いつの日か(3)
どの仕事も辛いが、床磨きも辛い仕事だった。冷たい水に雑巾を浸し絞るときには、手にできたアカギレが痛んだ。手の甲はアカギレだらけだ。指先にできるものは簡単に割れて、痛みを増していく。そしてリーザの弱い力では床の汚れは簡単には落ちない。
床についた油の染みを一生懸命落としていたところで、背後から口元を覆われ、抱き上げられた。何をされるか分からず、足をバタバタとさせたところで口元を覆った手を反対側の手が押さえてつけてくる。
「暴れるなよ。大人しくしてりゃ、お前にもいい目を合わせてやるからよ」
下卑た笑い声が聞こえてくる。聞いたことがある声にさらに暴れるが、大きな男の腕と手はびくともしなかった。そのまま運ばれたのは召使たちが寝起きをしている部屋だ。この時間では誰もいない。リーザはどさりと床へ落とされた。
「たすけ」
叫ぼうとしたとたんに、頬に痛みが走った。逃げだそうと身近にあったものを掴んだが、どれもこれも手ごたえがない。男はリーザの腹に馬乗りになってきたために、重さでなおさら動きが取れない。必死に伸ばした手が布を掴んだ。敷布だったのか何かが倒れる音がした。
「静かにしろっ」
連れてきた男とは別な声がして、逆の頬にも熱い痛みが走る。
「おい、しっかり押さえてろよ」
まだいるらしい。別な男の声だ。一体ここに何人いるのか。振り回した手が男の顔に当たり、そのお返しとばかりに再び頬を叩かれた。「やめて」という声は口を押さえつけた手の中に消える。
「暴れるなよ。おまえは俺のものなんだからよ」
笑いを含んだ低い男の声が、リーザの耳朶を打つ。興奮した荒い息が自分の周り中から聞こえてくる。手足を押さえつけられて、上着の中に手を入れられた。蛇が這うようにして腹から上がり、胸に到達する。何かを探すようにまさぐり始める。肌着の上からだったのが幸いだが、それでもねっとりとした男の熱い手を感じる妨げにはならない。
「ちっせぇ」
「それがいいんじゃねぇか」
男の興奮した声が聞こえていた。目の前にはリーザを囲み、にやにやと笑う二人分の顔が天井を背景にして映る。足元にいる男の顔は見えなかった。
男の片手が右足首を掴み、もう一方の手で膝からゆっくりと太ももへと向かって弾力を確かめるような手つきで触ってくる。身体が反射的に強張った。気持ち悪かった。何をするのか分からなかったが、怖いことをされるということは分かった。
胸元の手が出ていった。終わったかと思ったがそうではなく、今度は肌着の中へと潜り込み、直接肌に触れてくる。足を触っていた者は、右足を広げるように持ち上げられた。もうスカートはめくりあがり、膝丈のズロースの中にまで手が入ってくる。
「んーっ!」
意味を成さない叫び声を必死にあげたときだった。大きな音がしてドアが開いた。
「おまえたち、何やってるんだ!」
少年の大声が響いた。男たちの手が一瞬止まるが、それだけだった。鼻でせせら笑って、再びリーザの身体をまさぐり始める。押さえつけられた首をなんとかドアのほうへと向ければ、モップの柄を構えたアレスがそこにはいた。助けて欲しいと思いつつも、男たちと少年との体格の違いに絶望感が沸いてくる。
「なんだ? おまえ、俺のやることに口を出そうっていうのか?」
リーザを頭のほうから押さえつけていた男が、アレスを馬鹿にするように言った。それでも少年はひるまない。凛とした目で男たちを睨みつけていた。
「手を離せ」
モップを剣のように構え突き出してくる。
「やる気か?」
足を押さえつけていた男がアレスを見る。最初に動いたのはリーザの上に馬なりになっていた男だった。
「おまえも仲間に入れてやるぜ! ただしやられる側でな!」
そう言って馬なりになっていた男はにやりと嗤うと、アレスの方へ腰を落としたまま突進していった。危なげなくアレスは男を避けて、首筋にモップの柄を落とす。リーザには見分けられなかったが、それは戦うことに慣れた動きだった。少なくとも男たちよりはきちんと訓練を受けた動きだと、見る人が見れば判断できただろう。アレスの的確な狙いに、そのまま男がダウンする。
「一人」
アレスが数え上げる。残念なことにリーザを押さえつけていた男たちに、アレスの動きを見定めることはできなかった。リーザの両手を押さえていた男が、切れたようにアレスに向かっていく。半歩分身体をずらすことで、男からのタックルを避け、アレスは相手の腹にモップの柄を叩きこんだ。
「二人」
最後の一人が、リーザの足から手を離すと、何かを掴んでゆらりと立ち上がった。棍棒を両手で握り締めて少年へと向かっていく。しかしその足はガタガタと震えていた。戦うどころか、ケンカ慣れすらしていないのは明らかだった。アレスはその男を睨みつけたまま、リーザの方へ手を伸ばしてきた。リーザと同じく豆とアカギレに塗れた少年らしい手が大きく見える。
「おいでリーザ。早く」
呼ばれているのに、リーザの身体はうまく動けなかった。身体中が震えてしまって力が入らない。アレスはリーザの方へ一歩踏み出した。
「早く!」
厳しい声に無理やり力を入れて、棍棒を握り締めた男の横をできるだけ離れるようにして通り、アレスのところまで歩いた。
「このままマリアのところに行って。早く」
ドアを抜けたとたんに、足に力が戻ってくる。後ろを見ることも出来ず、一目散にマリアの部屋へ、自分たちの寝室へと走った。ドアを開けて飛び込めば、窓辺にいたマリアが驚いた顔で振り返る。その顔を見たとたんに足の力が抜けた。
「リーザ?」
マリアの声は遠く、全てが遠く、リーザの身体の力は抜けていった。




