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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第12章  神の声(3)

 ハイネデル候の城に向かってエフライムは馬を進めた。大きな門を通ると、城内を川が流れていて橋が架けてある。ゆっくりと進めて行くと、並木道が見えてくる。木漏れ日を楽しみながら木々の間を抜けて行くと、道は右に曲がるように作ってあった。そしてその角にある門を抜けると、とたんに視界が開けて、その向こうに城の入り口が見えた。


 入り口まで出てきた召使に、アレス王の使いであることを告げる。広い玄関ホールの正面には遊ぶような姿の精霊の像が置いてあり、高い位置にある天井には神々が舞う姿が描かれている。天井と壁との間は、まるで額縁のように装飾が施された枠で飾られていた。さらに左右の壁にも、もちろん見事な装飾が施されており、広い部分には、やはり神話をモチーフにした絵画が飾られていた。それはため息をつくほど見事だった。


 召使がそのままエフライムを奥へと案内していく。玄関ホールを抜けると、そこは広間になっていた。テーブルとソファが設置され、壁には壁画が描かれている。天井を見ると、今度は細かい模様が入ったパネルの中に小さな絵が描かれているものが無数にはめ込まれている。


 召使に勧められるままに椅子の一つに座りながら、エフライムはそこで天井と壁の絵を眺めていた。なかなか見事なものだ。しばらくすると、先ほどの者が呼びに来た。装飾が施され、絵画が飾られる廊下を通って謁見の間につく。ハイネデル候はすぐに来るというので、エフライムはそこで跪いて待った。一世一代の大舞台だ。大きく息を吸い込んで深呼吸をする。落ち着けと自分に言い聞かせた。足音が近づいてくる。


「ハイネデル候におかれましてはご機嫌麗しく。本日は、我らが主、ヴィーザル王国の正統なる継承者、アレス王の命によって参上いたしました」


 口上を述べきったところで、頭の上から声がした。


「顔をあげられよ」


 目の前には、こげ茶の髪に薄い緑の瞳を持つ、熊のような体格をした男がいた。顔つきは若く見えるが、額の生え際の後退と目じりの皺が、年齢を物語っている。相手がじっとエフライムの顔を見ているのを利用して、エフライムは瞳に力を込めた。そしてハイネデル候の瞳を捕らえる。


「本日はお願いがあって参りました」


 ゆっくりと。普段よりは低めの声で話しかける。


「お願いとな?」


「はい。我らが王、アレス様が貴方様のご助力をお待ちになっていらっしゃいます」


 あなたの王でも、私の王でもない。我らの王。あなたと私は同じ王に仕えているのですよということを無意識に刷り込む。


 懐から書簡を出すと、側に控えていた城の者に渡す。それはすぐにハイネデル候に渡された。ハイネデル候が書簡を開き、読んだ後で、また視線がエフライムに戻ってくる。


「私の助力を?」


「貴方様のご助力が必要なのです。そして忠誠も」


 再び瞳に力を込める。ぐらりとハイネデル候の身体が揺れた。かかった。


「私の忠誠」


 うわ言のように、ハイネデル候が繰り返した。そのままの状態を維持するためにも、エフライムは瞳に力を込めたまま、ゆっくりとした口調で話しかけていく。


「貴方様の忠誠が欲しいと。ネレウス王に、そしてグリトニル王に捧げられた忠誠心を、その血をひく正統なる継承者アレス王に」


「正統なる継承者…」


「はい。正統なる継承者であるアレス王に忠誠を」


「忠誠を」


 さらにエフライムは懐から書面を出すが、視線は外さない。


「こちらに書面を用意しておきました。ご確認の上、サインを」


 取次ぎの者が受け取り、ハイネデル候に渡す。その一瞬にハイネデル候はふと我に返ってしまった。しかし大丈夫。まだどこか夢うつつの状態は維持されている。視線が合ったので、ゆっくりと微笑んだ。安心感を与えるように。


 ハイネデル候が手元の書簡に目を通す。そして言った。


「誰か。ペンを」


 すぐ側に控えていた者が、耳打ちをするのが見える。後生だからここで目を覚ますようなことを言わないでくださいよ。エフライムは心の中でそう呟いた。


 ちらりとハイネデル候がこちらを見る。それに答えるようにして、エフライムは微かに頷いて見せた。


「いや、私は決めた」


 そう言う声が微かに聞こえると、ハイネデル候がペンを取って名前を書いている。そして、エフライムの元に書簡が戻ってくる。


「このベロフ・フロイダス。アレス王に忠誠を誓いますぞ」


 エフライムはハイネデル候の親書を受け取ると、微笑んだ。さあ、もう一押し。しっかりと記憶に刻んでもらわねば。


「そのお言葉、お忘れになりませぬよう」


 エフライムの緑の瞳がハイネデル候の瞳を捕らえる。


「アレス王は、貴方様の忠誠に報いてくださるでしょう。それでは先を急ぎますので失礼いたします」


 エフライムは礼儀に適っていないとは知りながらも、退室を促されるよりも先に、深々と礼を取ると立ち上がって、謁見の間を出た。


 扉を出たとたんに足に震えが走る。がくがくと震える足に思わず壁に手をついた。自分は思っていたよりも緊張していたようだ。付き添っていた城の召使が何事かと、立ち止まる。


