表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
17/170

第7章  女同士

 二週間ほどバルドルの館でゆったりとした時間を過ごし、皆の体力も気力も回復しつつあった。そして夕食後に皆でお茶を飲んでいたところで、ハウトが口を開いた。


「そろそろ動くときだと思う」


 皆の視線がハウトに集中した。


「どっちにせよ、俺達にはもっと戦力が必要だ。手っ取り早いのは、どこかの諸侯を味方につけるか、配下に置くことだな」


 ハウトは部屋の隅に持ち込んであった紙を広げた。ヴィーザル王国の地図だった。


「俺達が今いるのがここだ」


 王国の中で中央よりも東に寄ったところを指で示す。東にミスラ公の治めるフラグドの街があり、東南方向に港町アセルダ。そして北にはネヴィアナ公の治めるクラストルの街がある。


「現在ヴィーザル王国のそれぞれの地を治めている諸侯は、七大公爵のうち六人ですね」


 エフライム言葉を途切れさせた。ヴィーザル王国を王の元で治める七大公爵。そのうちの最大権力者であるイリジア公は、首謀者の一人でもあるトゥールだから助力は望めない。


「クラストルのネヴィアナ公、フラグドのミスラ公、アセルダのギルザブル公、ケレスのフレミア公、ヘメレのトレヌス公、カダストレアのアマステラ公。直轄地のウクラテナを王代理で治めているハイネデル候を入れると7人になりますが」


 エフライムが東から順番に、それぞれの地名を指で示し、最後にバルドルの館のほぼ南に位置するウクラテナを指差した。


「今、この地から動くとすると、フラグドのミスラ公を落とせれば一番いいでしょうね。ミスラ公は、ネヴィアナ公やギルザブル公にも影響力があると言われていますから」


「おまえさん、よく知っとるな」


 バルドルが呆れたように言う。それにエフライムは笑顔で答えた。


「城一番の情報通で通っていましたからね」


 ハウトはその言葉ににやりと笑ってから、バルドルに尋ねる。


「じいさん、各公の戦力がどんなもんだか知っているか?」


 バルドルがひげを撫でながら、考え込んだ。


「わしがまだ城にいたころと同じだという前提でじゃがな」


 そしてバルドルは地図を覗き込んだ。


「東からいくと、国境のタマディアには一個中隊で大体百人じゃな。フラグドとクラストルに大隊で三百ずつ。港町のアセルダは海の守りがあるので八百。ウクラテナは直轄地じゃで、千六百。ケレスには三百。港町ヘメレは八百。首都イリジアに二千五百。そしてカダストレが三百。国境のアイテルに百。これらが平時の配置じゃな。そして戦時には、周囲から徴兵して大体二倍になる」


