第2章 覚醒(5)
エフライムは明るさで目が覚めた。瞼を閉じていても 降り注ぐ陽光。思わず目を覆おうとして腕が動かないことに気づいた。動かせないわけではないが、体中の筋肉が固まったようになっていて、動かしにくい。
何故こんなことになっているのか…考えてから思い出したのは、ここ数日の不調だった。アレスをかばって狼に噛まれた傷がずっとうずいていた。噛まれた後、十分に洗えなかったためか。膿んでくる患部にナイフを立てては膿を絞りだしていた。
ようやく城壁が見えたときには、ほっとした。これで少しはまともな治療ができるはずだ。じくじくとした痛みから、左手はやや痺れた状態にまでなっていた。心なしか、身体が熱い気もしていた。熱があるのだろう。
しかし今、そんなことを言える立場にはいない。昔から身体の傷みを無視するのは得意だった。だから自分の身体の悲鳴は無視し続けた。まずは城に着くのが先だ。
限界はアレスと共にフレミア公に会っていたときだった。急速に熱が上がってくるのを感じた。まずい…そう思った瞬間に、身体の自由が利 かなくなり、倒れたところまでは覚えている。その先の記憶は無かった。
何故だか自分の傍でアレスが泣いていたような気がした。気のせいだったかもしれない。
周りの者たちが起き上がる音が聞こえる。お互いに声を掛け合って状態を確認しているようだった。皆、身体の状態は良いようだ。傷が治っているといって驚いている者もいた。
「エフライム」
オージアスが声をかけてきた。
「大丈夫か?」
まぶしさに目を細めながら、そっと開くと、オージアスが上から覗き込んでいた。
「大丈夫です」
自分の掠れた声。喉まで硬直していたように声が出しにくい。それでもなんとか喋ることができた。
ゆっくりと指を握ったり伸ばしたりしていると、段々と手の強張りが取れてくる。そこで気づいた。左腕の痛みも消えている。
ゆっくりと身体を起こしてみる。身体が強張った感じはあるがそれ以外の問題はなさそうだった。
上半身が涼しいと思えば、むき出しの自分の胸が見えた。腕に布が貼り付けられているところを見ると、どうやら治療されたらしいが中途半端だ。見れば枕元には刻まれた包帯が落ちている。包帯を巻いたけれど、切れ込みを入れてはずしたということだろうか。
頭がぼーっとしていて思考がまとまらない。どんなに徹夜をしても、こんなに頭が動かないのは初めてだった。
エフライムが座って、見るとは無しに部屋の中を見ていると、扉が開いて見知らぬ男が入ってきた。皆の様子を見てから慌てて外へ出て行く。
「なんだありゃ?」
ユーリーがぐるぐると腕を回しながら歩いてきて、オージアスの肩をポンと叩いた。
「調子はどうだ?」
「悪くない。お前は絶好調みたいだな」
そう言われてユーリーは首を右左と傾けた。
「そうだなぁ。少し筋肉が硬いな」
言われてオージアスも頷いた。
「俺もだ。体中が固まっていたような感じがする」
二人の視線がエフライムに向く。エフライムはゆっくりと両腕を動かしてみた。体中がギシギシと音を立てているように、動きがぎこちない。
「痛みは無いんですが…体中が強張っている感じですね。まだ動きがぎこちないです」
ユーリーは目の前でゆっくり動かされていたエフライムの左腕を、ひょいっと掴んだ。
「左腕の傷は?」
「傷? ああ。傷ですね。痛みは無いです」
エフライムは何も考えずに傷口を見せるべく、腕に貼り付けられていた布をはずした。
血と膿みが固まって、ばりばりと音がする。
「大丈夫か? 剥がして」
オージアスが心配するが、エフライムは何も考えずに剥がしてしまった。とにかく今は頭が動いていない。
「痛みはないです」
布がはがれた部分を覗き込んで、三人は驚いた。傷がない。綺麗さっぱりと消えていた。
「こいつは驚いた」
「そうですね」
「こんなことができるのは…」
三人の視線が部屋の隅へ横たわった男へと向かう。黒ずくめの服装に長い銀髪を持った男は、部屋の隅で寝転んでいた。
そこでまた扉が開いて、黒髪の女性が入ってくる。
「おっ。ちょっと行ってくる。さっきラオを起こしたけど、起きなかったから教えてくる」
ユーリーが部屋の隅へと向かって歩いて行ってしまった。
「教えなくても、見ればわかるだろうに」
オージアスの呟きもユーリーには届かなかった。
ユーリーがマリアに話しかけるのを、エフライムはぼーっと見ていた。二人の視線の先にはラオが眠っている。
そうか…ラオに助けられたのか…。
エフライムは、ぼんやりとした頭でそのことを認識した。今までに何度もラオには助けられてきた。彼の持つ信じられない力で。だがあれだけの傷を治してしまったのだ。凄いことだ。
自分の目の前に影が落ちた。ラオの傍にいたはずのマリアが目の前にいる。
「バース様。ご快復をお喜び申し上げます」
腰を落としてマリアがきちんと挨拶をした。
「ラオ…ですね」
エフライムの呟きに、マリアは困ったような、くすぐったいような表情をした。
「そのようです。あそこで満足そうな顔をして眠っていますわ」
「まったく…これだけのことをしてしまったら、大騒ぎになるということは考えないんでしょうか。あの男は」
エフライムは苦笑するしかない。そのことに指摘されてから思い至ったのか、マリアは一瞬小さく驚いてから、やはり苦笑を浮かべた。
「そこまで考えていないと思います。助けたい一心でやったことでしょう」
「らしいと言えば、らしい話です」
まだ少しばかりぼーっとしながら、エフライムはマリアの様子を見ていた。ラオの様子を見ている彼女は穏やかな表情をしている。豊かな黒髪はきっちりと後ろで纏められていて、顔の周りを緩やかなウェーブを描いた後れ毛が縁取っている。その姿は純粋に美しく思えた。
「少し…ラオが羨ましいですね」
「なんでしょうか」
エフライムの呟きを聞き逃したマリアが振り返った。それにゆるく首を振って答える。
「いえ。何でもありません。独り言です」
ぼんやりと会話をしているうちに、少しばかり感覚が戻ってきて、エフライムは隊の状態を把握しなければならないことに遅ればせながら気づいた。
ユーリーはともかく、オージアスが言い出さなかったということは、彼もまだ本調子ではないのだろう。
「オージアス、ユーリー」
少しばかり離れたところで、他の隊員たちと快復を喜び合っている二人を呼べば、すぐに来てくれた。
「どうした?」
「それぞれの隊の皆さんの状況を知りたいんですが…教えていただけますか?」
オージアスの問いに、エフライムは座ったまま上目遣いでお願いする。その悪戯めいた表情に、オージアスとユーリーは絶句した。そして小隊長としての役目をすっかり忘れていたことに気がついた。
「あ、ああ。えっと…ちょっと待っていてくれ」
「すぐ。すぐだから。すぐ確認する!」
珍しく口ごもるオージアスと、慌てて隊員のところへ飛んでいくユーリーを見て、エフライムはくすくすと笑った。二人の返事を待つ間でも なく、部屋の中を見る限り皆の状態は悪くなさそうだった。再びラオに視線を向けると、エフライムは、彼がここに、自分たちと共に、居てくれたことに感謝をしたのだった。




