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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第13章  胸の内(1)

 ミスラ公とその居城にいる主だったものを集めた会議で、アレスのウクラテナへの移動と挙兵の準備、そしてハウトの将軍職着任をバルドルが押し切る形で決めると、アレス達はウクラテナへと旅立った。


 馬車や従者を用意するというミスラ公を、非常時だからという理由で押しとどめて、アレス達は馬で出発した。もともとの仲間七人だけであり、王としては本当に質素な旅だった。街道沿いにある宿でも、その身分を明かすことはなく、単なる旅人として泊まっているために、宿屋の主人のアレスに対する扱いは、旅の子供に対するものでしかない。それがアレスにとっては、気負う必要がないので楽だった。


 そしていよいよウクラテナの街が近づいた。そのままハイネデル候が治める城に向かってしまえば早い。しかし、街の入り口にある城壁のところで、アレスは皆に言った。


「今日は、普通に街に泊まろうよ。城へ向かうのは明日でもいいでしょう?」


 バルドルが訳知り顔に笑う隣で、ルツアも賛成する。


「そのほうがいいわ!」


 誰にも異存があろうはずがない。以前泊まった宿に、皆で泊まることにした。






 翌朝、ハウトは人が入ってくる気配で目を覚ました。反射的に剣に手を伸ばしたところで、その人物が言う。


「ハウト、今日は色々やらないといけない事がありますからね。早く起きてください」


 エフライムが部屋のカーテンを開けて、明るい光を部屋の中に取り入れていた。思わず剣に手を伸ばした手を、そのまま眼の上に持っていき瞼にあたる光を遮る。ハウトはなんとか眠気の残る身体を起こした。


「なんだ、今日は一日、それぞれ自由に過ごすと言ってなかったか?」


 ハウトは昨晩の会話を思い出しながら、寝起きの掠れた声で文句を言った。エフライムが笑って、水で濡らした布を差し出す。


「顔でも拭いてください。ついでに身支度を整えて。行くところがあるんですよ。ついて来てください」


 ああ、そうだ…とエフライムはドアから出かけて、ハウトの方に振り返った。


「そこのテーブルの上に、正装を用意しておきました。サイズは多分大丈夫だと思うんですけれど、着てみてください」


「正装?」


 怪訝なハウトの声に答えはない。ドアが閉まる音を残して、エフライムは出て行ってしまった。テーブルの上を見ると、白っぽい服が置いてある。何がなんだかわからないままに着替えてみると、ぴったりのサイズだった。鏡に映してみると、見事な黒髪を持った騎士が一人、立っていた。とりあえず腰に剣を提げて、ドアを出るとエフライムが壁に寄りかかって待っている。緑色の瞳が見開く。


「なかなか。お似合いですよ」


 なんとも釈然としない表情を浮かべて、ハウトはエフライムを見る。


「どこへ行く気だ?」


「正装が必要なところですよ」


 見ると、エフライムも整った服装をしている。エフライムはにやりと嗤うと、ついてくるようにと、頭をしゃくってハウトを促した。


 宿を出て、そのままエフライムが向かっていく道に、ハウトは覚えがあった。見事なグリフィンの一対の石像がハウト達を迎える。そして向こうには、神々を掘り込んだ石柱が立っている。大神殿だ。その瞬間にハウトは、なぜここに来たのか、ようやく気づいた。


「エフライム?」


「黙ってついて来てください」


 エフライムの眼に笑いが含まれている。ハウトは呆れたような表情で、しかし唇には笑みを浮かべながら頭を振った。


「おせっかいめ」


 主神ゼーザレスとその妻ユージュスが彫られた石柱を抜けると、ようやく神殿の入り口が見えた。椅子が並ぶ真ん中に緋色の絨毯がひいてある。


 エフライムはその絨毯のはじまりのところまでハウトを連れてくると、そのままに微笑みかけて、脇から神殿の奥の方へと向かった。ハウトが一人、絨毯のはじまりに取り残される。その絨毯はずっと奥の神々の像が立っている手前まで続いていた。そしてその神々の像の中心、ゼーザレスの像とユージュスの像の前に立っている人影が二人。


