ウォーターバルーン
割れたら水が出ます。
冒険者ギルドのロビー、その一角。
ダンジョンから無事に帰還し、保護者の元へ帰った家出少女たち。
彼女らは、めいっぱい叱られた。
「勝手にいなくなったらダメでしょっ!! どれだけ心配したと思ってるの!?」
「うー……」
凄い剣幕のネアを前に、テリは言い返せず唸る。
その心中で、彼女は反省などしていない。
(わたしのはなしを、おねえちゃんがきかないから……わたし、わるくない)
心の中で考えていることは、明確な言葉にしなくても、表情などに出てしまう。
それゆえに、少女の目つきは些か反抗的であった。
「……テリ、あなた、反省してないでしょ」
「うーっ」
「じ、実の姉を威嚇するなんて……! 恐ろしい子!」
ダンジョン帰りで野生化し、唸り続ける妹。ネアはその姿にショックを受けた。
自分の後ろを着いてくるばかりで、愛らし過ぎた妹の面影が、ちょっとだけ無くなっているために。
ちょっとだけでも、ネアにとっては大欠損である。
ネアは不意に、妹を満月と重ねた。
(鮮やかに満ち足りた金色の月は、いつか欠けてゆくけれど……たった1度欠けてしまっただけで、その光に一生会えないなんて、そんな惨いことってあるのかな)
亡き光を追う彼女の瞳に、柔らかな叙情が浮かぶ。
欠け続けるだけの月は、いずれその身を失ってしまうだろう。
その瞬間へと、ただ無邪気に向かっていくような妹が、あたら悲しく映った。
すると、センチメンタルな少女の思考を打ち破るが如く、ファニーが元気に声を上げた。
「おねーちゃん、まかせてよ! テリちゃんのことは、ファニーがセキニンをもっておせわしますっ!」
「おせわ……?」
なぜかファニーが管理者の立場であることに気付き、テリは眉を顰める。
そんな彼女の様子など気にせずに、少女はネアの手を握った。
「ファニーはぜったいっ! テリちゃんをはなさねー!」
そして、ニカッと笑う。
相手は幼い少女だというのに、ネアは不思議と男らしさを受け取った。
少女の力強い言葉が、ネアの瞳を揺らした。
「ジャックー! わたしもねー、ぼうけんしゃになるよー!」
「べべ、ベリーが……?」
「そだよー」
雰囲気に便乗して、ベリーも意思表明。
ジャックは狼狽するが、彼女は嬉しそうに笑っていた。
3人の少女は、初めての冒険を終え、お互いの絆を強くしたのである。
時に助け合い、時に対立しながらも、一緒に手を取り合って頑張ってきた。
冒険には、確かに恐ろしい一面もあった。しかし、仲間と歩む道は希望に続いていた。
そんな少女たちの気持ちは、やはり1つとなっていた。
テリ・ファニー・ベリーは、綺麗に声を揃えて、同じように言う。
「「「ぼうけんしゃになりたい!」」」
その眼差しは真っ直ぐで、どんな障害をも貫く強靭さを備えている。
あまりにも純粋な希望の束に、まず射貫かれたのはネアだった。
「ああ……ああ、そんな……だけど、テリ……」
「おっと……! 大丈夫かよ、嬢ちゃん」
額に手を当てて、ふらりとよろめく彼女。
シュタインが慌てて支えた。
彼の肩に身を預けたまま、ネアはテリを見つめる。
「――きっとあなたは、いつか、私のことを……忘れてしまうのね」
「そ、そんなわけないよ」
感傷的な姉のセリフは、なにやら暗示的で気味が悪い。
おもむろに言われ、少し驚いたものの、テリはそれを否定した。
いくらなんでも、たった1人の姉を忘れるほど、自分は忘れっぽくないと信じて。
が、ネアはまだ続ける。
「ふたり、手を繋いで歩いたことも、暖かい言葉を交わしたことも、花の名前も、いつか……」
「わすれないよ」
「今のテリはまだ、そう言ってくれるよね……」
「ずっと、わすれないよ」
「永遠なんて、嘘の別名だもの」
「うそじゃないよ」
「ふふ、テリにはまだ分からないよね」
いくら言っても、おそらくネアは信じようとしないだろう。
いい加減、子供扱いされることにも嫌気がさしているテリ。
彼女は姉を納得させようと、おもむろにファニーの手を取った。
「ファニー!」
「わわっ」
その後、すぐにベリーの手も取る。
「ベリーも!」
「わー、どしたのー?」
そうして、彼女はてきぱきと指示を出す。
まずはファニーに魔法陣を描かせた。
「ファニー、みずのじゅうたん!」
