第7話:観察と分析
試衛館での生活が始まった栄吉は、元官僚の分析眼で仲間たちを観察します。
そんな中、原田左之助との手合わせで、彼の異質な剣技が披露されます。
力と技がぶつかる道場で、栄吉の合理的な剣は仲間たちにどう映るのでしょうか。
試衛館での食客としての生活が始まって、十日ほどが過ぎた。
俺、永倉新八こと、元・霞が関のキャリア官僚は、この幕末の道場で奇妙な二重生活を送っていた。表向きは松前藩脱藩の浪人として剣の修行に励む日々。しかし、その実態は、来るべき激動の時代を乗り切るための情報収集と分析、そして何より、この温かい「我が家」を悲劇から守るための戦力評価に他ならなかった。
官僚という人種は、情報を整理し、分類し、分析することに病的なまでの執着を持つ。俺の頭の中には、いつしか「試衛館人物ファイル」とでも言うべきものが構築されつつあった。
ファイルNo.1:近藤勇
天然理心流四代目宗家。組織のトップとしてのカリスマ性は申し分ない。朴訥だが義に厚く、一度懐に入れた者は決して見捨てない度量の深さを持つ。門弟からの信頼は絶大。剣は剛直そのもの。一撃一撃に体重を乗せた斬撃は、まともに受ければ骨ごと断ち切られるだろう。弱点は、その人の良さゆえに、他人の甘言に乗りやすい危険性を孕んでいることか。組織運営におけるリスク管理の観点から、補佐役の存在が不可欠。
ファイルNo.2:土方歳三
事実上のNo.2。近藤とは対照的に、冷徹なまでのリアリスト。常に一歩引いた場所から全体を俯瞰し、組織の規律を維持することに心を砕いている。彼の存在が、この個性派揃いの集団を一つにまとめていると言っても過言ではない。剣は実戦的で無駄がない。相手の急所を的確に、最短距離で狙うことに特化している。彼の観察眼は鋭く、俺が持つ「異質さ」にも気づいている節がある。現時点での最重要警戒人物であり、同時に、最大の協力者候補でもある。
ファイルNo.3:沖田総司
天才。この一言に尽きる。踏み込みの速さ、太刀筋の鋭さ、どれをとっても常人の域を遥かに超えている。彼の「三段突き」は、物理法則を無視しているとしか思えない速度と精度だ。性格は明朗快活で、子供のように無邪気な一面もあるが、一度木刀を握れば、その瞳からは一切の感情が消える。史実における彼の病、結核。それさえなければ、おそらく幕末最強の剣士だっただろう。俺の介入によって、その未来は変えられるか? 抗生物質の生成は不可能でも、高度な衛生観念、栄養学、隔離といった知識で、彼の命を繋ぎとめることは出来るはずだ。最優先救助対象。
他にも、穏健な人柄で皆の潤滑油となっている最年長の井上源三郎。明るく人懐っこいが、剣の腕は確かで、特に小太刀の扱いに長けた藤堂平助。そして、常に集団から距離を置き、暗い瞳で虚空を見つめる孤高の剣士、斎藤一。彼の剣は、まだ俺も全容を掴めていない。我流のようでいて、その動きには一切の無駄がない。彼もまた、沖田とは別の意味で「天才」の部類に属するのかもしれない。
そして、今日。俺の分析対象リストに、新たなデータが詳細に書き加えられることになった。
「永倉さん!一本、手合わせ願えやせんか!」
汗を拭う俺に、快活な声をかけてきたのは、ファイルNo.4:原田左之助だった。
伊予松山出身の彼は、槍の名手として知られている。性格は竹を割ったように真っ直ぐで、考えるより先に体が動く猪突猛進タイプ。その分、情に厚く、仲間意識は人一倍強い。
「相手は槍か。俺は木刀だが、構わないか?」
「おう、望むところだ!あんたの剣、どうも俺たちのとは違うみてえだからな。いっぺん、肌で感じてみたかったんだ!」
原田はそう言うと、道場の隅に立てかけてあった素槍を手に取った。刃はついていない稽古用のものだが、その長さと重さは、それだけで十分な脅威となる。
道場にいた門弟たちが、興味津々といった様子で俺たちを遠巻きに囲んだ。近藤が「おお、やるか!こりゃ面白い!」と笑い、土方は相変わらず壁に寄りかかったまま、厳しい目でこちらを見ている。
俺はゆっくりと木刀を正眼に構え、深く息を吸った。
対する原田は、槍の石突きを地に付け、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべている。
(分析開始。相手の武器は長槍。リーチはこちらの三倍以上。直線的な攻撃、特に「突き」が主体となる。こちらの攻撃範囲に入る前に、相手の攻撃をいなし、懐に飛び込む必要がある。彼の性格からして、初手は間違いなく力任せの突きで来るはずだ)
俺が思考を巡らせていると、原田が動いた。
「うらぁっ!」
野太い気合いと共に、原田の巨体が突進してくる。槍の穂先が、一直線に俺の喉元を狙って突き出された。天然理心流の教えに忠実な、体ごとぶつかっていくような力強い一撃だ。