「らしくない…」


 側にいる者に聞こえないように、ぼそりと呟く。呟いてみるといつもの調子が戻ってきたようだ。しばらくするうちに足の震えは止まった。自分を励ますように壁に向かって不敵な笑いを浮かべてみる。ゆっくりといつもの穏やかな表情に戻ると、側にいた城の者に顔を向ける。


「失礼しました。ちょっと立ちくらみを起こしただけです」


「大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


 エフライムは余裕の笑みを浮かべて見せた。






 その日の夜は一種の戦勝祝いだった。皆でウクラテナの街に繰り出すと、適当な酒場を見つけて飲んだ。もちろんアレスとフェリシアは酒ではなかったけれど、それでも十分に雰囲気を楽しめた。


 あまり夜が遅くならないうちに、五人が宿に戻ろうとした時だった。細い路地の左右からバラバラと男達が二十人ばかり出てくる。手には剣を構えていた。


 はっと気づいて、ハウトとエフライムが剣を抜く。


「エフライム、アレスとフェリシアを!」


 ハウトが叫んだ。男達に向かって剣を構えるハウトを見ながらエフライムがアレスとフェリシアを背で庇いながら後退していく。男達はハウトとラオを取り囲んだ。


 エフライム達がハウトとラオから離れて一つ角を曲がったところで、もう一人誰かがこちらを伺っているのが見えた。相手がぎょっとするのがわかる。


「アレギウス…」


 エフライムが呟いた。三日月のように細い目と、薄い唇。角ばった頬骨。トゥールとレグラスが雇っているマギ、アレギウスだ。後ろから剣を交わす音が始まった。エフライムが剣を構えると、アレギウスも腰から剣を構えて抜いた。アレスも思わず自分の剣を抜いて、フェリシアを背中に庇う。


 じりじりとエフライムとアレギウスが間合いを読んでいる。しかしエフライムの方が早かった。一歩踏み込むと、アレギウスの剣を弾き飛ばし、喉元にその切っ先を突きつけていた。


「た、たすけて…」


 アレギウスがその低い声を絞り出した。エフライムがそのまま切りつけようとしたときに、後ろからラオの声がした。


「殺すな!」


 エフライムの剣が驚いて止まる。その瞬間にアレギウスは身を翻すと剣を置いたまま、まるで小動物のように走り去っていった。アレスが振り返ると、普段と変わらないラオとうっすらと汗をかいているハウトがいた。


