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ヴィーザル王国物語  作者: 沙羅咲
獅子の爪
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第1章  王の旅(7)

 森の中に発生した異常に気づいたのは、寝ていたはずのラオとライサ。音で気づいたのではない。ライサは木々のざわめきで起こされ、ラオは胸騒ぎがして目が覚めた。


「起きろ!」


 ラオはライサと目が合ったとたんに、大声を出した。木の後ろからエフライムが顔を出す。


「起きろ! 何かが来るっ!」


 切羽詰まった声に、近衛たちが飛び起きたときだった。そのころには何かが聞こえていた。アレスも目を覚まして耳を澄ます。


 深い森の中、焚き火の灯りのみの視界も覚束ないところで、動物の荒い息使いがあちらこちらから聞こえる。


「狼だ」


「馬を守れ!」


「うわっ」


 剣が風を切る音、人の声、動物のうなりと悲鳴が静かであるはずの森を騒然とさせる。思わずアレスが腰の剣に手をやれば、横からそれを止められた。


「じっとしていろ」


 ラオの緊張を孕んだ声がした。アレスたちを守るように、護衛としてついてきた者達が剣を振るうのが薄暗がりの中で見える。アレスは震える手を隠すように、ぐっと握りしめた。


 狼は一体何匹いるのだろうか。人間より多いことは確かだった。1人あたり3匹ずつは応じている。剣を振り回すもの、焚き火の火を持って、飛び掛ってくるのをけん制しようとするもの。


「何か、手は…」


 アレスはラオを見たが、厳しい顔をしている。先ほどからアレスに飛び掛ろうとしている狼が、その手前に透明な壁があるかのように弾かれている。すでにラオがなんらかの力を使っているのだろう。


 視線をマリアに移したが、彼女は緊張した表情で力なく首を振った。


「こんなに混戦していては、私には無理です」


 そのとなりでライサはぶるぶると震えながら頭を抱えてしゃがみこんでいた。かろうじてラオの力が及んでいて狼には襲われていない。だがそれを確認する余裕がライサには無かった。傍で狼のうなり声が聞こえるたびに、小さく悲鳴をあげる。


 アレスの背中側ではエフライムが、目の前ではオージアスが剣を振るっている。そのオージアスの右側から狼が飛び掛ってくる。思わずアレスは剣を抜いて駆け寄ると、オージアスに飛び掛った狼を切り捨てた。


「戻れっ」


 ラオの声にアレスは身を翻したが、そこへ飛び掛ってきたのは別の狼だ。大きく開けられた口から見える獰猛な牙が目の前に迫っていた。思わず目を瞑ったが、衝撃は来なかった。恐る恐る目を開ければ、目の前に見えたのは血だらけの腕。


「エフライムっ」


 エフライムが自分の左腕を犠牲にして狼に噛み付かせ、右手の剣で腹を掻き切ったところだった。


 どろりとした血が流れ、食いついた狼の身体から力が抜けていく。エフライムは左腕に食いついたままだった首をはずすと、アレスの腕を引っ張ってラオへと押し付けた。


「そこから動かないでください」


 そのまままだ残っている狼へと向かっていく。食いつかれた左腕がうまく動かないのか右腕だけで剣を振るっていたが、それでも残ったものを次々と仕留めていった。


 ようやく辺りが静かになった。残るは人間たちの荒い呼吸音のみ。アレスはその場に立ち尽くしていた。


「ラオ、すまんが見てくれ」


 ユーリーが向こう側からラオを呼ぶ。うつ伏せのため見分けがつかないが、誰かが地面に倒れているのが見える。ラオはマリアに目配せをしてアレスのことを頼み、すぐにユーリーの傍へと向かった。


「状況報告を」


 エフライムが短く言うと、オージアスがざっと周りの様子を見てから口を開いた。


「ザモラ隊は問題ない。ほとんど爪を引っ掛けられた程度のかすり傷のみだ」


 オージアスがエフライムに報告しつつ、自分の隊員を見る。皆疲れきった顔をしており、あちらこちらに血を滲ませてはいたが、大きな怪我は無かった。


 一方でユーリーは地面に伏せた者の傍から立ち上がり、いつもは陽気な彼もさすがに渋い顔をしてエフライムに向き合った。


「エールソン隊は重傷者1名。トムソン・キヴィラが腹と足を食いちぎられた。足は皮一枚でつながっている感じだ」


「意識はありますか?」


「いや。ない」


「他は…」


 アレスがふと気付き、回りを見回した。


「ニキは? 御者の…」


 その言葉にかぶせるように、ゼイルが絞り出すような声を出した。


「あの…ニキは…ここにいます。俺の後ろで…食い荒らされています」


 一瞬の静寂がその場を包んだ。だがその静寂を破ってエフライムは、淡々と状況確認を続ける。


「では馬の状態は」


「一頭…いや、二頭がやられた。他はかすり傷程度だ」


 オージアスが報告する。負傷者と輸送手段が一部とはいえ失われたことは痛い。エフライムは、すっと視線を落とすとやや俯いた。微かになった焚き火では、彼の顔が陰になっていて見ることができない。逡巡するようなわずかな間のあと、再び顔をあげたときには、いつものエフライムだった。感情は綺麗に消し去られている。


「夜明けと共に移動します。再び襲われることが無いように、無事だったものは警戒を怠らないように」


 そこで一瞬だけ言葉を止めて息を吸った。


「死んだものと自分で馬に乗れない重傷者は、置いていきます」


「ダメだ」


 すぐに否定をしたのはアレスだった。


「意識がないものをつれていけません。ましてやこの状態では朝まで持たないかもしれない」


「それでも…ダメだ。僕が馬に乗る。だから馬車に乗せて」


 エフライムはじっとアレスを見つめた。アレスもエフライムを睨み返す。先に折れたのはエフライムだった。


「わかりました。では生きている者だけ。死んだ者は埋めていきます」


 なおもアレスが言い募ろうと口を開きかけたが、ラオもアレスに向かって首を振る。


「血の匂いは獣を集める。そして死体はすぐに腐る。その匂いは耐えられるものではない」


 アレスはぐっと唇をかみ締めると黙り込んだ。


「では、この後ですが…」


 エフライムが指示を出していくのを聞きながらアレスは何もできず、ただじっと自分の足元を睨みつけていた。 


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