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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第9章  社交術

 ヴィーザル城でトゥールは自分でも持て余すほどの感情の揺さぶりを感じていた。こんなはずではなかった。グリトニル王とその后が居なくなれば、王位はレグラスに移り、実権は自分が握るはずだった。


 いや、実権は確かに自分が握ったのだ。長い年月の間、用意に用意を重ねて、自分の手勢の者を引き連れて城を乗っ取り、グリトニルやその取り巻き達をすべて始末した。現在または将来邪魔になる者も一緒に。始末したはずだった。しかし…その実体がこれかと思うと、やりきれない。


 レグラスは連日のように、女達を部屋に連れ込み出てこない。たまに出てくるかと思えば、酒か食事か勝手な命令を出すか、そんなところだ。さすがのトゥールも諌めたのだが、レグラスの返事は


「王が好き勝手をして何が悪い!」


 ということだった。


 トゥールとて、王に好き勝手をして貰えた方が、こっちも好き勝手ができる。しかし…好き勝手の仕方が問題だった。城周辺の未婚女性は全員城で働くように、勝手に御触れを出したり(さすがにこれはトゥールが気づいて、取り消した)、気に入らないものがいると、すぐに殺してしまったり。


 挙句の果てに、隣の国を乗っ取りに行くと言って武器などを集め始める始末。やることが行き当たりばったりなのだ。


 廊下を渋い顔をして歩くトゥールに声をかけてくるものがあった。


「ヴェルダロス様。お忙しいところ、申し訳ありません。…ヴェルダロス様」


 自信なさげな声が聞こえてくる。見れば、若い文官だった。


「なんだ」


 その怒りのこもった声に、一瞬その文官は怯んだ顔をしたが、意を決したように続けた。


「隣国の王の誕生日に親書を送ることになっていますが、どうしましょうか」


 その言葉を聞いた瞬間に、トゥールは頭に血が上ってしまった。思わず怒鳴りつける。


「そんなもの、わしに聞くことではあるまい!」


 怒鳴られて、文官は身をすくめて、思わず半歩後ろに下がってしまったが、それでも言葉を続けた。


「しかしながら…どのようにしたら良いか…」


「いったい、お前のところの…」


 と言いかけて、トゥールは気づいた。城内で親書のやりとりや、文章を書く必要がある場合に取り仕切っていた者を、トゥールはあの牢獄で手にかけたのだ。アレスの首を持って来たと言った者だ。


 結局、首を調べたところ、立派に成人した男の首であり、アレスのものではなかったのだけれど。


 王の御前会議で、しょっちゅうトゥールと意見を異にしていた男だった。正面切って反対することはなかったが、睨むような視線がいつもトゥールをいらいらとさせていた。だから首を切り落とした瞬間は、すっとしたものだが…。


 身をすくませつつも指示を待っている若い文官を、トゥールはぎろりと睨んだ。王と親しかった者や自分に敵対していた者をすべて殺してしまった。


 しかし今考えるとグリトニルも馬鹿ではなかった。傑出した王と呼ばれるネレウス王に比べると、本当に平凡で、普通の人のように見えたが、それでも人を見る目はあったのだろう。王の傍に居た者は優秀な者が多かったようなのだ。


 それに気づかずに、トゥールはすべて殺してしまった。故に苦労をすることになった。


 後に残った者は、言葉を並べるのは上手く、人に取り入ることが上手いが、才がない。反対をしないかわりに、自分の意見がない。何一つまともに動かない。


 これで他国が侵略して来たら、どうするのか…。トゥールはぞっとする。もともとヴィーザルは山と森と海に囲まれ、豊かな国として知られている。そしてそれは他国に羨みをもたらすが為に、侵略を受けやすいということでもあった。


 何年も続いた争いを終わらせたのが、ネレウス王だったのだ。


 考えても詮無いことだ。トゥールはため息をついた。自分がグリニトル王よりも劣っているとは思いたくなかった。自分の方が勝っていると思っていたからこそ、起こした反乱なのだから。


