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【完結】『平民の血』と蔑まれた令嬢は、真実に守られる  作者: 群青こちか@愛しい婚約者が悪女だなんて~発売中


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8/14


――三日後


この日は、婚約パーティに向けた準備の日だった。

エナン公爵家の手配で、仕立屋と宝石商がランベール家にやって来ることになっている。


侍女たちは朝から落ち着かず、まるで自分たちのことのように浮き立っていた。

しかし、一番そわそわしているのは、どうやら父のようだ。

食後の紅茶のカップを持ったまま、何度も視線を窓の外へ向けている。

そんな父の姿を眺めながら、アデルは思わず微笑んでしまう。


マリエルと継母イルダの姿は、朝食の席には見えなかった。

なんでもイルダの兄、ヴィクトル・ミュラー子爵が訪ねてくるらしく、二人は支度のため自室で食事をとるのだという。

ヴィクトルは時折、このランベール家に顔を出す。

ドミネア国で家業に携わっているが、取引のためにこの国を訪れるたび、予告もなくふらりと現れることが多い。


四十を越えても独身。

流行の香水や小物で全身を飾り立て、マリエルには贈り物を欠かさない。

さらに、侍女たちにまで菓子や小物を配るので、父が苦言を呈したこともあった。

それでも本人は気にしない性格のようで、訪れるたびにたくさんの土産を抱えてやってくる。


「何も今日でなくとも……」


朝食を終えた父は、時計を見てぽつりと呟いた。

アデルも同じ思いを抱いたが口には出さず、父に挨拶をして部屋へ戻った。


公爵家から手配された職人たちは10時に到着する予定だが、ヴィクトルがいつ現れるかは分からない。そのことが父の気がかりなのだろう。


アデルは自室に戻ると、ドレス選びの為に侍女に髪を結い上げてもらう。

鏡に映る見慣れぬ自分の姿に、少し気恥ずかしさを覚える。

これから婚約パーティのドレスを選ぶと思うだけで、結婚が現実味を帯びて胸が高鳴った。


ふと窓の外を見ると、一台の馬車が見えた。

何度か見たことがあるあの馬車、もうヴィクトルが到着したようだ。

エナン公爵家から職人たちが来るまで、まだ時間がある。

鉢合わせにならずにすんだことに、アデルは小さく息を吐いた。


ヴィクトルはいつも軽口をたたき、声と身体が大きく、威圧感がある。

朝から酒やたばこの匂いを漂わせ、馴れ馴れしい態度で接してくるため、アデルは少し苦手だった。


ため息を吐きながら窓から目を逸らし、読みかけの本に手を伸ばす。

しばらくして、部屋の扉を誰かがノックした。

侍女たちとは違う、不規則なリズムのノック音にアデルは身構える。


「アデル、いるんだろ? おじさんだ、開けてくれ」

「もうヴィクトル伯父様、声が大きいわ」


想像していなかった最悪のパターンだ。

今ノックをしたのは間違いなくヴィクトル・ミュラーで、一緒にいるのはマリエル。

扉を開けなければ、きっと侍女を呼びに行く。

忙しい朝に、迷惑をかけたくない。

机の上に読みかけの本を置き、アデルは扉を少しだけ開けた。


「おめでとう! 我が可愛い姪、アデル!」


突然、真っ赤な薔薇の花束を押し付けられ、アデルは一歩後ろに下がってしまう。

その隙に扉を大きく開かれ、ヴィクトルとマリエルが部屋に入ってきた。


大量の薔薇の香りは、ヴィクトルの強すぎる香水にかき消されてわからない。

会うたびに「姪」と呼ばれることに、アデルの胸の中に違和感が広がる。

血の繋がりがない相手にそう言われても、あまりいい気持ちはなかった。


「ありがとうございます」


なんとか笑顔で応じると、ヴィクトルは大げさに手を広げた。


「いやいや、婚約が決まったんだって? 姉さんとマリエルから聞いたよ」

「はい」

「しまったなぁ。アデルが十八歳になったら、俺が結婚を申し込もうと思っていたのに」


若い服装をしているが、皺とシミだらけの父より年上の男。

にやついた口元から覗く乱れた歯並びに、アデルは冗談だとわかっていても嫌な気持ちになった。

