第6章 華燭の典(4)
城と近衛の宿舎の中間ぐらいで、オージアスの足が止まった。揺れる蜀台の灯りがオージアスの高い鼻梁を照らし出す。
「オージアス?」
「今回のことで、俺は子爵を賜った」
突然の話の転換に、ライサは目を瞬かせながらも辛うじてお祝いを述べた。
「おめでとうございます」
ふっと自嘲の笑みをオージアスが見せる。
「人の…仲間の死体の上にある爵位だ。それでも…親が喜んだ。うちの親は男爵だからな」
「それは…ご両親はお喜びになられたでしょうね」
男爵よりも子爵のほうが位は上だ。つまり治める領地も広い。
「まあな。それで…ライサはこの後、どうするつもりだ?」
更なる話題の転換にライサは返事に詰まってしまった。この後とはどの後だろうか。
「悪い。いきなりだった。ライサがヴィーザル王国に来てから2年。この後、どうする気かと思ったんだ」
「どうするって…」
「この国で、この城で働いて、その後はどうする?」
ライサが答えられずに、じっとオージアスの横顔を見ていると、オージアスもライサを見つめてくる。
「実は親からは早く結婚しろと言われた。それで今度は見合いを持ってくるつもりのようだ。まあ、しばらくは国中を駆けずり回るから、そんなことをしている暇は無いが」
ライサは曖昧に頷いた。ライサは西へ行く。イリジアからトラケルタ方面の町は距離も短く、数も少ないからすぐに戻って来られるだろう。ゼイルは南へ、ユーリーは北東方向へ。そしてオージアスはもっとも距離がある東へと行く予定だ。戻ってこられるのは春になるに違いない。
「下手に見知らぬものと結婚するよりは…ライサ、俺のところへ来るか?」
「えっ?」
思わず変な声が出てしまった。頭がついていかない。
「一応、結婚の申し込みって奴なんだが」
そう言いつつも、まるで淡々と今日の報告をしているような口調だ。
「あの…私に?」
「他に誰がいる?」
一瞬だけキョロキョロと周りを見回してから、自分しかいないことを確認する。
「私?」
「そう」
「どうして?」
オージアスの視線がライサから逸れる。
「まあ、身寄りがいないままなのも気になる。それに近衛でいられるのも後数年だろう。そのときにライサを置いていくのもマズイかと思う」
こちらに横顔を見せているオージアスの表情からは、愛だの恋だのという甘いものは読み取れなかった。全くの義務としか思えない。
断ろう、断ったほうがいい。そう思うが、最初に問いかけられたことにライサは縛られていた。
『この後どうするのか』
いつまで城で働けるのだろうか。そもそもオージアスが後ろ盾になってくれたからこそ、働いていられるのだ。そのオージアスが城から去ったら、自分はどうなるのか。かと言ってオージアスに対して恋愛感情があるかと言われれば、それは無い。けれど、嫌かと言われれば、それも無い。
躊躇するライサに対して、オージアスの視線が戻ってくる。
「どっちにせよ、俺たちが戻ってきてからだ。返事はそれからでいい」
ライサはおずおずと頷いた。
「ただし」
オージアスの目が細められる。
「悪いことは言わないから、俺の婚約者ってことにしておけ」
言われていることが分からずに、オージアスを見つめ返せば、細められた目じりがゆっくりと下がる。唇の両端が持ち上がって、笑いの表情を作っていた。
「そうすれば、下手に手を出そうなんていう奴はいなくなる」
「手を出す?」
「そう。ライサが南へ行く間だ。武官としてついていくアルベルトは、腕はいい。文官として交渉するためについていくブラナー男爵も頭が切れる人物だと聞いている。しかも多少は剣が使える。ただし二人とも女癖が悪い」
ライサは目を丸くした。先日挨拶した二人は、どちらも穏やかな雰囲気で紳士的だったのだ。それで安心していたのに…。
「それで…俺の婚約者だと言ってある」
「オージアス…」
「悪く思わないでくれ」
ライサは首を振った。悪くなんて思っていない。オージアスは自分のことを考えてくれていたのがよくわかった。
「まあ、さっきの結婚の話も嘘じゃない。良かったら考えてみてくれ」
それだけ言うと、オージアスはライサに背を向けて歩き始めた。その後ろをライサはちょこちょことついて歩く。
実際、オージアスとしてはライサが自分と結婚しようが、しまいがどちらでも良かった。両親を含め貴族の場合は、恋愛感情でする結婚というのは珍しい。家柄か金か、または誰かの薦めによって結婚することが多いのだ。
今回、自分たちのようにライサも各地を回ると聞いて心配になったことが一番大きい。この国では単なる小間使いに過ぎない女の子が、男達と共に各地を回る。アレスの案だということだが、アレスにはライサの危険が見えていない。
エフライムやバルドルは分かっているが、アレスの案を止めないだろう。彼らにしてみれば国が大事。ライサの命が奪われなければ、彼女の貞操などは気にも留めない。
さすがに近衛の副隊長の婚約者に手を出す馬鹿はいないはずだ。そう信じたい。その為にライサと同行する二人には、自分の持てる全てで脅しをかけておいたのだから。
「ありがとう」
城からの仄かな明かりの中で、ライサが後ろからポツリと呟いた。