「ハウト! 大丈夫?」


 アレスの声にハウトがにやりと嗤う。


「あんな奴ら。大したことなかったな」


 フェリシアが安心したように微笑んだ。エフライムが珍しく不機嫌そうな顔でラオに言う。


「なぜ止めたんです? 前にも止めましたよね?」


「マギは下手に殺すもんじゃない。死んだときに相手に仕返しできるように術をかけている場合がある」


 ラオがぼそりとした声で答えた。エフライムの顔が少し青ざめる。


「おまえもそうなのか?」


 ハウトが混ぜ返すようにラオに聞いた。それに対してラオは、微かに唇に笑みを浮かべる。


「殺してみればわかる」


 その答えに、フェリシアは眉をひそめ、ハウトは肩をすくめた。その間中、アレスは考え込むような表情をしている。


「どうした?」


 ハウトが尋ねた。アレスは、黙ったままやはり考え込んでいる。しばらくしてから重たげに口を開いた。


「あのね…よく分からないんだけど。へんな感じがするの」


 考え込むような口調にエフライムが言う。


「まずは宿に帰りませんか? 立ち話もなんですしね」


 その言葉に皆、同意した。再び宿に戻り、ハウトの部屋に集まったところで、アレスがゆっくりと話始めた。ハウトのベッドの上に座って、枕を抱えている。


「やっぱり、まだ良く分からないんだけど…あのね、ラオは剣を使わないよね? というか、持っていないよね? どうして?」


「必要ない」


 窓際に立ったまま、ラオが即答する。


「そうだよね。でもね、アレギウスは剣を抜いたよ」


 そこでアレスは考え込むように、口をつぐんでから首を傾げ、そしてまた話始めた。


「あとね、もしもラオが言うとおりに術をかけられるんだったら、どうして『たすけて』って言ったんだろう」


 ハウトが部屋に備え付けられたテーブルセットの椅子に、身体を預けながら、怪訝そうな顔をする。


「命乞いしたのか?」


 アレスとエフライムが頷いた。エフライムはアレスの隣に座っている。


「変でしょ? 僕だったら多分、『殺したら、何かあるぞ』っていうと思うの。本当に何かできるか、もしくはそういうことが出来るって知っていたら」


 アレスの言葉にハウトが頷いた。


「まあ、そうだろうな」


 ハウトが考え込んだ。


「剣を持つマギか…。マギの能力にも得手不得手があるだろうからな。もしかしたら、アレギウスは攻撃的な能力を持たないかもしれないな」


 アレスが頷いて、さらに続けた。


「あとね、あの人たち、狙いが僕じゃない気がする」


 ハウトが目を見開く。


「どういうことだ?」


 アレスが言葉を選ぶように、考え込みながら口を開く。


「ん…。なんとなくね、眼が違ったの。さっきの人達は僕に対して、『殺してやる!』っていう感じがなかった。むしろハウトを見ているようだった」


 アレスの言葉にラオも頷く。


「それは俺も感じた。あいつらはおまえを狙っているようだった」


「俺を?」


「だって僕を狙っていたんだったら、エフライムと一緒に逃げたときに、僕を見るでしょう? でもみんなハウトを見ていたよ?」


 ハウトの眉間に皺が寄る。


「俺を狙ってどうするんだ?」


 アレスは肩をすくめた。


「知らないよ。でも、少なくとも、僕は僕が狙いじゃないと思ったよ」


 ハウトは首をかしげた。


「じゃあ、俺は俺を守るためにあいつらの相手をしたのか? だが俺を狙うにしちゃあ、ちょっと弱すぎだぜ?」


 その言葉にエフライムが微笑んだ。


「ハウトの相手になるような人を探してくるとしたら、ひと苦労でしょうね」


「本当にハウトを狙っていたの?」


 ハウトの横でフェリシアの顔が蒼白になる。それを横目で見てハウトは憮然とした。


「おいおい。あんな雑魚、いくら人数で勝負って言ったって、俺相手だったら、絶対に舐めていると思わないか? ありゃ、アレス狙い以外には無いと思うがなぁ。なあ、ラオ」


 ラオは呆れたように首を振って、ぼそりと答える。


「知らん」


 ハウトは諦め顔で首を振ると、フェリシアの頭にぽんと手を置いた。


「まあ、心配するな。もしも俺を狙っていたとしても、あの程度じゃ俺はやられん」


 フェリシアが頭の上にあったハウトの手を掴むと自分の頬へと持っていった。ハウトの手の中に自分の頭を持たれかける。そしてハウトの瞳を覗き込んだ。


「でも、気をつけて」


「わかっているって。心配されるほうが心外だぜ?」


 ハウトの言葉にフェリシアは無理に微笑んだ。







 街道を東に一週間。途中でバルドルの館に寄り、馬車に乗り換えるとアレス達はミスラ公やバルドル達が待つフラグドに戻って来た。その夜、早速バルドルの部屋で情報交換が行われる。 


「これでなんとか東側は俺達の陣地になったな」


 首尾良く行ったことを話した上で、ハウトはばっと地図を広げて、クラストル、フラグド、アセルダ、そしてウクラテナの街を指差して言う。皆、テーブルの周りをぐるりと囲んでいた。


「本当はヘメレとケレス、できればカダストレアも、抱き込んでおきたいところだとは思うんですけれどね」


 エフライムが地図の西側を見ながら言う。以前ハウトがメモした軍隊規模の数字が残っている。その数字からいけば、まだ西側の戦力の方が大きい。


「だが、そうも行かないだろうな。そろそろ時間切れだろう」


「時間切れ?」


 ルツアが尋ねる。それにハウトが頷いて、答えた。


「レグラスが城内と領土内を掌握しちまう前に動いたほうが、勝率が上がる」


 バルドルが白いあごひげを撫でながら、続ける。


「それにそろそろ兵を集め始めんと。移動だけでも時間がかかるて」


 ハウトがバルドルを見た。


「じいさん。ミスラ公は? 完全に俺達の味方か?」


 バルドルが頷く。


「ブラギたちもよ。ある意味、ハウト、あなた英雄みたいになっちゃっているわ」


 ルツアが苦笑しながら言う。ハウトも思わず苦笑いになる。


「ということは、俺達がフラグドからウクラテナに拠点を動かしても大丈夫だな?」


 バルドルとルツアが黙って頷いた。


「よし。ミスラ公を中心に、ネヴィアナ公、ギルザブル公にも戦の用意をしてもらおう。兵をウクラテナに集める」


 トンとウクラテナの位置を指で叩く。


「あちらさんをクラレタの平原まで引っ張り出そう。クラレタの平原ならうウクラテナから近いからな。万が一戦が長引いても、こっちは補給をしながら戦える。それにクラレタの平原とイリジアの間にはプラクデス川があるからな。これを利用しない手はない」


