29.チャットは確認しないとまずい
アシュラとのやり取りを思い出しながらほっこりした気持ちで歩き出すと、視界の端の光に気づいた。普段ならすぐに気が付くけれど、目の前のことに気を取られていたのだろう。
しっかり確認すると、ギルドチャットや個人チャットが強く光っていた。
「あ、やば……」
走馬灯のようにギルド拠点の外観について意見を求められていたことが思い出される。
岩凪のことやアシュラとのことがあったから返事をするのを忘れていた。
「怒ってるかな?」
もうログインしてから結構時間が経っている。私がログインしていることもバレていたから、やばいかもしれない。
どんなチャットが来ているか不安に思いながら、恐る恐る個人チャットを開く。
*****
シオン、ログインしてるよね?
返信をくれないと適当な外見にしちゃうから!
******
最新の個人チャットにはそれだけが書かれている。送り主はレイで、レイ以外からは個チャがきていない。
ギルチャを確認する前にレイからの個チャを遡る必要がありそうだ。
ひぃぃ。
数十秒ごとにチャットが来てる!
細かく刻んで送られてきていたチャットがある時間を境に全く来なくなっているのが怖い。ここで何があったのだろうか。
恐ろしすぎて確認したくない。
それでも無視し続けることは出来ないので、慌ててレイにチャットを送ると、気にしてないという言葉と上機嫌そうな顔文字が返ってきた。
何故か地図の場所も添付されていたので、取り合えずそこへ向かう。
この場所に何があるのかな……。
辿り着くまでに少し時間がかかるけど。
指示された場所は第二の街で私は今第一の街にいる。『もうぼっちとは言わせない』の拠点が第一の街にあるので仕方がないけれど、転移ポータルに向かう必要がある。それでも転移ポータルを使えば移動が楽だ。
道を使って向かおうとしたら時間がかかってしまうし、ひとりで行けるか分からない。
少し時間がかかることをチャットで伝えると、レイからは了解とだけ返ってきた。
これは相当怒っているのだろうか。
「うぅ、私が悪いとは言え、行くのが怖い……」
これはどういう呼び出しなんだろう。
叱られるくらいなら良いけど……。
便利で嬉しいはずの転移ポータルの存在が憎い。どの道いつかは行かなくてはならないのに、少しでも先延ばしにしたい気持ちにもなってくる。
アシュラと話して高揚していた気持ちが落ち込んでいき、向かう足取りも重かった。
「ぷぅぷぅ」
「……」
あまりにも酷い顔をしているのか、ラテが慰めるように私の腕を叩く。岩凪も優しい目をしている気がする。
あくまでも気がするだけだけれど。
「ありがとう。ちょっと元気が出たよ」
そういえば目的地にたどり着く前にギルチャも確認をしておいた方が良い。
恐る恐るギルドチャットを開くと、こちらも少し前を境に静まり返っていた。
な、なに?
ほんとにみんな何があったの?
私がログインした時は議論が盛んだったはずなのに誰も話しをしていない。
最後のチャットもレイからのリンクとは別の場所に集まろうというものだった。
集まって解決した?
それとも悪化して殴り合いの喧嘩になったとか……。
まだPKは解放されていないけれどPVPはできるらしい。ギルドメンバーを思い浮かべるとどちらもあり得る気がする。『暇人の集い』は生産ギルドにも関わらず、血気盛んなプレイヤーが多い。
そんなメンバーが集まって一体どうなったのだろうか。
情報が欲しいのにみんなで集まったことしか分からないなんて!
集まる前の話は拠点の外見だった。集まったのも拠点に関してだろう。
そこまでは分かるけれど、最終的にどうなったのかが分からない。レイからの個チャも機嫌が良さそうにみえて本心は分からない。
もう揉めていないと良いけど……。
不安にさいなまれたまま、レイに示された場所へたどりついた。
「…………これって、どういうこと?」
指定された場所には黄色く光る大きなアヒルがいる。お風呂に浮かんでいるオモチャにそっくりな見た目の建物だ。つるりとした外見だけでなく、きちんと目や嘴がついている。
「こんな建物があったっけ?」
まだ第二の街をしっかり散策した訳ではない。だから知らない建物があってもおかしくない。ただ、知らないにしては目立ちすぎる。
さすがにこんな建物があったら話題になってるはずだけど……。
知らないなんてあるのだろうか?
