第6章 華燭の典(1)
アレス達がケレスから戻ってからおよそ一ヶ月間、ヴィーザル城は上へ下への大騒ぎだった。まずは帰り道にアレスが襲われたことは大きな衝撃をもたらしていた。一人二人ではなく、数十人という規模で刺客が国に入り込み、行動を起こしたのだ。
四役の一人、近衛隊長は軍事関係の長でもある。七大公爵の中には責任問題を追及し、これを機に自分に息のかかったものを送り込もうと画策した者もあったようだが、それをアレスとバルドルで黙らせた。実際問題、近衛に入ることもできない弱いものは問題外であったし、近衛の中では実力こそが全て。エフライムに次ぐ腕を持つオージアスやユーリーも、エフライムが責任をとって近衛を辞めるならば自分たちも辞めると言いだした。それに伴い他にも辞めるものが出そうな勢いであったのだ。
王の身辺警護を行う近衛が弱体化するのは避けたい。また今回の件は領土というには監視が難しいブレイザレクの山から入られたこともあり、不問に処すという判断をしたのだ。
とはいえ、エフライムとしては警備の穴を突かれたのは面白くないことだった。早急に対策を立てるために、策をめぐらせることとなる。
一方でケレスに行った近衛の中で生き残った3人、オージアス、ユーリー、ゼイルは、国中を文字通り馬で駆け回ることになった。ケレスで近衛たちはライサと共に森へ行ったが、それは得た知識を各地に伝え冬に備えてもらうためだったからだ。ところが生き残ったのが3人だけとなれば、それぞれの負担は大きくなる。
これから冬までの数ヶ月のうちにできるだけ多くの土地へ行き、食べ物の保存と代替食料の普及に努めることになるのだ。もちろん出かける前には、イリジア中から絵描きという絵描きを集め、クライブの描いたものを模写させた。
「では、オージアス、ユーリー、ゼイル、それにライサのうちの一人と、武官を一人、交渉役に文官を一人。その3人で動くということでよろしいですね」
アレスの執務室で、サイラスは手元の特使のリストをちらりと見ながら確認を取る。各所に派遣するにしても一人だけ派遣するわけにはいかない。各地の貴族を説得できるだけのものを派遣する必要があるのだ。それを選定するのもサイラスの役目だった。最終的にはバルドルと相談することになるとしても、まずは素案を作る必要がある。
「よろしく」
戻ってきてからお決まりの場所となっている執務机からアレスが頷いたのも見て、サイラスはさっとお辞儀をして出ていった。出る瞬間にバルドルともちらりと視線を交わす。アレスもバルドルと共に諸侯との手紙のやりとりや、この冬を乗り越えた後の対策やトラケルタ王国に対する打ち手などを策定するために、日々忙しく執務をこなしていた。ここへ来て急激に仕事が増えている。
軽口を叩いている余裕も無いほどに忙しい。サイラス自身も特使の派遣だけではなく、近衛の追加補充についてもエフライムと相談をしなければならない。もともと人手が足りないこともあるが、財務・税務・人事がサイラスのところに集中しているのだ。
「これは…本気で補佐官をつけてもらわないと倒れそうです」
最近丸い顔が、少しばかり痩せた気がするのも気のせいではないだろう。部下としてそれぞれの仕事を行うものがいるが、補佐官自体がいないのだ。そこでふと気づく。国務大臣であるバルドルにも補佐官がいない。総司教には副総司教がいるし、近衛には副隊長がいる。
はぁと大きくため息をついた。こうして人事の不備に気づけば、それを賄うのもサイラスの役目なのだ。
「これは…気づいてしまった以上、対応するしかないでしょうね」
首を傾ければ、強張った肩の筋肉が音を立てそうだった。サイラスはこの後の仕事の手順を考えつつ、自分の執務室へと戻っていった。
グィード村にある侯爵の執務室で、ジョエルは非常に居心地の悪い思いをしていた。先ほどからどうにも視線が突き刺さる。ところが視線を感じて顔をあげれば、分かり易いほどに向こうが視線を逸らす。
聞きたいことがあるのに聞けない子供のような反応に、ジョエルはため息をついた。こんなことで呆れていては、この男の副官などできないのだ。
「何か御用ですか? クレテリス候」
その瞬間にラオが嫌な顔をする。自分の身分が本当に嫌いらしく、公の場はともかく二人きりでいるときなどは爵位で呼ばれるのを嫌がるのだ。ジョエルとしては半ばあてつけのような意味もあった。
ここ半年以上こちらは放っておかれ、戻ってきたと思ったら「貯蔵庫を作って、中身を冬までに貯めろ」だったのだ。理由もない指示だけの命令に最初は混乱した。それでも意味があるのだろうと思って聞いてみれば、ラオの懐から出てきたのは国王からの勅令だったのだ。
無駄なことや意味が無いことはやらない。わかっているが先に説明して欲しい。心の底から思ったジョエルだった。
「こほん。それで? 何ですか? ラオ」
言い直せば、ラオの無表情な眉間に寄った皺が消える。分かりにくいが、これでも機嫌が一発で直ったのだ。
「実は相談がある」
「はい。なんでしょう」
領地のことか、または来た早々イリジアへ戻るというのか。それとも貯蔵庫のことか。
「結婚する」
「…」
ジョエルの思考が止まった。まじまじとラオの顔を見る。無表情なままの顔は、冗談を言ったわけではないようだ。それでも確実を期すために聞き返した。
「誰が、誰とです?」
「俺とマリアだ」
ジョエルは頭を抱えたくなった。マリアとは誰なのか。いきなり出てきた女性の名前で自分に理解しろというのか。それより以前に、この男に女の影が見えたことは無かった。どこかの性悪女に引っかかっていたとしても、おかしくない。




