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16

 朝日が天井近くの窓から射し込まれる部屋の中、パタパタと軽快な音が聞こえてきてアメリアは手を止めた。

 これが誰の足音なのかはすぐにわかる。

 部屋の入り口に目を向けていると、黒い髪が乱れないようにきっちりとセットをしたお仕着せ姿のデーヴィットが顔を覗かせた。


「おはよう、アメリア」


 オイルランプを両手に提げている様子はいつもと何ら変わらない。


「おはよう、デーヴィット。病み上がりなんだから、そんなに走り回っては駄目よ」

「大丈夫だって、これくらい。昨日だって本当はちゃんと働けたんだよ。でもミスター・ショウが熱のある子供を働かせているのが旦那様にばれたら俺が怒られるって言うから休んだんだ。あれくらいどうってことないのに。アメリアもただの熱で心配しすぎてミスター・ショウを困らせたりするなよな」


 腰に手を当ててデーヴィットは説教の姿勢になった。熱を出した弟を心配したら、その弟に心配するなと怒られるとは何事だろう。

 家にいた頃のデーヴィットは具合が悪くなればいつもより少し甘えていた。

 だからきっとこんなことを言うのはアメリアが彼を守るべき弟なのだと意識させないために、自分を律しているせいなのだろう。デーヴィットは持っていたランプを床に置いて、さっさと仕事に取り掛かろうとしている。もうすっかり慣れたというように。

 アメリアはずっと、まだ子供としか言えない年齢である弟を働かせてしまっていいのだろうかと悩んでいた。

 いくらこの歳で働いている人間がたくさんいるとは知っていても、これまで育ってきた環境では、実際に自分の弟が働くとなれば抵抗を感じてしまう。どうしてこんな歳の子が、と思ってしまうのだ。そのきっかけを作った自分がとても酷い人間のように思えて苦しかった。

 しかしこのハリソン・ハウスに来たその日にデーヴィットが言っていた言葉を思い出す。デーヴィットは働くということに対する決意を口にしていた。そしてその決意は今も変わらず彼の中にあるのだろう。

 自分たちはキャボットが言っていたように、もう既に階上の人間ではなく、階下の人間だった。

 エディの昨夜の言葉を頭の中で反芻する。

 人に指摘されることを望んではいても、デーヴィットが強いことは誰よりもアメリアが知っているはずなのだ。

 アメリアはデーヴィットに手を伸ばした。


「……大好きよ、デーヴィット」


 軽く抱きしめて呟く。驚いたようにデーヴィットが身動ぎした。


「な、何だよ、急に」

「……最近言っていなかったから」


 手を離すとデーヴィットは困ったような呆れたような表情を無理に作ったみたいな顔をしていた。

 口を開いて何かを言いかけるが、そのまま動かずにまた口を閉じる。そして壁に掛かっていたオイルランプを素早く外すと、床に置いていたランプも掴んでこちらを見ずに大人びた口調で言い放った。


「知ってるよ、そんなこと」


 デーヴィットは来た時よりも速い足音を響かせて走り去って行った。

 一人になった部屋でアメリアは眉尻を下げる。

 もっと小さかった頃のように、簡単に「俺もだよ」とは言えない歳になったことが少しだけ寂しかった。



「またどうしたのよ、あんたは」

「え? え?」


 いつの間にかジェーンがアメリアの間近にいて、目の前でひらひらと手を振っていた。

 状況が把握できないアメリアは周囲を見渡す。そこでようやく既に昼食が終わり、キャボットやブランソンが使用人ホールから出ていっていることに気づいた。残っている人間はお茶を飲みながら雑談に入っている。

