寄り添う(1)
なぜこんなことになったのか。マリアは非常に混乱していた。ラオからの呼び出しに応じたのは自分自身で、領主として伴侶になる女性を紹介したい。そう手紙にあったから、その内容には納得してラオがいるグィード村へ向かった。アレスにも了承してもらって、馬車も出してもらったのだ。
紹介だから綺麗な格好をというのは分かる。だから用意してくれたドレスを着た。普段がどうであろうと、ラオの肩書きは侯爵で、マリアはその伴侶となるのだから。婚約者として恥ずかしくない格好をするべきだとは思った。
領主の館で着替えた後で、馬車に乗せられたときにおかしいとは思ったのだ。
「え~。そ、それでは、神々に二人が夫婦となったことを、ほ、報告します。えっと…」
跪く二人の前で、いやに年若い神官がマリアの前で、何やら本を広げながら一生懸命に式を行っている。そう。どう見ても結婚式なのだ。
「えっと、では誓いの言葉を…えっと、あ、あなた方は互いに一生を共にすると、ち、誓いますか」
「誓う」
ラオがぽそりと答えた。そして縋るように、マリアに視線を向けてくる。彼もだまし討ちのようにマリアを連れて来たことを自覚しているらしい。しばらく黙っていると、その視線が伏せられていく。マリアの右手を取ったままの左手が、微かに震えている。
仕方ない…。マリアは心の中でため息をついた。そう。仕方ないのだ。彼と付き合ったことで、何度この言葉を胸のうちで呟いただろう。
「誓います」
思ったよりも小さな声になってしまったが、口にしたとたんにラオの顔が上がり、微笑んでくる。
「で、では、証人の方」
ラオの隣にジョエルが立つ。そしてちらりとラオを見た。こちらも呆れた顔をしているところを見ると、この式は彼も予定したことではなかったのだろう。
「二人が夫婦となったことを、ジョエル・バルトレット・カンボンが、え~証人となります」
やや不慣れな様子でジョエルが宣言をすると、神官がラオとマリアを立たせる。
「で、では…は、花嫁に、ち、誓いのキ、キ、キスを」
傍であたふたしている神官を他所に、ラオがマリアの肩に片手をかけて自分のほうへと向き直らせる。マリアの両頬がラオの手に包まれた。薄い水色の瞳にマリアの嬉しそうな困ったような顔を映し出す。
「俺の一生をかけて大事にする」
一瞬だけ「陛下よりも?」と聞きたくなったのは、マリアの悪戯心だ。口にはしなかったが。
「私も」
答えたところで、そっと唇をついばむようなキスをされた。
「おめでとうございます」
神官やジョエル、そしてこの土地のものたちが祝福してくれる。
マリアは周りを見回した。かつて妹の仇を討つために訪れた土地。アレスに出会い、ラオに出会って自分の運命が変わった場所。ここに、再び訪れることがあるとは思わなかった。
「どうした」
少しばかり思い返していたせいだろうか。マリアの様子を伺うようにしてラオが声をかけてくる。マリアはゆっくりと首を振った。
じっとラオを見つめる。復讐しか考えていなかった自分の人生に係わってきた人。前にこの土地にいたときには、未来のことなど何も考えていなかった。いつかどこかで朽ち果てるのだろうと、漠然と考えていたのに。
城に勤めることになり、ラオの傍にいることになり、目の前の不器用な人を愛してしまうことになるなんて。そんな未来が来るなんて思ってもいなかった。
「幸せよ」
そう口にして初めて実感した。そう。幸せだ。
「あっ」
ぽろりと涙がこぼれてくる。それをラオが軽く指で拭った。
「そうか」
「ええ」
微笑むと、ラオもほっとした笑顔を見せた。
館に帰ったとたんに、ラオはマリアを連れて居室へと引きこもってしまった。紹介も何もない。夕食時ぐらい出てくるかと思ったが、領主の結婚を祝おうと集まった者たちを他所に肝心の主役が出てこない。仕方なく主役不在のまま、城に勤めるものたちだけでささやかなパーティーが始まった。
しばらくして食事はほとんど終わり、あとに残ったものをつまみながら酒を飲んでいたが、それでも主役は現れない。あきれ果ててラオを呼びに行こうとしたジョエルを、イルマが止める。
「おやめなさいよ。野暮なことは」
イルマ・ドーニはもともと城のメイドで、ラオから財務管理の担当を任命された女性だ。娘と息子をそれぞれ2人ずつ持っていて、さらに孫も3人いる。そんな大家族の家計を預かってきた彼女は、今はクレテリス郡の家計を預かる身だ。
「そうですぞ。ようやく結婚できたのであれば、少しばかりの羽目をはずすのは大目に見えるべきですな」
横から口を出してきたのは、灰色の髪に口髭を生やした壮年の男。このクレテリス郡の軍隊を預かる隊長、サヴィーノ・アマトだった。彼もラオに隊長として任命され、その任を見事に全うしている。ほとんど崩壊していたクレテリス郡の軍隊を纏め上げ、それなりに使えるものにしていた。
「マリア…っと、侯爵夫人の嬉しそうな顔。昔、俺が言い寄ったときには、すっげー冷たかったのに、これは本物でしょう」
そう言ったのは、赤毛で細身の三十代半ばの男だ。ラウロ・クレメント。ラオに徴税関係をまかされて、税務長官として働いている。三人ともグィード村に昔から長くいるものたちばかりだ。だからマリアが昔、この地方の貴族の館で働いていたことも知っていた。
「しかし…あのときの騒ぎがまさかこの結婚に繋がるとはね」
ラウロがにやりと笑う。このクレテリス郡がイリジア州の飛び地になった原因である、三年近く前の騒動のことだ。
「ああ…。前の領主の粛清か…」
ジョエルが呟くと、三人は頷いた。
「凄かったですぞ。馬に乗った騎士が何人も押しかけてきまして。この辺り一帯がものすごい騒ぎでした」
サヴィーノが言えば、イルマが続ける。
「なんでも、イリジア公爵様が直々においでになったとか。そのときにクレテリス候もいらしてらしたとか」
「そうらしいな」
ジョエルは肯定しつつも、その騒ぎのことをあまり詳しくは知らない。まさか自分がこんなにこの土地に係わることになろうとは、そのときには思ってもいなかったのだ。
「そのときに見初められたらしいんですよ」
イルマが物知り顔に情報を追加した。
「何故知っている?」
ジョエルが尋ねれば、イルマがフフッと笑った。
「小間使いのナンシーですよ。お召替えの際に聞いたそうですよ。初めて会ったときに奥方様は侯爵様からプロポーズされたそうです」
ヒューとラウロが口笛を吹き、ジョエルの前だったことを思い出して、慌てて自分の口を塞いだ。
「ますます仕方ないですな。それでは侯爵様もようやく手に入れた奥方様を手放せますまい」
サヴィーノが楽しげに笑い、ジョエルも苦笑いした。




