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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
一角獣の旗
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第5章  追手(2)

 ラオがハウトの方に身をかがめながら言った。


「この庵の床下には火薬が仕掛けてある」


「なにぃ?」


「台所の出口の下に導火線が出ている。そこに火をつけろ」


「ラオ…おまえ、なんちゅう恐ろしいことを…。俺達がいる間に火がついたら、どうする気だったんだ?」


「俺がいる間、火はつかないことになっていた」


 ラオはしれっとした顔で答えた。ハウトは大げさにため息をついてみせてから、まじめな顔になる。


「さあ、行ってくれ! もうすぐ来るぞ!」


「火をつけたら、何かの後ろに隠れろ。かなり飛び散るように細工してある」


「わかった」


 ラオ達の馬が駆けていくのを見送りながら、ハウトはエフライムの方へ振り返った。


「とりあえず、庵にあいつらが踏み込んでくるのを待とう」


 エフライムとハウトは剣を抜くと台所のある裏口へと向かった。エフライムがしゃがみこんで、そっと建物の影から顔を出す。全体を包囲するように、周りからじわじわと敵が寄ってきているのが見える。ハウトはラオに言われた導火線を探していた。


「あったぜ」


「もうちょっとですね。もう少し近づいてくれないと…。中に踏み込んでくれるといいんですけどね」


「ちょっと中に入って煽ってくるわ。おまえさん、ここにいて俺が合図したら火をつけろ」


 そういい残して、ハウトは家の中に入って行く。エフライムはあっけに取られつつも、火の用意をした。中で何か音がしたと思った瞬間に、ざっと人が走る音がした。


「今だ!」


 ハウトの声を頼りに、導火線に火をつける。ハウトは今入った裏口から飛び出して、沢の方へ駆けて行くところだった。エフライムも後を追う。ハウトが飛び込むようにして回り込んだ岩の裏に、エフライムも飛び込んだところで轟音が聞こえた。


 パチンパチンという音がして、岩に石が当たるような音が聞こえる。岩に当たって落ちてきたものを見ると乳白色の小さな破片だった。フローライトの破片だ。


「これのためですか…必要だって言っていたのは」


「なんと言うか…助かったというべきか?」


「どのぐらい減ったでしょうね?」


「さあ…。とりあえず、ここじゃ不利だ。山道を登るぞ」


 ハウトは立ち上がって沢と庵の間にある山道がある方向に走り出した。エフライムも続く。


「いたぞ!」


 後ろから声がした。坂道の途中で振り返るとハウトとエフライムは剣の柄に手をかけた。後ろから数人の武官が剣を構えて上ってくるのが見える。


「こういうときは槍の方がいいんだが…」


「贅沢は言えませんよ」


 ハウトがシャッと音をさせて剣を抜くと、くるりと手首を回して剣を回転させてから、構えなおす。その瞬間に武官の一人が剣を突き出してきた。


「気が早いことですね」


 エフライムは音もなく剣を抜くと、相手の剣を打ち落とし、そのまま首筋を撫でるような動きを見せた。切られた本人も何が起こったか、分からなかったのだろう。きょとんとした表情で、落とされた剣を拾おうと下を向いた瞬間に、首の下から血しぶきが派手に上がる。慌てて首筋に手をやった驚愕の表情で、その男は事切れていた。その横でハウトは別な武官の足を引っ掛けて転ばせた。坂道なので、そのままごろごろと他の武官も巻き添えにして転がっていく。


「どうよ。こういうのは」


「面白いですけどね。あちらの戦力は減りませんよ?」


「戦意が喪失すればいいさ。殺気がないからな」


「我々を生け捕るつもりでしょうか?」


「さあな。だが俺達の相手としては力不足だな」


 正面から突っ込んできた男の剣を叩き落し、またしても首筋を切りつけながらエフライムは笑った。


「一個中隊ですよ? かなり見込まれていると思いますけど?」


 ハウトも左から突いてくる剣を払って、一歩踏み込むと相手の肩を切りつけた。とたんに血しぶきが上がり、相手の男は膝をついた。その隙に右から切りかかってきた男の手を切りつける。手首から先が剣ごと落ちた。


