第5章 帰途(5)
アレスは深呼吸をして、まずは自分を落ち着けた。それから怯えるライサの前に立ち、ライサの両手を握り締める。
「ライサ。落ち着いて。僕だって怖い。この風だけが僕らを取り囲む敵から守ってくれているんだ」
ことさらゆっくりと、噛んで言い含めるようにライサに視線を合わせて伝える。
「だから…皆、それぞれできることを精一杯やろうと思っているだけだよ。ライサができないことをやらせようなんて思っていない」
アレスはぐるりと周りを見回した。
「それに…ここにはライサがマギであることを責める人はいない」
ライサも釣られるようにして、皆の顔を見回す。オージアスが頷き、ユーリーは微かに唇をゆがめた。笑おうとしているのかもしれない。ラオはいつものように無表情だ。そしてマリアは、ライサをじっと見ていた。その表情は困ったようなもので、ライサを責めるようなものではなかった。
後ろにいるのはエフライム。彼へは振りむけない。それでもラオと親しくしているエフライムが、マギであることを理由にライサを蔑むことはしないだろう。
目の前に視線が戻る。
「そして…僕もマギだしね」
アレスの静かな告白は、その場に衝撃をもたらした。特にエフライムにとっては、この場でのアレスの治療に気づいていなかっただけに、寝耳に水だ。滅多に見られない彼の驚きの表情を間近で見られたことに、アレスは少しだけ気をよくした。
「僕も最近まで知らなかったんだ。それにこれは極秘事項だから。絶対にここから漏らさないように」
ぐるりと見回せば、皆が一様に頷いて了承の意を示した。
「今のところ、僕ができるのは治療ぐらいで、この場面では役に立たない。それで、ライサ、君は何ができる?」
ライサはすっと視線を足元に落とした。その視界の中に木彫りのペンダントが入ってくる。浮かんできたのは、この場で役に立たないような能力だった。それでもまずは口にしてみる。
「植物と話ができて…」
「うん。それから?」
「植物が育つのを助けることができます」
「うん」
思い出したのは暴れる植物の根の光景。トラケルタから逃げ出したときにライサが無意識に行ったことだ。ところが、あの後は何度やってもできなかった。暴れるまでの根は育たない。ラオは追い詰められたからこそ出来たことだろうと言っていた。
ライサは握られたアレスの手から自分の手を抜き出し、傍にあった馬車に伸ばす。木製の馬車の表面を軽く撫でてから、力を込めてみた。
馬車の板から芽が出て、それがどんどん伸びていく。
「すごい…」
感嘆の声がアレスから漏れる。
「これは、横にも成長させられる? たとえば、下は?」
ライサは少し考えてから、伸ばす方向をイメージとして木に伝えてみた。すぐに枝が横へ伸び、幹のようなものが下へと伸びていく。
「ああ。そこまでにしてください」
エフライムの声が飛び込んできて、ライサはびくりと身体を震わせた。同時に木の成長が止まる。
「根を伸ばしたら、馬車として役に立たなくなります」
「いや。伸ばしたらいいんじゃないか?」
オージアスが、エフライムの傍まで来て馬車に手をかけた。
「あっちの騎馬のほうが速いから、馬車で逃げるのは不可能だ。だったら、ここで留まって戦うしかない。それなら、これを盾にしてしまえば…」
「そうだな。こいつをバラバラにして盾にしちまおう。それでこっちからは、ラオとマリアが突風で、ビュンっ」
オージアスの提案に対して、気軽にそれを肯定したのはユーリーだった。
「お前、バラバラにって…できるのか? お前」
「いや~。多分?」
オージアスの突っ込みに、ユーリーは頭をかきながら馬車のところまでやってきて、板に手をかける。ミシミシと音がして外れそうだが、歪むばかりで外れない。
「いくら熊だって無理だったな」
「熊、言うな」
そこへラオがマリアに身体を支えられて、歩いてきた。
「バラバラにすればいいのか?」
「やってもらえる?」
アレスが頼めば、ラオは頷いて馬車に手を添えた。
「あっ。ちょっと待って」
ラオが壊そうとするのを、アレスが慌てて止める。怪訝な顔をするラオをよそに、アレスは御者台へと走っていった。そこには亡くなったクライブがいる。御者台へと登って、クライブの目を閉じさせる。身体はしっかりと矢で打ち付けられており、下ろすのは無理そうだった。仕方なくそのポケットから冊子になった紙の束を取り出した。クライブがケレスで描いていたものだ。冊子の隅に茶色の血を跡ができている。思わず泣きたくなるのを堪えた。
「これは…貰っていくね」
そう呟くと、アレスは元の場所へと戻った。
「馬やゼイルに傷をつけないように気をつけて」
その言葉にラオは頷く。次の瞬間に大きな音を立てて、馬車がバラバラになって真下へと落ちた。
ユーリーがピューと口笛を吹く。
「さすがだ…」
オージアスも思わず呟いて、驚愕の表情で馬車だった物体を見ている。アレスは足元に落ちた板を拾い上げた。
「これで馬を囲うように囲みを作ろう。それで、ライサ、それぞれを繋げる木にしてもらえる?」
ライサが頷いて、ぎゅっとペンダントを握り締めた。皆がそれぞれ少しずつ板を持ち、馬と意識のないゼイルを中心において、円を作る。
アレスが頷くのを見てから、ライサは力を注いだ。自分から出て行く力が、木の板に伝わり、そこから枝と幹が伸び始める。すぐにそれらは大きくなり地面に根を張っていく。根が伸びてしまえば、後は楽だった。木自身が持つ成長する力を補助すれば、大きく育っていく。畑の植物が枯れたのは疫病のせいで、地面自体には水も養分もあるのだ。
「ちょっとした森ですね。これは」
アレスたちがいる場所以外は木に囲まれた形になったのを見て、エフライムが感想を述べる。
「出るのが大変か…」
「登って出ればいいじゃん」
オージアスの言葉に対して、気楽な返事はユーリーだ。
アレスは森の間から見える空を見た。緑の盾の周りは空気の渦。すでに陽が落ちた空はどんよりとしていて、白く微かに発光している雲と黒い雲が混ざり合っていた。その空からぽつりぽつりと雨粒が落ちてくる。
「マリア、ラオ」
アレスはマリアとラオに何かを告げた。マリアは一瞬躊躇したが、結局は了承した。
「ええ。できる…と思うわ」
まだ戸惑いの残るマリアに対してアレスは頷く。
アレスには分かっていた。これは王たる自分の責任にしなければならない。王として立つと決めたときから、王座は血塗られることは分かっていた。分かっていて王座を望んだのは他でもない自分なのだから。
「これは王である僕の命令だ。敵を殲滅する!」
とたんにアレスたちの上に、豪雨とも言うべき雨が降り始めた。




