第5章 追手(1)
エフライムとアレスが久しぶりにラオの庵に戻ってみると、なんとハウトがすでにブレイザレク卿の館から帰って来ていた。まさに予定よりも一週間も早い。その日の夕食は久しぶりに全員がそろった夕食となり、お互いの情報交換で、話が盛り上がる。
「じいさんがいい馬を貸してくれたから、早く帰って来られたのさ」
ハウトがスープを口に運びながら言った。
「じいさんって…」
たしなめるような口調で、ルツアが言う。
「俺達のことを知っていたぜ」
ルツアの言葉に気づかないように、ハウトが話を続けた。
「っていうか、親父…正確に言うとラオの親父だけどな。親父のことを知っていてさ。ネレウス王や親父の親友だったって言っていた」
ラオとフェリシアが驚いたようにハウトを見た。
「だから、ラオやフェリシアのことも、俺のことも知っていた。話が早くて助かったぜ」
ハウトがにやりと笑う。
「そっちはどうだった?」
ハウトがそのままエフライムに視線を移す。エフライムが苦笑した。
「まあ、そこそこ上首尾っていうことで。物は全部そろえましたしね」
アレスがにこにこと笑って言った。
「なんかね、エフライムが違う人みたいだったよ」
その言葉にエフライムが慌てる。
「いや、アレス、その話はやめましょう」
皆の視線がアレスとエフライムに集まる。
「いいじゃない。だってエフライム、僕のためにけんかしたの。カードをやってね、すごく強くてね。そうしたら、いろいろ言ってきたから、エフライムがすごく怒っていて。で、相手をやっつけちゃったの」
ハウトが思わず苦笑する。
「アレス、全然分からんぞ。その説明じゃ」
アレスはもっと説明しようとしたところで、ルツアが気づいた。
「まさか、アレス様を連れて、カードをしに行ったの?」
エフライムが天井を見る。
「エフライム?」
ルツアの声が低くなった。思わず、アレスはフォローしようとして、口を出してしまう。
「あ、でも、エフライムは僕にカードをやらせたりはしなかったよ」
エフライムが困ったようにアレスを見て、弱弱しく笑う。
「アレス。それだと僕が今、黙っていようと思ったことに、思いっきり返事をしているんですけどね」
アレスが、あっという風に口をおさえたけれど、すでに遅かった。ルツアがエフライムを睨みつける。
「エフライム」
ルツアが再度、低い声で名前を呼んだ。
「情報収集と資金調達ですよ。アレスを連れて行く予定は無かったんですけれどね。夕食を食べられる場所が、そういう所しかなかったんで」
ぱっとエフライムは両手を軽くあげて見せた。
「でも、誓って言いますけれど、単なる酒場です。それ以上いかがわしいところには連れていってないですから」
ハウトがとりなすべく、間に入る。
「まあ、まあ。そういうところに行くのも、いいんじゃないか? 酒場ぐらいだったら、このぐらいの年でも。俺だって、このぐらいの年のときには出入りしていたぜ」
ルツアが目を見張る。慌てて、ハウトは付け加えた。
「さすがに使いだよ。飲んじゃいなかったさ」
ルツアはため息をついた。
「そうね。まあ、そのぐらいならそういうものかもね」
アレスはにっこりと笑った。
「そうだよね。そのうちにカードやってみたいな。ハウト、エフライム、相手になってね」
無邪気なアレスの言葉に、ハウトとエフライムは顔を見合わせる。
「カードって四人でやるんだよね。じゃあ、あとはラオにも入ってもらおうっと」
ラオは黙って、アレスを見た。ハウトはもう、くっくっという笑い声を漏らしている。ラオはため息をついてハウトにぼそりと言った。
「なんとか言ってやってくれ」
ハウトは笑って声を出せないでいる。エフライムが苦笑しながらアレスに言った。
「アレス、そのメンバーは、普通の人はやりたくないと思いますよ」
アレスは意味が理解できずに、ぽかんとしてエフライムに問い返した。
「どうして?」
「おまえさん、エフライムの強さは酒場で見たんだろう?」
ハウトが笑いを押し殺した声で言う。
「うん。すごく強いよね。もしかして、四人でやったら、エフライムが勝っちゃう?」
ハウトは首を振る。
「いんや。エフライムに勝つ奴がいるんだよ。ここに」
自分のことを指差した。エフライムも負けじと付け加える。
「半分だけね」