 ついたため息を別の意味で捉えたらしい文官が、さらに身を縮めて呟いた。


「すみません」


 トゥールはその者を見た。


「過去の文が残っているだろう。それを調べて文案を作れ。できたら持ってこい」


「あ、あの…」


「なんだ」


 立ち去ろうとした足を止める。


「手紙は送ってしまっているので、過去のものは…」


 いらいらとした表情で、トゥールは文官を睨みつけると、声を荒げた。


「控えぐらい残してあるだろう! 探せ!」


「はいっ!」


 文官は慌てて走り去っていく。トゥールはもう一度ため息をついた。ふと側に立っている人影に気づく。


「おまえは…」


 ダークブロンドの髪を持った細身の男が会釈する。


「近衛隊長オージアス・ザモラです」


 トゥールは思い出した。ギルニデム亡き後に、隊長にした男だった。吊り目で冷たい印象のダークブルーの瞳がじっとこちらを見ている。


「何の用だ」


「王の護衛について、何度もお目通り願ったのですが叶えられなかったので、ここでお待ちしておりました」


 にこりともせずにオージアスは言った。護衛も何も、王は部屋から出てこない。部屋の周りを固めていれば、何も必要はない…と思ったことが、トゥールの態度に出た。


「その話だったら、後で聞く」


 トゥールは何かを言いかけたオージアスに片手を振って黙らせると、そのままその場を立ち去った。今はそれどころではないのだ。振り返ればオージアスの不満そうな顔が見られることは分かっていたが、あえて黙殺してその足で謁見の間に向かう。アレギウスが待っている。暗い目をしたマギ。近寄るのは嫌だったが、これも仕方がない。今はマギの力が必要だった。


 謁見の間に足を踏み入れると、アレギウスはトゥールの姿見て跪いた。


「ヴェルダロス様には、ご機嫌麗しく…」


 片手を振って、うやうやしさを装った無意味な挨拶を止めさせる。


「それでアレギウス、やつらは見つかったのか?」


 牢獄の死体を検分させて、本来であれば死んでいるはずの者達が、あの牢獄から逃げ出したことに気がついた。いつか自分を滅ぼすことになる者。うまく牢獄に入れたと思ったのに、逃げられるとは…。情けを出したのが失敗した。こんなことであれば、自分で手にかけるのであったと思うが、もう後の祭りだった。なんとしても探し出さなければならない。


 アレギウスは薄い唇に卑屈な笑みを浮かべる。それすらもトゥールを苛々とさせていた。猫背をさらに丸めながら、上目遣いで答える。


「恐れながら…今しばらくお待ち頂くことになりそうです…」


「どういうことだ。見つけ出せると言ったのはお前だぞ。アレギウス!」


 思わず怒気を含む声になる。アレギウスは、さっと視線を下げると頭を下げたままで答えた。


「見つけられぬとは申しておりませぬ。しかも寸でのところで逃しましたが、やつらの潜んでいたとこまで一旦は追い詰めました」


 その言葉にトゥールは思わず眼を見開き、苛々とした表情のままでアレギウスを睨みつけた。


「なんだと! そんな報告は受け取らんぞ!」


 アレギウスがとぼけた表情で答える。


「そうでしたでしょうか」


 苦虫を噛み潰したような表情になると、トゥールは話の先を促した。


「それで、どうなったのだ」


「残念ながら」


「そのようなことが聞きたいのではない! せめてあったことだけでも報告せい!」


 思わず声が大きくなる。それに対してアレギウスは一瞬、冷めたような人を小ばかにしたような眼でトゥールを見ると、さらに頭を下げて続けた。


「男が三人。子供が一人、女が二人。潜んでおりました」


「どのようなものだ」


「子供は…」


 言いかけたところで、トゥールが遮った。


「子供はいい。アレスだろう」


 アレギウスが頷いた。


「他の奴らは?」


「女のうちの一人はフォルセティの娘のフェリシアでした」


「ということは、もう一人は乳母のルツアだな」


「そうお見受けしました。そして男たちのうち、一人は私の知らない男でしたが、他のものによると近衛隊のエフライムとか。残りの二人はフォルセティの息子たち。ラオとハウト」


「ハウト?」


 フォルセティにもう一人息子がいたとは、トゥールには初耳だった。ラオの存在は知っていた。グリトニル王に、フォルセティの後を継いで遠見として城に来るように言われて断ったと聞いている。代わりに妹のフェリシアが城に来たのだ。


