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今日も青空、イルカ日和  作者: 鏡野ゆう
小話

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34/39

梅雨の季節のイルカ達

 某空自基地の航空祭当日。


「やみませんねえ……」


 展示飛行が三時間後に迫っているのにお天気はあいにくの雨模様。


 雨が降っても飛行することは可能だけれど問題なのは頭上に広がっている雨雲の方だ。見た感じではかなり低いところまで雲は下がってきているし、雨が止んだとしてもアクロをするには視界がかなり悪そう。この様子だと離陸して編隊航過を披露することすら難しくなりそうな雰囲気だ。


「しかも寒いし……」

「浜路、お前の晴れ女のジンクスはどうしたんだ?」


 建物の窓から外を眺めていると坂東三佐が隣に立って空を見上げた。


 ここからもブルーの前には見学に訪れたお客さん達が雨合羽やレインコート姿で座っているのが見えている。


 雨が降っているせいで去年ここで開催された航空祭に比べると来場者数はかなり少ないけれど、ブルーが飛ぶ可能性を信じて待っているその人達を見ると何とか飛べたら良いのにと思わずにはいられない。


「そんなこと言ったって。今回ばかりは隊長の雨男パワーに負けるかもしれませんよ、だって止みそうにないんですもん。もっと強力な晴れ人間を連れてこないと隊長の雨男パワーには勝てないかも」


 そう言って空を見上げた。


「あいつ、一つ年をくったら雨男パワーがアップしたのか、厄介だな。お前の誕生日はいつだ? 何とか前倒しをしてパワーアップしろ」

「また無茶なことを」


 晴れ女の私と雨男の玉置隊長の勝負は今のところ私が勝ち越していた。だけど隊長が誕生日を迎えてからこっち妙に雨に祟られる日が増えている。まあそろそろ日本は梅雨入りなだけで隊長の昇任とは関係ないんだろうけど。


 ちなみに私の誕生日は七月十五日。まだまだ当分先だ。


 私達が空を見上げている間も雨の合間をぬってこの基地所属の航空隊による航過飛行とUH-60での救難訓練の展示が行われていた。お昼時間を挟んで午後からがブルーの展示飛行の時間だ。さて、お天気の神様の軍配はどっちに上がるだろう……?


「なんとか雲が切れてくれたら良いんですけどねえ……」


 そう言いながら私は坂東三佐と並んでもう一度空を見上げた。



+++



 手があいたタイミングでお昼ご飯を急いで食べていると、隊長と最終のブリーフィングをしていた白勢さん達が戻ってきた。


「午後から飛べそうなんですか?」


 隣に腰をおろした白勢さんに尋ねる。その顔からしてなんとなく中止になりそうな空気になっているんだろうなってことは感じられた。


「かなり難しいみたいだ。雨脚が弱くなっても今日一日、基地上空の雲は切れそうにないらしい」

「やっぱり……」


 ってことは今回の展示飛行は中止だろうか。とは言えまだ正式に中止が決定したわけではないので私達は通常通りの手順で飛行準備を進めなくてはならない。つまりこれから雨の中での点検が待っているってことだ。ごちそうさまをして席を立つ。


「じゃあ私達は一足先に機体の方に行ってますね」

「面倒くさがらずにちゃんとカッパを着るんだぞ? さっきも急に雨脚が強くなっていたから今は小雨状態でも油断は大敵。三番機の大事なキーパーが風邪でもひいたら一大事だからな」

「了解しました」


 ちょっと前までイケボなアナウンス担当だった白勢さんが風邪をひかないようにとあれこれうるさく言っていたのは私の方だったのに、ここ最近はなんだか立場が逆転してしまった感じでなんとなく落ち着かない。それとそんな私達のことを見ている他のクルーのぬるい視線が超気になって落ち着かないんですが!


 私が食堂から出たところで安元一尉達が白勢さんに「毎度毎度どさくさに紛れて惚気るな」と冗談半分に抗議している声が聞こえてきたのは気のせいということにしておこう。


 そして私達キーパー全員は一足先に機体が並んでいる場所へと移動して飛行前の準備を始めた。


 ブルーの前にはまだお客さん達の姿はあるけど午前中よりもさらに人数が減ったみたいだ。お客さん達もスマホで天気予報や雨雲レーダーを確認して今の天候状況は把握しているはずで、もう諦めモードで他の機体の撮影や展示ブースに行ってしまった人達もいるような雰囲気だった。


 それでも残っている人達がいるのは「もしかして」という希望とドルフィンライダー達が姿を現わすのを待っているからだと思う。大丈夫ですよ皆さん、飛ぶか飛ばないかはまだ決まってないけどライダー達はもうすぐここにやってきますから!


