第1章 王の旅(4)
アレスを入れて総勢15人。それにニキという名前の御者が入って16人。王の旅団としては多くはない。アレスに箱馬車が用意されて、マリアとライサも共に乗り込む。その他のものは、皆騎乗した。
留守番役のバルドルとサイラスの見送りを受けて、アレスの一行は首都イリジアよりも北にある街、ケレスに向けて出発する。
城から街道へは、首都イリジアの大通りを通ることになる。王の馬車としては比較的質素なものではあるが、それでも周りを武官が取り囲んでいれば、自ずと知れるものだ。街の人たちの好奇の目を受けながら、アレスの馬車は進んでいく。
馬車の窓に降ろしたカーテンの隙間から見る街は、活気があって人々の顔も喜びに満ちて見えた。ときおり子供たちが馬車に向かってか、武官に向かってか、手を振っている。ユーリーあたりが応えているのだろう。手を振った子供から歓声が上がって、さらに手をふる子供が増えてくる。
だがアレスはその光景をちらりと見ただけで、カーテンを閉めてしまった。そのまま俯いてじっとしている姿に、マリアはいぶかしく感じて声をかける。
「陛下。ご気分が優れないのですか?」
「放っておいて」
その言葉にライサはおろおろとして、マリアの顔とアレスの顔を見比べる。しかし言われたほうのマリアは、アレスの言葉ぐらいで取り乱したりはしなかった。まるで何も気づかなかったかのように表情を変えることもなく、視線をそらし沈黙した。
やがて街中を抜けて、馬車が街道へと入っていく。周りの風景は畑となる。マリアがちらりとアレスを見てから、カーテンを開けた。曇天の鈍い陽光が入ってくる。
アレスは顔をあげて窓の外を見たが、また視線を落としてしまった。文句は言われなかったのでカーテンを開けているのは問題がないようだ。
街道を北へ北へと進む。1日目はまだ首都の傍だったので、しっかりした宿があり、そこへ泊まることができた。だがそこからしばらくは大きな宿屋はない。
ケレスとの行き来は、せいぜい農民が収穫物を首都の市場に運ぶか日常生活を扱う商人が通るぐらいで、豪商や貴族の類は通らない道なのだ。宿は気持ち程度のものがある程度だった。それでも屋根があるだけマシだ。イリジアを出発して5日。宿があるのは今晩はまでで、明日からしばらくは野宿が続く予定だ。
街道として使われている道自体も、どんどん細くなり、さらにはでこぼこになっていく。馬車の中は凄い揺れだった。馬車に乗りなれているライサですら、酔いそうだ。
「揺れますね」
黙り込んでいるアレスにマリアが声をかけたが、返事がない。相変わらずじっと俯いているか、ぼーっとしたまま外を眺めているか、どちらかだ。
ゆるゆるとした坂道になっているようで、馬車は下っていた。その斜めの状態が、平衡感覚を狂わしていくような気さえする。
行き詰る馬車の中で、することもなくライサはじっとしていた。小さな窓から外を見れば曇り空が続いている。雨でないだけありがたい。続く畑の間を区切るように木が並び、また畑になる。横並び一列になった木は畑の境界線だ。遠くのほうは牧場になっているのだろう。茶色の点がぽつりぽつりと見える。牛だろうか。
視線を手前に落として、ライサは眉を顰めた。何かがおかしい。夏に入ったばかりのこの季節、緑であるはずの畑の一部が灰色となっている。よく見れば、灰色の場所は畑の緑の中であちらこちらに散らばっていた。
「なにこれ…」
ライサは胸元で手を組んだ。木製でできたペンダントを掌に包むようにして、指を組む。そして目を閉じて自分の力を解放する。この姿勢だけなら、ほかの人からは祈っているようにしか見えないはずだ。
ラオに教わった感覚の解放と施錠は、ライサが持つ力のコントロールを容易にした。植物との対話。少しだけ開放すれば話す程度。大きく開放すれば植物自体を自分の意思で従わせることもできる。
『…』
『…』
聞こえてくるのは微かな声。言葉は人間の言葉ではない。けれど、感覚的に意味がわかる。その声に集中する。
『く…ぅ…い』
『くる…しぃ』
思わず息を呑む。植物たちが訴えかけてきているのは、痛みだ。ライサは目を開けた。
「止まってくださいっ」
切羽詰った声に、御者のニキが「どーっどーっ」と馬に声をかけて、手綱を引いた。
「あなた、何を」
突然の行動にマリアがアレスの前に回りこむように、膝立ちでライサに対峙した。
「ち、違うんです。あの。外の…。あの…緑が」
「緑?」
アレスが首をかしげる。焦ったライサの言葉は要領を得なかった。まるで乱心したかのようなライサの態度に、マリアの視線が疑いを持って見ている。ライサは自分の力のことを説明しようとして躊躇した。マリアはライサの力のことを知らない。言ってもいいのだろうか。
「どうしましたか?」
馬車の右前にいたオージアスが窓から声をかけた。
「あ、あの…えっと」
この場でどう言ったらいいか分からない。だが馬車は止まっていた。
「す、すみません。あの…外の空気を…」
そう伝えたとたんに、その場の緊張感が緩んだ。馬車の戸が開かれる。
「どうぞ」
オージアスの呆れたような視線を感じつつも、ライサは急いで馬車を降りた。足元が少しばかりぬかるんでいるのが見えて、できるだけ乾いているところを選んで畑へと近寄る。
「葉が…」
畑に植えられた作物の葉は灰色となって枯れていた。この苗はもう駄目だ。これでは秋の収穫は望めない。窓から見たとおり、あちらこちらに枯れた作物が混ざっている。
後ろを振り返れば、ライサが動くのを待っている馬車と騎乗したままの近衛が見えた。隊の一番後ろにいるのは、相変わらず黒尽くめの服を着たラオだ。
もう一度、畑に視線を移す。緑の間の灰色。だが作付面積のうちの一部だけだ。もしかしたらこの程度の枯れは問題ないのかもしれない。
「すみません。お待たせしました」
一抹の不安を感じつつも、ライサは馬車へと戻っていった。




