寄り添う(7)
人影は静かに洞窟に入ってきた。その姿が輝きの中から開放されるにつれて、顔の周りで光って見えたのは、その人物の銀髪だと分かる。長い銀髪が乱れて、顔に張り付いていた。
「ラ…オ…」
マリアの口から無意識に音が紡がれる。彼の色素の薄い瞳がマリアを見つめ、そして大きく安堵の息を吐いた。やにわに振り返り、彼には似つかわしくない大声を出す。
「いたぞっ」
とたんに聞こえてくるのは、外からのざわめき。多くの人が動いている音。呆けているマリアの側へとラオが来て、華奢な身体が抱きしめられた。
「無事か?」
「私は、大丈夫」
それを聞いてラオの腕の力が強くなる。彼の顔はマリアの肩口に埋められていて、その表情を見ることは出来ないが、細かく身体が震えているのが感じられた。
「無茶は…やめてくれ。寿命が縮まった…」
掠れた声と共に身体にかかる遠慮の無い重みが、ラオの憂慮の深さと安堵感を物語っている。マリアはおずおずと彼の身体に腕を回す。
「ごめんな…さい…」
安心感から声が出ない。もっと本当は言いたいことがあったのに、何一つまともに話せなかった。ラオはマリアからすっと身体を離すと、男のほうへと向き直った。
「イルマの息子か」
その一言で、マリアは今の状況を思い出した。
「ラオ、彼の足が…熱が」
伝えたいのに舌がもつれて伝えられない。しかしラオにはそれで十分だった。見ればありえない方向に曲がった足も、熱でうなされた状態なのも分かる。
懐から粉にした薬を出し、腰に下げてあった皮で出来た水入れを取り出した。それで男に薬を飲ませる。
「ガイオ! ニコ!」
入り口のほうから声があがり、イルマが駆け込んできた。
「おばあちゃんっ!」
男の子がイルマに抱きつく。ラオは二人を見つつも、イルマに静かに告げた。
「孫を連れて外へ出ろ。それから外にいるサヴィーノを呼んできてくれ」
イルマは頷くと孫を抱き上げて、洞窟の外へと出ていった。ラオの視線がマリアへと向かう。
「男の足を治す。外へ出ていてくれ」
「どうやって治すの? 私がいたら邪魔?」
何もできなかったマリアとしては、ラオがどのように治療するのか見ていたかった。だがラオはとたんに眉間にしわを寄せる。
「見ていて気持ちの良いものではない」
その言葉に挑むように、マリアは座り込んだまま背筋をぴしりと伸ばした。
「大丈夫。お願いだから。次のときのために見せて」
さらにラオの眉間の皺が深くなる。
「次があっては困る」
「じゃあ、何かあったときのために」
マリアがてこでも動かないという気持ちを込めて、瞳に力を込めてラオを見つめ返せば、彼が折れた。大きなため息だけが漏れる。
「侯爵様」
クレテリア軍隊長、サヴィーノがラオの後ろまで来ていた。ラオは横たわったままのイルマの息子を指差す。
「背中側から押さえてくれ。しっかりと」
サヴィーノはそれで何をするか悟ったのだろう。すぐに男を背中側から抱えるようにして座らせて、そのまま身体を拘束する。
ラオは慎重な手つきで男の足を触って状態を確認していたが、やにわに両手で掴み、自分の身体や足も使って男の足を固定すると、ぐっと力を入れた。
「ぐわーっ」
男の悲鳴が響き渡る。折れていた足を本来あるべき方向へと戻したのだ。それから再び慎重な手つきで足を探り、きちんと元へ戻っていることを確認すると、ラオは男から身体を離した。
「あとは添え木を当ててやってくれ」
サヴィーノは慣れた様子で頷いてから、マリアのほうへ顔を向けた。マリアは強張った表情をしつつも目を逸らすことなく、ラオの一挙一動を逃すまいとして見ていた。
「奥方様、大丈夫ですか?」
声をかけられて漸くマリアは、ザヴィーノの視線に気づく。ザヴィーノは淡々としていて、ラオの治療にも驚いていないようだった。
「あ、えっと…はい。あの…あなたは驚いていないのね?」
少しばかり気の抜けたような問いかけに、ザヴィーノは苦笑した。
「これでも少し前までは戦場を駆け回っていましたから。骨折なんぞは見慣れていますよ。腕を折ったときに、自分で骨接ぎをしたこともあります」
マリアの目が丸くなる。この壮年の男性は見た目よりも修羅場を潜ってきているらしい。それを感じて、思わず自分の手を握りこんだ。彼のような知識があれば…もっと早く骨折も治療もしてあげられたのに。それに何かあったときのために、薬を持ってきていれば…。
そっと自分の肩を抱きしめる腕に気づいた。優しい光を帯びた瞳が、マリアを覗き込んでいる。
「戻ろう」
「ラオ…」
彼の腕に守られるようにして、マリアは洞窟を後にした。