 そんな人達を横目に機体の点検を始めていると、基地の責任者と話をしていた三佐がその場にいる全員に集合するようにと声をかけてきた。雨脚は朝よりはましにはなっていたけれど相変わらず分厚い灰色の雲がたれこめている。うーん、あの三佐の顔からしてどうやら今回の展示飛行は中止っぽいかな。


「本日のブルーの展示飛行は中止。ウォークダウンと滑走路までの走行展示のみになった」


 ああ、やっぱりねという表情を全員が浮かべる。だって飛ぶにはどう考えても雨雲が分厚すぎるもの。


「浜路、パンフレットはこっちに持って来ているな?」

「はい。カートの方に置いてあります」


 パフレットとは今年度のドルフィンライダーとドルフィンキーパー、そして展示飛行しているブルーインパルスの写真が載っているカラーの冊子のこと。大抵のファンの人は新しいパンフレットが出るたびに手に入れていて、サイン会などではライダー本人の写真のところにサインをしてもらうパターンが多いってことだった。


 ちなみに現時点でのサイン会一番人気はブッチギリで独走中の隊長と、新しく四番機ライダーとしてデビューしたばかりのモーさんこと牛木一尉だ


 サインのコンプリートを目指すファンとしては新しくライダーになったモーさんのサインは絶対に外せないものらしい。そしてパイロットとしては長身で大柄な割に笑った時に現われる可愛いえくぼがなかなか愛らしいというのが女性ファン達の中でも評判なのだ。本人は自分のえくぼの存在にまったく気がついていないようだけど。


 そんなわけでドルフィンライダーに選ばれたパイロット達は、訓練とは別に自分のサインを決めて展示デビューまでに書けるようにしておくのも大事な任務だったりする。


 余談ではあるけど私もそのサインとやらをお願いされたことがあった。まさかキーパーの自分がそんなことを頼まれるとは思ってもいなくて普通に名前を署名しただけになってしまったのがちょっと申し訳なかったかな。


 ライダーだけではなくキーパーのサインも集めているなんてなかなか熱心なファンもいるんだなあって当時は感心したものだ。あ、そう言えばサインしたあの時のパンフレット、青井さんのところにもサインが書かれていたっけ。


「予備機の整備班はお客さん達にそれを配ってこい。少しでも楽しい気分を味わってもらわないと今まで待っていた人達に申し訳が立たないからな」


 予備機の整備を担当していたキーパー達がパンフが濡れないように雨合羽の中にパンフを仕舞い込むと、機体とお客さん達とのスペースを区切ってある柵の方へと歩いていった。


 私達はその間に点検を進めることにする。たとえ飛ばなくても機体にはパイロットが乗り込むわけだしエンジンを回して滑走路まではタキシングするのだ、チェックはいつも通り念入りにするのは雨の日も晴れの日も変わらない。


 しばらくして機体の前に陣取っていたお客さん達がカメラを持ち始めた。やっとドルフィンライダーのお出ましだ。今日はいつもと違って全員が青いフライトスーツの上から専用の水色のポンチョを羽織っている。


 ライダー達は機体前にいるお客さん達ににこやかに手を振りながら自分が乗り込む機体へと向かうと、いつものようにそれぞれの機体を目視で点検を始めた。もちろん白勢さんも。


「今日は飛行は中止ですね」

「ああ、残念なことにね。まあ仕方ないか、これだけ雨雲が垂れ込めていたら飛んでも高度をちょっとあげれば雲の中に突っ込んでしまってお客さん達には何も見えなくなるからな」


 白勢さんの言葉に、午前中の飛行展示で他の基地から来ていたF-2が高度を上げて雲の中に突っ込んでいった様子を思い出した。


 操縦桿を握っていたのは元アグレッサーの朝倉一尉。ブルー顔負けの飛行技術を披露した後にこれから所属基地へと帰投するという無線越しの声を残して急上昇をして雲の中に消えていった。ブルーには真似できない面白い演出だなと坂東三佐がしきりに感心していた。


 そしてその直後、雲の上に出た朝倉一尉がこっちは地上と違って晴天だブルー達もここまで上がってこないか?と笑いながら呼びかけてきたのを聞いたのは、関係者と無線傍受をしていたマニアさん達だけだ。