門弟たちから「おおっ」という声が上がる。
神道無念流の教えであれば、これを横から打ち払うか、あるいは大きく飛び退いて避けるのが定石だろう。
だが、俺が選択したのは、そのどちらでもなかった。
(攻撃ベクトルは直線。入力されるエネルギーは約80kgの体重を乗せた突進力。これを正面から受け止めるのは愚策。最小限の動きでベクトルを逸らすのが最適解)
俺は、半歩だけ右に体をずらした。
喉元を狙っていた槍の穂先が、俺の左肩のすぐ横を、布一枚を隔てて通り過ぎていく。風圧で髪が揺れるのが分かった。
「なっ!?」
原田の驚愕の声が聞こえる。
彼の全力の突きは、空を切って俺の背後の空間へと突き刺さっていた。
そして、その一瞬の硬直を、俺は見逃さなかった。
(テコの原理を応用。作用点は槍の柄。力点は最小限の力で)
すれ違いざま、俺は木刀の切っ先で、槍の柄を「コン」と軽く打ち付けた。
力任せに打ち払うのではない。ただ、槍が持つ直進エネルギーの方向を、ほんの少しだけ変えてやる。それだけで、原田の体勢は大きく前のめりになった。
「しまっ……!」
体勢を立て直そうとする原田。だが、もう遅い。
俺はすでに彼の懐、槍という武器が最も無力化される至近距離に踏み込んでいた。
(重心の軸は右足。足払いにより、軸を崩壊させる)
踏み込みと同時に、俺は原田の軸足となっている右足を軽く払った。
前のめりになっていたところに足元を掬われた原田の巨体は、為す術もなくバランスを崩し、派手な音を立てて道場の床に転がった。
ドッシーン!という轟音と共に、一瞬の静寂が道場を支配した。
何が起こったのか理解できない、という顔で呆然と尻餅をつく原田。
そして、俺は彼の喉元に、音もなく木刀の切っ先を突きつけていた。
「……そこまで!」
静寂を破ったのは、近藤の張りのある声だった。
門弟たちが、ざわざわとどよめき始める。
「おい、今のが見えたか?」
「いや、永倉さんが少し動いたと思ったら、もう原田さんが転がってた……」
「まるで手品だ……」
彼らにとって、今の攻防は理解の範疇を超えていたのだろう。天然理心流の剣は、良くも悪くも「力と技の正面衝突」だ。気合で相手を圧倒し、剛剣で打ち砕く。それが彼らの信じる強さだった。
しかし、俺が今見せたのは、その対極にあるものだ。力は使わない。気合も叫ばない。ただ冷静に相手の動きを分析し、最小限のエネルギーで、最大限の効果を生み出す。それは彼らにとって、剣術というよりも、まるで算術か何かに見えたのかもしれない。
「永倉さん、あんた……一体、何をしやがったんだ?」
呆然としたまま、原田が俺を見上げて尋ねる。
「何、ということはない。お前の力が強すぎただけだ」
俺は木刀を収めながら、そう答えた。
「見事だ、永倉殿!」
近藤が、興奮した様子で俺の肩を叩いた。
「力で捻じ伏せるだけが能ではない、か。いや、面白いものを見させてもらった!お主の剣には、俺たちの知らん『理』がある。実に興味深い!」
純粋に未知の剣技に感心する近藤。その隣で、土方は何も言わずに、ただ腕を組んだまま俺を値踏みするように見ていた。だが、その厳しい瞳の奥に、先ほどまでとは違う、明確な「興味」と「評価」の色が浮かんでいるのを、俺は見逃さなかった。
(これでいい)
俺は心の中で呟いた。
俺の剣は、この試衛館では異質だ。それは、俺自身がこの時代の人間ではないことの証明でもある。
だが、この異質さこそが、俺の武器だ。
史実という名の巨大な奔流に抗い、彼らの未来を、そしてこの国の未来を変えるための、唯一の力。
「どうだ、永倉殿。今夜あたり、その『理』について、一献酌み交わしながらじっくりと聞かせてもらえんか?」
人の良い笑みを浮かべる近藤。
その誘いに、俺は静かに頷いた。
合理主義者としての俺が、警鐘を鳴らす。
『深入りはするな。彼らとの間に情が生まれれば、いずれ非情な判断が必要になった時に、お前の足枷となる』
だが、もう遅いのかもしれない。
この温かい場所と、不器用で、真っ直ぐで、人間臭いこの男たちを、俺はすでに「仲間」だと認識し始めていた。
その感情が、未来を知る者としての優位性を揺るがす毒となるのか、それとも、歴史に抗うための覚悟を固める劇薬となるのか。
答えはまだ、誰にも分からない。
俺はただ、自らの内に芽生えた新たな感情の萌芽を自覚しながら、これから始まるであろう長い夜の対話を覚悟するのだった。
栄吉の合理的な剣は、近藤や土方に強烈な印象を与えました。
史実を知る者として距離を置くべきだと自戒しつつも、仲間への情が芽生え始める栄吉。
この感情が、彼の、そして仲間たちの運命をどう変えていくのでしょうか。