 一人はこの神殿の神官だった。きっと空いているところを捕まえられたのだろう。長い白いローブを身にまとっているが、なんとなく落ち着かない様子が見てとれた。


 そしてもう一人は、遠めに見ても分かる見事な金の髪に華奢な姿。今は白いドレスに身を包み、頭からベールをかぶっていた。ふと見ると、その周りにある椅子には、バルドル、ルツア。その横の低い影はアレスだろう。そしてラオ。今、ようやくたどり着いたエフライムが座っていた。


「あいつら…」


 思わず苦笑しつつも、仲間達の思いに目頭が熱くなる。くっと顎をあげると、ハウトはまっすぐにフェリシアを見ながら歩き始めた。


 絨毯の端まで来て、フェリシアの隣に立つと、すでにフェリシアの眼がうっすらと潤んでいる。思わずハウトは、フェリシアの手を取った。結婚式などは縁が無かったので、どのように執り行うのか分からない。その手を取ってしまったことも、礼儀に適っているのかどうかも分からなかったが、それでも神官が何も言わなかったので、そのままにしておいた。


「どうぞ、こちらを向いて、跪いてください」


 神官が前を向くように声をかけて、そして厳かに式が始まった。ゼーザレスとユージュスの像の前で跪く。フェリシアの手はとったままだった。かすかにフェリシアの手が震えているのを感じる。


 長い祈りの言葉の後で、神官が神々に向かって二人の結婚を報告し、そしてハウトとフェリシアがお互いの愛を神々の前で誓った。最後にアレスが立ち上がった。神官がアレスを見て頷く。アレスは二人の脇に立った。そして、神々の像に向かって、厳かに言う。


「アレス・ラツィエル・ヴィーザル。この二人の結婚の証人となりました」


 そしてアレスが振り返った。光を浴びて、神々の像を背景にして立つ姿は、その年には似合わない威厳を持ったものだったので、思わずハウトもフェリシアもはっとさせられる。アレスの茶色の眼がきらりと光って、そしてにっこりと笑った。


「よかったね」


 ハウトが跪いたまま、にやりと嗤う。神官も一瞬アレスに見とれていたようだ。アレスの声に慌てて自分を取り戻すと、ハウトとフェリシアに向かって腕を下から上にあげて、立つように身振りで示した。


 二人が立ち上がったところで、こっそりとハウトに囁く。


「花嫁のベールをとって、誓いのキスを」


 ハウトがやや驚いたように、ちらりと神官を見ると、神官が頷いた。そっとフェリシアのベールを取り去る。さりげなくルツアが立って、そのベールをハウトから受け取った。フェリシアの紫の瞳から涙が零れている。本当にきれいだと思いながら、ハウトはそっと、その唇に自分の唇を重ねた。離れるとフェリシアが微笑んだ。ハウトもそれに答えて微笑みかける。その瞬間に神官が、結婚したことを宣言した。


 皆が立ち上がって、ハウトとフェリシアを取り巻く。


「おめでとう」


 ルツアがフェリシアに抱きついた。バルドルとエフライムがハウトの肩を叩く。そして、ラオが二人の前に立った。


「ラオ…」


 フェリシアが涙ぐんだ瞳で見る。ラオがはにかむような微笑みを浮かべてフェリシアを見て、そしてハウトを見た。


「フェリシアを…妹を頼む」


「ああ」


 ハウトも笑顔で頷いた。








 その日の夕方、エフライムを先触れに出して、アレスたちはハイネデル候の治める城についた。夕食の後までは、王とその従者としてハイネデル候のもてなしを受けたアレス達は、いつものように真夜中に近い時間に、バルドルの居室に集まった。


「港町ヘメレ、それにケレスとガストレアの街に、ちょっといろいろ噂を撒いておいたほうがいいと思うんですよ」


 エフライムが長椅子の横にあったオットマンに座りながら言う。


「噂?」


 窓際のテーブルセットの椅子からハウトが聞き返した。


「ええ。士気を下げておく為にもね。自分達が仕えている者が信じられない、という印象を与えておく方が良いかと」


「なるほど…」


 ハウトは腕を組んで考え込んだ。


「明日からこの城の武官たちが、どの程度使えるか、試してみようと思っていたんだが、そっちを先にしたほうがいいな。ルツア、エフライムと一緒に行ってくれるか? こっちはとりあえず俺一人で何とかする」