アレスが驚いた顔になった。
「そうなの? エフライムと同じぐらい強いの?」
「勝負がつかんな」
ハウトが答えて、エフライムが頷いた。
「ハウトの場合は、野生の勘ですけどね」
「エフライムは計算づくだからな」
お互いに言って吹き出す。
「エフライムが計算づくってどういうこと?」
ハウトがエフライムの方を見た。
「おまえさん、カードを全部覚えているだろう? 違うか?」
エフライムが驚いたように目を見開いた。そして、ふっと笑う。
「気づいていたんですか?」
「一回、俺達のテーブルで、いかさまをやった奴がいたろう。あのときに真っ先に気づいたのがおまえだったからな」
エフライムは首を振る。
「ああ。あのとき…。よく覚えていますね」
ハウトが人差し指で自分の頭を指差す。
「必要なことは忘れやしないさ。どこから覚えるんだ。自分の捨てたカードだけか?」
エフライムが答えるのに躊躇した。
「どうせ、しばらく俺達が敵同士として同じテーブルでカードをすることなんかないさ」
ハウトの言葉にエフライムがふっと笑う。
「そうですね。じゃあ、言いましょう。カードを切るところからですよ」
ハウトがびっくりした表情になる。アレスも驚いた。
「表になっていたカードがどこに行ったかは、だいたい覚えていますよ。だから相手にどのカードがあるかもね」
「なんてこった…」
ハウトは思わず言葉を失った。
「すごい」
アレスも思わす言う。エフライムは笑顔で答えた。
「で、ハウトの場合は? 本当に野生の勘ですか?」
ハウトがにやりと笑う。
「そのとおり。種も仕掛けもないぞ。いいカードが俺のところには集まってくるんだ」
エフライムはその言葉を聞いて、首を振った。
「どうして世の中にはこういう人がいるんでしょうねぇ」
その言葉を聞いて、ハウトがさらに続ける。
「でも、俺の上をいく奴がいるからな」
思わず皆の視線がラオに集まる。
「こいつの場合は、自分の好きにカードが引ける」
ハウトの言葉に、アレスが目を見張る。エフライムも思わず驚いたようだ。
「ラオの場合は、何かありそうだと思いましたけど。それはすごい」
ラオは視線を無視して、スープに集中したフリをしている。ハウトが続ける。
「なんでか知らんよ。俺も。こいつが思ったとおりのカードが出てくるんだよ。昔、カードを覚えたてのころに相手をしてもらおうと思ったんだが、勝負にならん。なんせ同じカードがぼろぼろ出てくるからなぁ。いかさまと思われてもしょうがない」
「え?」
エフライムが言葉を失う。
「それってどういう…」
「同じカードを揃えるんだって教えたとたんに、こいつのカードは、剣のエースばっかりになるんだ」
「普通、剣のエースは一セットに一枚ですよね?」
エフライムが確認する。
「ああ。最初は一枚しかないんだ。ところが、なぜか剣のエースが増える」
「え?」
アレスもまだハウトが説明していることを飲み込めずにいた。
「ラオ、やってみるか?」
ハウトの言葉に、ラオは顔をしかめた。
「やめておけ」
「なんで? こいつらはおまえのことを色眼鏡で見たりしないぜ? なあ」
エフライムもアレスも頷いた。
「カードが無駄になる。俺は元に戻せん」
その言葉に、ハウトが吹き出す。
「まあ、確かにな。どうせ、どうしてそうなるのか、おまえも分かってないんだろう?」
ラオは頷いた。ハウトがふっと笑って、自分の荷物の中からカードを持ってくる。
「これ確認してくれよ。普通のカードだろう?」
アレスは一束になったカードを確認する。たしかに一枚一枚違うカードが一束になっていた。ハウトがにやりと笑った。
「せっかくだ。一回だけゲームをやるか。アレス。どうせエフライムにルールだけは習っているだろう?」
ハウトの言葉に、エフライムは天井を見上げ、ルツアはエフライムを睨み、そしてアレスは元気よく返事をした。
「うん!」
フェリシアはその様子を見ながら苦笑する。
「じゃあ、机の上を片付けましょう。どうせもうほとんど食べ終わってしまっているし」
フェリシアの言葉に皆頷くと、急いで食べて、食器を片付け始める。そして、ゲームのための場所が空いた。ハウト、エフライム、ラオ、そしてアレスが机の四方につくと、フェリシアはハウトの横に、そしてルツアはアレスの横についた。ハウトがちらりとルツアを見る。
