第5章 帰途(2)
外に出れば切り伏せられたものたちと、怪我をしてうずくまる者たちが地面にいた。立っているのは、ほんの数人だけだ。
「ラオっ」
マリアが我を忘れてラオに向かって走り出した。王の傍を離れるマリアをエフライムが諌めようと一歩踏み出したが、それをアレスが片手をあげることで止める。ラオは地面へと座り込んでいた。黒い服装で分かりづらいが、どうやら怪我をしているらしく地面がどす黒く濡れている。
立っているのはオージアス、ユーリー、エフライムの3人だけだった。それから馬車の馬2頭は無事で、それ以外に2頭。
ユーリーは肩から血を流しており、オージアスも頭から血が流れていたが、それでもしっかりとしていた。見たところエフライムに怪我は無いようだ。
「こちらの被害は?」
「近衛は3名死亡。2名が重傷。1名が行方不明…この風の輪の外です」
エフライムが淡々と返事をした。輪の外ということは、敵に囲まれているということだ。生きてはいないだろう。
アレスはざっと見回した。ラオは怪我をしつつも意識はしっかりしているようだった。ならば後回しだ。まずは重傷者のところへ行くべきだろう。馬車の斜め前に倒れていたのはゼイルだった。
胸を一突きされたらしい。ごぼごぼと嫌な音を立てているが、なんとか生きていた。血が付くのもかまわずに、アレスは地面に膝をついてゼイルの頭を抱え込む。エフライムはアレスの後ろについてきていた。
「へ…ぃ…」
ごぼり。喋ろうとしたゼイルがアレスの服の上へ血を吐く。
「いいからじっとして」
アレスは片手で頭を抱え込み、片手でゼイルの胸へと手を当てた。じわりと力を流し込む。ケネスで連日やっていたことをここでやるだけだ。ラオに教えられたとおりに、無理に流しこむのではなく、自然に流れ込んでいくのを感じ取る。
ゼイルの胸に添えた手の下で、皮膚が盛り上がっていくのがわかる。もう少し流し込めば治るはずだ。アレスは目を閉じて、掌の感触に意識を集中していく。
しばらくしてゼイルの頭を地面に降ろした。ゼイルの瞳は閉じられている。
「アレス…あなたに看取ってもらえて、ゼイルも感謝していることでしょう」
どうやらエフライムはゼイルが死んだと思ったようだ。それを訂正する時間はなかった。もう一人の重傷者を探さなければ。
「もう一人の重傷者は?」
アレスは聞いてから、ふっと視線をあげた。その目の前にいたのは馬車に乗ったまま矢に貫かれたクライブだった。
「クライブ…」
数本の矢がクライブを馬車に縫い付けるように突き刺さっている。目を見開いたまま、必死の形相で彼は絶命していた。アレスの拳が意識せずに握りこまれていく。死んでしまったものには何もできない。何かを叫びだしそうな口をぐっと食いしばった。
エフライムがアレスの両肩にそっと手を置く。
「もう一人はこちらです」
エフライムが、一行の後方へとアレスを案内して歩き出す。アレスはもう一度クライブに視線をやると、その姿を焼き付けるようにして見てから、エフライムと共に歩き出した。
だがその足が途中で止まる。エフライムがゆるゆると首を振った。
「遅かったようです」
その言葉にアレスはぎゅっと唇を噛む。助けられなかった。
「嘆くな。動け」
自分自身に言い聞かせる。今は嘆いているときじゃない。
「アレス?」
エフライムの怪訝そうな声には応えずに、アレスは怪我をしているラオの許へと向かう。エフライムはその背を見送ってから、足元に転がる敵の死体を検分するためにしゃがみこんだ。
アレスが近づいたとき、マリアは必死になってラオの腹の傷口を押さえていた。指の間から血が吹き出しているために、彼女の手は真っ赤に染まっていた。
「ラオ…」
アレスがラオの傍にひざまずけば、ラオは青白い顔をしつつもニヤリと嗤った。
「油断したようだ。腹に剣を突き入れられた」
「わかった」
アレスは頷くと、マリアが手で押さえている傍に自分の手を置いて目を閉じる。ずるりと自分の中から力が動いていく。アレスの背にラオの手が置かれる。ラオからも力が流れ込んできた。
しばらくするとラオの傷がふさがっていくような気がしたが、傷口そのものにはマリアの手が置かれている。
「マリア。手を離して」
マリアの目が見開かれる。必死の形相で首を振った。
「ダメです。手を離したら、血が出て。ラオが死んでしまいますっ」
「大丈夫。絶対に死なないから。僕が死なせない。だから手をどけて」
その物言いに、マリアは不思議なものを見るような顔をしてアレスを見る。涙で潤んだ黒い瞳に向かって、アレスは微笑んだ。
「ラオは死なせない。大丈夫。だから手をどけて」
マリアが恐る恐る手を離すと、すぐに血が流れ始めた。慌てるマリアよりも先にアレスが手を当てて傷口をふさぐ。そして再び目を閉じた。




