第3章 飢饉(1)
八方塞の中、アレスはまず飢饉の話を聞きにラーキエルの元を訪れることにした。イーゴリとも話し合った結果、年齢的にも予知した内容からもラーキエルに尋ねるのが一番確実だろうということになったのだ。森の中を行くというので、騎乗しての道行きになる。
護衛として前方をエールソン隊の五人が回りを固める。先頭はゼイルとユーリーが務めていた。その後ろにアレスとライサが続く。後方の護衛はザモラ隊だ。オージアスはアレスの傍で馬を並べている。殿は往きで御者を務めていたクライブだ。
エフライムは一番酷い状態だったこともあり、数日は休むように言い渡されていた。よって本日は、護衛の任から解かれている。
そしてラオはケレスの城の外に出すことが難しかった。今なお、病気や怪我の治癒を望む民に囲まれていて、ラオ以外でも城を出入りするのですら一苦労なのだ。これで黒衣のマギとして知られてしまったラオを外に出した日には、人々の間に混乱が起こることは必至だった。
そんなラオの状況はアレスにとって歯がゆかった。もしもエフライムたちの傷を癒したのが自分だと言えたらなら。もしも自分がもっと自由自在に力を使えたならば。そんな『もしも』ばかりが頭の中をよぎる。ラオに全てを押し付けて、何もできない自分がもどかしい。
また今から愛に行くラーキエルに対しても、アレスは蟠りを感じていた。マギを迫害するように仕向けた王家のものを、あの何事も見透かすようなマギが受け入れてくれるだろうか。
数年前に会ったとき、アレスは何も知らなかった。だが今は全てを知ってしまった。ラーキエルの前で自分はどのような態度を示すのか、我ながら想像が付かない。自分が知る中で最も年を取っており、身をもって迫害を知っているマギ。だからこそケレスに来るのが怖かった。だが会わないわけにはいかないのだ。
馬を進めていくにつれて森がどんどんと深くなっていく。この辺りは荒れた様子はなく、ただ静謐な雰囲気が漂っている。
前を行くものに従って馬を進めていると、急に目の前が開けて光が差し込んでくる。柔らかな陽光の先には、こぢんまりとした家が見えた。アレスは既視感に駆られたが、次の瞬間にその理由は明らかになる。ラオの家に似ているのだ。
ヴァージの館と呼ばれた森の奥にあったラオの家。ヴィーザルの城の牢獄から逃げて、皆と暮らした家に似ていた。ルツア、フェリシア、ハウト…今は自分の周りにいなくなった人たちの顔が思い出される。
「陛下?」
ライサがいぶかしげに声をかけてきた。気づけば自分の頬に涙が伝っていた。慌ててそれを乱暴に拭う。
「なんでもない」
ここにエフライムとラオが居ないことが残念だった。もしいれば、あのときのことを思い出して懐かしんだだろう。
皆が家の傍まで近づくと扉が開いた。覚えている姿よりもやや痩せて細くなった老婆が立っている。
「ようこそ。陛下」
覚えているよりも弱弱しい声だった。
「わしの家は見たとおりですからの。そんなには入れませんだ。アレス様とそこの嬢ちゃんだけおいでくだされ」
それだけ言うと、すぐに家の中に入ってしまった。思わず皆が顔を見合わせる。
「陛下。せめて護衛を何人か…」
オージアスの心配そうな声に、アレスは片手を振った。
「いいよ。僕とライサで行ってくる」
「しかし」
「大丈夫だよ。危害などありはしない」
眉を寄せて困惑の表情でいるオージアスを前に、アレスは軽い身のこなしで馬を下りる。
「ここで待ってて。ライサ」
アレスはライサを呼ぶと、彼女を従えて歩きだした。ライサも困ったような表情でオージアスを見るが、きゅっと唇を引いて頷くとアレスについてラーキエルの家へと入っていった。
オージアスの肩を、馬で近づいてきたユーリーがポンと軽く叩く。
「ま、ライサが付いていったし、大丈夫だろ。いざとなればニョロニョロだ」
ニョロニョロとは、以前ライサが木の根を使って軍隊を撃退したことを言っているのだろう。オージアスは肩を落とした。
「お前なぁ。それは近衛としての任務を放棄してるぞ」
「そうか? まあ、心配するな。周りだけ固めときゃ、大丈夫だって」
「お前のその自信はどこから来るか、俺は知りたい」
ユーリーがにやりと笑った。
「俺はお前のその心配性がどこから来るか、俺は知りたいぜ?」
「俺は普通だ。お前が何にも考えてないんだ。だから熊なんだ」
「へへへ~」
ユーリーはオージアスの文句を笑っていなすと、片手を挙げた。
「全員休憩っ!」
ユーリーの号令に皆が馬を下りて、身体を伸ばし始めた。オージアスの隊の者ですらユーリーの命令に従って休憩に入っている。オージアスはため息をついた。
「休憩っていうのは、周りを固めてないだろうが…」
「気にしない。気にしない」
歌うように言って、ユーリーも馬を下りた。




