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今日も青空、イルカ日和  作者: 鏡野ゆう
本編

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第二十二話 飛ばない日は超危険

「おはよう、浜路さん」

「!!!」


 いきなり耳元でささやかれ、抱えていたファイルを落としてしまった。中に入っていた書類があっちこっちに飛び散って大惨事だ。慌ててしゃがみ込んで、バラバラになった用紙をかき集める。


「ああああ、もう!! なにするんですか、白勢さん!」

「なにって朝の挨拶しただけなんだけど」


 そう言いながら白勢一尉はその場に膝をつくと、私がまき散らしてしまった書類を拾い上げるのを手伝ってくれた。年を越してからこっち、一尉ってばまったく手に負えない。新幹線の中では大人しかったので、すっかり油断していた。あの宿り木のことは、酔っぱらっていたせいで忘れてしまったと、シラを切りとおせば良かったかなといまさらながら後悔中だ。


「だから、耳元でささやくのは禁止って言ってるじゃないですか!」

「それは整備中にってことだろ?」

「違いますよ、仕事中全般のことです! お忘れかも知れませんが、私も一尉も今、仕事中です! シゴトチュウ、ナウ、です!」

「だけど、浜路さんと顔を合わせるのは圧倒的に仕事中の時が多いんだから、しかたないじゃないか」

「だーかーらー! 普通に声をかけてくださいよ、普通に! 挨拶も普通に!」


 散らばった書類を順番通りに重ねながら文句を言うけれど、多分その顔からしてあらためる気はないよね。それどころか怒っている私を見て、面白がっているというか喜んでいるよね?!


「だいたい、なんで耳元でささやくんですか!」

「食べちゃいたいぐらい可愛い耳たぶだから」


 耳元で低い声がささやく。途端にゾワワワワッと髪の毛が逆立った。うん、いま間違いなく髪の毛が逆立った!! また落としそうになったファイルを慌てて抱え込む。


「だからどうして耳元で?!」

「だから今言った通りの理由だからだよ」


 今のところ、腰を抜かすことなくなんとか立っていられる状態だ。だけどそのうち、本当に腰砕けでその場で引っ繰り返る日が来るかもしれないと、戦々恐々(せんせんきょうきょう)の毎日だ。やっぱり、通常勤務でもイヤーマフが必需品の事態になりつつある。


「お前達、仕事中だっていうのに仲が良すぎるぞ~~、もうちょっと自重しろぉ」


 向こうから歩いてきた因幡一尉が、呆れ顔をして私達に声をかけてきた。


 そうそう。今年に入ってから、ほぼ毎回のように二人で三番機に搭乗して飛んでいる二人だけれど、ここ最近の飛行訓練では、因幡一尉ではなく白勢一尉が操縦桿を握ることが増えている。考えてみればもうすぐ二月。ラパンさんの最後の展示飛行が、せまってきているってことだろう。


「私のせいじゃありませんよ。そういうことは白勢一尉に言ってください」

「正体不明機に対するアプローチと同じように慎重に観察から入りましたが、慎重すぎたせいか、まったく相手にしてもえらませんでしたからね。年末からもう少し強めのアプローチに入ることにしました」


 白勢一尉はそう言って、ニッコリとさわやかな感じでほほえむ。


「それで磨き作業の時に、大勢の前でいきなりデートに誘ったのか? まったくどうしようもないヤツだな、白勢。だったらその勢いのまま、さっさとキルしちまえよ。お前達を見ているとこっちが砂を吐きそうだ」

「なんてこと言うんですか、因幡一尉。私は戦闘機じゃないんですから、キルとか言わないでください」


 とにかく、ここ最近の白勢一尉は本当に油断がならない状態だ。ちょっとぼんやりして歩いていると、さっきみたいにこっそりと近寄ってきては耳元でボソボソとささやくんだから、心臓に悪いことこの上なかった。それでもまだ通常のイケボだっていうんだから、本当に始末に負えない。通常のイケボじゃないイケボでささやかれたら、一体どうなってしまうのやら。


「そうしたいところなんですが、三番機のパイロットに決定したと隊長に宣言してもらえるまでは、ごほうびの特大飴玉(あめだま)はおあずけなんだそうです。デートのお誘いは受けてくれるんですが、そこから先は、浜路さんもゆずるつもりはないようで」


 だからまだ〝るい〟って呼ぶのも許してもらえないんですよと、さわやかな笑顔のままでつけ加える。


「お前の愚痴(ぐち)惚気(のろけ)に聞こえてくるのは、一体どういうことなんだろうな。浜路、白勢が三番機に乗るのは決定事項だろうが」

「なに言ってるんですか。因幡一尉のラストフライトだって、いつになるかまだ決まってないじゃないですか。だから、白勢一尉が三番機のパイロットにっていうのはまだ決定じゃないですよ。土壇場(どたんば)になってあれこれ変更になるのはよくあることですし、もしかしたらもう一年、因幡一尉が飛ぶことになるかもしれないじゃないですか」


