 マリアを抱き返す。フェリシアも父親に抱きついた。ラオはさすがに側に寄っただけだったが、逆に父親から抱きしめられた。二三日家にいて、また戦場に出かけるとのことだった。


「まだ戦いは続きそうなの?」


「そうだな。もうすぐ終わると思う…」


 フォルセティは歯切れ悪く答えた。先を見る能力を持つフォルセティにしては、珍しい言い回しだった。ラオにもこの戦いの先は見えてこなかった。もっとも普段から未来が見えることは少なかったので、あまり先を読む能力は強くないのかもしれない…と自分で思っていた。その代わりにフォルセティには出来ないようなことが、ハウトとの兄弟げんかからできるようになっていた。もっとも父親には内緒にしていたのだが…。しかしフォルセティは何も言わないだけで、分かっているのかもしれなかった。


 自分が思っているよりも父親はいろいろなことを知っている。ラオは静かな瞳で家族を見ているフォルセティに対して、そんな思いを抱いていた。そしてけんか相手だったハウトは一年前に家を出たきりで音沙汰がない。


 ラオの思考を読むように、フォルセティが言った。


「ハウトを見つけた」


「まあ、あの子は何をやっているの? 家に連れ戻してくださればよかったのに…」


「元気だった」


 答えはそれだけだった。マリアが不満そうに見る。


「もう。あの子が出て行くと言ったときだって、何も言わずに出してしまって…」


 フォルセティが黙ったままだったので、その話はそこで終わりだった。結局、家にいた二三日は、特に変わったことをするでもなく、ゆっくりと過ごしたように思う。ただ明日は出発するという前夜にラオは胸騒ぎで目が覚めて、居間に行くとフォルセティが酒を飲みながら、考え込むようにしていた。あまり飲んでいる姿は記憶にないので、珍しいことだと思ったのを覚えている。


 ラオが起きてきたことに気づくと、フォルセティは自分の前に座らせた。


「少し飲むか?」


 ワインを飲むことはあっても、強い酒を勧められたことは無かったので、驚いた顔をしていると、父親は目を細めて微笑むようにして言った。


「母さんには内緒だ」


 そしてラオの前に、ほんの少しだけ琥珀色の液体の入ったグラスが差し出された。


「舐めるように飲めよ。強いからな」


 ラオは黙って頷いて、少し舐めてみた。むっとした匂いが鼻を刺して、思わず顔をしかめてしまった。そんなラオをフォルセティは慈しむような目で見ている。


「おまえ、いくつになった?」


「十七」


「そうか…ということは、ハウトは十五か」


 ラオは黙って頷いた。


「だからか…」


 そう言ったきり、遠くを見るような目をして、フォルセティは黙ってしまった。ラオも話すことがなく、しばらく琥珀色の液体をちろちろと舌で舐めていた。


「ラオ」


 名前を呼ばれて父親の眼を見ると、まっすぐな瞳がこちらを見ていた。


「未来はそのほとんどが予測の範疇にある。だが、ほんの一部だけ零れるときがある。自分の見たすべてを信じるな」


「父さん?」


「おまえはおまえの強さを信じろ」


「何のこと…」


「フェリシアとハウトを大事にしろ。助け合って生きていくんだぞ」


「父さん? 変だよ?」


「おまえなら大丈夫だな」


 フォルセティがふっと笑った。


「おまえ、酒に弱いな。舐めただけなのに、もう真っ赤だ」


 熱を感じて、ラオは頬に手をやった。言われるとおり赤いのかもしれない。頬も首も熱かった。


「すまなかったな。おまえと酒を飲みたかったので無理をさせた。もう寝ろ」


 父親の態度に釈然としないものを感じながらも、酒のせいで急激な眠気と動悸を覚えて、ラオはふらふらと立ち上がると寝室に向かった。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 父親の声を背中に聞きながら、ラオは眠りに落ちていった。


 翌朝出かけるときに、フォルセティは一人ずつ抱きしめて出かけていった。マリアを抱きしめ、フェリシアを抱きしめ、そしてラオを抱きしめたときに、フォルセティはラオの首に手を回すと、首筋に触った。びっくりしてラオがフォルセティを見ると、何かを手にしている。子供のころから肌身離さずつけていたペンダントだった。