 アレギウスが薄く笑う。


「義理の息子です。血は繋がってはおりません」


「そのおまえが知らなかったエフライムと、もう一人ハウトというのは、どんな奴だ?」


 アレギウスは考えるように首をかしげると答えた。


「エフライムは薄い茶色の髪で細身の整った顔をした男です。ハウトの方は見事な黒髪に黒い瞳のがっしりとした奴で…」


 アレギウスの話を聞きながら、トゥールの顔が青くなり、そしてまた赤くなった。


「もういい」


 押し殺したような声で、アレギウスの声を遮る。その様子にアレギウスは一瞬驚いた表情になったが、すぐに元の無表情に戻った。


「下がれ」


 トゥールが言う。アレギウスがひしゃげたように身体を倒して礼をすると、猫背の姿勢のままで謁見の間から出て行った。王の椅子の脇で立ち尽くしたトゥールは顔を真っ赤にしていた。身体が怒りでぶるぶると震えている。喉から低い声が漏れた。


「フォルセティめ…。死してなお邪魔をするか」






 暗い廊下の途中で立ち尽くしていたオージアスを、副隊長となったユーリーが見つけた。癖の強いハニーブロンドの頭とひげの顔をオージアスに近づけて、そのごつい手で肩を軽く叩く。


「どうした?」


 オージアスの高い鷲鼻がこちら側に向くのが見える。ユーリーの姿を認めると深々とため息をついた。


「またヴェルダロス様を捕まえ損なった」


 その言葉にユーリーは肩をすくめて見せる。気持ちはそのまま言葉となって、ユーリーの口から洩れた。


「またか。大変だな。隊長殿も」


「おまえ、副隊長なんだから、少しは働け」


「俺を副隊長にしたおまえが悪いんだぜ? きっと」


 ユーリーの明るいブルーの目が、きらきらといたずらっぽく光っている。あまり物事を深く考えない性質のユーリーは、逆に色々と考えてしまうオージアスから見て、羨ましいほどだった。思わず口をついて恨み節が出る。


「いいよな。おまえは。考えなくて」


「くよくよ悩んだって、人生は一緒だからな。おまえこそ、そんなに考え込むと早く禿げるぞ」


 すぐさま答えが返ってくる。憎まれ口ほど早く返ってくるのがユーリーだった。


 思わずさらさらとした細めの髪に手をやって、オージアスがむっとする。


「考えることと髪の毛は関係ないだろう。やめてくれ。うちは先祖代々薄いんだ。不吉なことを言わないでくれ」


 にやりとユーリーが嗤う。


「うちは先祖代々、死ぬまで豊かだぜ」


 オージアスが顔をしかめる。


「王の護衛の話を、髪の毛の話に摩り替えないで欲しいんだが…」


「まあまあ」


「まあまあじゃない。大体、俺が隊長だって言うのだって…」


 そこまで言ってオージアスは口を閉じた。ユーリーの目がじっと見ている。お互いに分かっているのだ。王の甥が反乱を起こし、今や新たな王となっている。自分たちは「王」に仕えるもの。王が変われば主が変わる。それにしても、今の王は…。ユーリーがオージアスの肩に腕を回して、がしりと肩を組む。


「とりあえず、俺達の仕事をしようぜ」


 ユーリーが無理に明るく言った。こんなときにお互い考えていることは、よく分かる。長い間、前隊長であるギルニデムの下で、二人してやってきたのだ。近衛は王を守るもの。しかし自分たちが守っているものは、なんなのか…。


 しかし考えても仕方が無いことだった。グリトニル王の家族は、すべて処刑された。アレス王子でさえも。そして自分たちは塩漬けになった首を見たのだ。それであれば、仕える王は一人しかいない。例えそれが、どのような王であっても。 







 城でトゥールがアレギウスから報告を受けていた同じころ、ミスラ公の居城ではささやかながら宴が開かれていた。一段高いところに、アレスとミスラ公ガラディールが座り、アレスの後ろにはバルドルが控えている。広間には人々がざわめいていた。とはいえ、ミスラ城内にいる多少地位がある人間が集まっているだけなので、大した人数ではない。ラオとフェリシア、そしてハウトは少し離れた場所で、集まっている人々を眺めながら酒を飲んでいる。そしてエフライムとルツアは積極的に人々と歓談して歩いていた。


