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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第12章  神の声(1)

 王家直轄地であり、商業都市ウクラテナ。ヴィーザル王国内では、ヴィーザルの首都イリジアについで大きな都市であり、西方と東方を結ぶ重要な拠点でもあった。


 プラクデス川とその傍流であるセランティア川にはさまれた位置にあり、北にはクラレタ平原が広がる。街の中は、整然とした石畳が広がり、商人達は集って店を広げ、各地からの珍しいものが集まっていた。


 街のほぼ中心地にウクラテナの大神殿はあった。神官長は代々ヴィーザルの首都イリジアにある大神殿を退任したものが務めていた。そしてこの時期、その任にはビョルン・アルデニウスがあたっていた。


 ウクラテナの大神殿は、旅人が各地で噂にするほど大きく、訪れた人に荘厳な印象を与えている。神殿の前には、それを守る左右の門番が置かれている。それは獣の身体に鳥の翼をもつ伝説の動物、グリフィン。そしてグリフィンを抜けて見える建物の入り口には石柱が何本も立ち、それぞれに神々の姿が掘り込んであった。


 他よりも奥まった中心の場所に位置するのは主神ゼーザレスであり、その雄雄しい姿の隣の石柱には、妻であり女神達の女王であるユージュスが立っている。人々はゼーザレスとユージュスに礼をとりつつ、神殿の中に入って行くことになる。


 高い天井を持つ神殿の中は美しいステンドグラスで、神話の世界が示されていた。


 天と地の混沌とした状況を切り分けるゼーザレス。それぞれの神々の誕生。そして地下の世界から現われた神々との戦い。その戦いにおける女神フレイムの活躍。大地の女神ヘレメデによる植物の創造。愛の女神ラディスによる動物の創造。知恵の神ルドゥスによる人間の創造。


 神殿の一番奥から始まるその絵物語は、入り口のところで人間創造の絵を示されて片側が終わっている。そして、そのまま反対側に目をやると、神々の世界での動物や植物の繁栄が示されている。


 入り口から奥に向かって続く絵物語の次の絵は冥界の女神セラディーヌの誘惑。人間が神々に反乱を起こし、神々の世界から追放される。風の神フィラと海の神ザパルによるとりなし。知恵の神ルドゥスによる人間の支援。そして主神ゼーザレスによる赦し。人間はもう神々の世界に戻ることはできないが、神々からの支援を受けて生きている。そう表現しているのがこのステンドグラスだった。


 そして神殿の一番奥にゼーザレスを中心として、それぞれの神の石像がずらりと立っている。人々は自分が信奉する神の前で跪き祈りを捧げていた。日々の祈りの時間や、結婚式、葬式といった人生の節目のときに人々が集う場所でもあるために、その石像のところに行くまでの間に、椅子が整然と置かれている。祈りの日には、神官達と街の人々が集い、これらの石像の前で祈りをささげるのだ。


 その日もいつものように神官長であるビヨルンは、祈りを捧げに来る人々を神殿の端から見ていた。たまに彼に気づいて会釈をしていく者達もいる。ふとビヨルンは神々の石像の一番奥の一番端で動かない人影に気づいた。先ほどから熱心に祈っている。若い女のようだ。本来なら見過ごすところだが、祈っている石像がルゥだったために、興味を引かれて近寄っていった。男性で祈る者は多いが、女性では珍しい。短く切った黒髪に、黒っぽい服装をしている。熱心に祈っているその女に声をかけてから、ビヨルンは驚いた。女神の一人が降りてきたかと思うほど美しい女だった。


 跪いた位置から見上げる紫の眼とその目元にあるほくろが印象的だ。思わず声をかけてしまってからビヨルンはうろたえた。もちろん表面上は落ち着きを装っていたが。


「なんでしょうか」


 女がその美しい外見通りの美しい声で答える。


「い、いや女性がこの神に祈っているのは珍しいので、何かご事情がおありかと思いましてな」


 女はそれには答えず、目を伏せた。


「私はこの神殿の神官長をしている者。よろしければお話になってみませんか?」


 ビヨルンは女の傍らにしゃがみ込んだ。それを見て彼女が答える。


「私の夫が…、陰ながらこの神を信奉していたのです」


「ほう」


「しかし先日、亡くなりました。夫の遺言に従って、私はお礼に来ただけです」


 そういうと、女は傍らの荷物から額に入った小さな絵を取り出した。


「神官長様…これは、この神、ルゥを描いたものだと夫から聞いております。もう、夫には必要がありません。もしも、欲しい方がいらしたら差し上げてください。私には要らないものですから…」