ログアウトしている間は情報収集に努めてるのに。
私は建物の前で首をかしげた。
その次の瞬間、アヒルの体の一部が急に開き、ナツミが顔を出す。ナツミの声に反応したのか別の場所も開いて、ギルドメンバー数名が顔を出した。
「あ! シオンやん!!」
「やっほー! シオン!」
「…………」
どうやらギルドメンバーがここに集まっているようだ。レイとナツミは窓から大きく手を振っていて危ない。
でも、それを心配する余裕がなかった。
「まさか、ギルド拠点……?」
確かにレイがこだわっていた黄色の外観だ。蛍光色には賛成派と反対派がいたから、こうなったのだろうか。
このアヒルなら蛍光色ではないけれど、太陽の光を反射して光って見える。
全員の意見を合わせたらこうなったとか……?
いや、そんな……。
想像の斜め上を行く建物に開いた口が塞がらない。
ぽかんと口を開けたまま大きなアヒルを見ていると、アヒルのお腹が開いてレイが現れた。
「どう? 結構良い拠点でしょ!」
やはりこの建物がギルド拠点だったらしい。
にこにこ笑うレイはとても嬉しそうだ。どうしてアヒルになったのか分からないけれど、満足そうでなによりだ。
「えーっと、うん。良い拠点だと思う」
元々どんな外見でも良いと言うつもりだったし、【調合】の作業部屋があれば私は満足だ。可能なら【解体】のできるスペースも欲しいけれど、わがままは言えない。ギルド費用に最も貢献していないのが自分だと自覚している。
それにしてもアヒル型の拠点なんて良く思いついたなぁ。
こんな形の建物を作れることすら知らなったよ。
私は感心しつつアヒルの形をした拠点を見上げた。今はインパクトが強いけれど、見慣れればかわいいと感じるかもしれない。
徐々に悪くないと思い始めた自分に驚きながらレイに視線を戻すと、レイが親指を立てた。
「シオンの調合室もあるよ! 【醸造】もできるように大きめの部屋にしてあるから」
「ありがとう! 今後【解体】をすることが多いかもしれないから、大きめの部屋は嬉しい」
「あ、そっか。シオンも【解体】を持ってたんだっけ。忘れてた。【解体】用の部屋は別に共通の部屋があるからそっちを使っていいよ。感覚としては個人用の作業部屋が1つずつと、【解体】と【細工】専用の部屋、リビング、倉庫、商談スペースがある感じかな。隣の空き地にも小さいアヒル型の建物を作って店舗にする予定だよ」
「店舗に倉庫、商談スペースまで……。よく考えられてるね」
第一の街でギルド拠点の参考を見てからずっと考えていたのかもしれない。商談スペースまで作るなんてビックリだ。
さりげなく店舗も作ろうとしているのもおもしろい。
まだ中に入っていないけれど、総合生産所以上に部屋が揃っているのだろう。【解体】専用の部屋なんて生産総合所にはなかった。
ほぼすべての生産がここで行える、とても『暇人の集い』らしい拠点だ。
ただ、そこまで充実していると不安にもなってくる。
「生産がメインの拠点だと思うけど、テイムモンスを入れても大丈夫?」
『もうぼっちとは言わせない』の拠点には聞かずに連れ込んでしまったけれど、生産する場所にモンスターを連れ込まれるのが嫌な人もいるかもしれない。
今のところラテを連れて【調合】や【醸造】をしても品質に影響はなかった。ただ、こればかりは精神的に不快と感じる人もいるだろう。
確認の為にもレイに問いかけると、レイは盲点だと言わんばかりに目を丸くした。
「モンスターが苦手な人はいないから、リビングや自分の部屋に入れる分には大丈夫だと思う。ただ、他の人の部屋に入る時は聞いた方がいいかも」
ごめんと続けられて私の方が申し訳なくなる。
ラテをテイムしたことも岩凪を卵から孵したことも後悔していない。ただ、苦手な人がいるのなら悪いとそう思っただけだ。
暗くなってしまった空気を換える為にも声を明るくする。思ったよりもナイーブな話だったのかもしれない。
「自分の部屋に入れられるなら問題ないよ。チャットも返さなかったのに色々と気遣ってくれてありがとう!」
まさか私が返信していない間にここまで進んでいるとは思わなかった。
ログインをしていながら無視をする形になってしまったのが申し訳ない。
このお詫びをする為にもアシュラからもらった最前線の素材の【解体】は成功させないと!
