呪術とダンジョン
密人は冒険者であるが、冒険者らしく往来を歩くことは出来ない。
彼らは日の当たらぬ界隈から秘密裏にクエストを受け、殺人を犯している。
この者たちは冒険者である前に、罪人である。
凍った木々の生い茂る、すべてが凍てついたダンジョン。
白い冷気と氷に囲まれて、呪術師のケイは魔法陣を描いていた。
殺人者に下されるべき罰は無い。
罪過に見合う報いが無いのだ。
正しく裁かれることで、罪人は苦しみから解き放たれる。しかし、他者が制裁を与えないとなれば、罪は一生残る。
倒錯した価値観で俯瞰すると、自死は与えられた道の一つだった。
これが選択ではなく、追い詰められた挙句の結末だとしても――果ても無く暗いケイの心に、それは優しい光として差し込んだ。
「さようなら、セン」
彼女は密人で、過去に殺人を犯した者だった。
そんな彼女を気にかけて、優しく接する青年がいた。名をセンという。
彼はいつも、ケイに自らの冒険譚を語った。光の在処を教えるように。
手を差し伸べる青年の姿を、瞼の裏に描く。幻影のように朧気な像を、無理やり眼を開いて掻き消す。
罪を犯した。人を殺めた。そうして死を選んだ。自らの愚かさを反芻して、罪深さを再認識する。
「ベックさん。今まで罪から逃げてきた私だけど……今、償います」
天に向かって、静かに呟く。
そして、誰にも知られないこの場所で、自然化の呪術を発動した。
自然化の呪法は、存在を自然物へと変化させる呪法だ。
対象とされた存在は、元がなんであろうと、等しく現世界との関係を失う。
人間であれば生存と死を失い、それをもって始めから無かったものとなる。
自らにこれを用いて、彼女は完璧に消えるつもりであった。
こうすることで、自分のせいで悲しむ人間は現れなくなる。そう信じていた。
「……あれ?」
――いくら待っても、呪法は発動する様子がない。
なにかおかしいと、魔法陣にミスがないか確認する。すると、一部の図形に真っ直ぐ、斜線が入っているのを発見した。
自分で入れた覚えはない。こんなものがあっては、発動しないのも当然だ。
斜線の原因を探って、彼女が図形の周辺を見渡すと、人の気配を感じる。
気配のある方へ慌てて眼を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
手にはスラリと伸びた剣を所持している。魔法陣に危害を加えたのは彼女だろう。
不発の原因に気付くまで、まったく気配を感じ取れなかった。その事実に、ケイは動揺する。
密人として、人の気配にはとても敏感なつもりだった。
なんのつもりで発動を妨害したのか、眼の前の不可解な人物に問う。
「誰なんです、あなた……一体なんの用ですか?」
「私はメルチよ。よろしくね」
「よ、よろしくって……質問に答えてください!」
メルチと名乗った女性は、まったく場の雰囲気にそぐわない挨拶をする。
マイペース過ぎる彼女に、ケイは少し拍子抜けしたが、すぐに気を引き締めた。
なんだか分からないが、メルチから嫌な感じがしたために。
「魔法陣を壊したのは、あなたですよね?」
「ええ」
「どうして……?」
「呪術を使うと、ダンジョンに影響が出るかもしれないから。やめてほしいの」
どうやらメルチは、『ダンジョンに影響が出る』のを忌避したらしい。
彼女の言う通り、呪術には自然法則を書き換えるだけの力が備わっている。
どんな効果を発揮する場合であっても、周りにまったく影響を与えない保証はなかった。
ただ、それにしても、わざわざダンジョンを保護するなんて不思議だ。思い入れでもあるのかと、ケイは首を傾げる。
「……このダンジョンは、なにか特別なものなんですか?」
「ここに限らず、ダンジョンって特別なものでしょう?壊さないでほしいの」
「ダンジョンが……特別?」
「……教えるわ。分かってくれれば、呪術なんて使わないものね」
少し強引ながら、メルチはケイの手を引いて、ダンジョンを案内し始めた。
またも呪術を中断させられて、ケイはちょっと落ち込んだ。
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ダンジョンを案内されると、メルチがなにを特別視しているかが、ケイにもだんだんと分かってきた。
このダンジョンは冷気に支配されているのに、本来なら育つはずのない自然物が多く自生している。
例えば、そこら中に咲き乱れる花は、薄く透き通る花弁を揺らしている。触れると簡単に砕ける氷の花だ。同様に、孤高に聳え立つ一本の大樹も、まるで氷を咲かせたように白んでいる。
さらにはダンジョン内の水も凍っていた。その状態のまま、真下の大空間へと流れ出て、不可思議な滝を形成しているらしい。
生息する魔物は鳥に似ているが、体中に羽毛はほとんどなく、羽のない翼をバタつかせた。どうやら飛べないようだ。
そういった光景が、傷一つない滑らかな薄氷の上に広がっていた。
天井に群れるつらら達は、ケイとメルチを遥か上から監視するように、不気味に集合している。
視野の届かない、先の暗がりを見据えれば、冷酷な闇が睨み返す。極限まで冷え切った特殊な空間は、人間の存在を拒むように張り詰めていた。
「――ね。素晴らしい空間でしょう」
「は、はい……」
概ね、言いたいことは理解できた。つまりメルチは、環境破壊に反対しているのだろう。
仕方がないので、ケイは場所を変えることにする。
「呪術は別の場所で使います。その、失礼しました……」
頭を下げ、転移を行おうとすると、いきなりメルチが腕を掴んできた。
ケイはぎょっとして、すかさず相手の顔を見る。
「な、なんですか!?」
すると、メルチは妙な微笑を浮かべたまま、質問を投げかけた。
「聞きたいのだけれど、呪術師ってダンジョンが作れるの?」
「え……なにを言ってるんですか?そんなわけありませんよ」
「このあいだ、呪術でダンジョンになった人を見たの。あなたはできないの?」
「い……意味が分かりません!」
呪術で人をダンジョンにするなど、嘘を言っているようにしか聞こえない。
やけに真剣に聞いてくるが、この人はなにを勘違いしているのかと、ケイは呆れた。
仕方ないので、無理やり彼女の手を解くと、転移の再発動をする。
「嘘じゃないわ……そう、あなたはできないのね」
「そんなこと、誰にもできませんよっ」
「嘘かどうかは、私以外にあの場にいた人へ聞けば分かると――」
埒が明かないので、最後まで聞く前に転移をしきることにした。
呪術はケイの身体を漆黒に包んで、別の地点へと転送していく。
そうして最後、転移を完了する間際。メルチの一言が、彼女の耳に届いた。
「――冒険者ギルドで、ベックって人の名前を出してみて」
その名をここで聞くなんて、夢にも思っていなかったのに。
心臓を掴まれた感覚を伴い、ケイはダンジョンの外へ立っていた。