 冷や汗が流れるが、かろうじて自分の食器を片付けた記憶はあったのでほっとした。これで安心していいものでもないが。


「昨日に引き続きぼうっとしすぎよ。デーヴィットの熱はもう治ったんじゃないの?」


 ジェーンの目線が部屋の中心へ向く。そこではショウやフットマンたちに囲まれたデーヴィットが、からかわれているのか可愛がられているのかわからない扱いを受けていた。


「ええ、もう平気みたい。心配かけてごめんなさい」

「あたしはあの子よりも、あれくらいで顔色を変えていたあんたを心配していたわよ」


 ジェーンが真面目な顔をして言ったのでアメリアは反省した。彼女には何かと心配をさせ過ぎているような気がしている。


「もう大丈夫なら、どうしてまた心ここに在らずなのよ。気掛かりなことがあるっていうよりは、ひたすらぼんやりしてるわよね。そんなんじゃあまたサミーに怒られるわよ」

「それは……大丈夫よ。仕事中は仕事のことしか考えないようにしているから」


 アメリアは今日も朝から自分がぼんやりしているという自覚はあった。さっきのように気がつけば時間が経過しているということが何度かあったのだ。しかしそれは寝起きや食事中に限ってだ。昨日と違って忙しい間はやるべきことしか考えていない。


「ふぅん。じゃあ、さっきは何を考えてたの?」

「えっ?」


 何をと聞かれれば困る。アメリアは言葉を詰まらせた。


「そりゃあ、あんな風にぼうっと考えることなんて、一つしかないじゃないの」


 突然、背後から声が聞こえてきて、アメリアは驚いて振り返った。

 そこには実に楽しそうな笑顔を浮かべたファニーがいて、アメリアと椅子をくっ付けて内緒話でもするかのように顔を近づけてくる。


「何よ、一つしかないって」


 ジェーンもつられて椅子を寄せてくる。しかし話題の渦中にいるはずのアメリアはファニーが何を言っているのかよくわからない。ジェーンが顔を寄せてくるのを待って、ファニーは勿体つけて言った。


「アメリア、気になる人ができたわね?」

「は?」

「え?」

「もう、ジェーンったら女が周りの様子もわからなくなるくらい考えに浸っちゃって、物憂げにため息を吐いていたら、好きな人のことを考えているに決まっているじゃないの」


 馬鹿ねぇ、とでも言いたげにファニーはジェーン一人だけが理解していないかのような言い方をするが、アメリアも理解できない。

 そもそも自分はため息なんて吐いていただろうか。吐いていないはずなのだが確証は持てなかった。何せぼんやりしていたことだけは事実だ。


「えぇー? そうなの?」

「そうよ! ジェーンはそういうことに興味がなさすぎるから気づかないの」


 アメリアに向けられた疑問に、なぜか即座にファニーが答える。あまりにも予想の範囲外の展開に、アメリアは半ば放心状態となってしまっていた。


「別に興味がないわけじゃないわよ」

「どこがよ。あんたの興味を引いた男の話なんて今まで聞いたこともないわよ。……ねぇ、アメリア、いいことを教えてあげましょうか?」


 アメリアが何も言わないことを肯定と取ったのか、ファニーはとてもいい笑顔で囁いた。


「このお屋敷ね、実は使用人同士の恋愛禁止じゃないのよ」


 どうだ驚けと言わんばかりの得意顔を向けられて、アメリアは更にこの会話についていけなくなった。


「何それ。聞いたことないわよ、そんな話」

「本当よ。だってミスター・ブランソンの亡くなった奥様はレディ・シンシアの元侍女だったんだから。結婚されてからも少しの間、侍女を続けていたらしいし」

「それって二十年以上前の話じゃないの。今とは状況が違うわよ」


 ジェーンが呆れ返るとファニーは冷静に反論した。


「恋愛に関して二十年前よりも今のほうが規則が厳しいなんてことある? 今の旦那様だって先代と同じくらい優しいじゃない。それが原因で解雇なんてされないわよ。そりゃあ、そのせいで仕事を疎かにしたのなら暇に出されるでしょうけど」

「そうかもしれないけど、結局はあんたの希望的観測じゃない。旦那様やレディ・シンシアがはっきり言っていたわけじゃないんでしょ」

「もう、そうに決まっているわよ。あんたが興味ないからってただの希望ってことにしないで」


 若干機嫌が悪くなったファニーを見て、そういえば彼女はこんな人だったとアメリアは思った。

 ファニーはローリーとは対称的に現実の恋愛話が大好きで、本人も恋愛にはとても積極的なのだ。気になる男性がたくさんいて、彼女自身ブロンド美人なので男性から人気がある。