【解体】は失敗するとモンスターごと消滅してしまう。
初めての【解体】はとても慎重に行う必要があった。
「シオンもギルドメンバーだから当然だよ! シオンも色々あったみたいだし」
そう言うレイの視線は岩凪に向いている。確かに岩凪とレイが会うのは初めてだろう。
「そう、新しいテイムモンスの岩凪。変わった見た目だけど大人しい子だからよろしくね」
「…………」
レイに顔を近づけられても岩凪は静かに見つめ返している。
レイの方が興味を持っているくらいだ。
「不思議なモンスターだね。よろしく」
「…………シャ」
分かっているのかいないのか分からないレベルでゆっくりと反応を返す岩凪にレイが吹き出した。何かがツボにはまったらしい。
そんなレイを前にしても岩凪は落ち着いている。上げていた蛇の頭も下げてしまった。
「ずいぶんと静かなモンスターなんだね。僕もそのくらい落ち着きが欲しいよ」
確かにレイは感情が豊かだ。楽しければ笑って不満があればすぐに口にする。
それでも怒っているところはあまり見たことがなかった。口論をしているところは良く見るけれど、我を忘れて怒鳴っている感じではない。
「レイってイライラするの?」
「当然イライラするよ。思うように【鍛冶】ができなくてイライラしてたから、自分専用の工房はずっと欲しかった」
レイは【鍛冶】持ちだから私などよりも総合生産の部屋が空いていなかっただろう。それにも関わらず拠点は第三の街にすると言っていたので、不自由していないのだと思っていた。
切実なレイの言葉に私は勘違いを正す。
となると、これほど早く拠点が出来上がったのはみんなが拠点を欲していたからだろう。生産総合所が混みあっている今、自由に生産を行える場所は貴重だ。他所のギルドの工房を借りればレシピが盗まれる危険もある。
「みんな同じことを思ってたんだね」
どうしてアヒルになったのかは分からないけれど、目立って分かりやすいから店舗としても優秀だ。
納得しながらレイに続いて拠点の中に入った。
「入ってすぐが玄関。ここを通ると勝手にクリーンがかかるようになってるよ」
「へぇー、便利」
ゲームなので泥だらけになることはないけれど、気分的に付けたかったのだろう。本当に生活する空間のようになっていて面白い。
「左がリビングで右が商談スペース。商談スペースは小部屋が2つと3,40人くらい入れる部屋が1つあるから。リビングもとっっっても広くって! 楽しみにしてね!」
「うん、後で覗いてみる」
広いリビングも気になるが、商談スペースの方が気になる。30人も呼んで何をするのだろうか。
それほど広い商談スペースが必要になるなんてさすが『暇人の集い』だ。
「地下が倉庫と【解体】部屋で、2階から上が個人の作業部屋。【細工】部屋は2階。シオンは3階ね」
言われて3階まで登ったけれど、まだ上がありそうだ。私の作業部屋もリビングと同じくらいの広さがあるらしい。やりたいことは何でもできるだろう。
エレベータがないので3階なのが地味に嬉しい。
レイがドアを開けると、広い室内に【調合】と【醸造】の設備が整っていた。
「うわぁ~!! すごい!!」
設備の隣には【解体】ができそうなくらい広い空間もある。テーブルやソファを置いても良し、倉庫代わりにしても良しということだろう。
今まで手を出していなかった【栽培】にも挑戦できそうだ。
「シオンがいなかったから広さは勝手に決めちゃった。もしもっと広い部屋が良いとかあったら遠慮なく言って。この拠点、【空間魔法】で広げてるから簡単にいじれるよ。入口のドアも登録したらその人しか開けられなくなるし」
「なんと、リアルより快適な空間だ……。本当にありがとう」
驚きすぎて開いた口が塞がらない。
「どういたしまして。少しでも気に入ってくれたのなら良かった!」
「すっごく気に入ったよ。今なら感激の涙を流せそう」
「それはおもしろいね」
笑いながら【鍛冶】に戻ると言うレイを見送って、私は自分の部屋に向き直った。




