寄り添う(3)
かなりの雪が降っていた。イリジアではほとんど降ることが無い雪。マリアにとっては数年ぶりの雪だった。
「積もっているわ」
「ああ」
マリアはラオの居室で、ラオがさわやかでピリリと刺激のある香りを石臼で撒き散らしているのを感じながら、窓の外を見ていた。厚い雲に覆われた薄暗い中、大粒の雪が静かに積もっていく。空から落ちてくる白い綿のような雪は、仄かに光を発しているようにも見えていた。
ラオが作っていた風邪薬はすでに作り終えて、領内の各地へと運ばれていった。今は打ち身や腰痛などのための痛み止めを作っている。春に向けての準備なのだそうだ。
先ほどから粉にしているのはジンジャー。薄く切って乾かしたものをさらに細かくして、すりつぶす。あたりにはジンジャークッキーを作るときのような香りがしている。
「これは?」
石臼から少し離れておいてあるのは、樹の皮だった。これは後で使うのだろうか。
「ウィロウだ。樹皮をそのまま使ってもいいが、細かくして煎じて飲んでもいい」
そのときコンコンと扉をノックする音が響いた。
「開いている」
ラオのぶっきらぼうな応えを律儀に待ってから、ジョエルが遠慮がちに扉を開けた。
「書類の整理は…どうしますか?」
「ああ。そうか…今行く」
ラオがちらりとマリアを見た。マリアは軽く肩をすくめる。
「私もイルマの手伝いに行くわ」
その言葉にラオがいぶかしげな表情を返す。
「帳簿付けを手伝って欲しいんですって」
ジョエルとラオが感心したようにマリアを見た。マリアは少しばかり居心地の悪い思いをする。平民であれば女性で計算ができるものは珍しい。貴族の娘でも算術を勉強するものは多くない。
「私は生まれてから数年を男として育てられたから」
ジョエルの案内で地下の書庫へといく彼らに同行しながら、マリアは説明した。初めての話にラオも興味深く、マリアの声に耳を寄せる。
「私はここから…このグィード村から2日ほど東に行ったトランセの村の出身なの。父が武官で、男の子が欲しかったけれど生まれたのが私だったから、しばらく男の子として育てられた。だから神殿に通って文字も算術も習ったわ」
「なるほど。俺はお前のことを何も知らないな」
「私もよ。今からお互いに知ればいいわ。そうでしょう?」
「そうだな」
「逆にイルマがあれだけできることにびっくりよ。よくわかったわね」
その言葉に、ラオはにやりと笑った。
「勘だ」
目を丸くしたマリアの視線が、ジョエルに問うように移動したところで、ジョエルは視線を逸らした。その様子にマリアは苦笑するしかない。
「イルマは元神官希望だったんですって。だから必死に勉強したのに結婚しちゃったから神官になれなかったんですって。それが何十年と経ってから役に立つなんてって笑っていたわ」
「そうか」
階段を1階へと降り、マリアが地下へと下りるラオたちと別れようとしたとしたときだった。普段にない慌しいざわめきが半地下の使用人たちが働いている場所から響いてくる。何かあったのかと三人が顔を見合わせたところで、この屋敷を取りまとめている執事のリカルドが早足でラオたちのほうへと階段を上がってきた。
「侯爵様…」
「どうした」
リカルドは普段はピンと伸ばしている背筋を少しばかり丸めて、困惑の表情を浮かべた。
「実は…イルマの息子と孫が…森に入ったきり戻ってきていないらしく…」
そこへバタバタとイルマが血相を変えて、階段を駆け上がってきた。ラオの姿を見つけたとたんに、縋りつくようにしてその足元に身を投げ出す。
「お願いです。侯爵様。私の息子と孫息子を見つけてくださいっ」
皆の期待の篭った視線がラオへと向かう。その不安と希望の入り混じった視線を受けながら、ラオは首を振った。
「無理だ」
「な、何故ですか」
イルマが納得できないと、足元に投げ出していた身体を起こして、ラオの膝のあたりを掴んで顔を上げた。下から伺うラオの表情は、イルマから読めない。再びラオはただ首を振った。
「できないものは、できない」
このラオの言い方では誤解させてしまう。マリアが慌てて、イルマの傍に膝をついた。
「イルマ、ラオもやりたくないわけでないの。ただ…見つけるには条件があるの。そうよね? ラオ」
マリアの言葉にラオが頷いた。
「かなり親しい者でなければ見つけられない」
その言葉を聞いて、イルマは力なくずるずるとラオの足をなぞるようにして、うずくまった。それでは会ったことが無いイルマの子供や孫を見つけられるはずがない。イルマの丸まった背をマリアがゆっくりと撫でる。
「イルマ。皆で探しましょう。どんな人なの? 背丈は? 髪の色や服装など分かることを教えて?」
「奥様、危険です」
ジョエルが横から口を挟んだ。
「かなりの雪です。この土地になじんだものですら、道に迷うほど視界が悪くなっています」
イルマの顔色がますます悪くなる。マリアはぐっと唇をかみ締めた。雪の恐ろしさは知っている。視界の悪い中で森に行けば、探しに行った者も戻ってくることができなくなるだろう。
「雪が止むのを待って探しに行きます。お騒がせしました」
リカルドがイルマをラオから引き離すようにして立ち上がらせる。それでもイルマは縋るような視線をラオに向けていた。
「お城の…遠見様なのですよね。遠くが見えるのに、何故私の子供は、孫は、見えないのですか」
微かな声がイルマの唇からこぼれる。ラオは黙っていた。ただ静かにイルマがリカルドにつれられて去っていくのを見ていた。