 ハウトはバルドルの出した数字を地図に書き込んでいく。


「イリジアに二千五百か…。どっちにせよウクラテナは落とさんと、最後がキツイっていうことだな」


 ハウトの言葉にバルドルが頷く。そしてエフライムが口を開いた。


「まずはフラグドでしょうね。アセルダを落とすよりも勝算がありますしね」


「ミスラ公といえば、ネレウスを神のように崇拝していた奴だな。グリトニルとは、今いち反りが合わんかったようじゃが」


 バルドルにかかるとネレウス王も、その息子のグリトニル王も形無しに聞こえる。皆その口調に苦笑した。


「じゃが、外交手腕にかけてはそれなりにある奴でな。それで東の中心部に配置したんじゃよ」


 ハウトが少し考えてから、エフライムを見た。


「エフライム。おまえさん、ミスラ公に関する情報を頼む」


 エフライムは微笑んで頷いた。


「了解」


「フェリシア、おまえはミスラ公の居城の地図を作ってくれ」


 フェリシア黙って頷いた。その表情は何かを考え込んでいるようだった。


「じゃあ、後は情報待ちだな」


 ハウトの宣言でお茶の時間は終わった。







 その夜、ルツアの部屋のドアを叩く者がいた。


「どなた?」


 中からの声にフェリシアが答える。


「フェリシアよ。入ってもいいかしら」


「どうぞ」


 フェリシアが中に入ると、ルツアは腕立て伏せをやっている。その光景に、フェリシアは驚いた。


「何をしているの?」


「鍛えているのよ。私は筋力が足りないから。剣を振り回す力がもっと欲しくてね」


 そう言っている間にも、ルツアの腕が曲がり、また伸びして、身体が上下に動く。


「ふぅ」


 息を吐くと、ルツアは身体を起こした。


「どうなさったの? こんな時間に」


 ルツアがフェリシアを見た。フェリシアがあいまいな微笑みを浮かべる。


「あなたと話がしたくて…。昼間だと他の方々がいらっしゃるから」


 ルツアがふっと笑った。


「女同士の話ってことね」


 そして部屋の奥の小さなテーブルセットを身振りで示した。


「まあ、お座りになって。ワインでもいかが?」


 棚にある小ぶりな白ワインのボトルとグラスを二つ持ってきた。


「いただくわ」


 フェリシアは笑顔で答えて、椅子に座る。ルツアも椅子に座り、ワインのコルクを抜くと、グラスに注いだ。


「デザートワインよ。眠る前にはちょうどいいでしょう?」


 フェリシアはグラスに口をつけた。口の中に甘い味が広がる。しばらくその余韻を楽しんでいたが、思い出したようにルツアを見た。


「ねえ、ルツア。もしかして辛いことを聞いたらごめんなさい。でも、結婚するってどんな気持ちかしら」


 ルツアが驚いて目を見開く。しかしすぐに納得したように微笑んだ。


「ハウトね?」


 フェリシアは頷いて、ルツアの視線を避けて、ワイングラスを見つめる。そんなフェリシアを優しい視線で見ながら、ルツアは話を始めた。


「私は幸せよ。ずっとギルニデムと一緒に居たいと思っていたんですもの。私達ね、親が決めた許婚だったのよ」


 その言葉にフェリシアがルツアを見た。それに答えるように、ルツアは微笑んで見せる。


「だから少女のころから、ずっとギルニデムと結婚するんだって思っていたわ」


 ちょっと遠くを見るような眼をして、ルツアは話続ける。


「結婚してしまえば、一緒に生活しているのが、本当に普通のことになるわ。だから心配なさらなくても大丈夫よ」


 フェリシアがルツアを見る。


「ちがうの…」


 ぽつりとつぶやいた。


「ルツアはどうやって結婚できたの? 親同士が決めたとしても、きっかけはあったのでしょう?」



 ああ、そういうことかと、ルツアは納得した。そして苦笑した。


「そうね。でも、私の経験が参考になるかどうか」


 そう前置きしてから、ルツアは続けた。


「私の場合は、許婚だと知ったときから、ずっとギルニデムに憧れていたのよ。そして、ずっと結婚すると思っていたわ。でもある日ね、ギルニデムがどこかの女性と話しているのを見てしまったの。あとから思えば、ただの知り合いだったと思うのだけれど。そのときに思い至ったのよね。ギルニデムに何も言われていないことに。愛を囁かれるわけでもない。私のことを好きかどうかも判らないってね」


 ルツアは微笑んだ。そのときのことを思い出しているのだろう。


「だからその光景を見たときに、取られる、って思ってしまったのよ」


「それで?」


 フェリシアが先を促す。


「だから、私ね、決闘をすることにしたの」


「え?」


 フェリシアは聞き間違えたかと思って、聞き返す。


「決闘。誰かに取られるぐらいなら、彼を倒すか、私が倒されるほうがマシだと思ってしまって」


 ふふふ、とルツアが笑う。


「それで果たし状を持って押しかけたの。ギルニデムが住んでいる家まで行ったのよ。そのころ、ギルニデムは両親の館を出て、城の傍に小さな家を借りて住んでいたの。そこに押しかけたの」