 ガラディールがアレスに話しかけた。


「陛下、臣下の者達をご紹介いただけますかな?」


 アレスは臣下の者という言葉に違和感を抱きながらも、バルドルに視線を移した。バルドルが心得たように頷いて話しかける。


「陛下を煩わせるまでもありません。私がご紹介いたしましょう」


 アレスが短く答えた。バルドルからの勧めで、極力アレスは話さないようにしていた。


「頼む」


 バルドルは再び頷くと、広間に目を向けた。


「ガラディール殿、フェリシア殿はご存知かな?」


 ガラディールが頷いた。


「お美しい遠見殿ですな。一度お会いしただけだが、あそこにいらっしゃる方でしょう。すぐに見つけ出せる」


 ガラディールが広間の端にいるフェリシアに目を向けた。心なしか視線が熱い。ハウトが気づいたようだ。ちらりと嫌悪感のこもった視線を送ってきたが、バルドルの視線に気づいて、すぐに目を逸らした。


「フェリシア殿の右側にいらっしゃるのが兄上のラオ殿。左にいらっしゃるのがフェリシア殿の夫、ハウト殿」


 その言葉を聞いてアレスはびっくりして目を見開いたが、視線は前に固定したままだった。今は何を聞いても驚いてはいけない。バルドルに任せるべきだった。驚いたのはガラディールも一緒だったようだ。


「なんとフェリシア殿はもうご結婚を?」


 バルドルはゆっくりと頷いた。


「さよう」


「なんとも。惜しいことだ。あの美しさ。見過ごすには惜しいと思っていたのだが。遠見だったら毛色が変わって面白いと思わぬか?」


 ガラディールがバルドルに含み笑いで問い掛けた。


「諦めなされ。ハウト殿は、実はさる高貴なお方のご子息。訳があって今は家を出られているのじゃが、時がくれば後を継がれる予定のお方。しかも、これ以上無いくらいにフェリシア殿に入れ込んでおられる。下手に手を出すと大変ですぞ」


 バルドルが真顔でガラディールに言った。ガラディールが驚いたような顔をする。そしていやらしい笑いを見せた。


「なんと。遠見殿も罪なことをされる。いや、ハウト殿が上手くやったと言うべきでしょうかな? ご正妻には別の方を迎えるという手もありますしな」


 くくくとガラディールは笑い声を立てた。耳障りなその声に、アレスは席を立って離れたかったが、じっと我慢する。その様子を見て、バルドルは話題を変えた。


「あそこにいるのが、エフライム殿とルツア殿。ルツア殿はご存知ですな?」


 ガラディールが頷いた。


「ギルニデム・グルベンキアン伯の奥方でしたな。たしか陛下の乳母だったとか」


 陛下と呼ばれたのが自分であると気づいて、慌ててアレスは頷いた。


「エフライム、エフライム・バース殿はギルニデム殿の信頼も厚く、将来はギルニデム殿の後をついで隊長にと見込まれていたもの。その見込みどおり、今はアレス王を守る立派なな盾となっているのです」


 ガラディールが感心したように目を見開いた。


「ほう。若く見えるのに、それは大したものだ」


 アレスは気づいた。ガラディールという男は、肩書きが一番なのだ。現在高い地位にいる者だったり、将来高い地位に上るということが分かっている者だったりすれば、感心する。それだけなのだ。気分が悪くなりそうだったが、じっとアレスは耐えた。この宴の前にバルドルから言われていたことを思い出す。


「不機嫌になることもあるかもしれんが、わしに任せてじっと座っているのじゃぞ。今、ミスラ公の力を失うわけにはいかん。それが政治じゃ」


 アレスはバルドルを信じて、じっと座っていた。その様子に気づいたようにエフライムがアレスの前に来て跪く。自分に跪くエフライムを見るのは、あまり気持ちの良いことではなかった。仲間という意識の方が強くて、臣下としての礼を取られるのは、違和感が先に立つ。しかしアレスは黙ってエフライムを見ていた。