「わかったわ」


 そう答えるルツアに対して、エフライムの瞳がほんの微かだが揺れた。一瞬、ハウトは気になったが、エフライムの表情が元に戻ったので、そのままバルドルの方を向く。


「じいさんは、ハイネデル候を御してくれよ」


「わかっとる」


「ラオはアレスに張り付いておいてくれ。念のためな」


 ラオが黙って頷く。フェリシアが問い掛けるようにハウトを見る。


「フェリシア…おまえは念のため俺の側に居てくれ」


 ハウトが明らかに不自然に視線を動かしながら、言いにくそうに言った。とたんにルツアが吹きだす。


「新妻だしね! 手放したくないわよね」


 ルツアの言葉で皆の唇に笑みが浮かぶ。ハウトとフェリシアの顔が首まで赤くなった。


 翌日からのエフライムとルツアの旅立ちについて打ち合わせが終わると、その場は解散となった。







 広いベッドの中で、フェリシアは目を覚ました。首から身体の右側にかけて暖かいものを感じる。わずかに窓から入る月明かりの中で、自分の目の前に黒い長い睫毛と、漆黒の髪を持つハウトの寝顔が見えた。頭の後ろにハウトの腕がきているのを見つける。


「ハウト…腕が痺れちゃうわ」


 息だけで呟き、自分の身体を起こした。奥に感じる痛みに、少しだけ顔をしかめる。そして胸元をシーツで覆ったまま身体を起こすと、祈りの姿勢をとった。


 神経を集中する。自分の中にあるものを開放するように、または掘り起こすように。下腹部から始まるその力は、徐々に身体の中を登ってくる。暖かい光を自分の中に抱いているような感覚。みぞおちの場所へ。細い管を通って、そしてちょっと広い場所へ来るような感覚。


 自分の身体の中には、力が留まる場所があることを感じる。次は胸の位置へ。胸元が少し温かくなる。そして喉元に留まり、そこから額へ。額が熱くなってくる。その熱さを押し出すようにして頭の頂点へ持っていく。少し抵抗があるところを、さらに抜ける。そこでやっと目の前に何か見えてくる。


 実際に見えている訳ではない。目は閉じられていることを、肉体としては認識している。しかし、どこかで見えている。自分の身体を抜け出して、外へ駆ける。自分を見ている自分がいる。


 意識だけがウクラテナの城を抜けると、そのまま外に抜け出していく。上へ上へ。街が見えてくる。そこに気持ちを集中する。いつもの、遠見の力を使うときと同じ感覚。知っている場所が見えた。いや感じている。実際見えているというよりも感じている。その証拠に、本来は目では見えない所まで見えている。壁の向こう。まるで断面図のように、ちょっと意識するだけで透けて見えてくる。大神殿。中を見る。人影はない。


 そこまで見えたところで、ふっと力を抜いた。自分の身体に感覚が戻ってくる。そのまま目を開けると、祈りの姿勢を取っている自分の手が見えた。


「良かった…」


 自分は遠見の力を失ってはいなかった…。安心したら、ぽろぽろと涙が出てきた。きっと自分が遠見ではなくなっても、ハウトは自分のことを大事にしてくれる。それはわかっている。でも、この力が無くなったら…。今この時期に、自分がハウトにしてあげられることが無くなってしまう。遠見の力は、今ハウトの傍に居られる理由のうちの一つだと、フェリシアは思っていた。


 ハウトの腕をどけて横になろうとして、彼の腕を持ち上げたところで、反対側の腕がフェリシアの身体を捉えた。いきなりぎゅっと抱きしめられる。


「ハウト? 起きてるいるの?」


 顔を覗き込んで見たが、目は瞑ったままだ。返事も無い。抱き締められたまま動けなかった。


「ハウト?」


 そっと頭を撫でられて、微かな掠れた声が聞こえてきた。


「大丈夫だから」


 起きているのかと思って見つめたが、目は閉じたままだ。規則正しい寝息のようなものが聞こえていた。もう一度、腕をはずそうと身悶えすると、さらに抱きしめる腕に力が加わる。