「もうこれはいらんな」


 フォルセティの手からラオの手に渡される。呆然としてフォルセティの顔を見ていたラオの脳裏に、怒涛のようにビジョンが沸いてきた。フォルセティとネレウスが戦場に向かう、戦いのビジョン。そして…。


「父さん…」


 自分の脳裏に浮かんでいるビジョンに呆然としながら、ラオは声を出した。フォルセティがラオを見る。そしてもう一度抱きしめると、耳元で囁いた。


「今は何も言うな。後は頼んだ」


 そしてラオを離すと、目を見て笑った。もう一度マリアを抱きしめる。


「帰ってくるわね?」


「愛している」


 マリアの問いに口づけで答えると、フォルセティは笑って手を振って出て行った。あまりのことに茫然自失したままのラオを置いて…。


 その後、半年ほどしてネレウスとフォルセティの戦死の知らせが届いた。勝利を勝ち取っての戦死だった。ネレウスは最後の戦いに臨むに当たって、息子グリトニルにその位を譲り渡していた。その為さしたる混乱もなくヴィーザル王国は隣国との戦争に勝ち、平和を取り戻したのだった。


 知らせが届いたときマリアは半狂乱になった。ラオには分かっていた。フェリシアでさえ、父親の最期の意識を感じたようだった。だから知らせが届いたときに、初めて事態を知ったのは妻であるマリアだけだった。


「なぜ? どうして言わなかったの? どうして教えてくれなかったの? ラオ、分かっていたんでしょう? 父さんが出かけるときに。なぜ止めてくれなかったの? ラオ」


 母親はそう言って、ラオの胸元を掴んで泣き叫んだ。母親をなだめようと背中に手を回した瞬間に、ラオには母親の最期が見えた。流行の病によって死んでいく母親の姿が見える。その瞬間に、ラオは氷ついたように動けなくなった。母親の泣き声も、まるで遠くで聞いているようだった。






「自分に見えているものが、感じているものが何なのか、俺にもわからない」


 ラオはバルドルに静かに言った。


「ただ感じる。わかる。まるで見ているように見える。そして今まで、一度見たビジョンに差異はあれ、大筋で外れたことはない。なんども外そうとしてみた。忠告もした。だが駄目だ。唯一外す方法は、自分が動くことだった。だが全部は背負い込めない」


「そりゃそうじゃろう」


「だから俺は人里から離れた。これ以上、人の死は見たくない…。だから森にこもった」


「さびしかったじゃろう?」


「さびしい?」


「人の死は見ないかもしれないが、出会いだってないじゃろう?」


 バルドルがまっすぐにラオを見た。


「逃げるな。ラオ。人は誰でも死ぬ。おまえの見たとおりに死ぬかもしれないし、そうじゃないかもしれん。じゃが、避けていたら、おまえが会える人々にも会えなくなるぞ。別れより出会いを大切にせい」


 バルドルがラオの肩を掴んだ。そして片手で肩を抱いた。父親に抱きしめられているみたいだとラオが感じたすぐ後で、ビジョンが見えた。身体が反応してビクリとなる。それに答えるようにバルドルが言った。


「わしの死が見えたか。じゃが気にするな。この年になったら死は身近なもんじゃ」


 そしてにやりと嗤った。


「悲しいと思ったら、泣いてくれい。じゃが、身代わりになる必要はない。おまえはおまえじゃ。人の代わりをするな。わしの死はわしのものじゃ。おまえがどうこうするもんじゃない。フォルセティも同じことを言ったじゃろう」


 そう言われた瞬間に、ラオの中で何かが溶けたような気がした。ぽろぽろと暖かいものが頬を伝う。泣く気は無かったのに涙が止まらなくなっていた。


「数年分の涙じゃな。寂しかったのと、悲しかったのと」


「お、俺は…」


「泣いておけ。今は。そのうちに泣く暇もなくなるわい…戦が始まれば、おまえさんには辛いことが待っていよう。じゃが、その後にきっと出会いもあるぞ。アレス王の御世にはな」


 ラオはテーブルに両肘を着くと手の平で顔を覆った。その指の間から涙がぽたぽたと零れていく。こんなに泣いた記憶は無かった。いつも涙は堪えておくものだった。


 バルドルは泣き止むまでずっとラオの肩に手を置いていた。暖かい手だった。

 


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