「陛下」


 エフライムが下から見上げるようにアレスを見る。エフライムにそんな風に呼ばれるのも嫌だった。いつものように名前で呼んで欲しかったが、今は仕方ない。


「よろしければ、皆とお話をされませんか? このような機会は滅多に無いものと思われますので」


 アレスは救いを求めるようにバルドルを見た。顔は表情がないが眼が優しい。バルドルは感情を込めない声で、エフライムに言った。


「そなたがお守りするのであれば」


「もちろんです」


 そしてエフライムは立ち上がってアレスの手を取ると、椅子から連れ出した。ガラディールの視線を背中に感じながら、人ごみの方へ向かっていく。周りにいた人が一斉にアレスに向かってお辞儀をしてきた。その様子にアレスは驚きを感じていた。自分はこんなに子供なのに…。王という肩書きがなせる技だ。情けない気分になっていると、エフライムがアレスの耳元に囁いた。


「ある意味、まだ敵中ですからね。気を抜かないでくださいよ」


 びっくりしてエフライムを見ると、エフライムは唇だけ微笑んでいたが、眼が笑っていなかった。


「陛下、皆様にお声を」


 エフライムが手を取ったまま、アレスに頭を下げた。アレスは敵中という言葉に気が引き締まる。


「ごきげんよう」


 アレスは父グリトニル王の所作を思い出しながら、ゆっくりと笑顔を浮かべて言ってみた。声も低めに威厳を保てるように気をつける。とたんに皆が口々に挨拶を返してきた。


「アレス王にはご機嫌麗しく」


「本当にネレウス王にそっくりで」


「グリトニル王は残念なことですが…ヴィーザル王国はアレス王がいらっしゃれば安泰ですな」


 口先だけの言葉に、アレスは嫌気が差しながらも、顔は笑顔のまま広間を歩いて回る。ルツアが飲みものを持ってきた。腰を軽く下げて優雅にお辞儀をする。元を正せば伯爵夫人だけはあり、さすがに場慣れしていた。


「陛下、どうぞ」


「ありがとう」


 アレスは本当に感謝して受け取った。事実、緊張のせいでかなり喉が渇いていたのだ。








 一方、壇上からその様子を見ていたガラディールはバルドルに話しかけた。


「本当にネレウス王に似ていらっしゃる」


「そのとおり。お姿だけではなく、気質も似ていらっしゃる」


 バルドルはここぞとばかりに言った。


「レグラスも馬鹿なことを」


 ガラディールは呟いた。バルドルは心の中でにやりと笑う。しかし顔はあくまで深刻そうに言った。


「本当にその通りじゃ。ネレウス王はアレス様を大事にしておられたからこそ、このわしを傍につけたのですぞ。レグラスを王にするということは、ネレウス王に背くことでもある」


 ガラディールはバルドルを見て、その言葉に頷いた。


「その通りです。バルドル殿。この国にいる我々は中興の祖であるネレウス王の遺志に背くようなことを、できる訳がない」


「では」


 バルドルの問いにガラディールが頷いた。


「勝手と承知ながら、ネヴィアナ公とギルザブル公には私の名前で早馬を出しました。すぐさまアレス王に忠誠を誓う知らせが届くでしょう。ウクラテナのハイネデル候にも一応出したが、あそこは直轄地ゆえなんと返事くるか…」


 バルドルは心の中で快哉を叫んでいた。ミスラ公は完全に手の内にあった。しかしおくびにも出さずに、平然とガラディールを見て言う。


「ガラディール殿。ぜひアレス王を盛り立てていってくだされ」


「もちろんですとも。しかしアレス王の側には貴殿が控えていらっしゃる。安泰ではありませんか?」


 その言葉にバルドルは悲しそうに首を振って答えた。


「なんの。なんの。このわしはすでに老いぼれ。引退したところを今回の騒動で引っ張り出されたようなものです。後はガラディール殿のようなお若い方にお任せするべきでしょう。陛下の側には信頼できるものを置かなければ」 


 その言葉に、ガラディールは素早く反応した。ネレウス王の傍に常に従っていたバルドルのことを、ガラディールは羨ましく思っていたのだ。今度は自分こそが…と願う。


「もちろんですとも」


 ガラディールは力強く答えた。







 その夜アレス達は、ミスラ公の居城に用意されたそれぞれの部屋をそっと抜け出すと、次々とハウトの部屋に集まった。すでに夜中と言ってよい時間だ。フェリシアが現われたところで、ハウトが目で合図をした。頷いて、フェリシアが部屋の壁に触る。一つが終わると、次へ。次へ。四方が全部終わると、椅子の上に登って天井に触る。次は床へ。そして言った。