「悪いな。手加減をしている暇がない」


 頭を狙って右から来た剣を身体を沈めてかわすと、自分の剣を突き出す。正面にいた男の鳩尾に剣が刺さった。相手の身体は崩れて、坂道を転がっていく。エフライムも右へ左へと剣を動かしている。その間に、周りにいる人間から血しぶきがあがり、身体が地面へ倒れ込んでいく。怪我はさせても極力殺さないように気をつけているハウトに比べて、エフライムは確実に仕留めていた。


「キリがありませんよ。殺してください」


「おまえね…。あと何人ぐらいだ?」


「さあ」


 また狙ってきたのを避けようとして、風音を聞く。とっさにエフライムの身体ごとハウトが木の後ろに隠れたところで、ビーンと音がした。木に矢が刺さっている。下を見ると、坂のふもとの所に弓矢を構えた人影が見えた。


「おーい。弓矢隊がいるなら、いるって言って欲しかったぜ」


 エフライムがくすりと笑った。


「いてもいなくても、対応は一緒だったくせに」


「まあな。だが心構えが違うぜ?」


「そうかもしれないですけどね」


 ハウトはふと思いついたように、腕を伸ばすと側に転がっていた剣を拾い上げた。その瞬間を狙ったように、また矢が飛んでくる。一旦避けるように木の裏に身を隠して、矢をやり過ごした後に、半身ほど木から身体を出して、拾った剣を坂下に向かってなげた。一人の胸に命中して、崩れるのが見える。


「命中」


「おみごとでした」


「だが、もう無理だぜ。剣を拾おうにも、多分拾わせてくれんだろう」


「じゃあ、逃げる一手っていうのはどうです?」


「乗った」


 視線が合って、二人してにやりと嗤うと一気に坂を登るべく、木々の間を走り始めた。後ろから風切り音が聞こえてくる。木の裏に時々身を隠しながら、坂を登っていく。さすがに木々の間を走っているので、弓矢では狙い難いのだろう。しばらくすると風切り音はしなくなった。その代わりに後ろから追いかけて来ているようだ。振り返ると剣を構えたものが、すぐ後ろまで迫っている。


「やるなぁ。この坂道を」


「根性は誉めてあげましょう」


 肩で息をしながら、ハウトとエフライムは再び剣を構えた。だが追ってきたのは、十人にも満たなかった。


「数人ずつやれば終わりだな」


「そうですね。では真ん中で凶悪そうな顔をしている方は譲りますよ」


 エフライムがそう言ったとたんに、中央に立っている大男が口を開いた。


「アレスはどこだ」


 ひどい濁声だ。ハウトがにやりと嗤う。


「ここにはいないな」


「おとなしく引き渡せ」


「そう言われても、いないものは渡せないですよ」


 エフライムもにやりと嗤った。その瞬間に左右から剣が突き出される。軽くステップを踏んで後ろに下がると、エフライムは軽く体を左にかわして端から切り込んだ。エフライムの正面に立っていたものが、胸を刺されてそのまま倒れ込む。ハウトは濁声の男と向かい合った。


「久々に手ごたえいっぱいの気配だな。エフライム、雑魚は任せたぜ」


「了解」


 すでに二人が地面に横たわり、三人目が今、エフライムの剣の餌食になったところだった。ハウトは濁声をした男を見つめた。ダークブルーの瞳に影が宿ったのを見逃さない。速攻を狙った相手の動きを封じる形で、ハウトの剣が男の剣を弾いた。弾いたはずのハウトの手に衝撃が走る。


「馬鹿力だな」


 ハウトは呟いた。自分から踏み出す。右、左、上。どんどんハウトの剣の動きが速くなる。それに合わせて、相手の剣の動きも速くなった。ブンと音がして剣が頭を掠める。間一髪で身体を沈ませて避けた。空を切った剣が木に食い込む。男が抜こうとしている間に、ハウトが右腕を切りつけた。その瞬間にハウトは右頬に衝撃を感じる。相手が左の拳でハウトを殴ったのだ。