結い上げた髪のせいで、ヴィクトルの視線が首筋と胸元を見ているのがわかり、全身が粟立つ。


「そうよ伯父様! 本当はわたしが公爵様と婚約するはずだったのに!」


突然、マリエルが甲高い声でおかしなことを言い出した。


「ん? どういう……ああ、なるほど。アデルが長女だから先に縁談が進んだのか」

「そうよ! ヴィクトル伯父さまが早く姉さまに婚約を申し込んでいれば! 今日だって、私のドレスを選ぶ日だったはずよ!」


マリエルは足先で床を蹴り、小さな唇を尖らせる。

まるで小さい子供のような仕草だ。


「じゃあ今からでも、俺がアデルに婚約を申し込めばいいんじゃないか? なあ、アデルもヴィクトルおじさんの方がいいだろう?」

「それがいいわ、お姉さま! 私が一緒にお父様にお願いしてあげる!」


きゃっきゃとはしゃぐマリエルと、いやらしい笑みを浮かべるヴィクトル。

鼻につく香水の濃さと、二人の馬鹿げたやり取りに、アデルは不快感を覚えた。

胸の奥から、怒りの感情がゆっくりとこみ上げてくるのを感じる。

アデルは呼吸を整え、にやけた顔のヴィクトルをまっすぐに見つめた。


「ヴィクトル()()()()、その冗談は、私には少し難しすぎるようです」


その声はあまりに低く、感情がほとんど感じられなかった。

固まる子爵を前に、アデルは続ける。


「血の繋がりのない私を『姪』と呼んで、可愛いがってくださっていたのですよね? なのに、結婚の申し込み? まさかそんな冗談が、面白いと思っていらっしゃるのですか?」


ヴィクトルの顔から完全に笑顔が消え、眉間の皺がくっきりと浮かび上がる。

アデルの冷たい視線に、居心地の悪そうな苦笑いを浮かべたヴィクトルは、マリエルをちらりと見た。


「おいマリエル、お前が変なことを言い出すから、アデルが怒ってるぞ」

「はぁ!? なに言ってるのヴィクトル伯父さま!」


マリエルは手にしていた流行の扇子を床に投げつけ、伯父を指さす。


「いっつも『アデルと結婚したら俺も安泰だ』って言ってたじゃない!」

「おい、余計なことを言うな!」

「ねえお姉さま、ヴィクトル伯父さまは照れてるだけ。本気なのよ、冗談なんかじゃないわ」


甘ったるい声に、アデルの背筋にぞわりと寒気が走る。

身勝手に振る舞うマリエルに、ヴィクトルは苛立ちを露わにした。


「やめろ、ガキじゃあるまいし」

「ひどいっ!」


甲高い声と怒鳴り声がぶつかり合う。

二人の醜い言い争いに、アデルは静かに息をついた。


一体、何を見せられているのだろう……。


その時、ノックの音が響いた。


「アデルお嬢様。ただ今、エナン公爵家からの使者がお見えになりました」


侍女の声にアデルは姿勢を正し、ヴィクトルとマリエルへ向き直る。

黙ってしまった二人に軽く会釈をした。


()()()()()()()()()、先ほどは素敵な薔薇の花束をありがとうございました」


アデルはにっこりと微笑みながら、部屋の扉を開ける。

廊下に立っていた侍女は、室内にいる二人を見て一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を戻した。


「や、やあエイミー。可愛い姪に、婚約の祝いを言いに来てたんだ」


ヴィクトルは慌てて取り繕うように部屋を飛び出し、マリエルもその後を追う。

侍女は何も答えず、アデルだけに頭を下げた。


「ありがとうエイミー。では、私はこれで」


部屋を出たアデルはヴィクトルに一礼し、侍女とともに廊下を歩きはじめた。

後ろから「もうっ!」と、ヴィクトルに八つ当たりするマリエルの声が聞こえる。

廊下を進みながら、アデルは大きく息を吐いた。


マリエルの子供じみた騒ぎに付き合うのは、これで終わりにしたい。

あの子はずっとこのまま変わらない、わかりあえないんだ……。


アデルはすっと姿勢を正し、まっすぐ前を見る。

振り返ることなく、エナン家からの使者が待つ客間へと足を進めた。


そして、あわただしく日々は過ぎ、気づけば一か月が経っていた。



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