「大丈夫。何も仕掛けはないわ」


 その言葉に、今まで黙り込んでいた皆がふぅと息をついた。


「それでじいさん、首尾は?」


 ハウトがバルドルを見た。バルドルがにやりと嗤う。


「完璧じゃ。ミスラ公は早馬を出した」


「ああ、それは見ていました。親書を携えてね。アレス王誕生の」


 エフライムがさり気なく付け加える。バルドルが目を見開いた。


「おまえさん、やるな」


 エフライムが微笑む。


「情報源は複数、そして出来ればオリジナルに当たるってね。私のモットーですよ」


 椅子に座っていたアレスが眠気に目をこすった。しかし一言言っておかなければ。これを伝えるために、ここに来たと言っても過言ではない。


「ハウト、フェリシアはハウトのお嫁さんってことになっているから」


 フェリシアがぱっと頬を染め、ハウトが目を見開いた。


「どういうことだ?」


「ミスラ公対策だよ」


 その言葉にハウトははっとなる。


「あのやろう…。フェリシアをいやらしい目で見やがって」


「駄目だよ。ハウト。まだ我慢しないと」


 まるでアレスの方が年上のような言葉に、皆思わず吹き出す。しかしアレスはそれどころではなかった。眠くて、意識が途切れそうだった。


「ハウト、きっと明日はフェリシアと一緒の部屋だよ」


 フェリシアの顔に赤みが増す。ハウトは居心地の悪そうな顔になった。さらにアレスは呂律が回らない口調で続ける。


「ハウトはある高貴な方のご子息ってことになっているから」


「なにぃ?」


 バルドルが手を振って言う。


「なんとかも方便という奴じゃよ」


 アレスがさらに言った。


「ミスラ公は、地位があるとか、そういうのに弱いから…」


 バルドルが驚いたようにアレスを見た。


「よく気づきおったな。アレスよ」


 アレスがとろんとした目でバルドルを見返す。


「わかるよ。それぐらい。見え見えだもん。僕は嫌だな。ああいうの。みんな仲間っていうのがいいな。陛下なんて呼ばれたくないよ…」


 最後の方は消えていくようだった。さすがにアレスにとって、この時間に起きているのは無理があったのか、すぐさま寝息が聞こえてくる。ラオが苦笑してアレスを抱きかかえると、ハウトのベッドに寝せてやった。


「あとでわしが運んでいってやろう」


 バルドルが優しい瞳でアレスを見た。そして振り返ってハウトを見る。


「とりあえずミスラ公は押さえた。確実にネヴィアナ公とギルザブル公もミスラ公に従うじゃろう」


 その言葉にハウトが頷く。荷物の中から地図を取り出した。先日、バルドルの館で見ていた地図だ。


「そうなると…次はウクラテナだな。ヴィーザル王国最大の商業都市だからな、ここが落とせれば、かなり最後の戦いが有利になる」


 ハウトの指がウクラテナの場所を叩いた。今いるフラグドの街から見ると南西方向に当たる。その先には、ヴァージの森からクラレタの平原、そしてレスタの谷が広がり、そこを超えるとヴィーザルの首都イリジアだ。


「できれば今回のように戦わずに戦力として組み込めればいいんだが…」


「一応、早馬はウクラテナにも出したようじゃが、決定打は他に必要じゃろうな」


 バルドルの言葉に、ハウトは考え込むようにして黙り込んだ。その瞬間にラオが密やかな声を発する。


「静かに」


 皆一斉に緊張した面持ちになる。ドアの外を足音が通り過ぎて行くのが聞こえた。しばらくしてから、ラオが口を開いた。


「行った」


 ハウトが呆れたように見る。


「今のが聞こえたのか?」


 ラオが首を振った。


「仕掛けをしておいた。近寄ると分かるようにな」


 エフライムが低く口笛を吹く。バルドルも目を見開いた。


「それだけの腕を持ちながら、グリトニル王からの誘いは断ったと聞いたぞ。王家にいたら良かったじゃろうに」


 惜しそうに言う。その言葉にラオはまっすぐにバルドルを見て答えた。


「グリトニル王は『遠見』を欲しがったんだ。俺は遠見じゃない。だから断った」


 その言葉にバルドルがわずかに目を見開き、そして納得した。ネレウス王の言葉が脳裏に浮かんでくる。


「マギや遠見というのは、考えようによっては非常に素直な人々なのだ」


 多くのマギや遠見との謁見を済ませた後だった。ネレウスの部屋に寄って行くように言われて、王自らが注いだワインを飲みながら二人で話をしていた時だ。自分も疲れているだろうにバルドルをねぎらいながら、どこか興奮した面持ちで話していた。