「カードは?」
「ルールだけは」
「入るか?」
ルツアは首を振って苦笑した。
「いいえ。見ているだけのほうがいいわ。このメンバーだしね」
ハウトも心得たように笑うと、カードを配り始めた。
「賭けは無しにしような」
「そうですね」
エフライムも同意する。アレスとラオは何も言わなかった。それを同意とみなして、ハウトからカードを捨てて、山からカードを取る。エフライム、ラオ、そしてアレスが同様にしてカードを捨てて、カードを拾った。二週目に入る。
「二回交換してオープンでいいか?」
ハウトの言葉にエフライムが頷いた。アレスとラオは良く分からないらしく、何も言わない。それも同意とみなして、また同じように、ハウトからアレスまで、カードを取って、捨てるという行為を繰り返した。
「オープン」
ハウトが宣言する。一斉にカードが机の上に表向きに置かれた。思わず皆、ラオのカードに注目する。そこには、すべて剣のエースになったカードが並んでいた。
「ほらな」
ハウトの声に、エフライムがびっくりしたような顔をした。
「で、おまえさんの読みだと、ラオは何を持っていたことになっている?」
「聖杯の九、棍棒の三、棍棒の二、剣の十…」
エフライムが、本来ラオの手元にあるべきカードを告げる。その声を途中でハウトが手を振って遮った。
「多分、そいつらは、このカードの束から消えているぜ」
そしてため息をついた。
「俺が悪いんだけどな。ラオにカードの柄を揃えるっていうことと、剣のエースが最強だって、教えたからな。それ以来、こいつの手元のカードは全部これだ」
アレスが残ったカードをラオに出す。
「ラオ、聖杯のエースをひいて」
ラオはそのまま一番上にあったカードをひく。そして表にすると、それは聖杯のエースだった。
「もう一枚」
またそのまま一番上のカードをひいて、そして表にする。やはりそれも聖杯のエース。
「うわっ」
アレスは自分でやらせておいて驚いていた。
「すごいね」
思わず二枚になった聖杯のエースをまじまじと見る。エフライムが苦笑した。
「本当の聖杯のエースはここにあるから、そこから出てくるはずがないんですけどねぇ」
と自分が表にしたカードを指差す。そこにはきれいに聖杯のマークだけで揃ったカードがあった。
「相変わらずだなぁ。エフライム」
ハウトが苦笑しながら、ひらひらと自分のカードを見せる。金貨のマークでそろったカードだった。
「今回は、私の勝ちですね」
「うーん。この状況下で勝たれてもなぁ」
「まあ、そうですね」
エフライムは苦笑した。その横で、ふとアレスが気づいたように、ラオにまたカードの山を差し出す。
「ねえ、ラオ、聖杯の十をひいて」
言われるままに一番上のカードをひいて、表に返すと聖杯の十になっている。
「じゃあ、次は聖杯の十一」
同じく聖杯の十一が出てくる。
「次は聖杯の十二」
聖杯の十二が十一の横に並んだ。
「聖杯の十三」
聖杯の十三が出てくる。
「じゃあ、聖杯の十四」
聖杯の十四が出てきた。
「いや、ちょっと待て」
ハウトが気づいて止めた。
「聖杯の十四なんてカードないぞ」
アレスがちょっと考えてから言った。
「聖杯の百」
ラオがそのままやはり一番上のカードをひいて、表にした。
一面に細かい聖杯が描かれたカードが出てくる。エフライムとハウトは頭を抱えた。
「アレス、もうやめよう。おかしくなりそうだ」
ハウトが呆れた声で言った。アレスは不思議そうに聖杯が百描かれたカードを見ている。
「不思議だね。どうやってやっているの?」
「わからん」
ラオは憮然とした表情のまま答えた。ハウトとエフライムが顔を見合わせて苦笑する。
「これで、いかさま師だったら、相当なもんだと思うんだが、欲が無いんだよな。ラオは」
エフライムも苦笑したままだ。言うべき言葉が見つからない。ハウトは、そのまま机の上のカードを集め始めた。アレスが手にした聖杯の百のカードをハウトの方へ見せる。
「これ、もらってもいい?」
ハウトが頷いた。
「ああ。どうせ、もうカードとして用をなさん」
そして、そのまま集めたカードを暖炉に投げ込むと、一瞬火が大きくなり、そしてまた元へ戻った。アレスの手元に聖杯の百のカードだけが残る。
「さてと。で、エフライム。なんか情報は手に入ったか?」