 ハウトが切りつけた右腕から血が滴った。思わず男は、抜こうとしていた剣の柄から手が離れる。そこにハウトが切りつけようとした。すかさず相手の右足がハウトの足を捕らえる。


痛みを感じてよろけたところを、さらに濁声の男が両手を組んだ拳を振り上げてくる。とっさに痛みを感じる左足で相手の横腹に向かって蹴りを入れて、相手がよろけたところで剣を握りなおして体勢を整えた。男がもう一度剣を木から抜こうとしたときだった、エフライムの剣が男の首筋を狙った。寸でのところで男が避ける。エフライムの剣は木を切りつけた。


「おっ、他は終わったか」


「ええ。この男が最後です」


 エフライムが再度、剣を構えなおした。


「どうする? 二対一だと歩が悪いんじゃないか?」


 ハウトは切れた唇から流れる血を手の甲でぬぐいながら、男に嗤いかけた。一瞬、男の顔に怒りの表情が現われたが、不利だと見たのだろう。そのまま一気に背を向けて坂を駆け下り始める。エフライムが後を追おうとしたのを見て、ハウトが止めた。


「やめとけ」


「でも…」


「深追いするよりも、今はラオ達と合流するほうが先だ」


 エフライムは頷くと手近な死体の服で剣を拭ってから鞘に収めた。ハウトも同様にし、パチンと音をさせて剣を鞘に収める。そして山道を登り始めた。






 ハウトとエフライムを置いて、ラオ達は馬を歩ませて、山を登っていった。ここからしばらくは登りの山道が続いて行くのだ。ラオとルツアがそれぞれ、エフライムとハウトの馬を預かっていた。アレスも気をつけながら、自分の馬で山を登っていく。しばらく登ったところで、後ろから轟音が聞こえた。


「何? 今の?」


 アレスがラオの顔を見た。


「庵を爆破するようにハウトに言った」


「大丈夫からしら…」


 フェリシアが不安そうに言った。アレスも同じく不安そうな表情をしている。いつもと変わらない調子でラオは言った。


「まずは待ち合わせの場所まで行くことだ。あいつらなら心配はいらない」


 高台からラオの庵が見渡せる約束の場所に来た。上から見ると庵は無残な姿となっていた。


「庵、なくなっちゃったね」


 アレスが残念そうに言う。一同はまだ燃えている庵を一瞥した。屋根はすでに無く、柱が何本かくすぶっているだけだ。じっと庵を見つめていると、ふいにアレスは背中に異様な重さを感じた。まるで突然自分の背中に大岩が乗ってきたかのような重さだ。


「くっ…」


 声が出ないほど重くなって、身体を支えていられなくなる。落馬寸前のところでラオが背中をなでた。その瞬間に今までの重さが信じられないぐらいに軽くなる。


「ラオ?」


 アレスはラオを見たが、ラオは振り返って森の中を睨みつけていた。ルツアとフェリシアは視線を交わす。ルツアがとっさに矢を弓に番えると、森に向けて放った。ひゅっと音がして飛んでいく。もう一本射ようとしたところで、ラオが片手をあげて止めた。


「出て来い」


 ラオが低い声で言った。その声に、背の低い猫背の男がのそりと歩いて出てきた。上目遣いにラオを見ている。


「アレギウス…」


 ラオが呟いた。アレギウスが薄く笑う。三日月のように細い目がさらに細くなる。


「くくく…。その小僧は置いていってもらおうか…」


 アレギウスの言葉が終わる間際に、アレスの周りの空気が一瞬冷たくなったが、すぐさま元に戻る。アレスは目を見開いて、ラオの横顔を見つめた。しかしラオの横顔に変化はない。


「もうおまえの術は効かない」


 ラオが平坦な声で告げる。まるで一言一言を響かせるように、耳に残る言い方をしていることにアレスは気付いた。


「ふふふ。わかっている。今日は挨拶代わりだ」


 アレギウスが含み笑いで答える。まるで地獄から響いてくるような低い声だった。声で結界を作っている? アレスは、確信の無いまま、なんとなく思った。それほどラオの声もアレギウスの声も特徴を持ち始めていた。最初の一声とは明らかに違う。アレギウスの目がアレスを捉える。思わず背筋がぞっとする。その怯えを察したのか、ラオがアレスの前に馬を進めた。アレスの視界には、ラオの背中しか見えなくなる。視界を塞がれたというのに、とたんになぜか包まれるような安心感を覚えた。