 私がそう言うと、因幡一尉はあきれたように天井を見上げた。それから視線を私に向けて、人差し指を向けてくる。


「浜路の言いたいことはわかった。いいか浜路、さっき隊長と話して決定したことだが、俺の展示飛行のラストフライトは二月にある芦屋あしや航空祭ということになった。つまりだ、それ以後の展示飛行は白勢が三番機で飛ぶことになる。これは決定事項ではあるが、まだ広報には知らせてないから他言は無用だぞ」


 そして、私を指していた指が白勢一尉に向けられた。


「これでどうだ、心置きなくキルできるだろ白勢。さっさとキルしろ」

「ということらしいよ、浜路さん」

「ってことは白勢一尉の展示デビューは芦屋以降ってことでしょ? だったら白勢一尉、それまでは大人しくしてなさい」

「……だそうです、因幡一尉。このドルフィンキーパーの命令は絶対なので」


 因幡一尉はやれやれと溜め息をつく。


「ってことは、それまで俺達はずっとお前達のそれを見せつけられるわけか。あちらこちらで砂の山ができなきゃいいんだがな」

「白勢一尉が大人しくしていればすむことですよ。私は悪くありません」

「だからそのツン顔はやめろって」


 そう言った一尉は、私の鼻を思いっきりつまんだ。



+++



 今日は飛行訓練がない日なので、第11飛行隊の私達は比較的のんびりとしたスケジュールで動いている。いつもは大きく入口が開いている専用ハンガーも、今日は閉じたままだ。


 とは言っても、基地自体がまったく動きがないいわけではない。


 救難隊では、なにかあった時のためにいつでもヘリが飛び立てるようにしているし、そこに所属している隊員達は、体力づくりのトレーニングにはげみながら万が一の時に備えて待機している。


 第21飛行隊では、F-2戦闘機の操縦課程を受けている飛行幹部候補生達がいるので、今日も訓練で教官と共に複座のF-2に搭乗して滑走路から飛び立っていた。


 そして私達は、離陸していくF-2をながめながら、明日の飛行訓練に備えての整備点検の打ち合わせや、普段はサポートスタッフに任せてなかなか手をつける時間がない書類整理をしていた。白勢一尉達は、飛行中の会話がすべて英語ということで英会話の勉強をしたり、過酷な操縦環境に耐える体を作るための筋トレをしたりしている。はなやかなショーばかりに目を奪われがちだけど、実際はこういう地道な作業や努力の積み重ねがたくさんあるのだ。


 だけど一つだけ問題がある。それが朝から大騒ぎした、白勢一尉の朝の挨拶とかあれやこれやな一尉がらみの諸々なこと。訓練飛行がない時はドルフィンキーパーとしては穏やかな一日だけど、浜路るい個人としては本当に気が休まらない。常に背後を気にしていないと、すぐに不意打ちをくらってしまうのだから。


「……!!」


 赤羽曹長と打ち合わせをしていたところで、気配を感じてバッと振り返った。部屋の前の廊下を白勢さんがこっちをのぞきながら歩いている。手を軽く上げただけで部屋には入ってこず、藤田一尉に話しかけられ、そっちに顔を向けてそのまま行ってしまった。……やれやれ。


「もしかして、白勢一尉とけんかでもしたか?」


 曹長がニヤニヤしながらたずねてきた。


「けんかなんてしてませんよ。わかってるくせに聞かないでくださいよ。一粒レモン50個分の飴玉(あめだま)を十個ぐらい口に突っ込みますよ」

「まったくどっちが偉いんだかわらんな。仲良くするのはけっこうだがほどほどにな。それで話の続きだが……」


 曹長が少しだけ声を落としてから、前屈みになって私のことを見つめてくる。


「ラパンのことは聞いたな?」

「はい。まだ広報には知らせていないので他言は無用だと」

「芦屋の次がどこになるかはまだわからんが、お前もそろそろ腹をくくれよ」


 白勢一尉のことばかりじゃなくて、そっちのこともあったんだと心の中で溜め息をついた。


「……本当に私がするんですか?」

「当り前だ、いまさらなに言ってるんだ。ほら、機付長様が来たぞ」


 曹長が愉快そうな顔をして私の後ろをうかがった。振り返れば、いかめしい表情をした坂東三佐がこっちにやってくる。


「なんだ、もしかしてケツを蹴って欲しいのか?」

「三佐に蹴られたら、私、お月様まで飛んでいっちゃいますよ」

「月まで行きたくないなら覚悟をきめておけよ。赤羽から聞いているが、ずいぶんとさまになってきたって話じゃないか」

「お陰様で。それもこれも曹長のご指導の賜物(たまもの)です。それから報酬の飴玉(あめだま)の威力と」


 曹長は顔をしかめた。


「なあ、あの金時人参飴は因幡一尉専用じゃないのか?」

「いいえ。四人とも平等に同じものです」

「……報酬ならもっと飴玉(あめだま)らしいのにしないか? ソーダ味とかミント味とか、せめてレモン味ぐらいで」

「一粒レモン50個分が気に入っていたならそう言ってくれたら良いのに」

「違うわ! 三佐、なんとか言ってやってください」


 そう言われた三佐は首をかしげる。


「俺はあれはあれでありだと思うんだがな」

「さすが機付長……」


 いやそこは機付長とか関係ないと思うんですが……。

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