寄り添う(4)
ラオがジョエルと共に書庫へと向かった後で、マリアはイルマのところへ行くのも憚られて、自分の居室へと戻っていた。窓から外を見れば、先ほどよりも風が出てきていて、視界がかなり悪くなっている。
「何か…方法があれば…」
そう呟いてから、ふと気づく。人物を特定することはできなくても、ベガならば森の中に人がいるかどうかは探せるはずだ。そしてこの天候の中で森を歩いている人物など、普通に考えたらいないに違いない。
マリアは片手を挙げてベガを呼び出した。腕に巻きつくようにして竜が現れる。
「ベガ、森の中にいる人を見つけて」
囁くと、ベガはするりと窓を通りぬけて森へと飛翔していった。しばらく待っていると、竜は再び窓をすり抜けて戻ってくる。甘えるようにマリアの身体へと巻きついた。ふっと身体の力を抜いて、ベガからの情報を受け取る。荒く描かれた絵のようなイメージが伝わってくる。木々の間をすり抜けて、真っ白な世界を飛んでいく映像が目の前に流れていく。
「ああ…きっとこれだわ」
小さな点がぽつり、ぽつりと見える。大きな樹の根元に点が見える。無事なのかどうかまでは分からない。近づいてくれたのだろう。見えてくるのは、大きな人影と小さな人影。
助けに行くために部屋の外へ出ようと数歩踏み出してから、その足が止まる。雪がどれだけ危険かは分かっている。自分にはベガがいるが、他の者まで守れるか分からない。
「ラオに言ったら…止められるわね」
ラオは雪の怖さを知らない。歩きにくい雪道を歩いたことも無いだろう。それでも言えば止めるだろうし、行くと言ったらついてくるに違いない。
手早く髪の毛を一つに纏める。スカートではさすがに動きにくい。そう考えて、ラオの部屋へ行き、彼の服を一式借りてきた。
両手、両足とも彼のほうが長く、全体的にマリアにとっては大きいが、あちこちを折り曲げて、なんとか着る。全身からラオの匂いがして、勇気付けられる気がした。
「待っていて」
森の向こう、今は見えない木の根元に視線をやって、マリアは呟いた。
森の中は木々に風がさえぎられている分、まだマシだった。しかし逆にその木々が方向感覚を失わせる。マリアもベガがいなければ、このように迷わずに歩くことはできなかっただろう。
こっそりと持ってきた薪を運ぶための橇を引きずりながら、雪に足を取られつつも進む。
「久しぶりすぎて忘れているわ」
顔に当たる風の冷たさに怖気づく心を叱咤して、マリアは自分自身に苦笑いを浮かべて見せる。ベガがマリアの前をふわふわと移動していく。その姿を見て思いついた。
「ベガ、私にあたる風を遮って」
とたんに風が弱まって歩き易くなる。最初からそうすれば良かったのだ。
マリアは重く感じるようになってきた橇の紐を、手を変えて持ち直す。動けなかったら背負うことはできない。それでも橇があれば運ぶことができるだろうという算段だった。
「もうちょっと。もうちょっと」
自分自身を励ましながら歩いていく。靴に冷たさは感じるが、濡れた感覚はない。逆を言えばそれだけ気温が下がってきているということだ。念のために橇には毛布を積んである。
ざくっ。ざくっ。雪の中、足を取られそうになりながらも進んでいく。こういうときは焦ってはいけない。
どのぐらい歩いただろうか。かなり歩いて、普段と違う雪の中での行軍に、足が疲れてきたころだった。
「あっ」
雪に足を突っ込んだと思ったが、そこに地面の感覚はなく、身体が空中に投げ出される。
「ベガっ」
思わず竜を呼べば、下から凄い勢いで風が吹きつけられて、周りに雪が舞った。視界が利かない中で、あっという間に地面について体が転がった。雪の中にずっぽりと埋まる。
「くっ」
身体の回りを取り巻く雪の壁。仰向けで寝転んだ状態で埋まっている。見れば、雪の壁の上にかなり高い崖が見えた。あそこから落ちただとしたら、怪我が無かったのはベガのおかげだろう。
雪に埋まったときには焦ってはいけない。焦って立ち上がればますます埋もれるだけだ。子供のときの知識を思い出して、そろりそろりと動き出す。
手に力を入れれば手が埋まり、足に力を入れれば足が埋まる。身体全体に体重を分散するようにして、四つんばいになり、それからそろりと首を上げた。傍に裏返しになった橇が見えた。
ずるずると四つんばいのまま橇のところまで行き、橇をひっくり返す。
「これに乗ったほうが楽かしら?」
ちらりと竜を見れば、竜はこくん、こくんと首を折る。どうやら運ぶ方法がありそうだ。
「先に言ってくれればいいのに」
そう文句を言っても、ベガは喋れない。マリアはなんとか橇の上に身体を乗せた。とたんにゆるゆると橇が動き出す。背中から押されているように風が吹いている。
ちょうど疲れていた足をほぐすように、両手で揉みながら橇に乗っていれば、イメージで見た木が現れた。
どんどん近づいていけば、木の根元で埋もれるようにして男が子供を抱いていた。
「あのっ!」
名前を呼ぼうとして、イルマに聞いていないことを思い出す。
「イルマの息子さんっ」
男の腕の中の男の子が、緩慢な動作でマリアのほうを振り返る。マリアは近くまで行くと、二人の傍へと橇から降りた。
「大丈夫?」
見れば男の子の唇は真っ青だが、しっかりとマリアを見つめた。男のほうは朦朧としているようだ。見れば足が変な方向へと曲がっている。
「お父ちゃん…足折った」
子供が泣きそうな顔で、マリアへと訴えた。マリアは子供の頭の雪を、安心させるようにそっと拭ってやる。
「大丈夫。もう私が来たから。助けに来たのよ」
「うん」
「立てる?」
子供は親の腕の中から抜け出すと、立ち上がった。
「お父さんを橇に乗せましょう」
肩の下に腕を入れて立たせようとするが、うまく動かすことができない。ちらりとベガを見るが、こういう場合は役に立たないだろう。
仕方なく背中側から両手を入れて、ずりずりと引きずっていく。橇に背中を乗せて、それから足を持ち上げる。折れているほうはできるだけ衝撃を与えないようにしたが、必死すぎて本当に大丈夫だったかどうかは、定かではなかった。
「あなたも乗りなさい」
マリアの言葉に男の子が頷いた。父親の腰の部分にまたがるように乗せて、その上から毛布をかけてやる。それから父親の背中側から、身体を支えるようにマリアも橇に乗った。
「ベガ。押してくれる?」
こっそり呟けば、橇が動き出した。