 ふとラオはアレギウスの肩の上に視線をやった。何かを見たような、いや感じたような気がしたのだ。目を凝らす。視覚に頼るのではなく、見えないものを見るために目を凝らす。それは目という器官を越えたところで、見ようと努力するような感覚だ。じっと目に力を込めていくと、うっすらと視界が変わり始める。今見えたもの…あれは? さらに神経を研ぎ澄ましていくと、何かがアレギウスの肩の上にあるのが分かる。


「おまえ、何を連れている?」


 ラオはアレギウスの肩を凝視しながら言った。アレギウスの細く切れ込みが入ったような口の両端が上がる。まるで蛇が笑ったようだった。ラオはさらに、神経を集中して肩の上を見ている。ラオの眼にぼんやりとした輪郭がはっきりと映った瞬間、さっと顔が青ざめた。眼がラオを見ている。しかし、その眼は上下が逆だ。肩の上に見えるそれは顔だった。上下が逆の首が乗っている。アレギウスの声が聞こえてきた。


「見えたのか? ガザラス師だ。私に力を与えてくださる」


 ガザラスという名前に覚えは無かった。しかしこの状態はまともではない。


「おまえ…わかっているのか? どういうものが憑いているのか」


 ラオは搾り出すように声を出した。目が首から離せない。首が自分を見ている、その視線からはずせない。次の瞬間、がさりと音がした。その方向を見ると、ハウトとエフライムがいる。


「ハウト! エフライム!」


 アレスが呼びかけた。安堵の表情を隠せない。ハウトがラオの前に立っていたアレギウスを見る。


「なんだこいつは?」


「アレギウスだ」


 ラオが答えた。しかし、目はアレギウスの肩の上を見たままだ。


 ハウトが動いた。剣を抜いた瞬間にラオが強い声を発した。


「ハウト、やめろ」


 叫んだわけではない。しかしこれだけ強い口調をするラオは珍しい。その気迫に押されるように、怪訝な顔をしつつも、ハウトは全身の殺気を緩めた。ただアレギウスを追い立てるように剣を振り上げて見せる。


「行け。俺達についてきたら、命はない」


 アレギウスが笑った表情のまま頷いた。


「わかっているさ。だがまた会おう」


 アレギウスは意外に素早い身のこなしで、身を翻すと森の奥にそのまま立ち去った。馬を待たせてあったのだろう、嘶きが聞こえてきた。走り去っていく馬の音を聞いて、ラオは自分が脱力するのを感じた。とたんに身体に震えが走る。どんなものかはわからない。だが信じられないものを見た。ふと膝に暖かいものを感じて見ると、ハウトの手があった。そのまま腕を見て、のろのろと視線をハウトの肩に移し、そしてハウトの顔を馬上から見下ろす。心配そうな漆黒の眼が、ラオを見上げていた。


「大丈夫か?」


 その声がまるで呪縛を破るかのように、ラオには聞こえた。思わず安堵の息を吐く。自分でも思っていなかったほど緊張していたようだ。


「ああ」


 声を出して、さらにもう首の呪縛がないことを確認する。ハウトはまだ心配そうな顔をしていた。


「大丈夫だ。術などではない。ただ…信じられないものを見ただけだ」


 ラオはハウトに言った。ハウトが怪訝な顔になる。それに対してラオは微笑んだ。


「なんでもない。出発してくれ」


「本当に大丈夫なんだな?」


「ああ」


 普段のラオに戻ったのを確認して、ハウトはラオに預けてあった馬に乗り上げた。そしてちらりともう一度ラオに視線をやってから、馬を歩かせ始める。エフライムもそれに習って、馬の首をハウトの背中へと向けた。皆もラオに一瞬視線を移してからそれに続いていく。皆の視線を受けつつ、最後尾にラオは付いた。ほんの一瞬だけアレギウスが去った方向を見ると、視覚とは別の感覚で尾行がないことを確認し、ハウトの後に従った。 