 ハウトが地図を見ながらにやりと嗤った。


「集まって三千というところじゃろうかの」


 バルドルが地図を見つめながら言った。


「もうちょっと欲しいがな。アセルダには、大隊ぐらいは残しておかないとやばいだろうな。海から来られることも考えておかないとな」


 ハウトは地図を睨みながら考え込んだ。


「イリジアの連中がクラレタの平原まで出てきて、他のところからは出てこなければいいんだがな…レグラスに先走らせればいいんだよな…」


「馬鹿にしたら、名誉のためとか言って出てこないかしら」


 ルツアがさらりと言う。男達がびっくりしたようにルツアを見たので、思わず肩をすくめる。


「だって、殿方って名誉とか好きじゃない? 私だったら名より実だけど?」


 エフライムがちょっと考えるように首をかしげる。


「たしかに…。偽者とか、正統じゃないとか、そういうことを言ったら出てくるかもしれませんね」


「偽王だと煽ってみるか。意外に乗ってくるかもしれんな。まあ、それでなくても、さすがにクラレタの平原に布陣すれば、出てくるとは思うが…。アレス王からの宣戦布告書簡でも出すか」


 ハウトが独り言のように呟く。


「それだったら使者を立てて、直接煽ってみたほうがいいかもしれませんよ?」


 エフライムがいたずらっぽい顔で言う。それに対してバルドルが眉をひそめた。


「それはやめておいたほうがいいじゃろうな。普通の使者であれば、会う前に命を取られるぞ。書簡を届けるだけでも命がけじゃろう」


 ハウトが考え込んだ。


「仕方ない。書簡を届けるだけにしておくか。まずはクラストル、フラグド、アセルダで挙兵しよう。用意ができたところで、誰か立て…」


「俺が行く」


「ラオ?」


 ぼそりと答えたラオに、それまで黙って話を聞いていたアレスが怪訝そうに問い掛ける。


「他の奴じゃだめだ。俺が行く」


 ラオがもう一度言った。


「ラオが使者として行くぐらいなら、私の方が適任ですよ?」


 エフライムが横から言う。ラオはちらりとエフライムを見た。


「おまえは駄目だ。死ぬ」


 エフライムの顔が青ざめた。


「ラオ、おまえ…」


 ハウトが口ごもったところで、ラオはハウトを見てはっきりと言った。


「いいか、俺以外の誰が行っても死ぬ。戻って来られるのは俺だけだ」


 ハウトとバルドルが眉をひそめた。


「それって、ラオだけは無事で帰って来られるって言うこと?」


 アレスが再び問い掛けた。それに対してラオが黙って頷く。


「生きて帰って来られるというだけじゃなくて、無事に帰ってくるんだな?」


 ハウトが疑うような視線でラオを見る。ラオが再び頷いた。ハウトはつぃと視線をそらせる。


「まずは俺達がウクラテナへ移動して、兵を整ええるのと同時に、三箇所で準備をしてもらってからだな。どちらにせよ、用意に二週間、移動に二週間というところだろう? 使者は二週間後に立てよう」


 バルドルがハウトを見る。


「まずはミスラ公の前で作戦会議じゃな」


「必要か?」


「自分がいるところで決まらんと、納得できんじゃろう」


 そうハウトに答えて、バルドルはアレスを見た。


「もう一つ。ハウトを近衛隊長でも、将軍でもなんでもいいから、なんか地位を与えておく必要があるじゃろうな」


 ハウトが驚いたように目を見開く。それを無視してバルドルが続けた。


「ここから先は地位が意味を持つ場合もあるじゃろう。爵位でもなんでも授けておくと、後で動きやすいじゃろうて」


 アレスは黙って頷いた。ハウトは憮然としている。


「おれは縛られるのは嫌なんだがな」


 ぽんとバルドルがハウトの肩を叩く。


「逆じゃな。自由に動くためだと思っておればよい。さもないとアレスに近寄ることすら適わなくなるじゃろうて」


 ハウトはますます苦虫を噛み潰したような顔になったが、それ以上は何も言わなかった。


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