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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
獅子の爪
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第5章  帰途(3)

 アレスにとっては長く感じる時間。しかし実際には、ほんのわずかな時間だろう。アレスの手の下でラオの傷口が盛り上がり、塞がっていくのがわかる。こうなればもう大丈夫だ。


 ようやく手を離せば、ラオが面白そうにアレスのことを見ていた。


「自分で体験することになるとは思わなかった」


 アレスは肩をすくめる。


「油断するからそうなるんだよ」


 精一杯の減らず口だ。本当は泣きたくなるぐらい辛い。だがまだ泣いていられない。


「ラオを頼むね」


 マリアにそう告げると、オージアスとユーリーのほうへと向かう。残されたマリアがラオを見て、それから視線を彼の腹へと向けた。


「どういうこと?」


 ラオが困ったように視線をアレスへとやったが、すぐにマリアへと戻した。


「そういうことだ」


 それは図らずも、さっきマリアがライサへと告げた言葉と同じだった。破けた服の隙間から見えている傷口は、すでにふさがっている。


「あれは…あなたじゃなかったの?」


 ラオが答えに躊躇した。だがマリアのまっすぐの視線に耐え切れずに、ふっと息を吐くと口を開く。


「すべてを俺がやったわけじゃない」


 言わないと約束したのだ。だからそれがラオの精一杯の答えだった。けれどマリアはそれで察することができた。何よりも自分の目の前で起こったことなのだ。


 アレスはオージアスの傍まで来ると、じっと傷口を見つめた。オージアスは自分の頭の傷を片手で抑えつつ、アレスの前で片膝をつく。


「ご無事で何よりでした」


 感情を抑えた声だが、微かに震えていた。目の前で仲間のほとんどが殺されたのだ。穏やかではいられない。


 アレスは傷を押さえているオージアスの手の上に自分の手をそっと乗せた。


「陛下?」


「じっとしていて」


 ぽたりぽたりとオージアスの血が地面へと落ちていく。やがてその雫の流れが止まり、オージアスがじんじんと感じていた痛みが消えていく。アレスが手を離した。


「オージアス。傷口から手をどけて」


 命じられるままに、傷口を押さえていた手をどけた。流れてくるかと思った血は、頭の上でとどまっていた。じっくりとアレスが傷口を診る。べっとりと髪に血はついているが、傷口そのものはあらかたふさがり、残るは表面的な傷だけだった。


 傷口を撫でるようにして、指で触る。触れた場所から傷口が閉じて肌が修復されていく。傷口が消えたところで、アレスは指を離した。


「他は? 怪我は無い?」


 アレスがオージアスへと問いかける。跪いた姿勢から見上げる茶色の瞳が、いたわるようにしてオージアスを見ていた。問われるままに自分の身体をさぐり、どこにも痛みがないことに気づく。


「ありませ…ん」


「そう。良かった」


 アレスは軽く微笑むと、オージアスをそのままにしてユーリーのところへ向かった。その様子をぼんやりと見送ってから、オージアスは自分の頭に手をやる。さっきまでの疼く様な痛みはない。触れば血が手につくが、流れてはこない。ゆっくりと触って痛みが無いことに気づき、その手の感触に驚く。傷口が無い。


 何が起こったのか頭が混乱したまま、オージアスはアレスがユーリーと話す後ろ姿を見ていた。


 一方で肩を突かれたユーリーは右手に力が入らないらしく、自然に動くに任せたままでせめて固定をしようと、左手だけで奮闘していた。そこへアレスが近づく。


「ユーリー」


「陛下」


 ユーリーはアレスを見て情けなさそうな顔をした。


「ユーリー、肩を見せて」


 ユーリーはアレスよりも体格もよく背もかなり高い。アレスはまだまだ背が伸びている途中で、ユーリーの肩を見るには少し背が足りなかった。ユーリーが少し考えた末に、さきほどオージアスがしていたように片膝をついた。


 アレスが肩をそっと触ると、それが傷に響いたのかユーリーの身体がびくりと反応する。しかしお互いに何も言わなかった。アレスの手の平がユーリーの傷口に置かれる。


「じっとしていて」


 それだけ言うと、アレスは目を閉じた。やることはわかっている。自分の力が流れ込むイメージを作る。それから傷口が塞がるイメージ。


 しばらくして手を離すと傷は綺麗に消えていた。


「痛くない…です」


 ユーリーが肩に手をやる。それからいきなりぐるぐると回し始めた。


「おいっ」


 オージアスが驚いてユーリーに突っ込むが、ユーリーはお構い無しだ。


「何をしたんですか。陛下。痛くないです」


「ちょっとね」


 アレスはそう応えると、エフライムの元へと向かった。エフライムは転がっていた死体の身元が分かりそうなものを調べていた。


「これ…何かわかりますか?」


 1つの死体の首に鎖でかけられていたのは、戦いの女神フレイヤの横顔がレリーフとして刻まれたペンダントだ。よく見ようと覗き込めば、エフライムが器用に掌でひっくり返す。裏には紋章と思われるものが刻まれていた。


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