 それから暗い森の中を移動する生活がずっと続いた。昼か夜か分からない森の中は、馬の脚も危ういので、自然と歩みが遅くなっている。野宿を何回か繰り返しながら、森の中心まで来ていた。


 ハウトが少しだけ開けたところに着いたところで、片手をあげて一行を止めた。後ろにも聞こえるように大きな声で言う。


「今日はここで野宿だな」


 皆が頷いて、馬から降りる。さすがに疲労の色が隠せない。それでもここまでの道程は順調と言えた。予想されていた山犬や狼の類もいなければ、盗賊も出なかった。アレスが率先してかまどを作る。もう何度も焚き火を作っているので、かなり上手になっていた。


 エフライムとハウトは、沢まで水を汲みに行ったようだ。ルツアとフェリシアは食事の用意を始めた。ラオもそれを手伝っている。今までの緊張がふっと解けた瞬間だった。


 ルツアの後ろからがさがさと音がしたと思ったと同時に、男が出てきて、ルツアの首に剣を突きつけられる。低い声がルツアの耳元で響いた。


「おとなしく金目のもんを出せば、命は助けてやる」


 周りを囲まれていたようだ。木の陰から男たちが出てきて、フェリシアにもアレスにも剣を向ける。思わずアレスは腰の剣に手をかけようとした。その瞬間に、ラオが手でアレスを止めた。フェリシアを見ると、フェリシアは落ち着いた顔をして、微笑みすら浮かべてアレスを見ていた。そして目線でラオを示す。アレスはそれを見て、何か策があるのだと知った。フェリシアとアレスの視線を受けて、ラオは静かな口調で周りの男達に言う。


「やめておいたほうがいい」


 拍子抜けするぐらい、落ち着いたいつもの口調だった。周りにいる男達は思わず笑っていた。


「おまえ、剣もなしで、どうやって俺達を止めようっていうんだ?」


 笑いながら言う表情がそのまま凍った。いきなりその場の温度が下がっていく。この場所だけいきなり冬になったような寒さになっていた。あまりの出来事に、盗賊たちも周りを見回す。


「な、なんだ? いきなり」


「どうした?」


 口々に言い合う。そのざわめきを無視したまま、ラオは何か呟いたかと思うと、右手を軽くあげた。その瞬間に、男達の動きが止まる。うっと声が絞りだされるが、それ以上しゃべれないらしい。ダラダラと脂汗が出てきているのが焚き火に照らしだされる。


 ルツアは突きつけられた剣をゆっくりと抜けだした。そして、ラオのそばに行く。フェリシアもアレスもそれに従った。


「何したの?」


 アレスが恐る恐るラオに聞く。色素の薄い瞳がアレスを見て、ふっと微笑んだ。


「どうやって止めるかと言われたので、金縛りにしてみた」


「金縛り?」


 ラオが頷く。


「一種の悪霊に憑かれた状態だな。身体が動かなくなる」


「ずっとこのままなの?」


 ラオは首をかしげた。


「そうだな。どうするかな」


 ルツアが苦笑する。そのときに、後ろから木々がこすれる音がした。ハウトとエフライムが帰ってきたのだろう。


「なんだこりゃ!」


 焚き火の周りに照らし出されている男達のオブジェを見て、ハウトが声をあげた。フェリシアが戻ってきたハウトに嬉しそうに寄り添う。


「よかった。戻ってきてくれて」


 ハウトはフェリシアの肩を抱いた。エフライムもびっくりしたように目を見開く。


「生きて…いるんですよね?」


 その言葉に、アレスがちょっと自慢げに答える。


「金縛りだって」


 ハウトはふと気づくと、フェリシアを放し、ルツアの首に剣を向けていた最初の男の前に行った。


「なんだ、おまえさんか」


 男に話しかける。男はなんか言いたそうだが、声が出ないらしい。その立派な体格に合わない情けない顔つきになった。ハウトは肩をすくめてラオに言う。


「戻せるか」


「ああ」


「じゃあ、戻してやってくれ」


 ハウトの言葉にエフライムが言う。


「いいんですか? 仮にも我々がいない隙に狙ってきた連中ですよ?」


 ハウトがもう一度肩をすくめてにやりと嗤った。


「もう狙う気は失せていると思うぜ」


 その言葉聞いてから、ラオは何かを呟くと、パンと一度両手を合わせて音を出した。その音が森に響いていくとともに、風が下から上へと吹き上げていく。次の瞬間に、周りにいた男達は動けるようになったらしく、最初の男がガバッとハウトに土下座した。


