第2章 覚醒(1)
アレスが目を覚ましたとき、見知らぬベッドの上だった。顔を横に倒せば、こちらを見ていた黒い瞳と目があった。
「マリア」
「気づかれましたか?」
「僕はどのぐらい…」
「一晩です。お疲れもあったのでしょう」
外からの光が入ってくる。昼は越えているが、夕方にはなってはいない。そんな時間だろう。
マリアが手を伸ばしてきて、汗で額に張り付いた前髪をかき分けた。その手つきは優しい。慰めるような手つきにアレスは意識を失う直前までラオとしていた会話を思い出した。
「エフライムが…」
マリアの手が止まる。
「ええ」
「ラオは?」
「ライサと一緒に薬草をとりに。手持ちのものや、この城にあるものだけでは足りないとか」
「そう…」
アレスはベッドから身体を起こし、俯いてじっと自分の手を見た。
「何か…暖かいものでもお持ちしましょうか?」
「いらない」
「では、せめてお茶でも…」
「いらない」
困り果てて黙り込んだマリアに、アレスは自分の手をじっと見ながら問いかけた。
「マリアは…マギだったことを嫌だと思ったことはない?」
その質問に戸惑いながらも、マリアは少しだけ考えた。そしてきっぱりと答える。
「ありませんね。私が自分をマギだと思っていないということもあるかも」
アレスは顔があげて、目の前の黒髪の女性を見た。
「どういうこと?」
マリアが困ったような微笑を浮かべる。
「陛下…アレスが知っている通り」
プライベートでは名前を呼ばれ、気軽な口調で話すことをアレスが好むと知っていて、マリアは口調を変えた。
「私ができるのは、ベガを操ることだけ。マギというよりは…精霊使いと言うほうが合うかしら。それに…ラオを見ていると、私なんてまだまだだと思うわ」
「マギにレベルがあるの?」
「多分。ここへ来て、ベガを操ることが増えたでしょう?」
意味ありげにマリアがアレスを見つめる。その視線にアレスは居心地悪くなり、身体をもぞもぞと動かした。
「こうやって操ってみると、慣れてくるの。そうね。最初は全力でやっていたものが、小さな力でできるようになる。それに…」
「それに?」
「ラオの傍にいると、ああ、このままでいいんだって思うの」
「どういうこと?」
「彼は…自然体で力を使う。それを周りに認めさせてしまう。そして無理をせずに力を使う方法をさりげなく教えてくれる。だから私はこのまま、この力を深めていけばいいんだって思うの。ラオについていけばいいって」
ラオのことを語るマリアの瞳には、尊敬や憧れのようなものが含まれていることにアレスは気づいた。
「そうか…そうだね。ラオは普通に力を使っているよね」
「ええ。彼にとってそれが自然なこと。そして、周りにそれを認めてくれる人がいるのはとても幸せなこと。それは私も」
マリアがアレスの前で跪いた。
「陛下。私も感謝しています。私の力を使わせていただけること。受け入れてくださることを」
「ちょっと…マリア?」
「私は…いつ、自分がマギであると明かされても構わないと思っています。そう思えたのは陛下とラオのおかげです」
「そう?」
「はい」
アレスは少しだけ考え込むようにした。そこへ控えめなノックの音が響く。
「ラオが戻ってきたのかもしれませんね」
そう言ってマリアが扉を開けた。そこへ立っていたのはフレミア公イーゴリだった。
「あ~。すみません。そろそろお目覚めなころかと思いまして、参りました」
この城の主を立たせておくわけにもいかず、アレスはマリアに合図してイーゴリを招き入れる。ベッドの前に移動させた椅子に腰掛けると、イーゴリはマリアがお茶を用意するために部屋から出ていったのを見計らって、口を開いた。
「陛下。武官の方々のことは聞きました。お気の毒です」
アレスは眉を顰めた。分かっているなら、しばらくそっとしておいて欲しい。それが本音だ。
「しかし、急ぎの用件がありまして…」
イーゴリは、アレスの表情に気づきつつも話を続けた。
「話の続きをしてしまわないといけないのです」
「話の続き?」
「ラーキエルの予言です」
「今はそれどころじゃ…」
「いいえ。一刻を争うかもしれません。道中、狼に襲われたと先ほどの女性に伺いました」
アレスは顔をしかめたまま、イーゴリの話がどこへいくのか聞いていた。
「狼は人を襲いません」
イーゴリはきっぱりと言い切った。そのことにアレスは不快感を覚えた。
「でも、ほんとに」
言い募ろうとしたアレスを、イーゴリは片手をあげて止めると、さらに続ける。
「言い方が悪かったです。街道は狼のテリトリーではありません。普段なら森の奥深くが狼のテリトリーなんです。街道まで出てきたということは、森で何かが起こっているということです」
「森で?」
「はい。ラーキエルが予言したのは飢饉です」
アレスは目を見開いた。