ハウトの言葉に、エフライムの顔から笑みが消えた。
「城に火薬を運び込んでいるそうですよ。噂の域を出ないですけれどね。あと花火師とね」
アレスがエフライムの顔を見る。
「え? あれって、即位の花火でしょう?」
「事実と推測を一緒にしちゃだめですよ。城に火薬と花火師が向かった、というのは事実。まあこの場合は、伝聞ですから、どこまで事実かというのはありますけれど。そして即位の花火だろうっていうのは、情報提供者の推測です」
そしてハウトを見る。
「で、あなただったら、どのように判断します? この情報」
ハウトが上目遣いにエフライムを見た。
「戦の用意だろうな」
エフライムも頷いた。
「僕もそう思います」
「そうなの?」
アレスが驚いた。それにハウトが頷く。
「もしも即位の花火だったら、噂になるほどの火薬は必要ないだろう? それに花火に加工してから城へ運べばいい話だ」
そしてエフライムを見る。
「これが国内だったらいいがな、隣国とやろうとしているんだったら、厄介だぞ」
ハウトの言葉に、アレスの肩においてあったルツアの手にも力がこもった。
「どっちにせよ、用意で最低半年はかかると思うが…。敵さんの目を国内に向けさせておくほうがいいな。お隣さんに手を出そうなどと考える前にな」
ハウトは考え込むようにしてから、ラオを見た。
「ラオ、悪いが用意していたものは中止だ。行方は突き止められないように。でも、足跡は残しておいてくれ」
「また難しいことを」
ラオが顔をしかめて答える。
「無理か?」
「できないことはない」
その言葉にハウトは嗤った。
「さすが」
エフライムがハウトに尋ねる。
「何をしようとしていたんです?」
「アレスの亡霊だけ残していこうとしていたんだよ。もちろんダミーでな。向こうにもマギがいるだろう? それを見越した作戦」
にやりとハウトは唇の片側を上げる。
「だが、こうなったらアレスは生きていることを知らしておいたほうがいい。あっちが躍起になって国内を探し回るようにね」
「戦に突っ込んで、国を荒らされるよりは、追い掛け回されているほうが良いと」
「まあ、そうだな。他国が入ってくると、追っ払うのがひと苦労だからな」
ハウトの言葉にエフライムは苦笑した。
「まるで、簡単なことのように話しますねぇ」
ハウトは肩をすくめた。
「選択の余地があると思うか?」
「ないですね」
「そうしたら、深刻ぶっても仕方ないさ」
そして、ポンと机を叩くと立ち上がった。
「さて、じゃあ三日後には出発だ。もう戻って来られんからな。忘れ物が無いように、荷造りしてくれよ」
皆が頷いてハウトの言葉に答えた。
三日後は晴れた良い天気の日となった。朝日とともに馬に乗る。それぞれの馬には荷物がくくりつけられていた。ほとんどはラオが庵から必要だと言って持ち出そうとしている物だ。皆が馬をひいて家の前に来たところで、アレスがぽつんと言った。
「楽しかったね」
その言葉に、思わず皆が目を見張った後で、ふと笑顔になった。
「そうね。楽しかったわね」
フェリシアが答える。そしてエフライムが続けた。
「でも、きっとこの先でも楽しいことはありますよ」
その言葉にアレスはにっこりと笑った。
「そうだね!」
そして、それぞれに馬に乗ろうとしたときだった。ラオがビクリと肩を振わせた。
「どうした?」
ハウトが尋ねる。
「追っ手だ」
ラオが短く答えた。
「何? あと二週間は猶予があるはずだろう?」
「俺達が動くことをマギに読まれたな」
ハウトがフェリシアを見た。
「どこにいるか、確認してくれ」
「で、でも…」
「早く!」
フェリシアは頷くと、祈りの姿勢を取った。しばらくしてから答える。
「この庵からすぐのところよ、西側に二十四人。東側に二十四人。正面に二十五人。ひとりは武官じゃないわ。多分…マギよ」
「一個中隊か。そこまでやるか? ラオ、ルツア、フェリシアとアレスを連れて、裏から逃げろ。この先に庵を見下ろせる場所がある。そこで落ち合おう。馬は連れていっておいてくれ。せっかく調達したのを殺されちゃ、たまらんからな」
ラオとルツアが黙って頷いて、馬に乗り上げた。
「エフライム。悪いが付き合ってもらうぜ」
「分かっていますよ」
ハウトとエフライムの馬の手綱をそれぞれに預ける。