「すいやせん。ハウトの兄さん! 兄さんがいるとは思わなかったんで。とんだところを見せちまって…・」


 他の男達も皆、それに習うようにガバッと地面に土下座すると、頭をつけた。皆その光景に驚いたように目を丸くする。ただ一人、ハウトがくっくっくっと笑った。


「よりによってラオに手を出すとはね」


 まだ笑っている。男は地面から訳がわからないという表情で、笑い続けるハウトを見ていた。その視線に気づいて、ハウトは手を差し伸べる。


「とりあえず立ってくれよ」


 その手につかまって、男が立ち上がった。あわせるようにして、他で土下座していた男達も立ち上がる。ハウトがラオの肩に手を置いて言った。


「こいつらにみんなを紹介したいんだが、いいか?」


 その眼には別の含みがあった。ラオは炎を読むように見る。しばらくして頷いた。ハウトがそれに答えて、にやりと笑う。そして続けた。


「こいつがラオ。俺の兄弟みたいなもんだ」


 身振りで示すようにしてハウトは続けた。


「こっちはこの森の盗賊の親分で、俺の弟分になったトラロク。先日、俺を襲って返り討ちにあったんだ」


 やっぱりという表情で、ルツアとエフライムが苦笑する。


「そういう話をしていたんですよ。ハウト。もしも盗賊が出たら、逆に盗賊を身包み剥しかねないってね。予想通りでしたね」


 エフライムは苦笑しながら言った。その言葉にハウトは頭を掻く。


「見透かされていたわけだ」


 そして、トラロクを見ると、エフライムとルツアを身振りで示した。


「こっちは俺の仲間のエフライムとルツア。それから、こっちはフェリシアとアレス」


 フェリシアは優しい微笑みを浮かべて軽く会釈し、アレスはぺこりと頭を下げた。トラロクはフェリシアの美しさに一瞬ぼーっとしたようだ。それを見て、エフライムが更に苦笑する。


「一応忠告しておきますけどね、フェリシアに手を出したりしたら、ハウトに殺されると思いますよ」


 トラロクの呆けていた顔が一瞬にして青くなる。その分かりやすい表情に思わずエフライムは吹き出しそうになった。緊張が解けたからだろう。アレスのお腹が大きく鳴った。思わず赤くなったアレスにフェリシアが微笑みかけてから、ハウトに言う。


「ねえ、ご飯にしましょう。用意の途中だったんですもの」


「そうだな」


 トラロクは答えるように、ハウトを見た。


「お詫びに酒ぐらいは持ってきます」


 そして、一番若そうな男に目配せをすると、その男は足早に去っていった。


 量は少ないながらも、全員での酒盛りになる。飲んだり食べたりしながら、皆がハウトとトラロク達の出会いの話を聞いていた。やはり今回と同じように狙ったのだが、ハウトの場合は一瞬にして全員をのしてしまった上で、食べ物を要求したのだった。


「食べ物っていうところがハウトらしいですよね」


 エフライムが納得したように頷きながら言う。


「あら、こういう場所では一番大事だと思うわ」


 ルツアは笑いながら答えた。そんなやり取りを、ハウトは笑顔で黙って見ていた。その横にフェリシアがやはり微笑みながら座っている。


「ところで…」


 トラロクが切り出した。


「さっき、なんで俺らは動けなくなったんです?」


 ようやく話に加われるのが嬉しくて、アレスが真っ先に答えた。


「金縛りだって」


「金縛り?」


 トラロクがアレスを見て、そしてラオを見る。しかしラオは黙って酒を飲んでいて、いっこうにトラロクに返事をする様子がない。仕方なく代わりにハウトが答えた。


「おまえさん達は、俺以上にとんでもない相手に手を出したってことさ」


 声にからかうような調子が含まれている。トラロクは考え込んでから、一つの可能性に行き当たる。


「マギ…」


 その言葉を聞いたとたんに、一緒に酒を飲んでいた盗賊達の顔色が変わり、一斉にラオから身を引き離すような姿勢をとる。それを見て、さらにハウトはにやりと笑った。エフライムは苦笑している。そしてフェリシアとルツアは眉をひそめた。