 ただしこの人だと決められるような男性にはまだ出会っていないらしいが。

 ファニーは友人たちの恋愛模様もやたらと知りたがる人であった。


「それでアメリアの好きな人って誰なの? あたしは協力してあげるわよ。だから教えてちょうだい。アメリアはまだ街へ行っていないし、業者とも顔を合わせないからここの人間よね」

「……え?」


 まだ頭がついていけていなかったアメリアは疑問詞しか出てこない。


「あたしが協力しないみたいな言い方しないでよ。……ああ、でもそうね、正直言ってミスター・ショウはあんまりおすすめはしないけど」


 ジェーンが困惑と憐れみが入り交じったような声で言うと、すかさずファニーがそれに食い付いた。


「そうなの?!」

「アメリアが挨拶以外の会話をしている男性なんてミスター・ショウしかいないでしょ」

「へぇー」


 ファニーの目が輝いた。

 危険を察知したアメリアはそこでようやくはっと我に返る。


「ち、違うわ。そうじゃないの!」


 大声を出しそうになって慌てて口を押さえる。周囲を見渡すと各々が好きにおしゃべりをしているだけで、こそこそと会話をしている三人のことは誰も気にしていなかった。


「え。ミスター・ショウじゃないの?」

「違うんじゃない。ねぇ、じゃあ、誰?」

「そうじゃなくて、好きな人なんていないわ。違うのよ」


 アメリアはぶるぶると首を振った。ここまで放置しておいて今更な否定だが、アメリアにとってはまるで別世界の話を扉の向こうでされているような気分だったのだ。普通は使用人同士の恋愛は禁止されているというのも初めて知った。


「……つまり、ファニーが最初から間違えていたっていうこと?」

「えっ、嘘。気になる人ぐらいいるでしょう?」


 そんな訳がないという顔をするファニーに、申し訳なさそうに答える。


「……いないわ」

「ええー」

「はいはい、ただのあんたの希望的観測よ」


 ジェーンは大仰な仕草で肩を竦めて呆れ果てた。


「あんたローリーのこと偉そうに言えないわよ」

「一緒にしないでよ。現実の恋愛なんだから、あの子に比べたらよっぽど建設的よ。むしろあんたたちが不健全なの。気になる男の一人もいないなんて。そんなんじゃオールド・ミスまっしぐらよ」

「ええと……。ファニーはたくさんいるの?」


 よからぬ方向に話が向かいそうだったので、アメリアは逆に質問を投げかけてみた。


「そりゃあ、何人かはいるわ。でも恋人にしたいって思うほどじゃないのよねぇ。この前、街で声をかけてきた人も顔はよかったのよ。ちょっと若すぎたけど、顔は好みだったの。酒屋のトムや警官のコリンよりもね。どうしようかしら」


 ファニーは物憂げにため息を吐いた。


「恋愛に関してはあんたが健全だとも建設的だとも認めないわよ、あたしは」

「身持ちが悪いみたいな言い方しないでよ。でもそれよりもアメリアは、それならどうしてあんなにぼうっとしていたの」


 話が振り出しに戻った。

 説明のしようがないアメリアはどうにか誤魔化そうと頭を働かせる。


「どうして……かしら。多分、ただ気が緩んだだけだと思うわ」

「なんだ、それだけ」

「アメリアはデーヴィットのことだといちいち反応が大袈裟ねぇ」


 前日のアメリアの様子を知っている二人はそれだけで納得してくれた。

 チクリと痛んだ胸は無視をする。

 嘘を言ったわけではない。ただそれだけが原因ではなかった。そしてもちろんファニーが言うような意味での気になる人のことを考えていたわけでもない。

 何せアメリアがジェーンに声をかけられるまで、ぼんやりと頭に思い浮かべていた面影は、人間ではないのだから。

 アメリアは恋愛観についてのおしゃべりを続ける友人二人を、微笑みながら黙って眺めていた。

 

 

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