「ウォークダウンもショートカットだ。全員それぞれの機体の横にいつものように並べ」


 坂東三佐の指示が伝わりそれぞれドルフィンライダーとドルフィンキーパーが機体の横に並ぶ。


『では皆さん、本日それぞれの機体に乗りこむライダー達と整備を担当するキーパー達のご紹介します! 一番機は……』


「ああ、そう言えば」

「?」


 石黒一尉がライダーとキーパーの紹介を始めたところで白勢さんが思い出したように声をあげた。


「三番機の次期ライダーだけど石黒一尉にほぼ決定。一年目が終わると同時に訓練を開始することになりそうだ」

「え、そうなんですか?!」

「ああ。ほら、俺達が紹介されたぞ、笑顔笑顔」


 驚いて聞き返そうとしたところで三番機の紹介がされたので慌てて広報用のスマイルを浮かべてお客さん達に手を振る。


「まだ先の話だけどね。彼が一番の若手だってのは間違いないし三番機にはピッタリなんじゃないかって。そうですよね、赤羽さん」

「その通り。ちょっとヤンチャ坊主だがうちのキーパーに悪さをしようとしない新婚ホヤホヤなヤツらしいって話で決まったらしい」


 赤羽曹長が前を向いたまま頷いた。


「新婚さんですか、なんだか訓練中にも惚気られて大変な気がしてきた」


 何気なく呟いたら横に立っていた曹長と野原二曹が宇宙人でも見たような顔をして私の方を振り返って見る。


「? なんですか、何でそんな顔をして私を見るんです? お客さん達の前ですよ? ちゃんとしてください」


 少しのあいだ静止していた二人は気を取り直すように首を横に振ると何やらブツブツと言いながら動き出す。その目が何故か白勢さんの方にも向けられていたんだけどまったく気がついていない様子で羽織っていたポンチョを脱いでいる。 


「はい、俺のポンチョ、よろしく」

「わっ」


 白勢さんはそう言いながら私の頭にポンチョをポイッとかぶせてきた。


「ちょっと! 私はハンガーじゃありませんよ。お客さんの前でなんてことをするんですか」

「それを着たら少しは暖かいだろ?」


 そう言ってニッコリと微笑むとタラップを上がってコックピットに乗り込む。


「そういう問題じゃありませんよ。ってかこれ持ってプリタクが出来るわけないじゃないですか。曹長に渡してくださいよ」


 ブツブツと文句を言いながら白勢さんの体温のせいでまだぬくぬくしているポンチョを赤羽曹長に押しつけると三番機の前に立つ。そりゃあれを着れば寒くないのは分かっていたけどプライベートな時間ならともかくお客さんの前でなんて論外だ。


 電源車のエンジンがかかり車から黒い排ガスが吐き出されると隊長の指示が出てエンジンに灯が入った。エンジンスタート、独特の甲高い音を立てながらイルカ達のエンジンが唸り声をあげる。


 人前でこうやってエンジンの回転数を白勢さんと一緒にハンドサインをまじえて確認するのはこれで何度目かな? なんどやっても後ろにお客さんがいる状態でのプリタクは緊張するものだ。


 プリタクが終わり、ライダー達がお客さん達の見送りに手を振って応えながら滑走路に出ていく。


 そして機体が滑走路に出て六機がいつものように並んだ。スモーク・オン。六機が一斉に白い煙を吐き出して一瞬その姿が煙の中に消える。そしてここでいつものエンディングの曲が流れ始めるとお客さん達の無念そうな溜め息が聞こえたような気がした。


『ご来場の皆さん、本日も本航空祭にお越しくださりありがとうございます。本日のブルーインパルスの展示飛行は残念ながらこれにて終了いたします。また何処かの航空祭で皆様とお会いできる機会がありますよう、クルー一同、心より楽しみにしております』


 石黒一尉のアナウンスが流れたけどお客さん達はまだ動かない。滑走路に出ていたブルー達が戻ってくるのを待っているのだ。そしてもちろんライダー達のことも。


 所定の位置について六機が戻ってくるのを出迎える私達の様子をカメラで撮るお客さん達。その時にはもうこうなったら私達の雨合羽姿とライダーのポンチョ姿を思う存分楽しんでいってくださいよね!という気持ちになっていた。


 ああでも、SNSに流れてきた写真で私が白勢さんのポンチョを頭からかぶっていた姿を「ポンチョお化け」とか言われていたのはちょっとショックだったかな。

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