「ん…」


 諦めてそのままに任せていると、腕の力が弱まった。腕が痺れても知らないからね…と心の中で呟きながら、フェリシアはハウトの心臓の音を聞いていた。そのまま彼の腕の中で、再び幸せな気持ちで眠りに落ちていく。








 翌朝、エフライムはルツアと共に、出発した。まずは港町のヘメレに向かうつもりだった。ウクラテナからヘメレへの道は、まっすぐ首都イリジアのヴィーザル城へ向かう街道を西へ四日ほど進んだところで、さらに二日ほど南下する必要があった。街道沿いに進めば、途中途中に宿がある。


 出発した日の夜、ちょうど良い場所にあった宿の雰囲気を確認すると、エフライムは宿屋の主人に部屋を二つ頼んだ。主人は、決まり悪そうにしている。


「あいにく二部屋ご用意できるほど余裕が無いんですが…」


 エフライムは眉をひそめたが、その横からルツアが答えた。


「じゃあ、いいわ。一部屋で。衝立ぐらいは用意してくれるでしょう?」


「ええ。それは大丈夫です」


 エフライムが驚いたようにルツアを見た。ルツアが肩をすくめて言う。


「まあ、仕方ないじゃない。あなたにお似合いの若い女性じゃなくて申し訳ないけど、諦めて」


 とたんにエフライムの顔が真っ赤になる。あら、こんな表情もするんだ…と妙なところでルツアは感心してしまう。


 初めて会ったのは、ギルニデムが館に連れて来たときだっただろうか。何回か会ううちに、実はエフライムは表情を表さないことに、ルツアは気づいていた。終始笑みを絶やさないが、それ以外の表情があまり出てこないのだ。


 部屋だけ確保すると、二人は宿の入り口のところで馬を預けて、宿の中の食堂で夕食を済ませた。そして案内されるままに部屋に向かう。部屋はこぢんまりとしていて、奥に窓があり、その手前にベッドが二つあった。そして部屋の真ん中に衝立が置かれている。窓際にある机の上に荷物を置くと、ルツアはベッドの上に座りこんだ。


「これから約一週間の旅というところね」


「そうですね」


 衝立の向こう側からエフライムの声が返ってくる。ルツアは衝立を片手でずいっとどけた。とたんに驚いたようなエフライムの顔が見えた。ルツアは呆れたように苦笑する。


「顔を見ながら話した方が良いと思ったんだけど…そんなに驚くなんて。取って喰おうっていう訳じゃないんだから、そんなに焦らないでよ」


「い、いや…そういう訳じゃないんですけど…」


 言い訳するように、エフライムが答えた。ルツアがずるずると衝立を元の位置に戻す。


「そんなに驚くなら元に戻すわ」


 声だけが聞こえてきた。がさがさという荷物の音や、布地が擦れるような音がする。エフライムは気まずさから黙っていると、そのうちに衝立の向こうから、布地の擦れる音が定期的に聞こえるようになった。何の音かといぶかしく思いながら、その音をしばらく聞いていると、続いて苦しそうなルツアの呼吸音が聞こえてくる。


「ルツア?」


「何?」


 息苦しそうな声で返事があった。


「何をやってるんです?」


「筋肉強化」


「は?」


「毎日やらないと鈍っちゃうもの」


 荒い息で答えが返ってくる。さらに呼吸音と衣擦れの音がしばらく続いた。そして元気なルツアの声が聞こえてくる。


「よし! 今日の分は終わり。私、ちょっと井戸まで行ってくるわ」


 ルツアが衝立の陰からドアの方に向かって動いたせいで、彼女の後ろ姿がエフライムに見えた。彼女の華奢な首と細い背中に汗がにじんでいる。片手でひらひらと手を振ってみせて、男物の服装で剣を提げて、ドアから出て行こうとしていた。そしてエフライムの目の前でドアが閉まる。


 あまりのことにあっけにとられて、エフライムは笑いだした。さすがはルツア。戦いの女神フレイムだった。今は非常時なのだ。男と同室であるかどうかなど、関係ないといったところか。それとも自分は男として見られていないということか。ルツアと同室であることに緊張しすぎていた自分が可笑しく感じられ、自分自身への照れ隠しのために、エフライムはしばらく笑い続けていた。





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