「えっ!? きゅーに!?」
唐突に指示を受け、ファニーは戸惑う。
しかし、そのわりにはパパっと描き終えて、発動待機の状態にまでセットした。
テリは続いて、ベリーへ指示を出す。
「ベリー、くろいの!」
「くろいのー……??」
が、ベリーは首を傾げて聞き返してくる。
黒いのがなにか、理解していない様子だ。
「あれ、わからない……? よだれふけばいいの?」
なので、とりあえず過去の再現をしてみる。
ベリーは涎を垂らしていないが、ハンカチで彼女の口元を拭くテリ。
すると、
「くひひぃ」
という奇妙な笑い声を発し、ベリーは大いなる闇の魔力を顕現させた。
それはロビー全体を瞬く間に埋め尽くし、際限なく広がっていった。
「な、なにが起こっているんだ……! ベリー……っ!?」
ジャックは大切な少女の名を呼んで、彼女の安否を知ろうとする。
しかし、闇に埋め尽くされた景色の中に、少女の姿は見えない。
返事もないため、吟遊詩人はガムシャラに手探りをした。
その手はふと、誰かの髪に触れたようだ。
それと同時に、呆気なく闇が晴れていく。
「よう、ジャック」
「……シュタインさん」
「俺の髪ってサラサラだろ。はは」
触れたのはベリーではなかったらしい。
ともかく、これで凄さは伝わったはず。
自信満々に胸を張り、テリは姉を見た。
「どうだぁ、おねえちゃ――」
眼を向けた場所に、なぜか姉がいない。
テリはビックリして、辺りをキョロキョロ見回した。
すると、背後から何者かの声が……
「まだまだね、テリ」
「!?」
「冒険者は夜目が利くものよ」
なんということだろう。いつの間にか、テリのバックを取っていたネア。
咄嗟に振り向いた少女だが、それでは間に合わない。
彼女はあえなく、姉に捕まってしまった。
とはいえ、捕まったのは身体ではない。
目線だ。
いつになく真剣な眼差しで、妹をジッと見つめるネア。
その瞳の奥には、資質を見定めるべく聡明な光が煌めいた。
あまりにも間近で、それも真正面から、試されるような眼差しを受けたテリ。
が、少女は思わず頬へ汗を垂らしながらも、決して目線を逸らしはしなかった。
認めてもらうために、彼女はその心胆を、固い意志の中心へ据えていたのである。
しばらく、無言の時間が経った。
誰もが固唾を呑んで、その様子を見守った。
――やがて、どれだけそうしているかも分からなくなった頃に。
ネアはひょいと眼を細め、たちまち優しく微笑んだ。
「まだまだ心配だけど……ファニーちゃん達となら、特別に許してあげようかな」
その表情を見たテリも、緊張の緩和に弾かれて、不可抗力によって笑う。
その後で、今までにないほど嬉しくなって、さらに笑みを深くした。
「――!! ありがとお、おねえちゃんっ!!」
「やったー!! 『ウォーターバルーン』、けっせい!!」
「あははー、もう名まえきまってるー」
彼女に続き、ファニーとベリーも歓喜する。
かくして、冒険者パーティ『ウォーターバルーン』は結成された。
(リワインドにはいるまでは、このこたちといよう)
だが、一時の喜びには流されないテリは、冷静に進路を見据えていた。
『ウォーターバルーン』に在籍するのは、あくまで『リワインド』で立派にやっていける実力がつくまで。
(というか、ウォーターバルーンってなに?)
冷静なテリは、パーティ名にも疑問を抱いた。
でも、同じパーティの2人が楽しそうなので、特に追求しないでおいた。
「リーダーはファニーねっ!」
「ダメ、わたし。しょうきょほうで」
「えっとねー! 2人ともリーダーでもー、いいんじゃないかなー?」
生まれたばかりの組織では、まずリーダー争いが勃発した。
この抗争を制するのは、一体誰になるのだろうか。
どちらにせよ、活動できる年齢になるまで、彼女らは待たなければならない。
「えっと……俺らの同意は……」
「……聞いてないね、彼女たち」
シュタインとジャックにも、それぞれ言いたいことがあったのだが、見事にスルーである。
実質的に、ネアの言葉が総意になっていた。
とりあえずシュタインは、家に帰ってから娘と話し合う事にした。
ジャックはといえば、ベリーの意思を尊重したいと思っている。
なので、心配はしつつも、3人の小さな希望を見守ることにした。
血清。