「ハウト、あまり良い趣味とは言えないわね」


 ルツアがきっぱりと言い切る。その口調にハウトは不機嫌になった。


「俺は別にラオの力がどうこうっていう話はしてないぜ。これが他の奴だったとしても同じことを言うさ。トラロク達の力量から言ったら、相手が俺と同等か、上の奴だったら負けるからな」


 その言葉にトラロクは何か言いかけたが、結局は黙っていた。


「俺だって、だてに戦場に居たわけじゃない。力量の量り方ぐらい知っている。でもって、ラオは状況によるだろうが、俺と同等かそれ以上だ。認めたくはないがな」


 ハウトとルツアが睨み合う。ふっとルツアが眼を逸らした。


「分かったわ。勘ぐって悪かったわね」


 その場の雰囲気をとりなすようにエフライムが微笑しながら言った。


「大丈夫ですよ。ルツア。ラオのことを一番気にかけているのはハウトなんですから」


 ハウトが照れくさそうに言う。


「別に俺は気にかけてなんかいないぜ。まあ、兄弟みたいなもんだからな。多少は面倒をみてやらないと」


 トラロクも何かフォローをしなければと思ったのだろう、無理やり笑顔を作りながら言う。


「さ、さすがハウトの兄さん、ま、マギが兄弟分とは」


 その言葉は逆効果だった。一気に場が静まり返る。トラロクも自分がやった失言に気づいて、そのまま青くなった。そのときにアレスが立ち上がって、ラオに抱きついた。


「大丈夫だよ! 僕はラオが大好きだからね。この人たちの言うことは気にしなくていいから。ラオがなんであっても、ラオだから好きだもん」


 あまりのことにラオはびっくりし、それからくっくっくっと笑い出した。


「ラオ?」


 アレスが抱きついた姿勢でラオの顔を見る。ラオは座ったまま顔を下に向けて笑っていた。


「そんなことを言われたのは初めてだな」


 まだ笑っている。


「俺のことを嫌う奴はいたが…」


 ラオは顔をあげてアレスを見た。そのままアレスの頭に手を乗せて微笑む。その様子を見て、トラロクや他の盗賊達も落ち着いてきたようだった。そのまま、また酒盛りが続いていった。


 ふとアレスは、木々に止めてある動物に目を留めた。馬だと思っていたのだが、そうではないらしい。


「ねえねえ、あれは何?」


 トラロクの隣に移動すると尋ねた。トラロクがアレスの視線を追って、何について尋ねられたのか分かって、微笑む。


「鹿の一種さ。リヤマと仲間うちでは呼んでいるけどな。本当のところは知らねぇ」


「どうして馬じゃないの?」


「馬よりも崖を登ったり降りたりするのに、都合がいいのさ」


 アレスは不思議そうに、その背が低く、馬を小太りさせたような動物を見つめていた。


 酒もすっかり無くなり、分かれ間際になって、トラロクはラオに手を差し出した。


「悪かったな。いろいろ嫌な思いをさせちまって。だけどよ、ハウトの兄さんの兄弟だったら、俺にとっても兄弟だな。マギの兄弟を持つのは初めてだが、悪くない」


 ふっと笑みをこぼして、ラオはトラロクの手を握った。


「俺も盗賊の兄弟は初めてだ」


 その言葉に、一瞬トラロクは目を丸くしたが、そのまま大口を開けて笑い出した。


「お互い様だな。これからもよろしく頼むぜ、兄弟」


 ラオはその言葉に頷いた。そしてトラロク達はそのまま、森の奥に消えていった。


 


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