第3章 飢饉(4)
翌日、アレスは近衛をライサにつけた。イーゴリから借りた人員も加えてミレットを探しに出かける。自身はラオとエフライム、そしてマリアを片時も離さないことで護衛とした。
イーゴリが用意した応接室にラオ、エフライム、マリアと共に入ると、中にはラーキエルに紹介された老人とイーゴリ、ベルフェ、タキが待っていた。
頭髪はなく口ひげを生やした小柄な老人はコーリャと名乗り、アレスに対して非常に恐縮していた。
「わ、わしが王様に呼ばれる理由なんぞ、なんもありゃしませんで。今まで全うに生きてきております。な、何もしていません」
アレスはその言葉を聞いて、自分の失態に気づいた。ただ来て欲しいと。焦るあまり呼びつけてしまったのだ。立ち尽くすコーリャをまずは椅子に座らせて、アレスはその正面に座った。
謁見の間でもなく、貴族でもない者と対等の位置で対話をするなどというのは、前例が無いことなのだろう。イーゴリですら驚きつつも何もいえず、ベルフェはどうしようかとおろおろしていた。
エフライムとラオは慣れたもので、アレスの後ろへと陣取って立ったままだ。マリアは表情も変えずに黙って壁際に控えていた。彼女にとっても予想の範疇だ。
「二人とも座ってください」
アレスがイーゴリとベルフェに促せば、二人はちらちらとエフライムとラオのほうを見つつも、アレスと直角方向になる位置に座った。
「呼び出したのは、飢饉について知りたいからです。飢饉に対しての備えについて、あなたには知識があると紹介してくれた人がいました」
アレスの丁寧な言葉遣いに、コーリャはまじまじとアレスを見てから、その視線が不敬にあたると思ったのだろう。慌てて視線をそらした。
親しい人に対してや、プライベートでは言葉遣いが砕けるが、アレスは基本的に丁寧な口調を心がけている。それは十一歳にして王となったアレスが身に付けた処世術だ。
「ここで話したことに対して、あなたに不利益になることは一切しません。また礼儀も気にしなくて結構です。孫にでも話をすると思って話してください」
そう言ってアレスはにっこりと微笑んだ。コーリャの視線がアレスに釘付けになる。
「よろしくお願いします」
もう一押し。一言付け加えてから、意識して微笑む。イメージはエフライムの微笑み。エフライムが人に話をさせるときの雰囲気を再現するべく心がける。ラオの隣でエフライムの瞳がわずかに見開かれるが、アレスからは見えなかった。
アレスの言葉にコーリャの警戒も少しは解けたらしい。思い出すように天井へと視線をやってから、咳払いをした。
「飢饉じゃな? あ、す、すみません。飢饉ですな」
「いいですよ。僕を孫だと思って、気軽に話してください」
「いいんですかな?」
「いいんですよ。僕が言っているんです。誰にも文句は言わせません」
アレスがぐるりと回りを見回せば、エフライムとラオが心得たように頷く。それに釣られるようにしてイーゴリとベルフェも頷いた。
「では、お言葉に甘えて…飢饉じゃが…あれはわしが十歳ぐらいのころじゃったか。国中で飢饉が起こったことがあった」
アレスが心得たように頷いて、先を促す。
「そのときにうちの村だけは、被害が比較的少なかったんじゃ」
「それは一体…」
「うちの村には貯蔵庫があったんじゃよ。麦やイモは一度その倉庫に入れて、古いものから使っていく。一定量がいつも貯蔵庫にあるようにしてあるんじゃ」
「その規模や場所は?」
イーゴリが身を乗り出して質問した。その質問の意図が分からずにいたアレスに、タキが説明する。
「貯蔵庫にイモを入れておくと、芽が出ちまって、しまいには食べれなくなるっすよ。貯蔵をするっていうのが一番頭が痛いっす」
なるほど。食料が無くなるなら貯蔵をしておけばいい。だが普通に貯蔵したらダメだということか…。そうアレスは納得して、コーリャの言葉を待つ。
コーリャも貯蔵することの難しさは知っているらしく、タキの言葉に頷いてからアレスにも頷いて見せた。
「その通りじゃ。地上の貯蔵庫はいかん。作るなら地下じゃ。地面に作物があった状態に一番近い場所が良い。夏は涼しく、冬でも凍ることがないんじゃ」
「地下の貯蔵庫…でもどこにそんなのを作ったら…」
「それに国中を賄うとなると、それぞれの場所にかなりの量を作る必要がありますね」
イーゴリもアレスと共に、どうやって作ったらよいのかを考えていた。そこへベルフェが口を挟む。
「それ…地下で良いのであれば、ワイン倉を使ったらどうでしょうか」
イーゴリがパチンと指を鳴らす。
「それはいい。ワイン倉なら大体の城にあるし、ワインを造っている農家でも持っているな」
「地下という条件だけなら、鉱山という手もありますね。東のほうはワイン作りよりも鉱山が盛んです。例えば掘り尽して放棄された坑道など、条件が満たせる場所があるかもしれません」
エフライムが顎に指を当てながら、思い出すように言った。皆の顔に明るさが広がる。
「入れ物はなんとかなりそうですね」
イーゴリが明るく言う中で、アレスは考え込んでいた。
「倉は何とかなったけど、問題は貯蔵するものだよね」
独り言のように呟けば、コーリャが我が意を得たりと大きく頷く。
「その通りじゃ。まずは少しずつ備蓄していくんじゃな」
アレスは困ったように眉を寄せた。
「その時間が無いときはどうしたらいいですか? 今すぐに食料を集めたい」
「なんと。せっかちじゃな」
「確かにせっかちなんですが…でも今の状態を放置したくないんです」
アレスはなんとか飢饉の話を出さずに言い逃れた。
「そうじゃなぁ。まあ、確かに入れ物があれば何かを入れておきたいものかもしれんな。そうすると、農作物を入れるかね?」
「できれば農作物以外で食べられるものを入れておきたいです」
冗談か、本気か。コーリャはアレスの瞳を覗き込んだが、この若い王の瞳からは綺麗に感情が打ち消されていた。そこで相手が王であるということを思い出し、まずは本気として受け取ろうと、考える。
「そうなると…森のものはどうじゃろうか。うちの息子の嫁、ノンナというんじゃが、これが森の中で食べられるものを見つけるのが上手でな。親はわしの幼馴染だった奴じゃが、そいつ譲りじゃ。ノンナに聞いてみるかね?」
アレスはぱっと顔を輝かせた。
「ぜひ。お願いします」
そのアレスに向かって、ラオが後ろからぼそりと呟く。
「それはライサに行かせろ」
アレスは軽く頷いて、コーリャに向き直った。
「今は出ているのですが、僕と一緒に来たライサという女の子がいます。彼女を明日、お宅に伺わせますので、彼女に教えてやってもらえませんか」
「そりゃ、構わんが…いいのかね? そんなもので」
「いいんです」
アレスはにっこりと微笑んだ。




