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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
獅子の爪
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第6章  華燭の典(7)

「最後の一人を」


 バルドルが命じると、しばらくしてから案内の者に続いて男が入ってきた。神官の正式な服装をしている。


「イリジア神殿の副総司教セレーネ・シャイン神官様より手紙を預かってまいりました」


「セレーネから?」


 手紙が近衛の手に渡され、バルドルの手を経由し、アレスの元へとやってくる。アレスは手紙を読んでいるうちに手が震えてくるのを感じた。


「どうしましたかな?」


 バルドルに手紙を渡してから、アレスは縋るように王座の肘掛と背もたれに体を預けた。


「イエフが重態だと?」


 バルドルの声が遠くに聞こえる。手紙ではイエフ・シャインが半年以上前から病の床についており、寝たり起きたりの生活をしていたが、とうとうそれも危なくなったと書いてあった。


 アレスの頭の中に、礼拝堂に現れて王家の秘密を告げていったイエフの姿が思い出される。手紙によれば、その頃にはもう立って歩くことが難しくなっていたという。イリジア街の中心にある神殿から城まで来て、さらに礼拝堂に忍び込むなどということはできたはずがないのだ。そして先日会ったばかりのイエフからは、病の様子など少しも見られなかった。


「お見舞いを…」


 震える声で告げれば、神殿からの使者は礼を告げて去っていった。


「バルドル」


「はい」


「見舞いに行く手配を頼む」


 アレスの様子がおかしいことにバルドルは気にしつつも、長年の付き合いの者が死の床にあるということに気が動転しているらしい。何度も手紙を読み返している。


「バルドル?」


 ようやくバルドルが顔を上げた。


「殺しても死なないような奴だと思っておったが…わしより先に逝こうとするとはけしからんですな」


 無理やりに笑みを浮かべたバルドルに対して、アレスもなんとか笑みのようなものを顔に貼り付けた。


「できるだけ早く…お見舞いに行こう」


「そうですな」




 ヴィーザル王国の冬の訪れと共に、長く総司教を務めたイエフ・シャインはこの世を去った。神殿の扉には白いリボンのついた花輪が掛けられたが、それ以外に市井の人々が捧げた白い花が神殿の入り口には溢れかえっていた。



 そしてラオが治めるクレテリス郡では、ジョエルや城に勤める者だけを証人にしてひっそりとラオとマリアの結婚式が行われていた。それを後で知ったアレスが怒って、ラオにしばらくは領地から戻ってくるなとの手紙を送ったのも、この冬だった。



 ヴィーザル王国はこの年不作が続いたが、準備がぎりぎりで間に合い、壊滅的な飢饉とはならずに済んだ。それでも餓死者は皆無とはいかず、また野草と毒草を見誤って中毒死する者も相次いだ。




「バルドル」


「なんですかな?」


 アレスの執務室でのいつもの執務の合間に、アレスは何気なくバルドルに声をかけた。しかし呼んでおきながらアレスの視線は窓の外に向いたままだ。すっかり葉が落ちた枝だけが見える寂しい冬の風景だった。


「僕はラオの結婚式は派手にやりたかったんだよ。このイリジアでね」


 ぽつりと声をもれる。


「ハウトとフェリシアが結婚するときには、何も出来なかった。ドレスも贈り物も、パーティーも。だから次に誰かが…仲間にお祝いごとがあったときには、派手にやりたかったのに」


「そうですな」


「そうだよ。ラオに白い服着せて、騎士みたいな格好をさせるんだ。それからマリアも着飾らせる。大きな花束を持たせるんだ。それで嫌っていうぐらい人を集めて、その中心に立たせてあげるの」


「それは…ラオは嫌がりそうですのぉ」


 アレスはくすりと笑った。窓の外を見ながら、視線の先は見えないラオの結婚式を思い浮かべているのだろう。


「いいんだよ。それぐらいやったら」


 くるりとアレスは振り返った。


「ねえ。バルドル。春が来たら、せめてラオたちの結婚のパーティーをやろう。別に大げさにしなくてもいいから、せめて僕らで祝ってやろうよ」


 バルドルがにやりと笑った。


「それはそのつもりですじゃ。ラオのやつ。逃げたつもりでしょうが。逃がしませんぞ」


「だよね?」


「はい」


 春を想像して、少しは溜飲が下がったのだろう。アレスの瞳にいつもの生き生きとした光が宿りだす。


「そういえば…エフライムは?」


「イリジア神殿ですな」


「ああそうか。今日だったね」


 バルドルは眉間にしわを寄せていた。アレスも静かに目を伏せる。イエフが亡くなり、総司教の座が空席となってしまったことによって、今、神殿では後継者争いが起こっているのだ。


 辛うじて副総司教のセレーネが祭事を行っているが、セレーネ自身が命を狙われたことによって、急遽、彼女の護衛官を選ぶためにエフライムを派遣したのだった。


「春までには…総司教を決めないと」


「そうですな。四役のうちの1つを空席にしておくわけには参りませんからの」


 総司教を選ぶのは難しい。他の三役と違い、王が一方的に選ぶわけではないのだ。神殿からの推薦があり、それに王が同意すれば総司教が決まる。


「春までには…」


 アレスの呟きが、窓の外の木枯らしにまぎれた。冬の最中。厳しい寒さと共に、雪が降ることもある。まだ春は遠い。しかしいつかは確実に来るのだ。その日が待ち遠しいとアレスは思った。




ヴィーザル王国物語 ~獅子の爪~


The End.


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