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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
外伝(5)
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いつの日か(4)

 その日からリーザは笑えなくなった。誰かが自分を見ている気がして、後ろから襲われるような気がして、怖くてたまらない。草木の陰や風の音にも怯えるようになった。蝋燭の明かりの揺れですら、何者かが潜んでいるような気がして怯えた。


「リーザ」


 柔らかく優しい声で呼ばれた。こんな呼び方をしてくれるのは一人しかいない。朝起きたとき、夜眠る前の時間、たまたま井戸の傍での仕事が一緒になったときなど、アレスはその度にリーザの名前を呼びながら、「おはよう」「おやすみ」「やあ」と軽い挨拶をしてくれる。彼自身も酷く痩せてしまって、身体のあちこちに痣を作りつつも、リーザには優しく接してくれていた。


「これ、食べる?」


 彼のポケットからは、ごく稀に野菜の切れ端や菓子、果物といったものが出てきた。聞けば市場で買い物をするときに、上手に値切ったり、おまけをつけてもらったりするのだという。それだけではなく、往復の道で食べられる野草や木の実を見つけたといって持って帰ってくることもあった。


「本当は火が使えれば、もっと食べられるものがあるんだけどな」


 井戸端汲んだ水でざっと手の中の草の汚れを落とし、彼はその葉を口の中に入れた。リーザはそれを見ながら、言いつけられた鍋を洗っていた。アレスは水がめの水を満たすように言いつけられている。


「うーん。味が無いから、見事に草だ…」


 おどけたように言う彼に視線を向ければ、目の前に葉っぱが差し出された。


「リーザも食べてみる? オオバコの葉。サラダにして食べたことはあるから、食べられることは保証する。でも味付けがないと美味しいとはいえないけど」


 黙って頷いて口を開ければ、ペラリとしたものが口の中に放り込まれた。草の味だったがアクは少なく、そのままでも食べられる。「塩があるといいのに」と、リーザの気持ちをアレスが代弁した。


「僕の仲間に薬草に詳しい人がいてね。彼が教えてくれたんだ。これも乾して薬にするんだけど、そのままでも食べられるんだ」


 友達でも家族でもなく「仲間」という言い方に違和感を覚えたが、リーザはじっとアレスの言葉を聞いていた。アレスは文字も読めるし計算もできる。こういうちょっとしたことも良く知っている。リーザの周りには今までいなかったタイプだ。


 リーザが井戸のつるべに手を伸ばしたところで、アレスも同じことを考えていたようで、二人の指先が触れた。とたんにリーザの身体は強張ってしまった。アレスは何もしない。それは分かっているのに、身体が言うことをきかない。誰かに触れられることは怖いということを知ってしまったために、リーザが頭で考えるよりも早く、身体が反応してしまう。そのために、もともとリーザを苛めていた者達は、さらに酷くあたるようになっていた。


 その一方でアレスはいくら手を振り払われても、リーザを邪険に扱うようなことはしなかった。彼なりの距離感でリーザのことを待ってくれているのを感じているうちに、リーザもアレスに対してだけは緊張せずに接することができるようになっていった。


 それしてリーザにとって運命の日。


 屋敷の主夫婦が領主のパーティーへ行くというので、袖がふっくらとし、くるぶし丈の紺色のワンピースに白いエプロンをつけて共をした。マリアも同じ格好で、アレスも余所行きの服を着て、すぐ傍の屋敷まで馬車に乗って移動をした。


 言われた通りに振る舞い、言われた通りに黙って歩いているうちに屋敷の広間へとつき隅に立っているように言われる。ぼーっとしているうちにマリアが消え、アレスがそれを追いかけるといい、リーザの手をひいて歩き出した。大きな屋敷の中、人の話し声を頼りに追いかけていけば、一つの扉にたどりついた。


 扉を開けたとたんにアレスの足元に転がってくる透明な光る珠。


「アレス! その珠を拾って!」


 マリアの叫び声と共に、アレスが屈み込み珠を手にした。リーザが何が起こっているのかマリアのほうを見れば、初老の男がステッキを振り上げたところだった。打たれる! 距離があるのに身体が強張ったとたんに、ぐっと片手を引かれた。足がもつれそうになりながら、走り出したアレスの後に続く。


「追え! あの小僧を追え!」


 後ろから聞こえた男の怒声にリーザは震え上がった。しかしアレスは振り返らない。一直線へ広間のほうへと走っていく。広間の向こうに入ってきた玄関があるのだ。


 アレスの足が広場で止まった。リーザの息は切れて、アレスと自分の足元を見ていた。


「どうして…」


 アレスの呟きに顔が上がる。初老の男がマリアの首にナイフを当てていた。思わずリーザの口から吐息だけの悲鳴が漏れた。初老の男はニヤリといやらしく笑う。


「この広間と私の私室は壁一枚でね。ご苦労なことだ。その珠を渡してもらおうか。それは私のものだからね」


 その言葉にマリアが叫ぶ。


「うそつき! それは私から奪ったものよ!」


「それ以上、おしゃべりをすると首が無くなるよ?」


 じわりとマリアの首から血が滲む。それだけで怖くてリーザはアレスの手を自分からしっかりと握り締めた。おずおずとアレスを見上げると、この場面でも彼は平然としているようにみえる。しかし二人の周りから、じわじわと人が集まってくるのに気づいたからか、アレスがぐっと唇を噛み締めた。


「わかった。珠を渡す」


 アレスがリーザを背に庇うように一歩前に出た。


「その代わり、マリアを放せ。それから僕たちを無事にここから出してもらおう」


 アレスの声が朗々と広間に響き渡る。怯えも震えもない、自信に満ち溢れた声だった。


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