「遠くを見てくれと言われたから遠くが見えた。病気を治して欲しいと請われたので、治した。だが、それで挙句の果てに化け物呼ばわりされて、狩られたんじゃ救われんよな」


 確かにフォルセティもそんなところがあった。ネレウスやバルドルが言った言葉を素直に聞いて、本来であれば不可能なことをそのまま実行するようなところが。


 それは能力だけではなく、一般的なことにも言える傾向だった。だからラオは城に来なかった。遠見と言われて、素直に自分ではないと考えてしまう、その素直さ。


 思いに沈んでいるバルドルをよそに、ハウトが顔を上げて言った。


「まずは、また情報収集からだな。エフライム?」


「了解。ウクラテナ…ハイネデル候ですね?」


 ハウトが頷く。そしてバルドルを見る。バルドルは物思いから脱しハウトを見返してから、思い出すように天井を見上げた。無意識にあごひげを撫でている。


「ハイネデル候か…。どんな奴じゃったかな。…そういえば信心深いと聞いたことがあるが…」


「どの神様かわかるか?」


 ヴィーザル王国で信奉されている神々は多数いる。商売人なら商売の神ラトス、軍人の類なら戦いの女神フレイムという具合に、皆自分に都合のよい神様を拝んでいた。バルドルが首をふる。


「いや、覚えとらん」


 エフライムが心得たように頷いた。


「では、それも調べてきましょう」


 ハウトが頼んだぞ、と答えて、またバルドルを見た。そしてチラッと含むような目をしながら言う。


「ミスラ公はじいさんに任せるぞ」


 バルドルがにやりと嗤って頷いた。


「面倒だが宮廷政治なら任せておけ。無駄にネレウスの片腕はやっとらん」


 ハウトもにやりと嗤う。それからルツアの方を向いた。ルツアを見たけれど、ばつが悪そうな顔をして、言葉が出てこない。その様子に察しをつけたルツアが片手をあげて、ハウトを止めた。


「ストップ。わかっているわ。フェリシアの警護でしょう?」


 ハウトが黙って頷く。フェリシアは驚いたようにルツアとハウトを見た。


「任せておいて。彼女から離れないようにするわ。それにね。あれ以来、私も必ず剣か短剣を身に着けるようにしているのよ」


 ルツアは、長いスカートをちょっとだけ持ち上げて見せた。ふくらはぎの部分に短剣が革の帯びのようなもので、括りつけてあった。


「でも交換条件があるの」


 ハウトがその言葉に眉をひそめる。


「交換条件?」


「ええ。一日一回、どこかで剣の稽古をつけてくれないかしら」


 その言葉に、ハウトの表情が崩れた。笑顔になる。


「そのぐらいならお安い御用だ」


「ありがとう」


「どこまで強くなる気かな。このフレイム様は」


 ハウトがちゃかした声で言う。ルツアは澄ました顔で答えた。


「そりゃあ、あなたより強くなるまでよ」


 その言葉に笑って答え、ハウトは肩の荷を下ろしたように、ほっとした表情で伸びをした。


「ついでに俺はこの城にいる兵の相手をしてみよう。どれぐらい使える奴がいるかな」


 そしてフェリシアを見る。


「念のため、ハイネデル候の居城の見取り図を頼む」


「わかったわ」


「ラオはアレスの警護を頼む。親父とネレウス王の例があるから、ラオが傍にいる分には、ミスラ公から見て不自然じゃないだろう」


 ラオは黙って頷いた。


「じゃあ、明日からだな。今日はもう寝ようぜ」


 ハウトのその言葉を合図に、皆部屋から出ていた。バルドルがアレスを両腕で抱きかかえて、ドアから出た。最後にフェリシアがハウトにキスをする。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 ルツアがドアの傍で、フェリシアを待っていて、一緒に戻っていった。

 


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