無駄な図形
初めての親子です。
貴族にとって、専属の錬金術師を所有していることは、権威を示す分かりやすい指標だ。
なぜなら、彼らを雇うには莫大な金がいる。研究室を用意したり、開発コストを肩代わりするのは、貧乏貴族には到底できない。
そんなものをわざわざ雇うのは、いわゆる金持ちアピールの一環なのである。
シュタインは錬金術師だ。
貴族に召し抱えられて、魔法陣やアイテムをほとんど自由に開発させてもらえる立場にいる。
だがもちろん、自由とはいえ、やりたい放題というわけではない。
雇用主からの依頼や要望があれば答えるのが当然だし、扱ってはいけない反社会的分野なども存在する。
それを踏まえても、受け取る給料は国の一般騎士団員など遥かに凌ぐため、さしたる制限もなかった。
ついでに、彼は妻子持ちだ。
冒険者として活動していた頃に出会った、宿屋の娘と結婚した。
今や子供も生まれ、仕事のお陰で生活も裕福。順風満帆である。
昔は冒険者として生計を立てていたが、今の彼はダンジョンに出向く理由が一つもない。
欲しい素材があれば、クエストを依頼すれば良い。わざわざ危険な場所へ出向き、命を懸ける意味がないのだ。
そんな事情だから、彼に染み付いた冒険の名残も数えるほどしかなかった。
「おいしそ~!じゅるる!」
「ファニー。これはシチューじゃなくて、ポーションっていうんだぜ」
「ぽーしょん!?おいしそぉ!」
「へへ、食い物じゃねーっつの」
ポーションの作成は、冒険者時代に彼が習得し、得意としていたスキルだ。
パーティで活動していた頃は、ダンジョン探索によって手に入れた素材を借り、様々な効果のポーションを作っていた。
そして、次回の探索ではそれを使用し、仲間の回復や強化を疑似的に担っていた――今はパーティのためではなく、雇い主の注文のために作っているのだが。
仕事中の彼の隣で、涎を垂らしながらぴょんぴょんと跳ねる少女は、名をファニーという。
彼と妻との間にできた、かわいい娘である。
「こら、摘まみ食いすんじゃねー」
「おいしそ、おいしそ」
「マズいぞ。食えねーぞ」
娘は食欲旺盛で、手に負えないほど活発な子だった。
外に出れば、まるで子犬のようにはしゃぎ回って、あちこち指差して首を傾げる。
とても健やかな娘の様子を、シュタインは微笑ましそうに眺めていた。
将来、彼女がどんな風に生きていくかは、まだまだ分からない。
しかし少なくとも、この天真爛漫な笑みを失わなければ、きっと愛される人になれる。そう確信していた。
「ぐつぐつしてる!いいにおい!」
「これは貴族様のポーションだからな。お前にはやれねー」
「おとーさん、ちょうだい?」
「ダメだ……でもま、そうだな」
使い道のないポーションをねだるファニーを見て、シュタインはあることを思いつく。
本人のやる気がありそうなうちに、我が娘に錬金術師の素養があるかどうか、試してみるのも面白い……と。
「よーし、ファニー。父ちゃんがこれの作り方を教えてやろう」
「えっ!?ほんと!?」
「おうよ。ほしいんなら、自分で作ってみな」
「わかったーー!!」
斯くして彼は仕事を中断し、彼女にポーションの作り方を伝授してみることにした。
少し不真面目なこの気質も、冒険の名残といえよう。
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シュタインは早速、研究室のテーブルに材料を並べ、ファニーに見せる。
彼女は相変わらず飛び跳ねて、落ち着きなく材料を眺めた。
「いいか、ファニー。まずはこの野暮ったい草を鍋に入れるんだ」
「えー!なんで?くさがかわいそう!」
「おう、お前は優しいな。いいから入れろ」
「はーい!」
ただ構ってもらいたくて適当なことを言ったファニーは、無慈悲に草を投げ捨てる。
水の張られた鍋に、ゆっくりと沈んでいく草。その感情は読み取れないが、くしゃりと曲がった葉が悲しみを醸し出す。
そんなどうでもいいことは気にせず、シュタインは次の材料を手に取った。
「このエグいヤツはアラクネーの眼玉だ。入れろ」
「なんで?かわいそう!」
口ではそうほざきつつ、少女はノータイムで指示に従う。笑顔で眼玉を鍋に捨てる。
「よし、次はこっちの上品な草だ。入れろ」
「かわいそ!」
「次、この枯れてる草」
「かーいそ!」
「最後、エアレーの角」
「きゃそ!」
鍋に素材を入れ終われば、今度は魔法陣を描かなければならない。
シュタインは中くらいのスクロールを用意し、それを娘へ渡した。
「なにこれ~!なにするのー?!」
「今からそれに、魔法陣ってのを描くぞ」
「まほーじん!?おいしそー!」
彼は見本を手早くスクロールに描き、それもファニーに渡す。
少女は首を傾げながら、なにやら分かっていない様子で、両方のスクロールを見比べた。
その際、白紙のスクロールの上へ彼女の涎が落ちかけたため、彼女の口元を慌てて拭くシュタイン。
「んんぐ?」
「気を付けろ。魔法陣は汚しちゃならねー……丁寧に扱え」
「ぷへぇ!ま~か~せ~な~さ~~い!」
おそらく、涎が垂れたことにさえ気付いていないファニー。
にも関わらず自信満々なため、シュタインとしては少し心配である。
(ま、これも経験だよな。色んなことに興味を持つのは良いことだ)
彼はそう考えて、うんうんと頷いた。
――しばらく経ち、ようやくファニーの魔法陣作成は終了する。
完成したスクロールを、彼女は嬉々として父に見せた。
「みてー!できたー!みてみてみてみてみてー!」
「へいへい、分かったから」
相変わらず元気な娘へ、柔らかい笑みを向けながら、シュタインは完成品を眺める。
すると、どうであろう。彼が想像していたよりも、完成度は何倍も高いではないか。
しかし、それ以上に彼の注意を引いたものがあった。
「…………なんだ、この図形」
見覚えのない図形が、スクロール状に描き足されていたのだ。
こんな無駄な図形を配置した覚えはないと、彼は困惑する。
すると、椅子に座って足をぶらつかせるファニーが楽しそうに笑った。
「まるいのふやしたっ!」
「ふ、増やした……??」
「そー!きゃーかわいー!」
朱く染まった頬に手を当てて、少女らしくはしゃぐ。
どの辺がかわいーのか、シュタインには分からない。だが、無駄な図形を描いたのが娘であることは理解した。
(……ファニーは天才だ)
彼がそう思うのも、無理はなかった。
普通「描いてみろ」と言っただけで、ここまで綺麗な図形は描けない。ましてや、勝手に図形を足してオリジナリティを加えるなど、出来るはずがないのである。
無論、この描き足しは無意味であり、効果の妨げになるものでしかない。問題はその図形が、ほとんど見本と変わらない精度で成り立っていることだ。
シュタインが手なりで描く様子を、彼女は無意識にコピーしたのだろう。
なんの気遣いもないスピードだったというのに、一度見ただけでほとんど模倣し、最終的に自分のものにしてしまった。
これを天才と呼ばずして、他になんと呼べばいいのか。
「よし、ファニー。これからは毎日、魔法陣を描くんだぞ」
「えー、なんで?!つかれたー!」
「今日からビシバシ英才教育すっからな」
我が子に錬金術の可能性を見出してしまったシュタインは、もう止まらない。
彼の湧き上がる情熱は、ファニーの意思とは無関係に燃え上がっていった。