 女は額に入った絵を神官長に託した。うっすらとした翼を持った金髪の男が描かれている。


「夫は、この絵のおかげで私と結婚できたと思っていたようですわ。私は単にあの人に惹かれただけですのにね」


 悲しげに微笑んで見せる女の手からビヨルンは絵を受け取った。


「ぜひ夫と同じく、この神を信奉していらっしゃる方に差し上げてください。それが夫への供養になりますから」


 ビヨルンが名前を尋ねようとするよりも早く、女は会釈をすると、絵を残したまま立ち去ってしまった。ビヨルンは手元に残った絵をじっと見つめていた。









 その日の夕方。いつものように祈りの会を済ませた後で、ハイネデル候がビヨルンの居室に来た。ビヨルンが今だ交流があるイリジアの大神殿からもたらされる情報や噂話を聞くのを楽しみにしているのだ。


「ハイネデル候、今日は面白いものが手に入りましてね」


 ビヨルンはルゥの肖像画を見せながら、昼間にあったことを話した。


「本当に美しい女性でしたよ。あのような方を妻として迎えられるとは、うらやましい限りだ。とはいえ、もう故人ですがね」


 ビヨルンはいかにその女が美しかったかということを、ハイネデル候に話続けていた。その間、ハイネデル候はじっとその絵を見ている。しばらく食い入るようにしてその絵を見ていたが、顔をあげるとビヨルンに言った。


「これを譲ってくれんか」


「は?」


「いや、ぜひ」


「しかし、あなた様にはすでに奥方もいらっしゃいますし…それ以外にも…」


「それでも譲ってほしいのだ」


 ハイネデル候は強い口調で言った。ビヨルンは眉をひそめたが、ハイネデル候がルゥを信奉していることは知っていた。主神ゼーザレスへの礼をとる傍ら、必ずルゥにも挨拶をしていくからだ。


「いや…構いませんけれど…」


「それはありがたい。これも主神ゼーザレスのお導きであろう」


 その言葉に、ビヨルンは神官としての務めも果たさねば…と返事をした。


「そうですね。神々はいつも我々を気にかけ、道を示してくださいます。あなたに神の啓示がありますように」


 ビヨルンにとっては、いつも祈りの会で最後に口にしている言葉を言っただけだった。ハイネデル候は、目礼をすると絵を大事そうに懐にしまって帰って行った。








 蝋燭の明かりだけの暗い城内に戻ってくると、ハイネデル候は話しかけてくる側仕えを無視して、さっと自分の居室に引きこもった。


 祈りの時間が迫っている。この時間は、自分だけの時間だった。神々に祈る時間。しかもここ数日はかなり熱心に祈っていた。


 自分はどうしたら良いのか。ミスラ公が王になったと言ってきたアレスにつくか、それとも現在ヴィーザル城にいるレグラスにつくか。


 どっちについたとて、戦は避けられない。それであれば有利なところにつきたい。数の上でいけばレグラスだ。


 一方でアレスにはミスラ公およびその周辺の諸侯と、ネレウス王の片腕だったバルドルがついている。


 レグラスには大臣トゥールがいるが、かなりの人数が殺されたとも聞いている。


 ハイネデル候はいつものように蝋燭を机の上に燈して、熱心に祈り始めた。先ほど貰ってきたルゥの肖像画も机の上に置いてある。もちろん異性にモテるに越したことはないが、それだけではない。ルゥは謎と運命も司るのだ。


 ハイネデル候の口元から声が漏れる。ここ数日繰り返していた祈りの言葉。


「どうか私に道を示してください。アレス様につくか、レグラス様につくか」


 そのときにどこからか、声が響いてきた。


「正統なる王アレスに従うが良い」


 地の底から響いてくるような不思議な声だった。一人の声ではない。男と女が一緒に話しているような、それでいてまるで同じ口から話されたような声。ビクリとしてハイネデル候は顔を上げると、あたりを見回した。誰もいない。


「誰だ!」


 返事はない。背中から寒気が登ってくる。ふと机の上に置いてあった書簡を見る。ミスラ公から来たものと、トゥールから来たものだ。両方ともそれぞれの王に従うようにと書いてあった。毎晩、これを眺めながらため息をついていたのだ。そろそろを返事をしなければならない。