 フェリシアの眼がびっくりしたように見開いた。それを見て、ルツアは笑う。


「うふふ。何も考えてないって強いわよね。私が押しかけたのを見たときのギルニデムの驚きようったら! 私は、決闘よ! って言い張って。どう考えても私が負けるに決まっているのにねぇ。ギルニデムのあんなに慌てた顔は本当に初めて見たわ」


 ルツアは思い出して笑った。


「でも、結局、誤解は解けたの。そしてそのまま、家まで送っていくと言う彼を黙らせて、泊まってきてしまったの」


 フェリシアが目をぱちくりとさせる。その仕草が可笑しかったのか、また更にルツアは笑った。


「翌日、一緒に家まで来て、父に挨拶して、そして式の日取りを決めたわ。父はちょっと渋い顔をしていたわね。順番が逆だって」


 ふとルツアは視線をグラスに落とす。穏やかな笑みが漏れた。


「私にとっては、順番なんてどうでも良かったの。だってギルニデムから確固たる約束を受け取ったんですもの」


 ルツアはにっこりとフェリシアを見て笑った。その優しい微笑みを見て、フェリシアはため息をつく。


「うらやましいわ」


 そう呟いてから、はっとした表情になる。ルツアの夫ギルニデムは、今は…。


「ごめんなさい! 私…」


 ルツアはフェリシアの手の上に、自分の手を乗せた。


「大丈夫よ」


 ルツアは穏やかに微笑む。


「ハウトが何も言ってくれないことが不安なの?」


 フェリシアは首を振った。そして一旦、グラスを見るように視線を落とすと、ルツアの眼を見る。


「ハウトはいつも言葉はくれるの。愛しているって…。でも…そうじゃないの。ハウトは恐れている…のだと思うわ…。私が遠見の力を無くすのを」


「どういうこと?」


 フェリシアはぽっと頬を染めてから、話始めた。


「だって、最初にキスしたときですら、私の力が無くなったんじゃないかって、おどおどしていたんですもの。私にとっては、遠見の力よりも、ハウトにとって誰よりも近いところにいることの方が大事なのに…」


 フェリシアはグラスをじっと見てから、一口、また口に含む。


「大事にされていることは分かっているの…。ずっと昔から。本当に子供のころから。でも、もう私だって子供じゃないわ」


 ルツアは微笑んだ。


「ハウトはあなたのことを子供だなんて思っていないわ。絶対にね。思っていないからこそ、きっとハウトも困っているんじゃないかしら」


 フェリシアがルツアを見る。


「どういうこと?」


 ルツアは肩をすくめた。


「私からは言えないわ」


 照れを隠すように、ルツアは下を向いて二人のグラスにワインを継ぎ足す。


「ハウトはあなたに、あなたでいて欲しいのよ」


「私に私でいて欲しい?」


「そう。遠見の力はあなたの一部でしょう? だから失いたくないのよ」


「失うものなのかしら?」


 ルツアはその言葉に苦笑する。


「さあ、私には無い力だから、分からないわ」


「そうよね」


 フェリシアは黙り込んだ。ルツアはグラスを手にとりワインを飲む。アルコールを含んだ甘い味が、この場にはぴったりな気がした。我ながら良い選択をしたものだ。


「ルツアが私だったら、どうする?」


 フェリシアがルツアを見る。そのすがるような瞳に、ルツアは微笑んだ。


「私だったら、無くなる『かも』しれないなんて、曖昧な条件のものは無視するわ。だって私の一部よ。私が私である限り、無くならないって信じるわ。きっとね」


 ルツアは、フェリシアを見た。


「でも、それを聞いてどうするの? あなたは私とは違う。考え方も、感じ方もね。私の意見は、私の意見。大事なのは、あなたがどうしたいか、だと思うわよ。それにね」


 ルツアは、ちょっとだけ間を置く。


「ハウトに任せてもいいんじゃないかしら。あなたとのことを、考えていないっていうことは、ないと思うわ。これは絶対に明言できる。でも、こういう状態ですもの。きっと慎重にならざるを得ないんだと思うわ」