 置いてあった位置が少し変わっているような気がして、書簡の一つをとって開いた。ミスラ公からの書簡だ。アレス王に従うようにと書いてある。ついでにもう一つの書簡も手にとった。こちらは大臣トゥールからのものだ。中を見て何気なく読み返した手が震えてくる。


「なんだこれは…」


 中身は一見変わったところがない。しかし内容が変わっていた。アレス王に従うようにと書いてある。慌てて裏をひっくり返してみる。昨日、誤って蝋燭の蝋をたらしたのだ。慌ててこすったところが、そのままになっている。背中からゆるゆると冷たいものが上がってきた。


 同じ書簡だ。トゥールの文字、そして封印の蝋。自分が汚した跡。届いた日から毎日読み返してきた書簡と同じもののはずなのに、内容が違う。名前が違う。アレス王に従うようにと書いてあるのだ。さっきの声を思い出した。正統なる王アレスに従えと。


 がばっとその場でひれ伏した。神官の声が脳裏に蘇る。神々は道を示し、啓示を与えてくれる。そのままハイネデル候は熱心に感謝の言葉を祈り始めた。


 翌朝ハイネデル候の元を訪れるものがあった。アレス王からの使いが来ているという。謁見の間に待たせてその場に向かうと、薄い金髪をした若者が跪いていた。ハイネデル候が来たことに気づくと、そのままの姿勢で挨拶口上を述べる。


「ハイネデル候におかれましてはご機嫌麗しく。本日は、我らが主、ヴィーザル王国の正統なる継承者、アレス王の命によって参上いたしました」


「顔をあげられよ」


 ハイネデル候の声に、若者が顔をあげる。その顔にハイネデル候は見覚えがあった。いやこの者と会ったことはない。しかしどこかで似た人物を見たことがある。まじまじと見ているうちに気がついた。あの昨日手に入れたルゥの肖像画と似ているのだ。そのものではないが、印象が似ている。そしてハイネデルの瞳がこの若者の緑色の眼を捕らえた。吸い込まれるような色をしている。鮮やかな緑色の瞳だった。


「本日はお願いがあって参りました」


「お願いとな?」


「はい。我らが王、アレス様が貴方様のご助力をお待ちになっていらっしゃいます」


 親書を…と取次ぎの者から渡されると、そこにはアレス王のサインがある書面があった。ネレウス王やグリトニル王の文字に似ている。


「私の助力を?」


「貴方様のご助力が必要なのです。そして忠誠も」


 瞳の色が深くなる。ぐらりとハイネデル候の身体が微かに揺れる。ルゥに似ているこの若者。これも神の啓示の一つなのか。


「私の忠誠」


「貴方様の忠誠が欲しいと。ネレウス王に、そしてグリトニル王に捧げられた忠誠心を、その血をひく正統なる継承者アレス王に」


「正統なる継承者…」


「はい。正統なる継承者であるアレス王に忠誠を」


「忠誠を」


 若者が懐から書面を出した。


「こちらに書面を用意しておきました。ご確認の上、サインを」


 取次ぎの者が受け取り、ハイネデル候に渡す。その一瞬にハイネデル候はふと我に返る。忠誠を…。頭の中で声が響いている。ふとアレス王の使いだという若者を見ると、その者がにっこりと微笑んだ。緑色の瞳で微笑む。忠誠を…。アレス王に…。手元の書面にはハイネデル候が、そしてウクラテナがアレス王に忠誠を誓う旨が書かれていた。


「誰か。ペンを」


 声を出す。自分の声が遠くに聞こえる。すぐ側に控えていたハイネデル候の片腕とも言えるものが、耳打ちをした。


「今、ここで答えるよりも、後になさったほうが良いのでは?」


 後…。いや、自分は十分に考えてきたのだ。若者の眼を見る。緑の眼が頷いている。


「いや、私は決めた」


 ペンを取って自分の名前を書く。そして、若者に渡した。


「このベロフ・フロイダス。アレス王に忠誠を誓いますぞ」


 若者はハイネデル候の親書を受け取ると、微笑んで答えた。


「そのお言葉、お忘れになりませぬよう」


 緑の瞳がハイネデル候の瞳を捕らえる。


「アレス王は、貴方様の忠誠に報いてくださるでしょう。それでは先を急ぎますので失礼いたします」


 深々と礼を取ると立ち上がり、ハイネデル候の前を去っていった。






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