 フェリシアがルツアを見た。目を見開く。


「そうよ。こういう時だから心配なの。ハウトは私を置いて行ってしまうわ。きっと。一人で戦場に行ってしまう。あのレティザルトの戦いのときのように。傭兵になったときのように。私一人を安全な場所において、きっと一人で行ってしまうわ」


 必死な声だった。ルツアは思わずフェリシアの肩を抱く。


「それが辛かったのね…」


 そう言われて、フェリシアもようやく自分の気持ちに気づいたようだ。結婚よりも、何よりも、フェリシアにとって一番辛いことに。


「私、置いていかれたくない…」


「わかるわ」


 フェリシアの目から見る見るうちに涙が溢れていく。


「私は戦場では何もできないわ。身を守る術がないもの…。せめてラオみたいに何かできればよかったのに…。本当に何もできないわ。でもハウトの傍にいたいの…足手まといになるって分かっているけど、それでも傍にいたいの…」


 ルツアはフェリシアの肩を抱いて、そしてフェリシアの髪をなでた。ぽろぽろとフェリシアの前のテーブルに水滴が落ちていく。


「あなたも本当にハウトのことを大事に思っているのね」


 優しくルツアは言った。その言葉に、涙の量が増えたようだ。フェリシアの細い肩が震えている。


「…何も…きっと何も残さずに、彼は行ってしまうわ…。いつでもそうなんですもの」


「でも帰ってくるでしょう?」


 ルツアが優しい声で言う。フェリシアは顔を上げた。


「ハウトは強いもの。帰ってくるって約束して、そして、帰って来ているでしょう?」


 フェリシアは弱弱しく頷いた。


「ええ」


「じゃあ、それを信じるしかないわ」


 ルツアが静かに言った。


「だって、もしもあなたを戦場に連れて行って、そのまま失ったりしたら、きっと自分が命を落とすよりも、ハウトは後悔すると思うわ」


 フェリシアはルツアを見た。ルツアの瞳も少し光っている。


「自分が守るはずだった人を失うのは、自分を失うよりも辛いことよ。フェリシア。自分を一生許せなくなるぐらいにね」


 フェリシアは何も言わずにルツアを見つめていた。


「だから、今はハウトを信じてあげる方がいいんじゃないかと思うの。もしもあなたを置いていったとしても、絶対に帰ってくると信じてあげて」


 フェリシアは、再びワインのグラスを見た。そしてポツリと言う。


「なぜあの人は戦うのかしら。戦いの勇者になんてならなくてもいいのに。長腕のハウトなんて呼ばれて欲しくないのに」


 ルツアが微笑んだ。


「でも、そういう彼が好きなのでしょう? エフライムや私が敵わないぐらいの剣の腕をもち、敵を敵とも思わない。そういう彼が好きなのでしょう?」


 フェリシアはじっとグラスを見たままだった。そしてまたポツリと返事をした。


「そうね」


 そしてルツアを見て、無理に微笑んだ。


「そうね。私はそういうハウトが好きよ。勇敢で、強くて、恐れるものがない。そういうハウトが好きだわ」


 そして目を伏せた。


「私は、きっと贅沢なのね。勇敢なハウトが好きなのに、自分の傍を離れるのであれば、勇敢であって欲しくないんですもの」


 悲しげに微笑んでいるフェリシアを見て、ルツアがもう少し強い酒を持ってきた。そしてグラスをフェリシアの手に押し付けて言う。


「飲もう。酔っ払うのは殿方の特権ではなくってよ」


「でも、私、すぐ眠くなっちゃうわ」


 くすりとルツアが笑った。


「ベッドは広いんですもの。いいわよ。この部屋で眠っても。女同士だからハウトもきっと妬かないでしょう」


 その言葉に、ようやくフェリシアもくすりと笑った。


「妬くかも知れないわ。ルツアには」


 いたずらっぽい声でいう。それに答えて、ルツアはふくれたフリをした。


「あら、何を言いたいのかしら」


 そして二人してくすくすと笑った。その後は酔いつぶれるまで飲んだのだった。翌日、二人とも二日酔いになり、ルツアはハウトから文句を言われたのは言うまでもない。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